第一章

極東の島の全土に誇る、色國しきこくの人間は神通力を使うことができる瞳『色彩眼しきさいがん』を有していた。瞳の中には、神通力の由来となる神が住んでおり、瞳の色はその神の力に由来している。


しかし、誰もが色彩眼を有している訳ではなかった……




色彩眼の名家は幾つか存在しており、支乃森家は緑の力を有している。


だが、座敷牢に閉じ込められている少女は白き瞳をしていた。


閉じ込められている少女だが、中は普通に部屋として機能できる使用だった。高価な着物、一級品の家具、様々な分野の書物たち。


そして、とき偶ここには、お稽古ごとの先生が来訪する。生け花に茶道、三味線、そして歌舞。


これだけ聞けば、むしろ贅沢な暮らしをしているようにすら思えてしまう。


だが、与えられたこれらは、少女に向けられたものではない。


翡翠ひすい。今、帰ったよ」



―叔父様。わたくしは、母様ではありません。—


―母様の娘で、叔父様の姪白彩はくあです。―



そう言いたかったが、少女・白彩にこの部屋のすべてを与えた男支乃森しのもり草一郎そういちろうは、彼女を死んだ妹として見ていた。だから、白彩は口を紡ぐしかなかった。


だが、草一郎が白彩に向けるのは妹愛などではなく、身体にねっとり絡み付くような執着だった。



―お、叔父様が……こ、怖い……—



しかし、白彩はその執着から逃げる気力など皆無だった。なぜなら、彼女は異能を持たない色無しだから……


彼女の母、支乃森翡翠は現当主草一郎の妹ではあったが、先代の不貞の末に生まれた子どもだった。


妾の娘だったが、翡翠の色彩眼は支乃森家の緑の力を強く引き継いでいた為、幼い頃本家に引き取られた。


それからが彼女の悲劇のはじまりだった。


異母兄である草一郎に女として見られ、身体に触れられ、無理矢理接吻も受けた。それを知った先代当主の妻であった翡翠の義母は、『夫をたぶらかした母親同様、今度は息子までたぶらかす汚い娘』と罵っていた。先代当主も翡翠には無関心と、彼女には味方がいなかった。


ある程度大人になったら翡翠は、家から逃れる為に遠くの地に消え去った。その地で、同じ境遇の男性と出会い恋に落ちた。そして、生まれたのが白彩だった。


白彩が生まれてから一年程は、家族三人で同じときを共有できた。しかし、それも長くは続かなかった。翡翠の夫は不慮の事故で亡くなり、その直後草一郎に彼女の所在がばれ、娘共々支乃森家に引き戻された。


そのとき既に、先代当主夫婦は亡くなっていたが、草一郎の妻・柢根ねねは先代の当主の妻と同様の理由で彼女を虐げた。


兄に如何わしい目で見られ、義姉からの嫌がらせに苛まれる日々だったが。それでも、娘の白彩と一緒にいられる分、まだましだった。


しかし、日に日に草一郎の執着が増していき、最終的に今の白彩の座敷牢に幽閉された。結果、心を病み白彩が五つのとき翡翠も儚くなった。


空になった座敷牢は間もなく、白彩の住まいとなった。白彩を翡翠と思い込むようになった夫を見た柢根は、『親子三代。性根から、男をたぶらかす淫女ね‼︎のくせに‼︎』と罵る。


『色無し』とは、眼が白く、色彩眼を持たない者の総称。これは遺伝的なものなのか、突然変異から来るものなのかわからないが、極稀に生まれる。


『母親は緑の眼を持っていたから、まだましだった。でも、力もない、雌猫なんかに高価な物を与えるなんて、どうかしている』


草一郎が白彩に与えるものは、生前翡翠の着ていた着物や使用していた家具。他にも、母親と同様の習いごとをさせられ。読書好きだった彼女と同じように、読書家にさせようと大量の本を課す。


