③
連火の屋敷に戻ってから、白彩は自身の判断が軽率だったと反省する。
—鸚緑を捨て置けなくて、勢いで連れてきてしまったけど……ただの婚約者であるわたくしが勝手に決めてしまって、連火家の皆さんに御迷惑だったわ……—
—鸚緑も、知らない屋敷に連れてこられて、不安だったかもしれない……—
―それにしても、あの子……支乃森家で、何があったのかしら……—
遥々、彩都まで赴く程の事態があったのだと白彩は勘違いしている。理由が自身の安否を確認する為とは露程も思っていない。
—叔母様や萌葱姉様と一揉めしたのだろうけど、叔母様の場合は申し訳ないわ。—
—母様とわたくしが原因で、叔母様は鸚緑に必要以上の期待を寄せるようになったから……—
白彩は長年、鸚緑たち家族に申し訳ない気持ちでいた。自身と母の存在が叔父を狂わせた。それは、叔母にまで連鎖していき、最終的に柢根は萌葱を見限り、鸚緑は辛い修練の日々を送った。
—父親からの興味と優しい母親を奪った。—
—萌葱姉様は苦手だが、二人の兄妹には、本当に取り返しが付かないことをしてしまった……—
ずっと、白彩は支乃森家の家庭を壊したと罪悪感でいっぱいだった。
鸚緑と萌葱にはもちろん、結果的に夫を奪い精神を壊してしまった柢根にも。酷い扱いを受けたが、それとこれは別問題だから。
母と引き離し、その後長らく自身を閉じ込めた叔父には、流石に後ろめたさはない。しかし、翡翠と同じ容姿でなければ、早くに草一郎を翡翠の呪縛から解放できなのではないかと思ってしまう。
—そうだったなら、鸚緑に辛い思いをさせずに済んだのに……—
鸚緑に憐憫の念を抱かれると白彩の心が苦しくなるのは、彼から普通の家族を奪ったという罪悪感故だった。
その鸚緑だが、借りた洋館の一室で複雑な心境をより募らせていた。
—随分と立派な部屋だ。これで、別館だなんて……—
—お借りした服も、一級の品。—
—少なくとも、金銭面では支乃森家より良い暮らしができる……
支乃森家と連火家の落差を目の当たりにして、白彩がここにいた方が幸せであるということに気付きはじめていた。
—だが、連火煌龍との関係はまだはっきりしていない。—
—あいつが心の底から白彩姉様を大切にしている確証を得ない限り、僕は家に帰らない‼︎—
しかし、往生際が悪く、病院での白彩の表情を見ても尚、煌龍には裏があると決め付けていた。
「失礼します。鸚緑様、御夕食の準備が整いました。食卓まで御案内します」
「あっ、ありがとうございます……」
夕餉の知らせに焔がやってきた。屋敷内を知らない鸚緑を気遣ってくれている。
だが、焔が連火家の使用人である為、彼の配慮も鸚緑には疑心感を与えてしまう。
—親切にして油断させたところで、支乃森家の弱みを握り、主人に報告するつもりかもしれない。—
鸚緑が使用している部屋から、普段食事をする部屋までそれなり歩く。少しばかり時間ができ、鸚緑は焔に探りを入れる。
「連火家の来てから、白彩姉様は元気にしていますか?」
しかし、彼はまだ子ども。探りを入れるのにも、裏をかく術を知らず、直球で聞くしかない。
「毎日、楽しそうに舞の稽古をしています。ただ、昨夜から浮かない顔でして、悩みを抱えておいでです」
それに対して、焔は真摯に答える。彼を知る人間からしたら当たり前だが、良くない噂が流れる連火家の使用人にも良い印象がない鸚緑には予想外だった。
—僕はてっきり、上部を取り繕ったことを述べると思っていた。—
もしやも、裏があって白彩が悩んでいることを述べたとも思えたが、連火家の印象を更に悪くするだけで、利点がない。だから、鸚緑は「どうして、僕にそのことを?」と聞き返す。
すると、焔は「私たちは、まだ白彩様と知り合って日が浅い。昔顔なじみなじみである鸚緑様なら、白彩様のお力添えになるのではないかと思ったのです」と正直に答えた。
彼の真摯な対応に、使用人は良識的な人たちかもしれないと改めた鸚緑。
だが、やはり白彩の親族だからか、そのような期待をされても彼女のように自分には何もできないと諦めてしまう。
―邪神から白彩姉様を守れなかった僕に、何ができるって言うんだ……—
その後、二人の食事はぎこちないものだった。
『……』
漸くまともに対面できたが、お互いがお互いに罪悪感などを抱え、何て言えばいいのかわからなくなっている。
その日の夜。白彩のことで頭がいっぱいだった鸚緑は眠れず、お手洗いに部屋を出た。
「あれ?どの部屋だっけ……」
暗がりで周りが良く見えず、洋館の構造自体慣れていない為、あちこちうろうろしている状況。ただでさえ、別館は人が少なく、深夜ということもあり、頼れる人がいなかった。
