③
翌日の昼頃。漸く目を覚ました白彩は、支乃森の屋敷の中でも一等良い部屋に寝かされていた。
「ここは……」
襖越しに感じる春の暖かい空気と、質の良い畳の匂いにぼんやりと頭をもたげる。
「宿泊する客用の部屋だよ。今後のあんたの身分を考慮すれば、粗末な部屋に置く訳にはいかなくてね」
「萌葱姉様……」
あまり良い感情を持てない従姉の存在に気付き、白彩は顔を強張らせた。
「そう怯えるな。私は、母上とは違って、あんたを痛めつける気はない。そんなことをしても、家に損失を与えるだけ」
「損失だなんて……。わたくしのような色無しをどうこうしようと、支乃森家に支障は――」
「それが有るんだよ。これからあんたは、色國一の邪神討伐の家系・連火家次期当主に嫁ぐのだから」
「えっ……」
白彩が気を失っている間に、萌葱は何があったのか克明に話す。
「わたくしが、そんな高貴な方に嫁ぐだなんて……」
「驚くのも無理はないが、良い機会じゃないか。ようやくこんな家から解放されるんだから。私としても、家の不安の種が無くなって安心する。唯一不満があるとしたら、そのかわいい瞳がもう見られないことだが」
「……」
「それから、あんたの怪我はすべて邪神によるものということにしている。くれぐれも、母上に暴行されたと連火煌龍に言うなよ。長年座敷牢に隔離されていたこともな。でないと、家が潰れ兼ねない。あんたも、弟みたいに思っている鸚緑を路頭に迷わせたくはないだろう。一応、母親の生家でもあるんだから」
「言うつもりなんて、ありませんよ」
「なら、良かった。身体を動かすのにも不調はないようだし、隣の部屋にお移り。身支度の用意はしてあるから、精々粧し込んできなさい。みすぼらしい格好のあんたを連火煌龍にやれば、私たちに刃が向きかねないから」
「はい。わかりました」
「あんたも連火煌龍の不興を買わないよう、気を付けておけ。彼は冷酷無比と聞くから。あんたみたいなひ弱な小娘など、簡単に殺せるだかろからね」
劫かされた白彩は、背筋を震わせる。
「ごめん。ごめん。少し、脅しが効き過ぎたね。まぁ、半分は嘘じゃないから、早く支度を済ませな。着替えが遅いことに業を煮やして、八つ裂きにされることがないように」
萌葱の脅嚇に、嫁ぐ相手への不安が加速する。
隣室には、使用人が数人いて、白彩の支度を手伝う。本意ではなく、家の者に頼まれたのと、連火煌龍が怖くて、仕方無しに手を貸している。全員が苦虫を嚙み潰したよう顔をしていた。
衣紋竿には、白彩の為に用意した豪奢な着物がかけられている。深緑を思わせる、緑の反物で作られた一品。でも、白彩はあまり好まなかった。
―できることなら、御母様の着物が良かった。けれど、母様の形見がすべて処分されてしまった。―
―家を出たところで、結局変わらない。わたくしも、母様も、この着物にも染み込んだ支乃森の緑に囚われたままなのだわ。―
「支度は済んでいるな」
悲観に暮れていた白彩に元に、煌龍が現れた。縁談の交渉の後、自身の顔料を拝みに来た。
―この方が連火煌龍様。綺麗な人……—
―火の色彩眼の家系らしいけれど、この方の瞳は射るように冷たい……—
目の前の連火煌龍に見ほれる白彩だが、同時に火とはかけ離れた印象を抱く。しかし、そのような印象は彼女だけにあらず、人間の大半は連火煌龍を氷のように冷たい人間と捉えている。邪神討伐の名家は『色國の火龍』の異名で知られているが、普段の冷淡な物言いから『冷酷な炎』とも言われていた。
白彩も凍りついた表情の煌龍に身構える。
「そんなに気負う必要はない。俺たちは、これから夫婦になるのだから」
「連火様。憐憫の情で私のような色無しを娶ろうなどと―—」
「色無しなど関係ない。元から、支乃森家の舞姫に縁談を申し込みに来たのだからな。でなければ、こんな山奥にわざわざ赴いたりしない」
「でも、色無しを嫁にするなど、家の信用を落としかねません」
「そんな程度で失う信用なら、捨ててしまってかまわない。それに、俺はあのときの約束を果たしたかったからな」
