屋敷に着くと、不満や憤りを抱えた煌龍は自室に閉じ籠ってしまった。


白彩もまた、煌龍が怒りを覚える程の辛い過去の影に勘付きながらも、何もできない歯痒さから顔を俯かせる。


会食でほとんど食べなかったから、お腹が空く。空腹感が虚しい気持ちを増長させる。


そんな中聞こえたノック音。トキがお盆におにぎりを乗せて入ってきた。


「失礼します。白彩様、会食であまり食べられていなかったと聞いて、残り物で申し訳ありませんが、おにぎりを作ってきました」


白彩はトキの行為に甘え、おにぎりを咀嚼する。空きっ腹だった為、程良く塩味の効いたおにぎりは身に染みる美味しさだった。


「会食、大変だったようですね」


「……わかりますか?」


「煌龍様と旦那様が一緒になられたときは、必ず一悶着ありますから」


「はぁ……」


会食での二人の光景は恒例行事だと知った白彩。



―一体、二人の間に昔。何があったのでしょう……—



「やはり、白彩様には、煌龍様と旦那様との間に何があったのか。そして、恋寧こいね様のこと、お伝えすべきですね」


「……恋寧様?」


突如として出た『恋寧』という名前に、首を傾げる白彩。


「恋寧様は煌龍様の母君で、私が生まれたときから仕えていた女性です」


トキは語る。連火の黒き炎の闇を……根源となった桃色の女性のことを……


「煌龍様と旦那様……あの親子の仲に亀裂が生じた原因を話すのには、まず、恋寧様の生い立ちから話さなければなりません。

恋寧様の御実家、桃咲家は恋の神を宿す家の中でも特異な一族でした」


それは白彩も本で知っている。


『桃咲家』。桃色の色彩眼を持つ家で、もっとも強力な恋の神通力を使える一族。本来は、恋のまじないができるという拙い神通力しかない桃色の色彩眼だが、桃咲の人間の眼は見るだけで相手を誘惑し惚れさせてしまう。


洗脳にも似た神通力。故に、人々から忌み嫌われ、帝からも危険視されていた。


「元々、味方の少なかった一族。だから、窮地の事態に陥っても、手を差し伸べてくれる人は居ませんでした。桃咲の家は、一族内で助け合うしか生き延びる手段は無かったのです」


神通力を使えば、助かる事態もあったかもしれない。彼らの魅了する力は、意のままにとまではいかないけれど、ある程度人を操ることができるから。


しかし、自分たち可愛さに桃咲の力を使ってしまえば、桃咲の家を警戒する人間は増え、帝からも完全に國を脅かしかねない危険因子と見なされ排斥されかねない。結局は、一族内で危機をやり過ごすしかなかった。


「ですが、三十年前。桃咲家はとうとう、壊滅的な状況に追い込まれてしまった」


教科書にも載っている、『桃咲家壊滅事件』。邪神による奇襲を受け、一族の大多数の者が亡くなり、家の事業であった貿易会社も倒産したという。


白彩が桃咲の名を聞いて直ぐにピンっときたのも、大きな事件だった為、教科書に事件の一端が記載されていたからだ。


「事件の後。壊滅状態の桃咲家を支援する者など一人もおらず、最終的に先の虹帝こうていから監視と言う名の保護を受けるしかありませんでした」


当時の帝。今の帝の父親であった『虹帝』。


色國では、帝のことを虹帝とも呼ぶ。人々に色彩眼が発眼する前は皇帝という名称だったが、色彩眼の色が虹色であった為、『虹帝』と名称が変化し、帝の一族も『虹族』となっている。


先代虹帝は歴代でも、桃咲家のような他者に干渉する類の神通力の家系を危険視していた。だからこそ、『桃咲家壊滅事件』を機に桃咲家そのものを手中に収め、行動を制限したのだろう。


「虹帝の管理下となった桃咲家の者は、帝の一族が所有する土地に居を構えることとなりましたが、虹帝の領地から一歩出るのにも許可が無いと許されませんでした。他にも様々な制約をかけられ、少しでも制約を破った者は虹帝への反逆罪として処刑されました」


「そ、そんなぁ……」


これ以上のことは教科書に載っていなかった。はじめて知る桃咲家のその後の末路に、白彩は動揺を隠せない。


「更には無理やり縁談を決められ、多くの桃咲家の女性が虹帝の名の下、あちらこちら家に嫁いでいきました。私の主であった、恋寧様もそうしてこの連火の当主の妻となりました」


