昨日、トキから煌龍たち親子の不仲の原因を聞かされた白彩。



―煌龍様のお心を癒すなど、わたくしなんかにできる筈がない……—



煌龍の炎虎に対する憎しみを取り除けるのは白彩だと嘱望され、自身のない白彩は心に尾を引き、舞の稽古に集中できずにいた。


「本日はこれにてお開きにしましょう」


身が入っていない白彩の舞を察した焔は、今日の稽古は早めに終わらせた。


「す、すみません。忙しい中、お時間をいただいているのに……」


「いえいえ。昨日は、御当主様とお会いになられてお疲れでしょう」


「そ、そんな……。わたくしが至らないだけです……」


沈んだ表情をする白彩は、頭を軽く叩かれる。


「そんな風に、何時までもウジウジしてはいけません」


普段は物腰柔らかく、主人である煌龍や白彩に忠実に思える焔。だが、白彩の軟弱な精神を諫める為とはいえ、仕えている人間の頭を叩くなど予想外過ぎる。


「でも、御当主様の非道な行いや、それに伴う奥様の死。そして、煌龍たち親子の軋轢を目の当たりにして、平常心でいるという方が無理でしょうね」


しかし、次の言葉を紡ぐころには、普段の焔に戻っていた。


「御当主様と煌龍には困ったものです。せっかく嫁いできてくれる若い娘を困らせる程、親子仲が悪いなんて」


だが、彼は白彩の前でどうどうと、煌龍たち親子を非難する。立場的に人前で主人たちを貶すような行為は後々不味いのではないかと、白彩が不安になる。だから、蛮勇にも、「そんなことを言って大丈夫なのですか……」と尋ねてしまった。


ビクビク震える白彩に対し、焔は「あの親子は、不器用なところが本当にそっくりでして、私がしっかりしなければなりません。だから、これくらいの物言いは昔からのことなんですよ」と微笑む。


不器用という言葉に、白彩も思い当たる節があった。



―煌龍は自身の感情を上手く表現化するのが苦手なところがある上に、表情も乏しい。—


―以前にも火車さんは、家族の前では口数が乏しい人間だと御当主様を語っていた。—



「そもそも、煌龍があんな風になってしまったのは、御当主様が自分の本心を語らないからなんですよ」


「御当主様の本心?」


嘆息を漏らす焔に、オウム返しをする白彩。


「御当主様が何も話さないから、奥様や撫子様。そして、自分に無関心なのだと思い込んでしまっているんです。煌龍は……」


呆れも含んだ言葉。しかし、連火家の人々への憂いを含んだ眼をしている。


「家族に対して色々考えてはいるのですが、あの方は家族に対して臆病な部分があるんです」



―……臆病?—



その場にいるだけで、威圧感を放つ炎虎には結びつかない言葉だった。白彩も腑に落ちない。


「納得のいかない表情ですね」


自身の言葉を理解できない白彩を見破る。


「も、申し訳ありません」


「理解できないのはわかっていました。白彩様は緘黙な御当主様しか知りませんから。そもそも、御当主様の本懐を知るのはもう私ぐらいで、後は死んだ奥様だけです。

だから、私がしっかりとあの方やその家族を支えなければなりません」


焔の語らいから、彼が本当に優勝な使用人であることがわかる。主人に忠実であるだけでない。主人の過ちを見過ごさないが、ただ諫めるのではなく、何故そうなのか理解し、補佐できるように努めている。


