⑤
「ただいま、帰りました」
翌日、支乃森邸に帰った鸚緑は、誰も出迎えないことを不審に思った。
「誰か、いない―—ふぐぅ……」
屋敷内を漫ろ歩きしていると、不意に背後から身体を抑えられ布で口を塞がれた。抵抗するものの、布に睡眠薬か何かが染み込んでいて次第に意識が遠のいた。
目覚めると、そこは白彩が幽閉されていた座敷牢の中だった。
「これは、一体……」
「あら。起きたのね、鸚緑」
聞きなれた女性の声。しかし、不気味な声音は普段以上の嫌悪感を与えた。
「母様……」
「ごめんなさいね。こんな所に押し込めて」
謝っているのに、目だけ笑っていて不気味だ。それ以上に、緑の瞳をしている筈の母親の眼が、漆黒に塗り替わっていた。
「私、気付いたの。何故、こんなに惨めな思いをするのか」
鸚緑は母の漆黒の眼に気を取られて、言葉が出てこない。母親の語らいに耳を傾けた。
「あの色無しがいるからなのよ。あいつが私を地獄の底に突き落とすの」
「はく……彼女は、既にこの屋敷から出て行っていませんよ」
『白彩姉様』と呼んだら、柢根が激昂することが目に見えているので名前は言わない。
「違うわ。あの色無しの存在そのものが許されないのよ。あれは疫病神。早く駆除しないといけないわ。だから、直ぐにでもあの色無しを殺してしまいましょう」
「はぁ……」
母親が言っていることに理解が追いつかない鸚緑は、「母様……、そういった御冗談はよしましょうよ」と言った。
「彼女は連火家に嫁ぐ身。連火煌龍に聞かれたら、冗談でも処罰されませんよ」
鸚緑の言い分はもっともだ。しかし……
「大丈夫。あんな色無しに価値なんてないから、殺したところで誰からも文句はないわ。あいつもそう言っているし」
「あいつ……」
「あぁ。私にだけしか声、聞き取れないらしいのよね。実家の人間にも聞こえる奴はいたけど、『キィ……』っていう音だって言うし。
でも、大丈夫。こいつさえいれば、確実にあの疫病神を殺せるから」
ここで漸く、母親が本気で白彩を殺す気でいると鸚緑は理解した。
「ことが済むまで、ここにいなさい」
「ま、待って……。白彩姉様を殺さないで……。やめ、やめろぉぉぉぉぉ!」
色彩眼を汚された母親に、鸚緑の叫びは届かなかった。
柢根が去った座敷牢で、鸚緑は自身の無力さが慙愧に堪えない。
—無理に決まっていたんだ。白彩姉様が
—母様は……あの人は昏天黒地に陥っているけど、白彩姉様を殺したいというのは本心からきている。—
—邪神は、その願望に寄り添っただけだ!—
—このままだど、白彩姉様は……。なのに、僕はこんな所で蹲ることしかできない……—
薄暗い座敷牢は心細く、鸚緑の心をますます陰らせる。
―白彩姉様も、ここに閉じ込められていたころは……寄る辺のない孤独感に苛まれていたのかな……—
しかし、敬愛する従姉の顔が脳内に浮かぶ。心像は残酷な赤き血に塗り潰され、その横で母が悦に浸っていた。
このまま座敷牢で手をこまねいていたら起こるであろう未来を想像した鸚緑は、蹲っている場合ではないと自身を鼓舞する。
—僕は何をやっているんだ!—
—母様の操り人形にはならないって……立派な当主になるって、白彩姉様と約束しただろ!—
鸚緑は、自身の着物の袖口を裂き細長い布を用意する。
「イッ……」
そして、親指の先を噛み、血文字で手紙を書き出した。
『連火煌龍殿。我が母が白彩姉様の命を狙っています。姉様を隠してください。
白彩姉様は、何があっても外に出ないでください。
支乃森鸚緑』
挨拶もなく、不躾な手紙である。しかし、緊急を要する為、仕方がない。
次に、鸚緑は神通力で小さな草木を顕現させ、葉っぱを一枚千切る。それを口に当てて、草笛を鳴らすと、座敷牢に外を光を入れる唯一の小窓に小さな鳥たちが集まる。
実は、鸚緑は鳥好きで自身が神通力で作り出した草笛で支乃森邸の周囲を住処にする鳥たちを手懐けていた。
そして、特に手塩にかけて可愛がっているのが……
「
非常に珍しい、白色の雀に手紙を結ぶ。白羽は、遺伝子の変異で先天的に身体全体が白い雀。その見た目故、他の動物たちから狙われやすく、鸚緑が保護した固体だった。
体毛の色が白い為、従姉と重ねて見えてしまうこともあり、座敷牢に閉じ込められていた白彩に何度か見せたことがある。
「おまえなら、白彩姉様と会えたら僕からの手紙だと直ぐにわかる。何とか、届けてくれ」
鸚緑の願いに白羽は答え、小窓から飛び立つ。白羽はその見た目でも自然界を生き抜く為に、非常に賢く育った。だから、何事もなければ、連火の屋敷に辿り着ける。何事もなければ……
白羽が支乃森家から程近い宿場町を上空を飛んでいると、突如出現した蔦に体を絡め取られ身動きができなくなった。
「ぴぃっ‼︎」
抵抗すればする程に蔦は絡まり、完全に白羽を拘束した蔦は地面に降りていった。
「こいつが鸚緑が可愛がっている白羽か」
白羽を捕えたのは萌葱だった。その見た目から、鸚緑の鳥だと理解して、何となく捕まえてみた。
白い雀は珍しく、白彩を連想しかねないからと、鸚緑は家族に白羽を隠していた。しかし、萌葱はずっと前から知っていた。
「こんなにはっきり見るのははじめてだけど、白彩に何処となく似ているね」
そう独りごちりながら、足に結び付けられていた布を解いた。
内容から、煌龍と白彩に危険が迫っていることを告げた手紙だと理解する。
すると、萌葱はそれを懐に隠した。これは後で人目が付かない場所で燃やすつもりらしい。
それを見かねた白羽は鳴いて抗議するが、鳥の囀りにしかならない声に萌葱は歯牙にもかけない。
「あんたには後で鳥籠を用意する。自由にはしてやれないけど、暫くの辛抱さ」
白羽を殺すつもりはないらしいが、鸚緑の手紙を隠滅した萌葱ははたして白彩の味方か、敵か、どちらなのだろう。
萌葱は白羽を見詰めながら、不敵な笑みを浮かべる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます