第四章
①
白彩は屋敷に来て、一ヶ月以上の
連火家で渡される着物は桃色や深みの有る赤が多いが、袷の着物は春の早々や、秋の紅葉を意匠した模様が多かった。今日の白彩は、一斤染の
皐月のときに咲く躑躅の花を身に纏い舞うと、低木に咲く艶麗な花の如き美しさが漂う。
今、踊っている舞は身体を低くする振りが多い。白彩は膝を折り、体勢を下げる。
低く低く、舞う。すると、目線より低い所に咲く躑躅に目線を合わせるように、彼女に視線が奪われる。
「白彩様。今の舞、素晴らしゅうございました。動きに寸分の狂いも無く、完璧です」
焔から合格を貰った。もう、今の舞は完璧に踊れる。
他の幾つかの舞も習得しており、いつ煌龍の色深しをすることになっても万全の態勢を取れるようにしていた。
だが、煌龍から舞の要求をされていないのが現状。自分から舞を観て貰えないか頼み込むという選択もあるが、自分に自信が無い白彩には無理だった。
結局は、煌龍から要求があるまでひたすら稽古を積むしか無かった。
『冷酷な炎』と恐れられている煌龍が内心言葉が不器用なだけと気付いた白彩は、夫と成る彼を知ろうと歩み寄ることを決意した。
しかし、白彩は積極的な性格に非ず。トキのように彼の知らないことや、自分のことを話すなどできなかった。
それに、自らのことを語ると、嘘が吐けない為叔父たちから受けた仕打ちがバレかねない。然すれば支乃森家は勿論のこと、実の姉のように自身を慕う鸚緑の人生までも瓦解する。萌葱と柢根に対する感情は複雑だが、彼女等の人生を進んで毀損するなど、良い気分はしない。
だから、この一ヶ月煌龍の側に寄り添うよう心がけるくらいだった。夕食の席で距離を詰め、その後御茶に誘う。
以前と大きな変化は無いように思えるが、これだけでも白彩には勇気がいる行為だった。たが、あまり効果は無い。
気にかけてくれるから嫌われてはいないと思う。ただ、白彩の側だとあまり口を開きたがらない様子。それは、どら焼きを御土産に買ってきてくれたときからだった。
もしかすると、歩み寄る姿勢が煩わしかったのではないかと思い至り、白彩は後悔していた。
―色無しのわたくしなどが煌龍様に近付くなんて烏滸がましいかったのだわ……—
一方、煌龍は愛我と邪神討伐を終え、屯所に引き返すところ。道中、二人はお互い私事での近況を聞くというより、愛我が一方的に述べたり尋ねたりする。
「やっぱり、百花で一番美味しいのは花の煉切だな。煌龍もそう思うだろ」
「いや。俺は純粋に餡を味わえる牡丹餅が好きだな。小豆の甘みを存分に楽しめる」
煌龍自らは発言しないものの、愛我の言葉に返事を返す。
「おっ!見た目より味重視。でも、花嫁さん向かい入れるからには、外観も重視した方が良いぞ」
「ピック‼」
「もしかして……最近、花嫁さんと上手くいっていない感じ?」
「……」
終始沈黙しているが、煌龍は悄然と頷いた。
「彼女に何て言葉をかけるべきか考えあぐねてしまう」
そんな、彼の厭世的な思考に、愛我は懐かしきものを感じ取った。
―こんな煌龍久しぶりに見たな。―
「俺が下手に口を開いて、何か傷付けることを言うんじゃないかとか……」
―今じゃ自分の発言で、周りがどう思うか何て歯牙にもかけてなくなったのに。—
最初から辛辣な物言いをする人間ではなかった。
生まれたときから、煌龍は連火家の跡目として大人や同年代も含めた他者から邪な感情を向けられてきた。今でこそ、『色國の火龍』や『冷酷な炎』などと恐れられているが、幼き日の彼は邪神と見紛う人たちの視線に怯えるような子どもだった。