白彩の予想は概ね正しかった。縁談を決めた人間が虹帝だったとは思わなかったが、桃咲家が失墜したことにより、煌龍の母は身売りという形で連火家に嫁いだのだった。虹帝は恋寧の舞踊の腕を見込んで、炎虎の色深しの顔料として最適だと判断したようだ。


「恋寧様は虹帝から直々に身を預けられた女性でしたが、桃咲の出身ということで無碍な扱いを受けました」


姑であった煌龍の祖母からの陰湿ないじめや、連火の使用人から罵詈雑言を浴びせられていたらしい。


トキが連火家に来たのは、恋寧が嫁いでから暫くしてからだそうだ。本当は最初から側に居て彼女を支えたかったようだが、帝から許可をいただくのに時間を要したのだとか。


「煌龍の祖母・かえで様が病で亡くなられてからは、使用人からの悪質ないびりは軽減されました。しかし、それ以前も以降も、御当主様は恋寧様を擁護することはありませんでした」


炎虎自身は妻となった恋寧を害することはなかったが、味方したこともなかった。


「御当主様は普段からの態度も素っ気無く、恋寧様の前だとそれが顕著でした」


そして彼は、色深しの為に恋寧に舞を強要して酷使させた。


「家に居るときは、毎夜の如く恋寧様を躍らせていました。体調が優れない日であっても」


父親が母に無理強いをし、使用人からのいびりも容認する光景を幼い頃から見ていた煌龍は、当然炎虎に対して嫌悪感を抱くようになった。


「煌龍様は母親であった恋寧様を敬愛されていました。だから、余計に御当主様が恋寧様にする仕打ちが許せなかったのでしょう。そして、あの日……煌龍様の中で父親である御当主様は、母の命を奪った憎むべき人間となりました」


「あの日?……一体、恋寧様の身に何が起きたのですか?」


トキの言い振りからして、ただならぬ自体が彼女の身に降りかかったのだろう。白彩が恐る恐る尋ねると、トキは「御当主様は邪神討伐の現場に恋寧様を連れ出し、恋寧様はその場で亡くなられたのです……」と憂愁する。


「その邪神は、邪神討伐一団体と同様の強さを持つ邪神の中でも極めて危険な存在でした。だから、被害を最小限に抑えた上で確実に倒す為に、御当主様は恋寧様を連れて行ったのです」


色深しは、行使した直後こそが最大限に色彩眼の力を発揮する。だから、連火炎虎は恋寧の舞にて火の神通力を最大限に高め、高火力で邪神を焼き討ちする気でいたのだろう。


「帰ってきたら遺体は無惨なものでした。人としての原型を留めておらず、何故か顔だけが小綺麗でした」


聞くだけで、背筋が震える。


「今でも覚えています。母親の亡骸を前に、幼き日の絶望した煌龍の顔を……」


幼少期に、敬愛していた母親のそんな姿を見た煌龍の心理的苦痛は計り知れない。


「だから、煌龍様はあんなにも御当主様のことを……」


トキの語らいを側で聞いていた白彩の顔に影が落ちる。



―わたしくも母を亡くした身の故だけれど、母が死去したばかりの頃はあまりその実感が無かった。—



翡翠に執着していた草一郎が、葬儀も行わず一人で直葬で済ませてしまった。だから、白彩は母の死に目にも会えず、彼女が死んだことを直ぐには実感できずにいた。



―喪失感はあれど、綺麗だった母の面影が残っていたから、わたくしはあの座敷牢に幽閉されても何とか心を保てた。—


―けれど、煌龍様は違かったのだわ……—



思い起こすのは、煌龍が死んだ母のことを物語っているとき……


『母上の歌舞は、おまえのと同じくらい美しかった』



―煌龍様がわたくしと恋寧様を重ねるのは、あの方がまだ悲しみに囚われているからなのね。—



「元々、恋寧様はあまり外へ出ることを禁じられておりました。顔料として安全を確保する為とはいえ、御当主様は休日一緒に出かけようとせず、恋寧様は籠の中の鳥でした。母親の自由を奪ったこともあって、煌龍様は御当主様を嫌っておいてなんです」


