④
―眠れないなぁ……—
日中、書庫でうたた寝をした白彩は、夜中寝付けずにいた。
昨晩は自動車に乗っていたとはいえ、長時間の移動で直ぐに眠りに就いた。しかし、今までベッドで寝たことなどなく、ふわふわとしたマットがくすぐったく落ち着けないでいる。
白彩の部屋は、窓から直接庭に出れる造りになっている。眠くなるまで夜風に当ろうと彼女は思い立った。
庭には、色とりどりの花が植えられている。緑の色はあまり好きではない白彩だが、花は好きだった。見ているだけで荒んだ心を癒してくれる。それが母、翡翠の口癖だった。
目の前には、月明りに照らされ輝く花。心に浮かぶのは、花に囲まれて歌いながら踊る母の姿。
それを白彩が見たのは、幼い頃に片手で数えられる程度。まったくと言って良い程覚えていないが、そんな翡翠を真似て白彩も庭先で踊る。
「緑に寄り添う、花たちよ。
日は沈めど、月と共にある花月。
夜の花影に染まる緑。
青漆の草木で覆われた夜の帳。踏み入れた者、孤独の闇。
だが、色、人を迷わさず。人、自ら迷う。
幽けき光の道しるべ。
そこで踊るは、緑神。
夜の闇であれど、草木は緑の神と共にあり」
幽閉される前は、支乃森家の庭でも歌舞を披露していた。大抵は一人か、稀に鸚緑見てくれる程度。寂しくはあれど、このときはそんな寂寥感など忘れてしまえた。
「綺麗な歌と舞だな」
どこかで聞いたような言葉。
声の方には、煌龍がそこに居た。今が夜だから、いつもより彼の赤い瞳が鮮烈だった。
「たった今帰ってきたが、庭先から歌声が聴こえてな」
「あ、申し訳ございません。こんな夜中に歌うなんて、非常でした」
白彩は、自分の軽率な行動に悄然する。
「かまわない。この洋館にはあまり人がいないから、大きな声を出してもそれ程問題はない」
「それなら、良いのですか……」
だが、煌龍はあまり気にしていない。
「前から気になっていたが、どうして舞うときに歌も歌うんだ?支乃森家の顔料は舞だけだったと聞いているが」
歌は必要ない。支乃森家も連火家も、舞を目にすることが色深しの条件だから。
しかし、白彩が躍るときは必ず歌うのは……
「母様がよく歌っていたのです」
「おまえの母親がか」
「はい。母様は支乃森家の顔料として踊るのが嫌でしたが、歌いながらだと少し気が紛れたそうで。それだけでしたが、次第に歌そのものが好きになったそうです」
虐げられるのに、草一郎の厚意から強制的に色深しの顔料となった翡翠。踊りなど嫌悪するほど嫌っていたが、歌いながら舞う彼女は満ち足りた顔をしていたらしい。
「少し似ているな。俺の母と」
「煌龍の御母様とわたくしの母様がですか?」
「あぁ。母は父や私の顔料としてよく舞を舞ってくれた」
―煌龍の御母様も、連火家の顔料だったの⁉―
自分の義母となる人が連火家の色深しの顔料の前任者だったことに白彩は驚きを見せるが、異能の名家は顔料となるものを手元に置きたがる傾向にあった。だから、当主の伴侶には、優れた後継者を生みえる強力な色彩眼の持ち主以外にも、顔料として優れている人物を選ぶ場合もある。
白彩も表向きは、後者が理由で煌龍の妻に選ばれた。もしや、煌龍の母も同様の理由で彼の父に嫁いだのかもしれない。
「踊ることに対して特段嫌悪していなかったが、歌うことも好きで舞と一緒に歌っていた。それこそ、歌が生き甲斐とばかりに」
生前、母が舞い歌う姿を想起する煌龍。
「母上の歌舞は、おまえのと同じくらい美しかった」
「煌龍の御母様と同じくらいだなんて、身に余りますわ」
「何を恥ずかしがっている。俺は思ったことを言っただけだ」
「……」
率直な煌龍の讃美に、白彩は顔を火照らせる。夜風に当たっても、その熱はまったく冷めない。
「ところで、さっき歌っていた歌詞。あれは支乃森家に伝わるものなのか?」
歌を色深しの顔料とする家は、先祖代々伝わった歌を歌う。
しかし、支乃森家に伝え聞くのは舞踊であって、歌詞はない。だが、白彩が歌った歌詞には、歌を顔料とする家の特徴である祀る神が入っていた。
煌龍は、その歌詞に疑問を感じ訊ねた。
「いいえ。あれは母様が考えたものです」
若かりし翡翠は、演舞を行うときの為に歌の歌詞を多彩に考えた。
先ほど白彩が歌っていたのは、母が支乃森の家を出る以前の作詞した歌。自身の不遇な出生である家を嘆いていた為、その頃作詞した歌詞は切ない緑の歌が多い。
「でも、父様と出会ってからは、幸甚の至りだったそうです。父との思い出の歌は、どれも母様の幸せが鮮明にわかる、幸福に満ちたものでして」
母の話しをこれ程までにできたのははじめてで、白彩は聞かれてもいないことまで語る。
話している最中に自身が浮付いていると悟り、顔を青ざめる。
「申し訳ありません。聞かれてもいないのに、私ばかりずっとしゃべってしまいました」
「おまえはことあるごとに謝るが、俺はまったく気にしていない。相手が気にしていないことを謝っても無意味だから、謝るなら相手の表情を見てからしてはどうだ。不必要な謝罪は、相手は困惑させるだけだ。それから、身体がまだ本調子でない中で、無暗に踊るな。傷の治りが遅くなる」
