暫く、入院することになった白彩と煌龍は、夏の花に衣替えの最中の中庭のベンチに座っている。


「煌龍様、申し訳ありません。わたくしが不注意で、院内から出たばかりに」


「いや。俺も迂闊だった。慣れてない場所で一人にして」


「でも、煌龍様は支乃森家まで、わたくしを助けに来てくださいました。実を言うと、死ぬと思ったときにすべてを諦めました。助けなんて見えなくて。連火の屋敷で、煌龍様はさんざん守ってくれたのに……それが恐怖で抜け落ちて……。だから、本当に、嬉しかったんです」


「白彩……」


「それから、ありがとうございます。小さい頃の約束を守ってくれて」


「……思い出したんだな」


白彩がはじめて出会ったときのことを、すべて思い出したんだと理解する煌龍。


「俺がはじめて白彩と出会ったのは、十の時。父親に連れられて支乃森邸内を歩いていると、澄んだ歌声が聴こえて、庭先で舞うおまえを見つけた」


「煌龍様が十歳の頃でしたら、わたくしは三つだったんですね。当時の出来事は殆ど覚えていなかったのですが、煌龍様の赤い瞳の色だけは夢に出る程残っていました。その鮮烈な赤が煌龍様だとわかったときはとても衝撃的で、すべてを思い出したら、嬉しさのあまり涙が出ました。はじめて会ったとき、煌龍様はこんな色の無い白い瞳を綺麗だと言ってくださって……。なのに、今の今まで思い出せなくて、ごめんなさい」



―あんな綺麗な記憶を忘れていたなんて……—



煌龍はずっと覚えて約束通り迎えに来てくれたのに、覚えてすらいなかった自身を恥じる。


「いいんだ。そんなこと。それに……俺は忘れたままでも、良かった。寧ろ、忘れたままで良かった」


「……?どうしてですか?」


「十年以上も幽閉されたおまえを助け出せない申し訳さもあるが、支乃森家から連れ出す為とはいえ、無理やり妻として娶るだんて。そもそも、俺は白彩と母上を重ねていた。これでは、支乃森草一郎と一緒だ」


「そんなことありません!叔父様と煌龍は全然違います!」


座敷牢に閉じ込めた叔父と同類だと言う煌龍の言葉を、白彩は全力で否定する。しかし、煌龍は首を横に振る。


「いや。同じだ。だって、俺は白彩の株に母上の面影を感じた。おまえが母上と同じ末路を辿るのではと不安になり、歌舞を観ようとしなかった。

俺は……家族と言うものが怖いんだ。母上はあんな父親と結婚したから……家族になったから、不幸になった。だから、白彩……おまえにも母上と同様の重荷を背負わせたくなかった」


「重荷だなんて……」


「重荷だ。名家の色深しの顔料は、その家を敵対しする者にとって格好の獲物なのはわかり切っている。事実、連火の屋敷に来てからも外に中々出してやれず、不自由を強いている。

それでも、白彩を顔料としたのは、俺の我儘だ。母上と似た境遇であることを不憫に感じたのもあるが、美しい歌と舞を側に置きたいという我儘を突き通した結果だ」


だから、白彩が約束を含めて出会ったときの記憶がないと知ったとき、煌龍は黙っておくことにした。自分の我儘に付き合わせて、これ以上の負担をかけるには忍びない。約束していたことがのちに、白彩にとって更なる重荷となるのではと危惧した結果だった。


「それは、我儘ではありません」


だけど、白彩は約束が我儘であることを否定する。


「だって、わたくしは煌龍様に出会えて良かったと思っています。煌龍様に歌を聴いていただき、舞を観ていただくことが、何よりの幸せだから」



—母様を想って歌い、色國の人々の未来を願って舞うときは、これ程満ち足りた気持ちにはならなかった。—


—歌も舞も、煌龍様に捧げるときは、自分自身も幸せな気持ちにさせられる。—


—それはきっと、煌龍様がわたくしの歌と舞を綺麗だと言ってくれるから……—



「恋寧様も、同じだったと思いますよ」


「……どうして、そう思うんだ?」


「だって、煌龍様という優しい息子がいたのですから」


白彩が思い返すはトキたちから聞いた、恋寧いう人物の人柄。


「トキさんたちから聞きました。恋寧様はよく訓練を頑張りすぎる煌龍様の為に、歌舞を披露していたと。それだけ、煌龍様は恋寧様にとって、かけ替えのない子だったんですよ」


白彩の言葉に、煌龍の脳裏には母が死ぬ少し前の記憶が蘇る。



―あれは……姉上と一緒に母上の歌舞を観ていたときのことだ……—



『ははうえは、どうしてそんなにも歌と舞が好きなのですか?』


恋寧は煌龍の質問に微笑み、姉と一緒に抱きしめた。


『それはね。私の歌舞を楽しそうに観てくれる、煌龍と撫子がいるからよ』



―母の言葉に姉上は笑い、俺は嬉しくて母の頬に寄り添った。—


―俺と姉を慈しむ母は、満ち足りた顔をしていた……—



「だから、今度はわたくしが煌龍様の支えとなります」


思いの丈をすべて述べて白彩に、煌龍は「もう、支えられている。支乃森の屋敷で、おまえの歌舞がなければ、俺はやられていた」と自分も白彩が大切なかけ替えのない人だと言う。



—あの歌と舞は、母上よりもずっと神秘的で美しいものだった。—


—白彩の歌舞がなければ、俺は死んでいたかもしれない……—



「いいえ。あのとき、助けられたのはわたくしの方で、支えになれたとはいえません」


白彩は助けられてばかりは嫌だと言う。


「そんなことはない。それに、連火の屋敷でも、おまえの歌舞は観るだけで心が温まった」


煌龍は率直に自分の気持ちを述べる。


「歌舞だけではない、白彩。おまえの存在が俺の心の支えとなっている。母上が悲しい思いだけを抱えて死んだ訳ではないのだと、白彩が思い出させてくれた。それ以前から、おまえは俺とって特別な存在だったんだ」


自分も為に行動してくれる白彩の存在に、先程まで火が消えたように沈んでいた煌龍の瞳に正気が戻っていた。


率直過ぎる煌龍の言葉に、白彩の頬が白から赤に色付いていた。まるで、目の前のスターガザールのようだ。


「改めて約束する。俺はこれから、生きている限り瞳を含めて白彩を大切にする。お互いに怪我が治ったら出かけよう。この前買った、白と赤の着物を着て」


「……はい。わたくしも、約束します。一生かけて、あなたの支えとなることを……」


二人の想いは色付き、心にはほんのり火の光が灯る。まだ、お互いに想う気持ちを正確に理解できていない二人の心の火は、次第に燃えるように輝くのだろう。


その火は、きっと世界すらも温かく染め上げる。

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