第一章

小さな薄暗い部屋には、一人の少女がいる。


この座敷牢に少女は閉じ込められているが、中は普通に部屋として機能できる使用だった。高価な着物、一級品の家具、様々な分野の書物たち。


そして、とき偶ここには、御稽古ごとの先生が来訪する。華道に茶道、そして歌舞。


これだけ聞けば、むしろ贅沢な暮らしをしているように思えてしまう。


だが、与えられたこれらは少女に向けられたものではない。


翡翠ひすい。今、帰ったよ」



―叔父様。わたくしは、母様ではありませんよ。—


―母様の娘で、伯父様の姪白彩はくあです。―



そう言いたかったが、少女・白彩にこの部屋のすべてを与えた男支乃森しのもり草一郎そういちろうは、彼女を死んだ妹として見ていた。だから、白彩は口を紡ぐしかなかった。


だが、彼が白彩に向けるのは妹愛などではなく、身体にねっとり絡み付くような執着だった。




色國しきこくの遠い昔の出来事。神々が暮らす天界が瓦解し、多くの神々が地上に堕ちた。


行き場を失った神々は地上で住まうことを余儀なくされたが、地上に漂う瘴気は神々にとって。瘴気は神々の身魂を蝕み、衰弱死する神や瘴気に侵され『邪神』となる神もいた。


正常を保っていた神々は、生き残る術として人間の目に中に宿り入ることを選んだ。人間の眼球は水晶と似た構造をしており、瘴気を寄せ付けない力を持っていた。


人間たちは神を眼に宿すこと栄誉に思い、快く引き受けた。すると人間たちの眼は、宿り入った神の力に合わせ変色した。


すべての人間が眼に神を宿した頃、邪神たちは人間を不要な存在として惨殺するようになった。身体を斬り刻まれ、骨も残さないほど焼かれ、四肢が壊死するほど氷漬けにされ、ときには思考力を奪われ操られた。邪神たちによって流された血は大地を赤く染めた。


邪神たちの非道な振る舞いを人間の眼の中から見ていた神々は、かつての同胞の無法に耐え兼ね、人間の眼に神の力を与えることにした。それによって神々の意志は消え去ったが、人間の眼は”異能の眼”となり様々な神力を使い熟していった。


こうして、人間と邪神の長きに渡る戦いの歴史がはじまった。


年月を得て、異能の眼『色彩眼しきさいがん』の使い手を輩出する名家が幾つも生まれた。


支乃森家もその一つ。植物を操る眼の家系だ。


当然ながら、支乃森家の人間は緑色の眼を有しているが、白彩だけは白い眼をしていた。


彼女の母、支乃森翡翠は現当主草一郎の妹ではあったが、先代の不貞の末生まれた子どもだった。


妾の娘だったが、翠琴の色彩眼は支乃森家の緑の力を強く引き継いでいた為、幼い頃本家に引き取られた。


それからが彼女の悲劇のはじまりだった。


異母兄である草一郎に女として見られ、身体を触られたり、無理矢理接吻も受けた。それを知った先代当主の妻であった翡翠の義母は、『夫をたぶらかした母親同様、今度は息子までたぶらかす汚い娘』と罵っていた。先代当主も翡翠には無関心と、彼女には味方がいなかった。


ある程度大人になったら翡翠は、家から逃れる為に遠くの地に消え去った。その地で、同じ境遇の男性と知り合い恋に落ちた。そして、生まれたのが白彩だった。


白彩が生まれてから一年ほどは家族三人で同じときを共有できたが、それも長くは続かなかった。翠琴の夫は不慮の事故で亡くなり、その直後草一郎に彼女の所在がばれ娘共々家に引き戻された。