「すいま……わかりました。肝に銘じておきます」
白彩は反射的に謝罪をしかけたが、直ちに了解の意を表明する。支乃森家で
「?」
原因を作った煌龍は白彩が落ち込んだ理由がわからず、首を傾げるばかり。
まだまだ、夫婦として意思疎通を可能にするには時間を要するようだった。
翌日、煌龍は邪神討伐第一部隊屯所にて、白彩が落ち込んだ原因究明の為に、愛我に相談していた。彼を頼るのは不本意だったが、女性経験皆無の自分よりは女性心理を理解していると踏んでのことだった。
「そんな物言いしたら、誰だって気落ちするよ」
「そうなのか」
「煌龍は女性に限らず、辛辣な言い回しが多い。だから、『冷酷な炎』なんて皮肉めいた呼ばれ方をするんだ」
「皮肉だったのか?」
もう一つの異名が揶揄的な意味合いもあったんだと、煌龍は今知った。戦闘に於いては頭一つ抜けた聡明な人物であるが、少しばかり抜けているところがあった。旧知の愛我は既知であるが、辛辣な物言いが多く表情の変化が乏しい為、煌龍の本質を知らない人物が多い。
「煌龍の昔からの知り合いはおまえがどういう性格か知っているが、軍の後輩はおまえを恐れて近寄ろうともしない。もう少し、人との会話で気遣いを覚えたらどうだ」
「なるべく、相手のことを気遣うよう心がけてはいるんだが……」
「側に居れば、それはわかる。だが、それを差し引いても、煌龍の言動は手厳しい。これじゃあ、煌龍と生活と共にしていくことになる花嫁さんは苦労するねぇ」
「将来、愛我と結婚する人の方が苦労は多いと思う。女癖が悪い上に、いい加減だから」
「何お‼」
昨日のような、口争いがはじめる。もっとも、煌龍は常日頃愛我に思っていることをそのまま口にしただけだった。
愛我が気色ばんで反論を述べていると、「隊長!副隊長!街の外れ、北東の森に邪神が出没!上層部より、御二人に撃退命令が入りました!至急、御準備ください」。
突如として入った、邪神の討伐任務。知らせにに来た水沢隊員の一方的な報告からして、急を要する事態だということを煌龍と愛我は理解していた。
二人が森に到着すると、二体の邪神が暴れていた。二体共、六角柱の形を成しているが、一方は氷の柱、もう一方は水の柱。水柱の邪神が辺りを水浸しにして、
煌龍は
「わかりやすい邪神で、対応しやすい」
愛我は意気揚々、地面に手を触れ右眼を光らせる。
「
地に奔る電撃を受けた水の邪神の身体は麻痺して、動きを鈍らせる。
「相性からして、こっちが有利だ」
氷相手に刀は必要ないと、煌龍は手だけ掲げる。
「
赤き眼が輝くと同時に、激しく燃え盛る火の球を放った。『
「ひゅー。流石、新隊長。相性が良かったとはいえ、一撃で仕留めるとは」
「無駄口をたたいてないで、目の前の邪神に集中しろ」
「わかってますよ。
邪神の頭上に黒雲が立ち込める。
「
落ちる
水柱の邪神は水の身体を霧散させるようにばらばらに散らばり、愛我の攻撃を回避した。水の邪神は自身の肉体を成していた水分だけに留まらず、氷の邪神の溶けた肉体を掻き集め、更なる巨躯へと成った。
「やば……油断した」
再び身体を終結させたのは煌龍の背後。邪神は水の巨体を駆使して煌龍を押し潰す気だ。
「だから、副隊長に就任したからって、うぬぼれぬなと言っただろ」
だが、二人は悠揚たる物腰。巨躯であれど動きに機敏性が欠けた者など、躱すのは容易い。
しかし、煌龍には試したいことがあり、あえて迎撃の姿勢をかまえた。
「
先程よりも火力を上げて『
―やはり。いつもより、威力が上がっている。—
色國でも指折りの色彩眼の使い手でも、相性が最悪の水の邪神を一撃で倒すのは難しい。以前までなら、今の技を八回以上繰り出すか五、六倍程の威力を出さなければ、水柱の邪神は倒せなかった。
目に見える変化に、側に居た愛我は唖然となり口が閉じない。
「す、すごいな……。煌龍が桁違いに強いことは確かだけど、また一段と……」
「あぁ」
―彼女の舞を観るだけで、こんなに強くなるもんなんだな……—
煌龍の神通力が更に強化された理由。昨晩、白彩の舞を目に焼き付けたからだ。観たのは僅かだが、それでも彼の色彩眼に大きな影響を与えていた。
これまで色深しの為に舞踊家の演舞を観覧することはあれど、これ程高威力の火力を軽々出すことは無理だった。それだけ、白彩の舞が洗礼されているという証拠だった。
―支乃森草一郎が第一部隊の隊長と成れたのも、彼女とその母親が舞それだけ素晴らしかったということだろう。—
―だが、私利私欲の為に他者の人生を奪うなんて、非人道的だ。—
出世の為や、肉親でありながら傾慕して、白彩とその母親を屋敷に閉じ込めた草一郎に嫌悪感を抱く煌龍。
—地位や出世に目の眩んだ人間は嫌いだ。—
特に、前者に欲深い人種そのものを毛嫌いしていた。
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