だから、信頼できる人間……母、姉、トキや焔などの僅かな使用人、愛我などに縋ることが多かったし、表情の豊かな方だった。しかし、母親が死去してから、自身を変える為に脆弱なところを見せなくなった。その過程で、邪な感情の有象無象を退ける為に、他者を委縮させる物言いとなり、表情の変化も乏しくなった。
本人は自覚して辛辣な口調をしている訳ではない。しかし、きつい物言いをしなければ、煌龍は次期連火家当主としても、邪神討伐部隊の隊員としても生き抜くことはできなかった。結果として、自身の言葉が周囲にどう思われているかなど気にしない人間になっていた。
しかし、今は白彩を慮り、自分の発言を気にするようなことを言っている。
―叔母様が存命だった頃はこんな感じだったな。—
―他人を慮るところは残っているが、自分の発言で相手が傷付いたりするかどうか考えなくなった。……いや、考える余裕なんてなかった。—
煌龍に自分の発言を省みる余裕が生まれたのは、白彩の存在が大きい。彼女に少しでも安寧を与えたいから、彼も自身の一挙手一投足に慎重を期す。
しかし、白彩を傷付ける物言いをしないが為に口を閉ざすのは悪手だった。
「それ逆効果だぞ」
愛我が指摘するやいなや、煌龍は驚愕した表情で振り返る。
「も、もしかして。俺は逆に傷付けていたのか……」
「うん。うん」
躊躇せず、愛我は真実を肯定する。
「本当に、女心のわからない奴だな。とても、姉が居たとは思えない鈍感野郎だ」
珍しく、愛我の方が煌龍に諷刺の効いたことを言う。だが、彼の言うことも尤もだった。
歳の近い女兄弟が居るのなら、女性相手への接し方に少しは覚えが有ってもいい筈だ。現に、母が亡くなってから間もない頃は辛辣な口調も、彼の姉が面倒を見ていたからかそこまで酷くはなかった。
しかし、彼女はそれから間も無く縁談が決まった。九つの頃には花嫁修業などに時間を取られ、煌龍の相手をすることがままならなくなった。
不遇な幼少期であるが、煌龍が白彩を傷付けたことに変わりはない。
肩を落とす煌龍に「御詫びに、デヱトにでも誘ったら。梅雨になる前に街を案内したら、嫁さんも喜ぶよ」と提案する。
「確かに、前々から街並みを案内させたいと思っていた。しかし、今は人手不足だからな……」
まだ、第一部隊は人員不足という問題を抱えている。隊長である煌龍も、気軽に休める状況で無い。
「だからって、前隊長が死んでから殆ど休んでないだろ。唯一休暇となったのは、支乃森に行って一泊したときだけ。その内、身体を壊すぞ」
「愛我も休んでいるとは思えないが」
「煌龍程じゃないよ。それに俺は、諜報活動の合間に経緯で
「またか……」
愛我の横領ギリギリな行動に煌龍は頭を抱える。
「でも、その分デヱトの心得はそれなりに高い。おすすめのデヱト場教えてやる」
不安だったが、他に頼れる相手も居ないので、愛我の指導を仰ぐことにした。
「今度の日曜日、街へ行く。おまえもそれまでに準備しておけ」
「えっ……」
煌龍の言ったことを飲み込み切れず、白彩は口をぽかんと開ける。
「わたくしもということは……まさか御同行をするということでしょうか?」
「それ以外に何がある」
白彩は一緒に街中を闊歩するなど信じられず、確認の為に聞いた。しかし、棘を感じる返事に余計な質問をしたと気を落とす。
「申し訳ありません。少し考えればわかることでした」
頭を下げる白彩に煌龍は、自身の言葉が辛辣だったのではと自省する。
―また、彼女を傷付けてしまった……—
―言葉というのは難しいどう言うのが正解かわからない……—
愛我にデヱトの気構えを教わっても、他者との会話に不得手な煌龍。
今からこんな調子で、果たしてデヱト当日は終始穏やかな空気でいられるのだろうか?
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