第六章

その後の花火大会では、ラムネを買ってきた愛牙を連れてまた蛍たちと花火を観ることができた。


最期に昇った一番大きい花火は壮観で、見ていた殆どの客を笑顔にしていた。


だが、ただ一人、側に居た蛍だけは違った。花火師としてはじめて造った自分の花火と比べて、悔しかったのだろう。


彼女の淡い赤の瞳には歯がゆさと次回作に向ける熱意が垣間見えた。


とても、綺麗な思い出を残した花火大会ももう昨日のこと。


しかし、昨夜の余韻に浸り、自室でのたうち回る少女が一人居た。



―昨日は……、じ、自分からも口付けをしてしまいました……—



花火大会中。ほんの一時だが、白彩と煌龍が二人きりになった。そのときに、お互いに唇を交わしたことを今更恥ずかしがっている。あのとき、あの場では、花火に気分が呑まれていたらしい。


一晩経って、昨日ことを改まると唇の熱を思い出して可笑しくなる。今朝の食事のときも、白彩はまともに煌龍の顔を見ることができなかった。


仕事に向かう彼を見送ったあと、いつもと違う様子を使用人に不審に思われながら、自室に戻り現在に至っている。


だが、いつまでも狼狽えている訳にはいかないと、気分を変える為に手紙を書くことにした。最近あったできごとを鸚緑に綴ろうと、彼の現住所が書かれてある紙を探した。すると、仕舞った場所から未開封の手紙も出てきた。



—これは……あっ、萌葱姉様からの手紙…… —



以前、連火家に来た際に受け取ったものの、開けそびれて仕舞い込んだらしい。


わざわざ一人のときに読めと言っていたから、酷い罵詈雑言が書かれているのではないかと不安に思いながら、白彩は封を開けた。


『白彩へ


この手紙を読んでいるということは、おまえが無事に退院したということだな。

連火の家で渡すつもりだったが、あんまり酷い怪我でなかったことを嬉しく思うよ。』



―あれ?思っていた内容とかなり違う。—



文面も軽くて、萌葱らしいと言えばらしいが、恨み言の一つや二つ書かれていると思っていた白彩は肩透かしをくらった気分だった。その上、支乃森家の事件で負った怪我の心配までしている。本心ではないのかもしれないが、文面だけでもそんな言葉をかけられた。


「萌葱姉様はわたくしのことを嫌っていらしたのではないのでしょうか?」


従弟である鸚緑のみならず、萌葱までそうなのかと思えたが、そんな都合の良い話しなんて無いと直ぐにその考えを切り捨てる。


『それじゃあ、本題に入るけど、白彩とあんたの母親が入っていた座敷牢をこの前解体した。』



―えっ……。あの座敷牢がもう無い……—



辛い思い出ばかりだが、それでも白彩の人生の殆どを育んできた場所。それが知らない内に壊されていたという事実に、白彩は物悲しくなる。


『そうしたら、床下からあんたの母親・翡翠叔母様が隠したと思われる写真を二枚出てきた。多分、彼女が私の父親や母親に奪われないように隠したんだ。いずれ、あんたが見つけてくれることを願って。