そんな中、ダンっと稽古場の引き戸を勢いよく開くトキがいた。


「トキ。どうしたんだ?」


狼狽する彼女に、夫である焔が何があったのか尋ねる。


「こ、こ、煌龍様が、任務中に負傷されたと連絡が……」


突如して知らされた悲報。焔もだが、白彩が酷く動揺する。


「そ、それで……煌龍様は無事なのですか……」


青ざめながらトキに詰め寄る。


「幸い、命に関わるようなことはなく、怪我は数週間で完治するそうです。ただ、数日入院が必要とのこと。それからはしばらくは自宅療養が必須とお医者様が……」


トキからの返答に、白彩は身体の力が抜け畳に蹲る。


「し、白彩様……。お、お気を確かに……」


「良かったぁ……」


「えっ……」


「煌龍様が死ななくて本当に良かったぁ……」


深くは考えないでいたが、邪神との戦闘は命懸けのもの。どんなに屈曲な人であれ、命の保障はどこにもない。


実際、邪神討伐第一部隊全隊長であった草一郎も亡くなったばかりだ。そのことも相まって、煌龍が死んだかも知らないと思った白彩の精神的に圧力は想像を絶する。


安堵感から涙ぐむ白彩をトキが起き上がらせる。


「大丈夫ですか?」


「今は、わたくしよりも煌龍様が大事です。病院に連れて行っていただけませんか?」


白彩の懇願に、焔は「もちろんです」と首を縦に振った。


「そのこと、なのですが……」


すると、トキが口を挟める。


「実は、煌龍様が庇った方も病院にいまして。その方が白彩の親族らしいのです。確か、お名前が鸚緑様だと伺っています」


「えっ……。何で、鸚緑が彩都に?」


「それはわかりませんが、御実家に連絡をしようとしたら頑なに拒まれたそうで、ひとまず白彩様に迎えに来てもらえないかと病院からお願いされました」


鸚緑が彩都にいるのなら、叔母や従姉の着ているのではないかと不安になったが、当人が家への連絡を嫌がっているのなら、彼女たちは支乃森邸に滞在しているのだろう。


何より、煌龍のことが心配な白彩は、焔に病院へ案内してもらった。




邪神討伐第一部隊屯所から徒歩五分の場所に、彩都最大の病院が位置している。軍お抱えの病院の殆どの患者は軍人、またはその関係者であった。


院内の、神通力や邪神関連の負傷を専門にする神療科しんりょうかは現在、入院患者で溢れかえっていた。支乃森草一郎が指揮を執っていた以前の第一部隊の生き残りだった。手足が無かったり、眼に包帯を巻いていたりと、見るも無残な患者たち。特に後者の場合、負傷具合によって色彩眼の弱体や失う可能性すらあり、邪神討伐をする者ならかなりの痛手だ。


すれ違う彼らを目にした白彩は、ますます不安が募る。命に別条はないと聞かされたが、今後煌龍の日常生活が困難になる程の怪我ではないかという余念が杞憂であることを願う。



―でも、本当にそうだったら、わたくしは煌龍様に対して、何ができるのでしょう……—



そんな不安を抱えたまま、看護師に案内された部屋に辿り着く。


入室するとベッドに煌龍が横たわっていて、側のパイプ椅子には鸚緑が座っていた。


「……白彩様」


「鸚緑……」


二カ月ぶりの再会。お互い、邪神に負傷を負わされ、意識を失っている内に別れてしまい、普通なら抱擁の一つでもしただろう。


しかし、場所が病院であることと、ここにいる経緯の為。そのような、喜ばしい再開とはいかない。


「あなた邪神に襲われたみたいだけど、大丈夫なの?そもそも、どうして彩都に?一人で来たの?」


煌龍も心配だったが、鸚緑も気がかりでここにいる詳しい経緯を聞き出す。


「怪我はありません。連火さんに助けられたので……」


鸚緑は複雑な心境で、煌龍を見やる。



―白彩姉様を連れ出した男に助けられるなんて……—



「そう……。煌龍様には感謝しなくてはね」


そして、憂いを含んだ目で煌龍を見つめる白彩の白い瞳に、心がますますささくれ立つ。



―白彩姉様……。どうして、連火煌龍をそんな愛おしそうに見るのですか?—



最愛の人を身柄を奪われたばかりか、心までも掌握されると思うと気が気でない鸚緑。しかし、助けられた事実がある。それが任務上のこととはいえ、煌龍が助けなれば鸚緑は命を落としていたやもしれない。


