②
翌日。二週間以上かけて、漸く溜まっていた書類を整理し終えた煌龍は、愛我と屯所内の空き地にて剣術の稽古をしていた。お互いに真剣を構え、相手の隙を伺う。
「テリャ‼︎」
先んじて愛我が仕掛けるが、煌龍は無駄のない動きで躱す。愛我は直様、二撃目を繰り出そうとした。
しかし、その前に煌龍の剣戟に押さえ込まれた。取っ組み合いとなれば、剣圧で勝負が決まる。だが、神通力のみならず、素の身体能力も煌龍の方が上だった。
刃同士がキリキリと金切り声を上げる。しかし、圧倒的に愛我が追い詰められている状況から、彼の持つ刀の方が悲痛な声を上げているように思えてしまう。
距離を取って体勢を立て直そうとした。しかし、両者が組み合う刀との間に隙間が生まれた瞬間、煌龍が目にも止まらぬ速さで刀を振りかかり愛我を驚異的な強さで捩じ伏せる。
刃を上に振り上げると愛我の物刀は、彼の手から離れ大きく弧を描き遠くの地面に刺さる。愛我が次の行動に移す前に、煌龍が剣先を彼の喉元に向けた。勝負ありと言ったところだ。
「負けた。降参」
愛我が両手を掲げ、敗北の意を示す。
「稽古でここまでやることないだろ」
「真剣での勝負を提案したのは愛我だろ。刃を人間に向ける以上、相手が誰であろうと真剣に挑む。命をかけてな。
それが、勝負をする相手への敬意だ」
「真面目か!」
愛我は四角四面な煌龍の心情に少し呆れる。しかし、本を正すと真剣勝負を持ちかけた愛我の方が呆れられても仕方がない。
そんな中、煌龍は「だが、良い訓練になった。剣術の稽古は相手が居る方が手応えがある」と謝意を述べる。良くも悪くも、煌龍は真っ直ぐな性格をしていた。
「稽古の相手なら、またしてやる。俺、剣術はおまえ程自信ないけど、身体を動かすことは好きだから」
「……俺だって、剣の腕前はまだまだだ。あいつを見返せる程では……」
嫌いな男の顔を思い浮かべ、柄をギュッと握り閉める煌龍。
「肩の力、落とせって。神通力はもちろんのこと、第一部隊で煌龍以上に剣術に長けた奴なんていないぞ」
お調子者だけど、生真面目な煌龍には愛我のような気さくな人間が居た方が肩の余分な力が抜けて良いのかもしれない。
「だからといって、努力を怠るつもりはない。だけど、気を遣ってくれて、ありがとう」
「どうも、どうも」
「しかし、愛我も得意部ばかりでなく、苦手なことも励め。俺がいなくても、剣の稽古を怠るな」
「あっ。早く、屯所内に戻らないと……」
「話しをはぐらかすな」
事実、煌龍が気を許せる人間は家の者でも一握りだが、愛我とは忌憚のない会話ができていた。
二人は屯所の建物に入り、通常業務に戻る。前隊長や引継ぎ関連の書類はすべて捌けたが、邪神討伐部隊に限らず軍には毎日のように新しい事案が山のように舞い込んでくる。先に舞い込んできた案件の処理が済む前に、次の事案が来るのなんて日常茶飯事だった。しかし、日々の鍛錬を怠る訳にはいかない。隊員たちは神通力と武術の鍛錬と並行して業務に当たる。
軍人とは実に多忙な職務だ。部隊長ともなれば、書類整理に加え隊員たちの指導、上との定期連絡、他部隊との連携。一般隊員とは比較にならない仕事量。
現在、煌龍の年齢は二十二歳。まだ、部隊長を任せるには早い若輩と言って良い。
だが、彼の仕事振りに隙は無い。邪神との戦闘や対人相手でも、これまでも獅子奮迅の働き拝見するば一目瞭然だ。戦闘以外の職務でも、情報処理能力がずば抜けている為、上官や他の部隊との連携も滞りなく行えていた。
前隊長草一郎が殉職したことにより隊長を命じられたが、以前は副隊長を任せられていた身。年齢的にかんがみると副隊長でも時期尚早だが、戦闘能力に加え判断力の高さ、何より邪神討伐の中でも名家中の名家連火家の出身も相まって信頼度は厚かった。
勿論、若く名家の出身で優秀という点から、謂れ無い嫉視を向けられることはある。煌龍の失脚を狙う輩も少なくないが、現邪神討伐部隊局長の息子でもある彼に勝算も無く寝首をかく者も早々居なかった。勝算が無ければ……
「にしても、おまえは肝が据わっているよな」
「急にどうした?」
「いや。色深しの顔料である嫁ができて、それを弱みに付け込む輩が出ても可笑しくないだろ。それなのに、涼しい顔で普段の業務を熟しているからさ。
それに彼女、色無しなんだろ」
愛我の言う通り、色彩眼を強化する色深しの顔料はその人の明確な弱点であった。神通力の名家、特に邪神討伐で功成り名遂げた家ともなればその弱点は顕著だ。
白彩の場合、顔料であることに加えて色彩眼を持たない色無しだ。色無しは長い歴史に於いて、力の無い弱者として冷遇される存在。
まだ籍を入れてはいないが、婚約者という段階でも白彩は煌龍の絶対的な弱点であった。そして、連火家の次期当主となる者の正妻になれば、連火家自体の弱みと成り得る。
そんなわかり切ったことは煌龍も理解しているが……
「くだらない。力が無い人間を賤しむのは、古い時代からの悪習だ。そんなもの気にする方が馬鹿馬鹿しい」
煌龍は神通力が使えない人間に対する不動な扱いを旧弊だと腐す。