同封するから、大事にしな。

じゃあね。ばいばい。』


「……どうして母様の写真をわたくしに?」


嫌っている筈の人物に母親の形見を見つけて渡す萌葱の真意がわからなかった。


『追伸


早く連火煌龍とキスの一つでもしてみたらどうだ?』


最後の文を読んで白彩は頭から湯気が出た。



—やはり、わたくしには萌葱姉様が何を考えているのかわからない。—



昔から酷い体罰はされなかったが、揶揄われることが多かった。白彩は萌葱に対して怖いというより苦手意識の方が強い。


気を取り直して、白彩は同封されていた写真を取り出した。


一枚は、若い男性の隣に座った翡翠が小さな赤ちゃんを抱えたもの。


「これって……わたくし?」


赤子が白彩ならば、若い男性は……


「裏に何か書いてある……。娘・白彩、母・翡翠、父・百合彦ゆりひこ……」


白彩の父の名は百合彦というらしい。


「まさか、父様の顔を見られるなんて夢にも思いませんでした……」


考え深い気持ちでもう一枚の写真も取り出す。


先程の写真よりも古く、かなり昔に取られた物なのがわかる。だが、同じく赤子を抱いた夫婦の写真。



「この写真の女性……少し父様に似ている」



こちらの写真はもしかしたら、百合彦が生まれたときの記念に両親と取った写真かもしれない。


父親についてまったく知らない白彩は、思わぬところで祖父母の顔も知った。



—母様はわかっていらしたのかな?わたしくがいずれ、あの座敷牢に入ること……—



翡翠はわかっていたに違いない。もし自分が死んだら、娘の白彩が兄・支乃森草一郎の執着の対象となることを。


祖父母と父の写真の裏には、名前などは書かれていなかった。代わりに、白彩が知らない歌譜が記されていた。



—母様が残した歌とはまったく違うわ……—



翡翠は幾つもの緑の歌を作り残した。だが、手元の歌譜は透明で、心に馴染むような内容だった。


翡翠はこれを残したかったのだろう。これは彼女の夫だった百合彦の物。草一郎に見つかりでもしたら、処分されていた。


白彩が見つけることを願って、床下に隠したんだ。



—いつかこの歌も煌龍様に届けたいなぁ……—



心を透かす美しい百合の花の歌譜をじっくり眺めるの白彩だった。






「煌龍。今日は何だが機嫌が良さそうだな」


「そうか?」


いつものように淡々と仕事を熟す煌龍だが、愛牙には長年の経験から目の前の人の機嫌をある程度把握できる。


「もしや!とうとう、自分が白彩ちゃんのことを女として好いていると認めて、キスしたのか?」



—まったくもって当たっている。—



愛牙の的を射た予想に、彼の神通力は心を読む類いだったっけと煌龍は思いたくなった。


「どうなんだ?昨日は花火大会で良い雰囲気になりやすかったしな」


「俺のことはどうだっていい。それより、この書類におまえも目を通せ。忙しくなるぞ」


昨日、花火を観て浮かれたくもなるが、花火大会が終わったということは邪神祓いの儀が目前に迫っている。彼等に遊んでいる暇など無かった。


だが、煌龍は内心、心が軽やかだったのは本当だった。白彩からも口付けしてくれて、嬉しかった。


「え〜。だって、おまえの所為で部屋が暑いんだもん。仕事なんて嫌だよ〜」


思考は仕事へと切り替わっているが、気分が高揚して、煌龍の体温が上がっていた。火の神力の熱が彼の身体から溢れ出す。夏の気温も相まって、隊長実は蒸し風呂と化していた。


文句垂れる愛牙を無視して、煌龍は邪神祓いに関する書類に判をする。







—今日は何とか帰れるが、明日から暫く屋敷には戻れないのだろうな。—



帰路に着きながら、煌龍は今後の予定を考えていた。


無事に邪神払いが済むまで、連日連夜かかりっきりで働くことになる。



—その間、白彩とは一切会えないのだな…… —



粋のこともあり、白彩の身が心配になる。しかし、単純に会えないことを寂しく思う気持ちもあった。


「つつ闇の空に昇る華火」


屋敷に着くと洋館の方から、可憐な少女の歌声が聴こえる。


「光露尾を引き余韻を残し消えてゆく」



—あぁ……。白彩の歌だ。—



「されど、再び上る華火」


白彩の歌を聴いただけで、煌龍はこれから暫く会えなくなる寂しさなど忘れられた。


「つつ闇、彩る花々よ」


邪魔したくなくて、気付かれないようにゆっくり歩み寄る。


「炎の花は刹那の随に、儚く消えども心彩る」


今、歌っているのは花火の歌。前に歌ったときは、花火を見たことが無いから上手くできないと嘆いていた。


「咲く音と共に顔を上げなさい」


それでも、美しく軽やかな音程がなされていたが、前よりも鮮烈されている。


「つつ闇、何処」


そして、煌龍の母・恋寧とは違う、楽しく軽やかな印象を受ける。


「夜空は大輪花開く」


花火を見ただけでなく、作ったりもして、白彩だけの歌の心象が織りなされた。


「あっ。煌龍様」


白彩は赤た顔で煌龍を見やる。



—もう、同じ想いと受け止めていいだろうか……—



白彩が好きで堪らない。きめ細やかで白磁の肌に触れたい。その白い肌に対比する赤い唇を己の口で塞ぎたい。


そして、透明で誰よりも美しい歌声をいつまでも聴いていた。


そんな煩悩に苛まれる煌龍は、白彩の額に唇を落とすのだった。

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