トキの言葉に、白彩の憶測の信憑性が増す。



―だから、恋寧様と会ったことが無いわたくしを彼女と重ね、彼女が使っていた部屋や着物などを与えている。—


―優しくしてくれるのも、わたくしに母親と同じ思いをさせたくないから……—


―だから、わたくしに舞を要求しないんだ……—



連火家の家庭事情のあらましを知った白彩。だが、一つ疑問を抱いた。


「と、トキさんは、御当主様を恨んでいないのですか……」


元々、トキは連火家では無く、恋寧の従者だった。彼女が恋寧を語るときの表情からも、恋寧を慕っていることがわかる。


なら、主であった恋寧を不幸にし、更には死ぬ原因を作った連火炎虎、延いては連火家そのものを恨んではいないのかと。


しかし、トキは「恨みはありません」と述べた。


「失礼ながら、御当主様を快く思え無いのは事実です。でも、恨みという感情は疾うの昔に消え去りました」


「……どうしてですか」


大切な人を苦しめた人間を恨まないなど、簡単にはできない。何かしらの理由がなければ。


「生前、恋寧様が仰ったんです。『怒ったり、悲しんだ顔よりも笑顔でいてほしい』と……」


「笑顔……」


「恋寧様は本当に心優しいお方でした。だから、自分の為に周りの人間が憎しみに囚われることを憂いて、そう言ったのだと思います。

正直、恋寧様が亡くなったばかりの頃は、彼女の願いを拒み連火の屋敷から出て行こうとも思いました。でも、夫が励ましてくれたお陰で、恋寧様のお言葉を思い出し、ここに踏み留まれました」


そうして焔と結婚するに至ったそうだ。


「夫には感謝してもしきれません。あの人が居なければ、恋寧様の忘れ形見である煌龍様とその姉君であらせる撫子なでしこ様を捨て置くこととなっていましたから」



―煌龍様にはお姉さまが居られたのね……—


―わたくし、煌龍様のことも、連火家のことも、何も知らなくて恥ずかしいわ……—



今日、一気に知った連火家の事情に、白彩は自身を至らなく思った。



―この屋敷に来てから、自分のことで精一杯。—


―煌龍様の心情も、連火家の事情も考慮しないで、自分の為に連火の舞を習う体たらく……—



煌龍に必要とされたいが為に焔から舞を教わった自分を恥る白彩。


そんな彼女にトキは、「でも、私はただの使用人。煌龍様の憎しみを取り除くことなどできなかった。だから、白彩様が連火家に来てくれて良かった」と言う。


煌龍にとっても、連火家にとっても、何の利益にもなってないのに、トキは心の底から白彩が来たことを僥倖だとでも言うように喜んでいる。


「どうして、役立たずのわたくしをそんなに買ってくれるのですか?」


「白彩様は、役立たずなどではありません!」


自身を貶す白彩の発言を強く否定したトキは、「実は、嬉しかったです。白彩とお茶を共にする時間が」と微笑む。


「恋寧様ともよくお茶をしました。それこそ幼少の頃から、彼女が亡くなるまで。そんな、楽しかったひとときは突如終わり、永らく虚しい時間が続きました。

でも、白彩は使用人である私にも優しく、一緒にお茶を共にする時間は恋寧様との楽しかった思い出を思い出させてくれたのです」


涙ぐみながら、過去の思い出と、白彩との優しいひとときに心を潤すトキ。


「だから、白彩様は既に私の心を癒してくれる、かけ替がえの無い大切な御主人様なんです」


膝に置かれていた白彩の手を握り、トキは訴える。


「白彩様には、恋寧様に相通じるものを感じます。だから、わたくしや主人を含めた使用人や、撫子様では癒せなかった煌龍様のお心を解かすことができるかもしれません」




一方、自室に籠っている煌龍は文机の上に立てかけている写真立てに手を伸ばす。写真には、幼き日の自身と姉、生前の母が映っている。


「母上。俺はどうすればいいのでしょう……。あいつの言い分は理解できるが、父の言う通りにして、彼女が母上のような末路を辿るのではないかと恐れてしまう。だが、連火家の体裁を考えると、彼女に何も求めないまま屋敷に置くと何処からか野次を飛ばす輩が現れかねない」


煌龍も頭では、会食の際に炎虎が言ったことを理解しているらしい。しかし、父への憎悪と、母が亡くなったというトラウマが邪魔をしていた。


写真の中の母を撫でる。彼女の髪には、現在は白彩が身に付けている桃色の水晶のかんざしが添えられている。

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