支乃森草一郎の死から、一週間。その間、支乃森家では葬儀や相続の手続きに加え、邪神討伐部隊への書類整理などに追われていた。


本家の者から分家の末端、一族総出でことに当たる中。白彩は鎖に繋がれ、牢屋内も歩くことが叶わなかった。


草一郎が亡くなり支乃森家の実権を握った柢根。十年以上も溜めていた憎悪が破裂し、白彩に虐待を行使するようになった。


座敷牢にあった家具を破壊し、着物と本は売り払った。肉体的な危害も加えられ、ボロ布を纏った白彩の肌はあちらこちらに痣ができていた。


「みすぼらしい方が、あんたにはお似合いよ」


長年の恨みだけではない。当主が死去したことにより、現在支乃森家は邪神討伐の業界で立場が危い。更に、草一郎が指揮していた邪神討伐第一部隊が壊滅したのは、部隊を統率していた支乃森家当主の過失となり、方々から訴えられている。それによる鬱憤も当て付けていた。


「も、申し……訳、ございま――」


「そんな、鈍間な物言いで、謝罪のつもり!謝辞を述べるのすらまともにできないなんて、どこまでも疎ましい!」


今、白彩は上手くしゃべれない。柢根に扇子で頬を叩かれ、口の中が切れた血の味がする。


「お取込み中、すみません。奥様、客人がいらっしゃいました」


家の使用人の一人が柢根に、来客の報告をする。


「そんな者、待たせておきなさい!今は、この疫病神の折檻が先よ!」


「それが、客というのが。この度、邪神討伐第一部隊に就任する、連火つれび様でして――」


「何ですって!どうして、この家に!」


「亡くなった旦那様の、引継ぎ関連でいらしたそうです」


「わざわざ、家まで来なくていいような用件を……

連火の者が帰るまで大人しくしていなさい!少しでも声を上げたら、舌を引っこ抜くから!」


柢根は座敷牢を去る前に一睨みして、白彩を怯えさせる。


「はいぃ……」


そのまま捨て置かれた白彩の世界に優しい色など、一切見当たらなかった。




支乃森家応接室には、火の如き紅蓮の瞳の見目美しい軍服の青年が座している。『邪神討伐第一部隊』の現隊長であり、神通力の名家・連火家次期当主。連火煌龍こうりゅうその人だった。


「連火さん、わざわざご足労いただいて、こちらは恐縮です」


「他にも用事があったからな」


「作用で……」


向かいに座っている柢根は微笑んで対処するが、内心穏やかではなかった。



―主人の部下だった分際で、生意気に!—


―しかも、隊長の座まで奪うなんて!—



夫が管理していた邪神討伐第一部隊の新任は、息子である鸚緑おうりょくであるべきだと考えている。だが、鸚緑はまだ十四の少年。軍に所属可能な齢を満たしておらず、また支乃森家当主としても若過ぎる。


従って、折衝の手綱は煌龍が握っている。


「本日、こちらに伺った主な理由。生前、支乃森草一郎氏がとしていた舞姫を、嫁にいただきたく願い出た次第だ」


色彩眼の能力をより引き出す技法として、宿る神の趣味嗜好を自身に取り入れることがある。例えば、酒好きの神なら飲酒をすることにより、普段よりも神通力が増す。このような方法で、色彩眼の力を更に引き出すことを『色深し』と呼び、その引き金となるものの総称が『顔料』という訳だ。顔料は物だけに留まらず、色深しの起因となるものなら人間なども含まれる。


支乃森家の顔料は、美しい舞を観ること。舞が好きな神のいる眼にそれを焼き付け、更なる力を引き出す。


「元々、支乃森家は色彩眼の名家ではあれども、能力的に補助や援護で活躍してきた一族。だが、支乃森草一郎氏が部隊長を任せられるに至ったのは、特別美しい舞を見せる顔料を支柱に収めたからという噂は有名だ。