そのとき既に、先代当主夫婦は亡くなっていたが、草一郎の柢根ねねは先代の当主の妻と同様の理由で彼女を虐げた。


兄に如何わしい目で見られ、義姉からの嫌がらせに苛まれる日々だったが。それでも、娘の白彩といれる分、まだましだった。


しかし、日に日に兄の執着が増していき、最終的に今の白彩の座敷牢に幽閉された。結果、心を病み白彩が五つのとき翠琴も儚くなった。


空になった座敷牢は間も無く、白彩の住まいとなった。白彩を翡翠と思い込むようになった夫を見た柢根は、『親子三代。性根から、男をたぶらかす淫女ね‼︎のくせに‼︎』と罵る。


『色無し』とは、眼が白く、異能の力を持たない者の総称。これは遺伝的なものなのか、突然変異から来るのかわからないが、極稀に生まれる。


『母親は緑の眼を持っていたから、まだましだった。でも、力もない、雌猫なんかに高価な物を与えるなんて、どうかしている』


草一郎が真白に与えるものは、生前翡翠の着ていた着物や使用していた家具。他にも、母親と同様の習いごとをさせられ。読書好きだった彼女と同じように、読書家にさせようと大量の本を課す。


母と同じなのは白彩も嬉しかったが、自身を受け入れてくれない環境に孤独を感じた。


支乃森の家の者が白彩に向ける感情は、良くないものばかりだった。当主とその妻は当然のこと。二人の娘は直接的な嫌がらせはしないが、白彩の眼に対して『かわいい瞳だな』と嫌味を言うことがしばしば。息子の方は真白の一つ下で、彼女を慕っているが、哀れんでいたりもした。本来は慕うべき商人ですら、真白を他所者として見ている。


惨めな状況ではあるが、白彩がなんとか精神を保っているのは、母と同じ扱いにより彼女の温もりが感じられることと、当主の不況を買わないように義理叔母や使用人は危害を加えらことがなかった。


だが、裏を返せば、草一郎が白彩に向ける歪な愛情を放置しなければならなかった。その感情を放置すれば、いずれ母と同じ道を辿るのは明らか。


だが、その悲劇の前に支乃森家を揺るがす一大事が起きる。




白彩、十五の春。段々と母親に容姿が近付いてきたことにより、叔父の眼がますます如何わしいものになってきた。


だが、心優しい彼女は、叔父の死まで望んではいない。



―支乃森の守護神・緑神様。どうか、この環境から抜け出させてください。―



かつて、天上の神が地上に堕ちた色国では、神社でお祈りするのではなく、自身の眼に宿る神を守護神として祈願する。


眼に神がいない白彩は、家全体の神に祈るしかないが、この環境から抜け出すことだけを切に願っていた。


そんなとき、当主婦人である柢根が座敷牢に赴いた。普段は何があっても白彩の元に訪ねることなどないのに、激しい剣幕で真白を見下ろした。


「色無し。あんたはやっぱり、我が家にとって疫病神、いえ人間に仇なす邪神と同じよ」


渾身から怨みつらみを溢す叔母に気圧される白彩は、恐る恐るなにか気分を害することをしたのか尋ねた。


「お、叔母様、申し訳ありません。わたくし、叔母様を不愉快にするような行いをしたでしょうか」


「するも何も!あんたみたいな疫病神がいる所為で、主人は亡くなったのよ!」



―えっ……叔父様が亡くなった……―



支乃森家当主・支乃森草一郎は、邪神の討伐中に命を落とした。その原因は、妹・翡翠の肩身として彼女の髪を持っていたが、戦闘中に落とし拾っている隙に邪神の攻撃に倒れた。


それが発端となり、草一郎が指揮を取っていた邪神討伐部隊は全滅した。


「あんたさえいなければ!あんたたち母娘おやこさえいなければ!こんな物‼︎」


突如、柢根は座敷牢内の物を壊しはじめた。


「叔母様、辞めて。これは全部、お母様の――」


「うるさい!」


「ビック‼︎」


今度は、白彩の着ていた着物にまで手を出した。


「私は!草一郎さんから、贈り物なんてされたことがないのに!なんであんたたち母娘おやこは、こんな綺麗な着物をもらえるの!」


引き裂かれた着物を見た白彩は悟る。母と自分は、叔父のみならず、叔母まで壊してしまったことを……

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