母と同じなのは白彩も嬉しかったが、白彩自身を受け入れてくれない環境に孤独を感じた。


支乃森の家の者が白彩に向ける感情は、良くないものばかり。当主とその妻は当然のこと。二人の娘は直接的な嫌がらせはしないが、白彩の眼に対して『ふふふぅ、かわいい瞳だな』と嫌味を言うことがしばしば。息子の方は白彩の一つ下で、彼女を慕っているが、哀れんでいたりもした。本来は慕うべき使用人ですら、白彩を他所者として見ている。


惨めな状況ではあるが、白彩がなんとか精神を保っているのは、母と同じ扱いにより彼女の温もりが感じられることと、当主の不況を買わないように柢根や使用人からは危害を加えられることはなかった。


だが、裏を返せば、草一郎が白彩に向ける歪な愛情を放置しなければならなかった。その感情を放置すれば、いずれ母と同じ道を辿るのは明らか。


だが、その悲劇の前に支乃森家を揺るがす一大事が起きる。


白彩、十五の春。段々と母親に容姿が近付いてきたことにより、草一郎の眼がますます如何わしいものになってきた。


だが、心優しい彼女は、叔父の死まで望んではいない。



―支乃森の守護神・緑神様。どうか、この環境から抜け出させてください。―


色國の神たちは嘗て、天上に住まわっていた。しかし、千年以上も前に天界が瓦解し、現在は人間の瞳に住まわっている。


だから、色國には神社はなく、自身の瞳に宿る神を守護神として祈願する風習がある。


瞳に神がいない白彩は、家全体の神に祈るしかないが、この環境から抜け出すことだけを切に願っていた。


そんなとき、当主婦人である柢根が座敷牢に赴いた。普段はあまり白彩の元に訪ねることなどないのに、激しい剣幕で白彩を見下ろした。


「色無し。あんたはやっぱり、我が家にとって疫病神、いえ人間に仇なす”邪神”と同じよ」


邪神とは、色彩眼の由来となった神とは外れた道に位置する悪しき存在。


住処だった天界を失い地上に堕ちた神たちだったが、地上に漂う瘴気は彼らにとって毒だった。身体を蝕み、神たちは次々と消滅していく中。人間の瞳に宿り住むようになった。


人間の瞳に住まうという形で生き延びたが、人間に歩み寄らない神は命を落とすか、瘴気の毒で『邪神』なり果てた。


そんなものと同列とする程、柢根は姪である白彩に渾身の怨みつらみを現す。叔母からの怒気に彼女は身体を強張らせるが、柢根にとって忌々しき事態が起きたのは明白。


「お、叔母様、申し訳ありません。わたくし、叔母様を不愉快にするような行いをしたでしょうか……」


恐る恐る尋ねる白彩に対して、柢根は怒鳴り散らしながら答えを返した。


「するも何も!あんたみたいな疫病神がいる所為で、主人は亡くなったのよ!」


「えっ……」



―お、叔父様が亡くなった……―



支乃森家当主・支乃森草一郎は、邪神の討伐中に命を落とした。彼は軍の邪神討伐第一部隊の隊長であり、部隊の大多数が亡くなり隊は壊滅状態に陥った。


その原因は、妹・翡翠の肩身として彼女の遺髪を常に持っていたが、戦闘中に落とし拾っている隙に邪神の攻撃に倒れた。


「あんたさえいなければ!あんたたち母娘おやこさえいなければ!こんな物‼︎」


突如、柢根は座敷牢内の物を壊しはじめた。



―母様の形見が……—



座敷牢の物の殆どは翡翠の遺品であった。母の形見を壊されたくなくて、白彩は柢根を止めようとするも、「私に指図するな!」と薙ぎ払わられる。


「きゃっ‼︎」


柢根は今度、白彩の着ていた着物の襟を掴む。


「くぅ……」


息が苦しくなったが、布が裂ける音と同時に解放された。


「私は!草一郎様から、贈り物なんてされたことがないのに!なんであんたたち母娘おやこは、こんな綺麗な着物を貰って、悠々自適に着るのよ!」


引き裂かれた着物を見た白彩は悟る。



―母様とわたくしは、叔父様のみならず、叔母様まで壊してしまったんだ……—

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