「流石、色國に名を轟かせる火龍。時代錯誤の慣習なんか、歯牙にもかけないなんて」
愛我はそんな彼に舌を巻くが、「俺は思ったことを言っただけだ」と謙遜する。
「力が有ろうが無かろうが、神通力は人の一生を左右する。実際、愛我も戦闘能力だけでなく、左の力もあったから諜報活動も命ぜされているだろ」
「……まぁな」
左眼の神通力に関しては愛我も思うところがあって、僅かに言葉が沈む。
「俺自身、神通力の実力を評価され邪神討伐部隊に入隊させられた。でも、それは別に良いんだ。連火家の権力だけでなく、軍でもそれなりの立場なら、家族に何かあったとき動きやすいから。
だけど、能力の有無で人の人生を断定する社会通念上を認めてはいない。色彩眼を持っていないから冷遇するなんて以ての外。
だからこそ、彼女にはできる限り自由な人生を与えたい。それだけの苦労を彼女は味わってきたから」
その心情の根幹には常に母の末路が起因するが、煌龍は本心から白彩の幸せを望んでいる。だけど、当人にその顧慮が上手く伝わらず、逆に思い悩ませていることに気付いていない。
しかし、今の言葉で目の前の愛我は、白彩に対する煌龍の想いを理解した。
実のところ愛我は、煌龍が色無しの娘を顔料として嫁に向かい入れることに杞憂を抱いていた。白彩を『色無し』と言ったのも、彼女の存在が煌龍の足枷に成り得ると危惧していたからだった。
しかし、想像以上に煌龍が妻と成る白彩を傾慕していると知ると、先程の発言を悔いた。
―表面上では冷やかしたり、祝福する言葉を並べて。俺は内心、支乃森の娘を蔑んでいたんだ……—
「そうだよな。色無しなんて言って悪かった」
愛我が悲観的に白彩を見ていたのは、煌龍の今後を心配してのこと。しかし、会ったこともない少女に蔑視した自身を省み謝った。
「……急に改まって、どうしたんだ?」
唐突に頭を下げたことに煌龍は困惑する。彼は、愛我が事実として白彩を『色無し』と言っただけで、彼女を侮蔑してそう言ったとは思っていないかった。
愛我は正直に話す。白彩が連火家に嫁入りすることにより弊害が起きるのではないかと危惧したことを。内心、白彩を良く思っていなかったことを。
煌龍から反感を買うと思ったが、「会う前から悪印象を抱くのは頂けないが、愛我が憂慮したことは心理的に可笑しなことではない。彼女が我が家に入ることで連火家は色々言われるのは確実だ。だけど、これは俺の家の問題。愛我が気にすることじゃない」と淡々と答えた。
「お、思っていた以上に冷静だな……」
「彼女のことに関しては、不満が無いと言ったら嘘になる。だけど、愛我が彼女の存在に不安を抱いたのは、俺を心配してだろ。
姉上の結婚話が持ち上がったときみたいに」
煌龍には三つ歳の離れた姉が居て、愛我とも良く知る間柄だ。彼女は数年前に他所に嫁いだが、勝手に取り決めた煌龍たちの父やその結婚相手に腹を立てていた。
「俺たちとは比べられない程、身分の高いあの方に業を沸かしたとき、俺は肝を冷やした」
「……何か、すみません」
当時のことを思い出し謝罪する愛我に構わず、煌龍は語り続けた。
「それと同時に愛我は親しい人間の為なら、誰彼構わず食ってかかる無鉄砲な奴だと痛感した。だから、彼女の人柄を理解してもらうには実際に会わせた方が手っ取り早いが、愛我にはあまり会わせたくない」
「えー、何でだ?」
「……」
「・・・ハッ‼︎」
愛我は察した、白彩が自身の左眼の虜になるのではないかと危ぶんでいるのだと。
押し黙る煌龍の肩に手を置き、「安心しなって。煌龍の嫁さんを横取りするつもりないから」とニヤけ顔をする。
「そういうことじゃなく、あんなか弱い娘が愛我のようないい加減な男に会ったら戸惑うだろ」
「またまた。意地張って」
煌龍を揶揄する愛我は、「本当に、お嫁さんになる子が好きなんだな。俺も早く良い人を見つけたい。この眼の力に関係なく、俺を好いてくれる人を」と羨ましがる。
「いや。俺は彼女を好いているというより、ただ単に守ってやりたいだけだ」
「?」
白彩への好意を否定する煌龍に、愛我は疑問を抱いた。引っかかりを感じた彼は、「その子のこと可愛いとか、綺麗だとか、思っているんだよな」と問うた。
「あぁ。彼女の儚く美しい舞や歌は母を思い出させてくれる。しかし、何ごとにも一生懸命に取り組むところは可愛らしく思える。そんな姿はますます加護欲を掻き立てられる」
―あっ、もしかして……花嫁さんへの好意を小動物を愛でるような感覚だと思い込んでいる?—
他者の感情を汲み取ることがあまり得意ではない煌龍だが、自身の感情にも疎いところがあった。
彼が白彩を一人の女性として寵愛しているのか不明だが、少なくとも愛我はそうと捉えた。しかし、彼女への愛情を加護すべき者として重んじているいう思い込みをしていると結論する。
―これは、俺が背中を押してやるとしますか。—
「?」
煌龍は、幼馴染が自分たちの仲を後押しするつもりでいるなど微塵も思わず、愛我が何に意気込んでいるのだと疑問するばかりだった。
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