「……約束とはいったい?その約束と、わたくしとの婚姻に何か関係があるのですか?」
話しが平行する中、煌龍が言う約束が何なのか訊ねる。
「わからないのなら、それでいい。この話しは終わりだ」
「?」
煌龍の答えにならない返答に不思議がる白彩。
「そうだ。おまえに渡す物がある」
煌龍は懐から桃色の水晶で作られた桃の花のかんざしを取り出し、白彩の髪に添える。
「いけません。こんな高価の物をわたくしなどに……」
「俺が持っていても、箪笥の肥やしにするだけだ。おまえが肌身離さず身に着けていろ。それから、俺のことは煌龍と呼べ。いずれ、おまえも連火になるんだ。上の名前で呼ぶのは可笑しい」
強制力のある言葉に首を縦に振る白彩だが、思っていたより優しい人に思えてきた。
―頑ななお方ですけれど、わたくしのことを慮ってくださる。—
―だからこそ、顔料としての務めを果たさなければ。この方は、それが欲しくて、わたくしなどを選んでくださったんだ。—
「わかりました。煌龍様。連火家の顔料としての役割、精一杯務めさせていただきます」
「……」
頭を深く下す白彩を黙って見つめる煌龍。その瞳が儚く揺れていたことを白彩は知らない。
「行くぞ」
簡素に命令する煌龍の後ろを白彩が歩く。屋敷内ですら歩くのは十年となかった少女には、門前まででも長い道のりに感じた。
屋敷の外には誰もいなかった。厄介者には、見送りなど無用の長物なのだろう。
支乃森家で唯一親しい鸚緑は、まだ意識が戻らなう。数日で良くなるそうだが、別れの挨拶すらできない事実に白彩は寂寞とした思いに駆られる。
「さぁ、乗れ」
門前には、自動車が待機していた。異国からようやっと日本に導入された乗り物だが、山奥に居を構える支乃森家にはあまり馴染みのないもの。長年、屋敷の座敷牢から出たことがない白彩には尚のこと無縁だった。
乗車する際、足元に躓きかけたが、「大丈夫か」と手を差し伸べてくれた。
「揺れが大きい。気分が悪くならないよう、窓の外でも見ておけ」
「はい」
不愛想だが、白彩の体調を慮ってくれる。萌葱が言った人物像とは少し違うようで、煌龍との距離の取り方がわからずにいた。
火点頃、二人が乗る車は色國の都・
一昔前は、邪神が出た際の対処は、各地神通力の名家に勅命が下る形式だったが、軍隊の中に邪神討伐部隊が組み込まれたことにより、数多の神通力の名家が軍本部のある彩都に移り住んだ。
支乃森家は昔からの屋敷を手放さなかった為、草一郎は屯所に通い詰めていたが。車で数時間かかる距離を毎日行帰していたのには、白彩を手放したくないが故だった。
「支乃森元隊長は、この長距離を毎朝毎晩移動していたとは」
あまり事情を知らない煌龍も半ば呆れている。事実、
でも、白彩ははじめて見る彩都に興味津々の様子。
支乃森の家で、本は幾らでも読ませてもらえていた。だから、本からの知識で彩都がどのような街なのか知ってはいたが、読むのと実際に見るのでは訳が違う。
「今日は、屋敷に行かなければならない。街は後日案内する」
ずっと景色を見ていた為、煌龍は街を周遊したいという白彩の心情を察した。
「い、いえ、旦那様となられる方に街を案内させるなど……」
「俺が案内したいんだ。俺は、おまえを屋敷に閉じ込めるつもりはないからな」
ここで白彩は、疑問を抱いた。煌龍は、自身が幽閉されていたことを知っているようなことを言った。そんな筈はないが、事実がどうであれ白彩は黙って言うことを聞くしかない。
連火家に着いた。支乃森家同様日本建築の造りだが、後方に渡り廊下で繋がった白壁の洋館が所在している。ここに来る間にも異国文化を取り入れた建物を見たが、その中でも一等立派な屋敷に圧倒される。
屋敷を見上げていた白彩を煌龍「これからおまえが住まう屋敷だ。そんなに見る物でもないだろうに」と怪訝な顔をする。
「お帰りなさいませ。煌龍様」
直様、屋敷から使用人が出迎えた。高年層の物腰柔らかい男性。
