煌龍が白彩を連れて父と会食する日の昼頃。彩都に行きの列車に乗り込む一人の少年が居た。


本来なら、もっと早く彩都に行きたかった。怪我はとっくに完治していたが、母や姉の隙を狙い漸く屋敷から抜け出せた。



―はじめて蒸気機関車に乗ったが、思っていた以上に迫力があった。彩都には、このような珍しい物が多くあるのだろうか……—



列車から窓の景色を眺めながら、鸚緑は不安になる。白彩が都会の生活に馴染み、自分のことなど眼中に入らないのではないかと……


母親から相手にされなかったのは姉の萌葱だが、鸚緑も彼女の眼には映っていなかった。柢根はあくまで、草一郎からの愛欲しさに息子を利用していただけ。


草一郎が死んだ後も猫可愛がりされているが、死して尚も夫からの賞賛を得たいに違いない。それから、鸚緑の父親似の顔に彼の面影を感じているのもある。



―支乃森家で唯一純粋に僕を大切にしてくれた白彩姉様。彼女の中でもう僕はいない存在となっていたら……僕は一人ぼっちだ……—


—……本当に、僕はどうしようもない人間だな。結局、白彩姉様に縋っている。—


—本来の目的は、白彩姉様が幸せでやっているかを確かめに行くのに……—



鸚緑は自分を父と同様の碌でなしだと思っている。草一郎が翡翠に執着したように、白彩に依存していることを自覚している。だが、彼女を諦めきれず、再び柢根から酷い仕打ちを受けるとわかっているのに、こと次第によっては白彩を支乃森に引き戻すつもりだ。


車では無く列車で彩都に向かうのなら、丸一日時間を要する。


鸚緑は情けない自分に嘲笑しながら、長い列車の旅に身体を委ねる。




鸚緑が屋敷から抜け出した後、支乃森邸内は混沌とした空気に包まれていた。


「奥様‼︎落ち着いてください‼︎」


「使用人の分際で、私に指図するな‼︎あの小娘‼︎夫だけで無く、息子まで私から奪うなんて‼︎」


息子が彩都に向かったことを知った柢根は、感情のままに暴れて使用人では手に負えない。生憎、娘の萌葱は仕事で屋敷を留守にしており、数日は帰らない。だから、鸚緑は支乃森家の屋敷から抜け出せた。


「おまえたち‼部屋にお戻り‼」


「はっ、はい……」


自室から使用人を一掃した柢根は、忌々し気に親指の爪を噛む。


「あの母娘させ居なければ、私は草一郎様と……」


『だったら、殺してしまえばいい。あの白き瞳の娘を……』


「誰⁉」


突如として聞こえてきた不気味な声。聞こえど、姿は見えないそれは悍ましい。


『憎いのだろう。母親の方は既に死んでしまっているが、娘は生きている。しかも、火の眼の家で悠々自適な生活を送っている。きみから、夫を奪ったというのに……』


地獄の底から這うように怖気を増していくのに、柢根の耳元に囁き暗がりへと誘う。



—そうよ。殺してしまえばいいんだわ。あんな小娘。—


—あんな色無し、連火家に行っても何の役にも立つ筈が無い。—


—命を奪ったところで、連火煌龍は何とも思わないわ。—



柢根の思考は完全に瓦解している。悪き声に誘われるまま、白彩を殺害すること妄執に取り付かれる。


そんな彼女の瞳は、少しずつ黒ずんでいった。




支乃森邸のある山に寄り添うように位置する、小さな町。温泉と森林浴を売りにする町の旅館はすべて、支乃森家が経営している。


「萌葱様。今月の売り上げはこのようになっております」


「うん。今月も良好だね」


帳簿を見ながら、口角を上げる萌葱。支乃森家の主な収入源である旅館の資金管理に町を訪れていた。現在、一番良い旅館を一部屋貸し切っている。


「それにしても、よろしかったのですか?屋敷がまだごたついている中、数日停泊なさるなんて……」


「いいの。いいの。ここのところ、忙しかったから、少し身体を休めたくてね。

それに、今屋敷に居ると色々一波乱ありそうだから」


「最後、何か仰いましたか?」


ここの旅館の番頭は、萌葱が最後不適な笑みを浮かべて言った内容は良く聞き取れなかった。


「おまえが気にすることじゃないよ。そろそろ仕事に戻りな」


番頭を部屋から追い出した萌葱は、窓から夏前の淡い緑の草木を眺める。緑の花が生き生きとするのは、梅雨が過ぎてからだろう。



—私の予想からして、数日後支乃森家は連火家を巻き込んで荒れる。—



萌葱はある程度予想していた。鸚緑が白彩に会いに屋敷から抜け出すことも。それをきっかけに柢根が暴走することも。



—破滅と隣り合わせだが、上手く利用すれば私にとって利益となり得る。—



このまま放置すれば、支乃森家は破滅しかねない。だが、萌葱は今のところ、対処するつまりはないようだ。



—今は、様子見という段階かな?—



再び不適な笑みを浮かべる。果たして、萌葱が見据える物は一体何なのだろう?

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