その日の夕方。白彩は豪華な振袖に身を包んでいた。いつもは控えめな柄を選んでいるが、本日は会食の為に粧し込まれている。


「すみません。まだ、先日韶光で注文した品が届いておりませんので、屋敷にある着物で間に合わせるしかなく」


「いえいえ。こんなに豪華な振袖を着させていただけるだけで、わたくしは恐縮してしまいます」


恐らく、この振袖も煌龍の母が遺した物だろう。


着物は綺麗だが、会食の話しが持ち上がってから今日まで煌龍が不機嫌で白彩は動揺している。



―煌龍様は父親と不仲ということでしたけれど、お二人が居る場にわたしも居合わせて大丈夫なのでしょうか……—


―でも、連火家に来て一ヶ月半。そろそろ、顔を会わせなければ失礼だわ……—



気持ちが晴れないまま、出かける準備を進めざる負えない。


「せっかくですし、本日は少しお化粧して行きましょう」


そんな白彩を見かねて、トキは気分を変えさせなようと化粧道具を取り出す。


「お化粧?」


白彩はお化粧をしたことが無い。草一郎がまだ彼女を幼い頃の翡翠と認識していたからだ。十五になって、それなりに大人の女性として見るようになったが、手を出す前に死去した。


「この道具、いつの間に用意されたのですか?」


「先日、お出かけになった際。外行きの姿の白彩を見て、お化粧をしたらより素敵なレディになると思いましたので、私が独断で準備しました」


「れでぃ?」


「外国の言葉で、『綺麗な女性』のことです」



―レディ……綺麗な女性……—



白彩は自身の容姿を深く考えたことが無かった。草一郎は翡翠の同じ容姿の彼女を綺麗だとよく言っていた。白彩の中でも、僅かな記憶の母は美しい女性だった。


だけど、どれだけ容姿が整っていても、それを覆す色無しという事実。母親に似ていても、彼女には色彩眼があった。叔父に綺麗だと言われても、彼は妹と思い込み色無しという事実を考慮しなかった。


物事を前向きに考えられることと、自分に自信を持つことは別問題だ。白彩は世界の美しさを知っただけで、まだ自分の価値は見出だせていない。



―それだけ、外見を取り繕っても、わたしくは色無し。綺麗になったところで……—



「できましたよ」


ぼーっと考え込んでいる内に、化粧を施されていた。鏡を見ると、いつもと違う自分が居る。


紅を添えた唇はほんのり赤く、白い頬に乗せた桜色は艶やかで、一気に大人っぽくなった。


「こんなに綺麗な白彩様を見たら、煌龍様も惚れ直すこと間違いありません」


「そうでしょうか……」


「そろそろ、時間だ。行くぞぉ……」


白彩を呼びに来た煌龍は、いつも以上に見目麗しい彼女の姿に目を奪われる。これまでも、白彩に見惚れることはあれど、周囲の音も、視界に入る彼女以外のものも、全く意識がいかない。脳に入る情報は白彩だけ。


煌龍の世界は今、白彩という美しい白色だけだった。


白色を呼びに来るまでの不機嫌は何処に行ったのやら。それから二人は車で炎虎が予約した料亭へ向かうのだった。




連火家が数代前から会食の際、利用している料亭『茜亭あかねてい』。一見さんお断りの格式高い料亭の一番奥の間。一等大きな部屋の上座に、連火炎虎は座っていた。


「屯所以来だな。煌龍」


「……そうだな」


ここの来るまでは傍らに居る白彩の存在に、本日の会食に対する嫌悪感など煌龍は忘れてしまえた。しかし、父の顔を見た途端、嫌悪感は再び火が付く。



―この方が、煌龍様のお父様で邪神討伐部隊の局長をされている連火炎虎様。火車さんから聞いていたけれど、煌龍様とどことなく似ている。—



そして、煌龍に言えば顔を顰めるだろうが、白彩は無表情な二人はやはり親子なんだとい認識に至る。


「隣に居る娘が、おまえの婚約者だな」


名指しされ、身をピシッと強張わせる白彩。


「はじめまして。支乃森白彩と申します。挨拶が遅くなり、申し訳ありません」


だが、挨拶は忘れず、連火家の当主の妻と成る者としての誠意を見せる。


しかし、煌龍は炎虎を敬うことに不快感を覚え、「白彩。こいつに対して、畏まる必要は無い。普通にしていろ」と釘を刺した。


「おまえは、またそう意地を張る。公の場でも、そういう態度を貫き通すつもりか」


「場は弁えている。屯所でも、仕事の話しなら上司として対応した筈だが」


両者の確執は白彩が思っていた以上に根深く、彼女はこの場でどうするべきなのか逡巡する。


やがて料理が運ばれ、煌龍は渋々料理を口にする。


料理は目からも楽しめるよう、綺麗に盛り付けさている。味も美味しい筈だが、煌龍と炎虎から生じる軋轢に気圧された白彩は食事どころではなかった。


炎虎から発せられる威圧感も相まって、緊張の度合いが今までの比ではない。箸がなかなか進まずにいると、「口に合わないのか?」と目の前の炎虎に尋ねられた。


「いいえ。そんなことはありません」


「そうか。ところで、白彩さんだったな。あなたの舞の技量は如何程のものか」


舞の腕前を尋ねられた白彩。煌龍は、父と妻と成る娘が会話している状況に青筋を立てる。


「自分で言うのも何ですが、それなりにできる方ではあると思います。実家で十年間、叔父の顔料として役割を果たしてきました」


「それは知っている。支乃森草一郎を第一部隊の隊長にまで昇進させた程の腕前。だがしかし、念の為に実物を見ておきたくてな。ここで披露してはもらえないか」


「俺が許す訳ないだろ‼」


二人の会話を遮るように、煌龍は声を荒げる。


大きな声に白彩は身体がびくついたが、炎虎はこれしきのことに動じない。普通なら、凄みのある煌龍の鋭い眼で見られるだけで動揺するが、邪神討伐部隊の局長である彼にとって息子の怒声など取るに足らなかった。


「彼女は俺の婚約者です。あなたに指図されたくありません」


「これは当主としてよ命令だ。おまえの許可など、必要無い」


二人は口論する。原因となった白彩は、申し訳ないと思いつつもどちらを擁護すべきかわからずにいた。


「この際だから言うが、白彩さんが連火の色深しの顔料として役立つのか確認する必要がある。彼女は色無しだから、強力な色彩眼を持つ子を作ることに於いて、あまり役には立た無い」


『ッ!』


色無しとの間の子どもは、同じ色無しか色彩眼を持つ親の方と特性を完全に遺伝する。しかし、前者が生まれる可能性は一割にも満たない為、連火家の色彩眼を持つ跡目を産むことに於いて白彩でもあまり支障は無い。しかし、言い返せば、彼女である必要も無いのだった。


「だから、色深しの顔料として役立ってもらわなければならない」


「また、そんな御託を並べて、母上同様にこき使うつもりなんだろう‼︎」


煌龍の言葉に白彩は思った。煌龍が父親を毛嫌いしているのは、死んだ母親が関係しているんだと。


「その上、彼女を色無しと蔑んだ‼︎」


「蔑んでなどいない。事実を言ったまでだ」


「話しにならない‼︎今日は帰らせてもらう‼︎」


まだ食事をはじめて間も無いのに、煌龍は白彩を連れて屋敷に帰る。


はじめて見る煌龍の激情に、白彩黙って従うしかなかった。

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