第2話「名前を呼ばれるたび、少しずつ変わる心」

翌日の放課後、大樹は学校が終わるとすぐにカフェ「黄色いチューリップ」へと足を向けていた。昨日の出来事が頭から離れず、どうしてもあの女性ともう一度話したいと思ったのだ。


「今日はどんな顔を見せてくれるんだろう……」


そんなことを考えながら、大樹は少し緊張しつつも期待に胸を膨らませて店のドアを開けた。昨日と同じように心地よいベルの音が迎えてくれる。彼が店内に足を踏み入れると、すぐにあの女性がカウンターから顔を上げた。


「いらっしゃいませ!」

「ど、どうも」

「あはは、昨日のお客さんだよね。お帰りなさい」


彼女は昨日と変わらない、いや、それ以上に輝いている笑顔を見せてくれた。その瞬間、大樹の胸は再び高鳴った。自分を覚えてくれていることに驚きつつも、嬉しさがこみ上げてくる。


「どうぞ、お好きな席に座ってね」


大樹は昨日と同じ席に座り、メニューを手に取った。だが、正直に言うと、彼は何を頼むかよりも、彼女と話すことの方が頭にあった。


「あの……昨日と同じカプチーノをお願いします」


彼女が注文を取りに来たとき、大樹は少し声が震えていることに気づいたが、なんとか言葉を絞り出した。彼女はその注文を聞いて、ニコッと微笑んだ。


「もちろん!昨日のカプチーノ、気に入っていただけたみたいで嬉しい」


大樹は彼女のその笑顔を見て、少しでも自分の思いが伝わったのかもしれないと感じた。彼女がカプチーノを準備している間、大樹はふと周りを見回し、店内の落ち着いた雰囲気を再確認した。心が落ち着くような、そんな空間だった。


「お待たせしました、カプチーノです」


彼女がカプチーノをテーブルに置くと、大樹は自然と顔がほころんだ。昨日と同じ、優しい香りと温かさがそこにあった。


「本当に美味しいです。昨日も言いましたけど、改めてそう思いました」


大樹が素直な気持ちを口にすると、彼女は照れくさそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。お客様にそう言っていただけるのが、一番の励みになります」


その言葉に、大樹は少し勇気を出して聞いてみた。


「その……、もし差し支えなければ、あなたの名前を教えてもらえますか?」


彼女は一瞬驚いたようだったが、すぐに笑顔を取り戻し、優しく答えた。


「私の名前は、花井萌果(はない もえか)です。よろしくお願いしますね」

「花井さん」

「萌果って呼んでよ。ここではみんなそう呼んでるし」

「萌果さん……素敵な名前ですね」


大樹はその名前を心の中で何度も繰り返した。萌果という名前が、彼女の雰囲気にぴったりだと感じたからだ。そして、彼は一呼吸置いて、自分も名乗ることを決意した。


「僕は、黒羽(くろば)っていいます。こちらこそ、よろしくお願いします」


自分の名前を告げたとき、大樹は少し緊張していたが、萌果はその言葉に優しくうなずいた。


「黒羽さんですね。で、下の名前は?」

「え?」

「下の名前。私だって教えたんだから教えてよ」

「大樹(たいき)です……」

「大樹くんね、よろしく!」


彼女のその言葉に、大樹は一瞬心が軽くなるような感覚を覚えた。こんな風に自然に自分の名前を伝えられたのは久しぶりだった。


「大樹くん、ここにはいつでも遊びに来てよ」


萌果はそう言って、再びカウンターへと戻っていった。その後、大樹はカプチーノを飲みながら、店内で過ごす時間を存分に味わった。


「萌果さん」


大樹は昨日と同じ言葉を心の中で繰り返し、カフェ「黄色いチューリップ」を後にした。外に出ると、夕日が温かく街を照らしていた。大樹の頬も色がついていた。

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