連火家も舞により異能を高める家。是非とも、その舞姫が欲しい」


「何を言うかと思えば、舞姫などこの家にはおりません。仮にいたとしても、貴重な顔料を他家に嫁がせると思い?」


柢根は、如何にか舞姫の存在を隠そうとしている。何故なら、舞姫とは白彩だからだ。元々は母である翡翠が支乃森家の顔料だったが、彼女の死後は白彩が顔料を受け継いだ。


それ自体、何の差し障りはないが、母娘共々幽閉したばかりか、白彩は虐待を受けている。彼女の存在が露呈すれば、家の体裁としても悪い上に処罰を受けかねない。


「無論、結納金は弾ませてもらう。現在、支乃森家が抱えている問題も、こちらでできる限り援助するつもりだ」


だが、煌龍も引き下がらない。彼には、舞姫がいる確信でもあるかのような態度だった。


「いないものはいないの!何度、言わせるつもり!」


「母上、良いではありませんか。せっかく、厄介者を引き取ってくれる人間が現れたのだから」


柢根に意見するのは、支乃森家長子・支乃森萌葱もえぎ。まだ、二十歳に満たない女性だが、邪神討伐に追われていた父に代わり、邪神討伐以外に行っている家の事業や財政管理、他家との交渉を担っている。


「このままでは、支乃森家は業界での立場を失いかねません。そんな折に、連火家の援助は幸運です。なんたって、連火家は邪神討伐の家の中でも別格の家柄。これぞ、渡りに船ではありませんか?」


支乃森家も有力な異能の一族だが、連火家は火の神を司る一族で右に並ぶものはなしと言われており、邪神討伐に於いてもここ十年で千体以上もの邪神を葬ってきた。


「それに相手は、『色國の火龍』と恐れられている連火煌龍殿。我が一族の人間が彼に嫁ぐとなれば、家の権威が高まります」


煌龍に関して言えば、連火家の中でも始まって依頼の天才と言われている。火を龍のように操る彼には『色國の火龍』の異名が知れ渡り、いずれ國一の神通力の使い手となると言われている。