「心を見失わず、炎を灯そう。
燃ゆる火は必ず胸の内に。
さすれば、闇夜も気付けば東雲」
何処からともなく、聞き覚えのある声がする。大好きな従姉の歌声。しかし、緑の歌ではなく、憎き火の歌。
―聞いているだけで、心が暖かくなる……—
でも、迷子になって心細い思いをしていたから、道しるべとなる火の明かりの歌は安心感だけを与えた。
導かれるまま、歌声のする方に歩めば、花が咲き誇る中庭に出ていた。花に囲まれながた、歌い踊る白彩の姿が……
「……お、鸚緑?どうして、中庭に?」
従弟の存在に気付き、歌舞を中断してしまう。
「手洗いに行ったら迷子になってしまって……」
「そう。部屋まで案内するわ。付いてきて」
二人は手を繋いで屋敷内の廊下を歩く。こうして、鸚緑が白彩と手を合わせるのは、二ヶ月前に彼女を座敷牢から連れ出そうとしたとき以来だった。
「さっきは邪魔をして、ごめんなさい」
「いいのよ。眠れなくて、何となくやっていただけだから」
白彩もまた、鸚緑のこと、そして入院している煌龍を想い、落ち着かない心を鎮めようと歌舞をしていた。
「……先程の歌舞は、連火家に伝わるものですか?」
歌も舞も、支乃森家では見たことがないものだった。
「うん。そうよ。歌の方は、煌龍様のお母様が考えた歌詞なの」
「連火さんの……。そうなのですね。……白彩姉様は、この婚約に対して困っていることはありませんか?」
従姉の婚約者の名が出たところで、鸚緑は思いきって尋ねてみた。その質問の裏には、白彩を心配する想いと、連火家延いては煌龍の悪評が真実であるという確信を得たい思いが半々であった。
感情が不安である鸚緑に対し、白彩は「困ってはいないわ。邪神に気絶させられて、起きたら婚約が決まっていたことにはおどろいたけど……」と自称しながらも、不満などはないと正直に述べた。
「ただね……。煌龍様は心に深い傷を抱えているの。それを何とか取り除きたいのだけど、わたくしでは無理ね。だって、色無しだから。
鸚緑も支乃森家にいたときは、私の所為で辛い思いをさせてごめんなさい」
白彩は憂いた眼で、煌龍に何もできない自身への憤りや鸚緑への謝罪を述べる。しかし、鸚緑はそれらを理解できなかった。
―自分を無理やり娶った男の心を救いたい……。連火煌龍は冷酷無比な男ではないかのか……—
―それに、どうして白彩姉様が僕に謝るんだ。あなたを守れなかった僕に何故……—
「わたくしが叔父様を……あなたのお父様を狂わせた所為で、あなたたち家族が壊れた。叔父様はあなたと萌葱姉様には無関心で……叔母様は萌葱姉様を厄介者扱い、あなたには必要以上の訓練を強いた。
すべて、わたくしと翡翠母様の所為よ。謝るの遅くなってしまって、ごめんなさい……」
鸚緑が彩都まで逃げ出す程、柢根や萌葱と何かしらあったのだと勘違いしている白彩は、十四歳の少年が家出する程追い詰められているのは自分が原因だと改めて痛感した。
本当は、支乃森家にいたことから謝りたかった。しかし、叔父や叔母の目があり、鸚緑とは中々顔を合わせられず、自身のことに手一杯で永らく謝罪ができなかった。
長年の罪悪感を打ち明けた白彩の眼から涙がこぼれ落ちていた。それだけ、彼女の胸には色々なものが溜まっていたのだろう。
しかし、それは白彩だけではない。
「違う!白彩姉様は悪くない!」
「鸚緑、夜中にそんなに大きな声を出したら、使用人の方々に御迷惑が——」
「でも、白彩姉様が言ったことは間違っている。あの家で辛い思いをしたのは、姉様のほうでしょ。父様と母様と萌葱姉様、そして……何もできなかった僕の所為で……」
—僕に力があれば、白彩姉様は辛い思いをせず、自身を否定する人間にならなかったのかな……—
鸚緑は今はじめて知った。一番大好きな人は、自分自身をずっと否定し続けていたということに……。それがとても悲しくて、鸚緑の眼からも涙が溢れる。
―わたくしが自信を責めていたように、この子も自分のことが許せなかったのね……—
「鸚緑は何も悪くないわ。泣かないで」
白彩は鸚緑の目尻から溢れる涙を掬う。
頬に触れるきめ細やかな手を握った彼は、「白彩様はとっても優しい。あなたがいたから、僕は母様の扱きにも耐えられた……」と更なる涙を流す。
「僕は、白彩姉様に会えるだけで幸せなんだ。……あなたはいるだけで、僕の心を照らす存在……。だから……自分を貶すようなことはしないで……」
「……」
白彩は自分が不幸にしたと思っていた子が嗚咽を漏らし、不幸よりも幸福を貰ったと言いのけている事実に胸がはち切れそうになる。
―……わたくしは色無しだから、綺麗な母様に似ていても価値がない。—