「そちらのお嬢さんは?」
「支乃森家の娘で白彩だ。俺の顔料として、いずれ結婚する。俺だと思い、丁重に扱ってくれ」
「まぁまぁ、それはおめでたいことで。きっと、旦那様や亡くなった奥様も喜ばれることでしょう」
「あの父親はともかく、母上には安心してほしい」
―えっ……煌龍様も母を亡くされていたの……—
煌龍のことを何一つ知らない白彩だが、自身との同じく親を亡くした身だと知った。いつ逝去したのかわからないが、若い身で母親と死別した彼を憂いる。
「トキに、白彩の世話を頼みたい。母上が使っていた部屋に来るよう伝えておいてくれ」
「畏まりました」
今出迎えた使用人は、連火の分家の
その出身であるのに、主人が色無しを嫁に連れてきたことに対して、苦言を呈さなかった。家の信用に関わる事態なのに、寧ろ白彩を歓迎する。
この屋敷の人間が全員優しいんだと思えたが、途中すれ違った他の使用人は白彩を疎ましい目で見た。だが、煌龍が一睨みすれば、大人しく下がる。
「ここがおまえの部屋だ」
行き付いた部屋は、洋館の一室。毛の長い葡萄酒色絨毯に、白のレース模様の壁紙。家具も西洋の調度品で統一されている。
―わたくしには、勿体ない御部屋……—
「母の部屋でここ十年ばかり使われていなかったが、綺麗にはしている。私室として使うには支障などはない筈だが、何かあれば言ってくれ」
「そんな……亡くなられた御母様の御部屋をわたくしなどに――」
「だから、気にするな。それに、この部屋が一番都合が良かったからな」
煌龍の母の部屋だったと知るや否や、白彩はますます気後れする。
すると、部屋の外からノックの音が聞こえた。
「入れ」
部屋に入ってきたのは、焔と同じ年代層の女性。トキという女性は、この屋敷では珍しい桃色の瞳をしている。
「お呼びでしょうか。煌龍様」
「トキ。おまえにはこれから白彩の世話を頼みたい。いずれ、連火家の女主人となる。この屋敷のことを色々教えてやってくれ」
「かしこまりました」
「白彩。わからないことは、このトキに頼れ。俺が信用している数少ない使用だ」
桃色の神は、恋愛ごとに纏わるまじないを得意とする。あまり戦闘向きの神通力ではないが、そんな力の人がどうして邪神討伐の名家に仕えているのだろう。
「わかりました」
だが、屋敷に来たばかりの部外者が諸々の事情を訊ねるのは不躾。言われたことをただ聞くだけだった。
その夜。煌龍は、書斎である人物と電話をしていた。
「この度は、うちの色無しを娶ってくれてありがたいよ」
「白彩を色無しと蔑むな」
「おやおや。今日会ったばかりとは思えないほど、溺愛しているのかね。まぁ、何にしても、支乃森家を処罰しなくて良かったのかい。気付いているんだろ。白彩の傷」
連火煌龍ほどの人間ともなれば、白彩の身体中にあった傷が邪神による物だけにあらず、人間から受けた物の方が多い事には既に気付いていた。
「酷い傷だったが、邪神と遭遇したとなればあれ程の怪我を負っても仕方がない」
「ふーん。あくまでも知らないフリをするという訳か。おまえの性格、聞いてものと少し違うようだ」
「おまえこそ、良いのか。支乃森の御令嬢。俺と電話している所を母君に見られるかもしれない」
「良いんだ。良いんだ。あれは、私のことなど眼中にない。今は、怪我を負った愛息子の感情で手一杯だからね。そんじゃまぁ、私の従妹の世話は頼んだ。これから支乃森家はあの子に干渉しないつもりだから。私の独断だから、変な気を起こす奴が現れたら軍に突き出してかまわない」
萌葱の発言は、白彩を見放しているのか、支乃森家から逃がそうとしているのかわからない。だが、結果として支乃森家にとって最善の策を取っていた。一方的に電話を切った彼女の思惑は何なのだろう。
「家族とは、どこの家も難しいな……」
会話を終えた煌龍は、そう溢しながら受話器を納めた。
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