それ程の相手だからこそ白彩の存在が知られるのはまずい筈なのに、萌葱は考えでもあるのか、縁談話しを受けるよう母に推奨した。


しかし、生意気な娘の助言に耳を傾ける柢根ではない。


「あの色無しを他所に嫁がせることこそ、家の名を落とす行為よ」


柢根は支離滅裂だった。色無しの人間が支乃森にいることを、他所の人間に教えている。


「色無しだろうと、どんな神通力だろうと、関係ありません。俺は優秀な顔料を求めています」


「何を言われようとも、あの色無しを嫁がせる気は――」


「キェェェェェ!」


『‼︎』


「この奇声は邪神?」


「馬鹿な!屋敷内だぞ!」


突如と聞こえた邪神の叫び声。


「この家の結界はどうなっている?」


邪神を討伐する一族程、邪神に恨みを持たれている。だから、邪神討伐に関わる家は、屋敷に結界を張ることで彼らの侵入を防いでいる。


「助けてぇぇぇ!」


「この声は、鸚緑!」


「座敷牢の方から聞こえた。二人が危ない」




ときは少し遡り、柢根が座敷牢から出て行って少しした頃。優しい緑の瞳の少年が入り口の前に立っていた。


「白彩姉様、大丈夫?」


「鸚緑……どうしてここに?……ここへ来たら駄目だと、叔母様に――」


「こんな白彩姉様を見て、じっとなんてしていられないよ」


白彩を憂いた鸚緑は、彼女を助かるようと座敷牢の鍵を開けようとする。


鸚緑の緑の瞳が淡く光ると地面から植物の蔦が数本伸びてきた。


これが神通力。瞳の中の神は邪神に対抗する術としてこの力を人間に与えた。代償として神は自我を失ったが、神の御心を対価として賜った力はとても強力だった。


細い蔦は鍵穴に入り細かな動きをする。暫しして、錠が解ける音がした。


「今、手錠の鎖も解くから」


同じように白彩を縛り付ける鎖の手錠の鍵をこじ開け、彼女を座敷牢から出す。


「母上が来客の相手をしている間に逃げよう」


鸚緑は、支乃森家からの逃げるよう言うが、「駄目よぉ。そんなことをすれば……逃亡に手を貸した鸚緑の身が危ないわ。叔母様にぃ……どんな折檻を受けるかわからない」


「大丈夫だよばれないように、口は閉ざすから。時間がないから、急いでここから出よう」


鸚緑が白彩に手を差し伸べた瞬間……


「キェェェェェ!」


二人の背後に、人間の倍程の体格の邪神が現れた。黒い瘴気を放つそれは、顔のない虎の姿。発声器官が見受けられないのに奇声を上げる邪神は、元は神とは思えないおどろおどろしいものだった。


「ひぃ……た、た、助けてぇぇぇ!」


人生で初めて邪神を見た鸚緑は、思わず叫んでしまう。


その声に反応して、邪神が鸚緑に襲いかかった。


「やめて」


白彩が咄嗟に庇い出る。邪神が振り下ろす拳に、そのまま薙ぎ払われ壁に叩き付けられた。


「クッハ!」


「白彩姉様!」


鸚緑は、気を失う彼女に駆け寄る。大きな怪我などはなさそうだが、実の家族よりも大切な人を目の前で傷付けられた。しかも、自身を庇ってだ。


自分への憤りと、邪神への殺意で神通力を振りかざす。座敷牢が一瞬にして緑に覆われ、さながら密林地帯のよう。


無数の蔦が邪神の身体を拘束するが、鸚緑の色彩眼の練度はあまり高くない。植物の蔦を無限に出せるのが強みであり、力勝負になると彼の神通力は無力と化す。


「僕の蔦が……」


鸚緑の蔦は呆気なく千切られ、邪神は嘲笑う。


「グッアァ……」


次の蔦を出して応戦するものの、一瞬にして蔦を薙ぎ払った邪神に押し潰されてしまう。


白彩に迫る邪神の魔の手。彼女の身体を掴み硬く掲げた。まるで、最高の獲物を捕らえたかのような孤高の笑みを浮かべる。


だが、白彩を掴む大きな手は、鋭い日本刀で両断された。


「‼」


邪神の手ごと落下する白彩の身体は、火を宿す瞳の青年に受け止められる。


「遅くなってすまない」


いの一番に座敷牢に駆け付けた煌龍は、意識のない白彩を背後で横たわらせる。


対峙する邪神の足元には、まだ鸚緑が押し潰されている。このままいけば、圧死するのは明白。


煌龍は目の火を灯し、紅蓮の如き大量の猛火をこの空間に出現させた。帯刀している日本刀を引き抜き、出現させた火を絡め取るように集める。彼は、日本刀を駆使して、火を竜のように操り、邪神に斬りかかる。


炎刀えんとう龍爪りゅうそう


瞬き一つの間に、煌龍は邪神に大きな傷を負わせる。その身体には龍の爪痕のような火傷ができ、ジュウジュウと邪神の身を焦がす。火傷の痛みに悶絶する邪神は、踠きながら消滅した。


「支乃森家御子息、よく耐えたな」


鸚緑を介抱しながら賞賛した。まだ、軍に加入していない少年の力で、一人の少女が救われたのだから。この場に鸚緑がいなければ、白彩は牢や鎖に阻まれた状態のまま、逃げることすら叶わなかった。


「おまえたち、大丈夫か?身体、動かしても平気か?」


鸚緑は眉一つ動かさなかったが、白彩は僅かに目を開く。その白色の瞳を見た煌龍は、「ようやく見付けた……」と溢した。


「連火さん……これは!」


座敷牢の惨状に驚く柢根だが、歯牙にもかけない煌龍は、「この娘をもらう」と宣言する。


「この白き瞳の娘を、俺の顔料としてもらい受ける」

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