―鸚緑たちを不幸にしたから、価値どころか普通に生きることすら許されない存在だと思っていたのに……—
「色無しなんて、そんなのどうでもいい。白彩姉様は、歌も舞も綺麗で、すごい人だ。だから、自分に自信を持って、連火さんに姉様の歌舞を観せてあげて。そうしたら……きっと、あの人も心に空いた穴が埋まると思いから。僕が、そうだったように……」
―本当はわかっていた……。連火煌龍が悪い人間でないことも、ここにいた方が白彩姉様は幸せだってことも……—
駅で鸚緑を庇った煌龍は気を失い寸前、鸚緑を見て『怪我はないようだな……良かった……』と言った。自分の命の方が危うい状況で他者を思いやれる人間だということはそのときにはわかっていた。
―軍人なら、身を挺してでも一般人を守るのは当然だが、気絶の瞬間にあんなことを言えるのは、軍人の責務とは無関係だ。連火煌龍は真に、自身よりも他者を優先できる人間だ。—
―少なくとも、大切な人が不幸にしてまで側に置こうとする父親と同等の道を選択する気でいた僕よりは……—
鸚緑が支乃森家に白彩を連れ戻したかったのは、彼女の安否を心配してのことなのは間違いない。だが、どうしても、自身の目が届くところに、愛する彼女を置いておきたかったのも事実。
本当はこのように、白彩と煌龍の仲を後押しするようなことを言うのは本意でなかった。だが……
「僕じゃ……白彩姉様を守れないから……支乃森家では幸せにできないから……、せめて連火家では、幸せになってほしい。だから、その努力をしてくれるのなら、僕は支乃森家に帰るよ」
「えっ……。帰って大丈夫なの?彩都に来たのは、その……」
言い淀む白彩に、鸚緑は『母親や姉と揉めたからでしょ』っと彼女が言えずにいることを理解した。
―白彩姉様は本当に優しい。僕が支乃森家に帰りたくないと気付いて、それを言わないでくれている……—
―帰りたくないよ。でも、白彩姉様が幸せになれる環境にいることはわかった。—
―だから、僕はあなたが憂いなく、ここにいられるように努めなければ……—
「白彩姉様は、自分と母親が僕の両親の精神を狂わせたと思っているけど、あの人たちも元々ああなんだよ。
父様は、実の妹やその娘ををいかがわしい目で見る物狂いだ。母様は、夫に興味関心を得られても、弱者を見下す為に僕や姉を散々振り回す毒親にだったと思う。実際に、母様の実家で聞いたけど、父様の婚約者候補だった分家の娘たちを蹴落としてきたそうだから」
「だとしても、萌葱姉様からいじめられるでしょ。あれはきっと、叔母様から見えてもらえないことに対する八つ当たりをあなたに―—」
「そうは白彩姉様も同じだよ。それに、そうとは限らない。ただ単に、あの人が母様と同じ、弱者をいじめることが好きな人間なのかも。
……僕は、別に自分の家族は好きじゃない。あの人たちは人間として可笑しいしもん」
鸚緑は自身の家族への心情を語り出した。
「白彩姉様と翡翠叔母様のことがなくても、家族が僕に酷いことしたのはあの人たちだ。僕は、白彩姉様が翡翠叔母様を想うように、家族を愛せない……」
翡翠が死んだから、叔父からの執着や彼と鸚緑を覗く支乃森家の人間から受ける仕打ちを白彩姉様が肩代わりするようになった。だけど、彼女は母親を恨んだことはない。白彩にとって、僅かな記憶しか残っていない母も、まったく覚えてない父も、大切な両親であった。
「でも、僕と白彩姉様は違うんだ。家族が生きていても、僕はあの人たちと普通の家族でいるなんてできないし嫌なんだ。だから、僕や支乃森家のことは気にせず、ここいにて。
僕は、母親の操り人形なんかじゃない、立派な当主になるから。そのときは、連火家当主夫人として、僕に会いに来て……」
鸚緑は白彩の両手を包むように握り、「僕は、弟としてあなたを愛しています」と告げる。彼は心の底から白彩を愛している。
そこには恋愛感情もあるが、どちらかと言えば家族愛に近い。傍若無人な実の姉と比較すると、いつも慰めてくれる白彩に姉でいてほしかったのだ。
でも、今の言葉は家族愛を尊重して、僅かな恋心を捨てたということだ。でも、何かしら吹っ切れた鸚緑は、清々しい顔をしていた。
暗がりでもそれをはっきりと見た白彩は、「ありがとう。わたくしも、姉としてしっかりしないとね」と笑いかける。
「わたしく、自分から煌龍様に歌舞を観てもらうわ。だから、わたくしのことは安心して。でも、なにあれば頼ってね。わたしくも、あなたのような弟がいて、本当によかった。本当にありがとう」
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