「失礼します」


部屋に焔と同年代の、青い瞳の医師が入ってきた。


「お医者様。煌龍様の容態は以下程なんでしょうか?」


「白彩様。初対面の方に、いきなり物を尋ねるのは失礼ですよ」


「あっ……。すみません」


挨拶も忘れ、煌龍の容態確認をする白彩。余程、煌龍のことで頭がいっぱいだったのだろう。


そんな彼女を焔が諫めるが、医者は不快な顔をせず丁寧に答えてくれた。


「連火様は脇腹を損傷されましたが、それ程深くはありません。二、三週間、安静にしていれば、職務に戻れます」


屋敷で番をするトキから事前に聞かされたが、医師から後遺症もない軽度の負傷だと言われ、完全に安心する白彩。


「ですが、絶対安静です。邪神から受けた攻撃は通常の傷よりも、治りが遅いので」


瘴気は神にとっての毒だが、人間にも悪影響を及ぼす。邪神が放つ瘴気を含んだ攻撃を受けた箇所の治りは遅く、そのまま放置すれば全身に瘴気が回り、病にかかりやすい身体となる。


最悪、瘴気が眼球にまで到達することすらある。基本、邪神となった神が眼に侵入することを除いて、瘴気が水晶体である眼球に影響を及ぼすことはない。しかし、肉体から神経を通じて入れば、瘴気を寄せ付けない眼球内にも蒸気が溜まる。最終的には、色彩眼の神がそのまま邪神へと変貌し、昏天黒地の漆黒色となる。


「治癒効果のある神通力でその辺の処置はしてありますので、御心配なく」


清い水の神と、生命の力を宿す緑の神。この二人を宿す家系は、訓練次第で瘴気を清める神通力が使え、更には怪我の治癒までも可能とする。


しかし、水か緑の神通力を施したからと言って、療養期間が短縮する訳ではない。一回の治癒では瘴気を洗い流す程度で、施す以前の負荷はそのままだ。永続的に行えば、通常の怪我と同等の療養で済むが、瘴気を濯ぎ、治癒まで可能とする神通力の使えては少ない。水と緑の神通力の名家でも、医療方面より自衛として戦闘方面に能力を伸ばすことが多いからだ。


現在、院内は入院患者で溢れていて、医師も看護師も足りていない。そんな中で、比較的負傷が少ない煌龍に時間も人でも割けるのは難しいのだった。


「残念ながら、こちらができるのはここまでです。申し訳ない」


「謝らないでください。お医者様たちは忙しい中で、煌龍様にできる限りの処置をしたのですから。感謝すれども、恨みはしません」


「私からも感謝いたします。流隆りゅうりゅう医院長、煌龍様を助けていただき、感謝いたします」


目の前の医師と焔は旧知の仲らしく、お互いに挨拶を交し流隆医院長は部屋から退出した。


「さて、日も沈んできましたし、そろそろ屋敷に帰りますよ」


焔の方も、連火家にそろそろ戻ろうと言う。白彩は、煌龍の意識が戻るまでいたかったが、長居しても医師たちや患者たちの迷惑になると焔に諭され、言い分を飲んだ。


「鸚緑も、今夜は連火家で休んで行かない?火車さん、よろしいでしょうか?」


「もちろんでございます。寧ろ、未成年の子どもを外に置き去りにしては、煌龍様に非難されます」


そして、鸚緑が無断で屋敷から飛び出したことをなんとなく見破った白彩は、一晩現在の自分の家に滞在することを提案する。



―連火の施しなど、受けたくない!―


―だけど、提案してくれたのは白彩姉様。姉様にも面目があるから、断りにくい。―


―それに、姉様からの思いやりを蔑ろにしたくない……―


結果、鸚緑は連火家の屋敷に泊まるのだった。

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