第5話 『そして、神代紗悠は』
「——以上が、僕の話です」
ご静聴ありがとうございました。
話し終えて、一息吐く。
こんなに長い時間一人で喋ったのは何年ぶりだろうか。
しかも、取るに足りない自分語りを。
おそらく中学以来——否、小学生の時ですらここまで赤裸々に語ったことはない気がする。
小学生。
楽しさだけを追い求めていた、幼き自分。
「……」
話を聞き終えても、
顎に指を添えて、何やらじっと考え込んでいる。初めて見る表情だった。真剣そのものの横顔に、視線が吸い寄せられる。
どのくらいそうしていただろうか。
「……あの、神代さん?」
とうとう沈黙に耐えられなくなり、遠慮がちに声をかける。
神代さんは、たった今僕の存在に気づいたかのようにハッと顔を上げた。
「あ、千種君いたんだ」
たった今僕の存在に気づいたみたいだった。
「……もう部屋戻っていいですか?」
「ごめんごめん、冗談冗談。まったく、千種君は元気が良いなあ。ちょっとはリラックスしようよー」
笑いながらバンバン背中を叩いてくる神代さん。地味に痛いから止めて欲しい。
「いや、あなたのせいで——」
口にしかけた文句は、途中で止まる。
彼女に言われて、自分の背中が異様に強張っていることに気づいたのだ。そういえば、さっきから肩にも力が入っている。知らず知らずのうちに緊張していたということだろうか。
大学の発表でも大して緊張しないというのに。
「それだけ、今の話が君にとって大事ってことでしょ」
あっけらかんと神代さんは言う。
先ほどまでの真剣な雰囲気は、幻のように跡形もなく消え去っていた。何だったのだろうか、アレは。
それから彼女は口元に微笑を湛えて、
「とにかく、話してくれてありがとう。おかげで君のことをよく知れたよ」
「あっ、はい……それはどうも」
気の抜けた返事を返す。
何だか拍子抜けした感は否めないが、お気に召したのならなによりだ。
このまま解散の流れか——そう思って腰を浮かしかけた時、些細な違和感が胸のうちに過った。
「……『わかった』とは言わないんですね」
よせばいいのに。この口は。
神代さんは特に驚いた様子は見せなかった。
むしろ想定内と言わんばかりの落ち着いた調子で、何でもないことのように口を開く。
「うん、言わないよ。だってわからなかったから。わからないものに対してわかるなんて軽々しく言えないよ。自分に嘘をつくことになっちゃう」
彼女の言葉が引っかかる。
けれど引っかかりの正体が掴めず、小骨が歯に挟まっているような不快感だけがあった。
わからなかったから。
どうしてだろう。
どこかに論理の飛躍があっただろうか。
内心が表情に出ていたのだろう。
神代さんは「あははっ」と笑い、
「大学生だねー。でも違うよ、そういうことじゃない。これはディベートじゃなくてコミュニケーションだよ、千種君」
「それはまあ、そうですけれど……」
「私は最初に言ったはずだよ。私は君の心が知りたいんだって。心——つまりは本心をね」
本心。本当の心。心からの言葉。
「いや、だからそれはさっき話した通りで」
「——『人はいずれ死ぬ。だから日々を適度に適当に生きる』、か」
神代さんは諳んじた。
僕の信条。信念。価値基準。
神代さんはニコッと笑み、
「もちろんそれも千種君の本音なんだと思う。でなきゃ、冗談でもそんなことは言えないもんね。けれど、それだけじゃないでしょ?」
続きがあるはずでしょ?
僕を見つめるその目が語っていた。
続き。信条の——心情の、その先。
「君は言っていたよ。その口で言っていたよ。退屈が変わるかもしれないって。飛び降りたら変わるかもしれないって」
確かに、言った。この口で。僕が。
「それってさ——君は変わりたいと思ってるってことでしょ?」
「——ぁ」
彼女の言葉を受け、違和感の正体にようやく気がつく。
そして、自分で自分が恥ずかしくなった。
なんて僕は愚かなのだろう。
論理の飛躍どころではない。
僕が無視していたのは論理などではなく。
僕自身だ。
虚しい人生。退屈な人生。
無聊を託つ自分を肯定するために、これまで信じ続けてきた。
人はいずれ死ぬ。だから日々を適度に適当に生きる。
臥薪嘗胆も無為徒食も、死んでしまえば結局は同じこと。だからこれでいい。毎日恙無く、適度に適当にやり過ごす。生きてさえいればそれでいい。
僕の人生はこれでいいのだと。
しかし、彼女——
退屈な日々から抜け出すこと。
それを僕は希っているのだと。
彼女の言う通りなのかもしれない。
ただ、たとえそうだとしても。
「……でも、僕は飛べなかった」
出てくるのは自虐の言葉。
そうだ、僕は飛べなかった。
夢想しておきながら、その夢想を足蹴にした。
変わるわけがないと自分で自分を嘲笑った。
諦めて今日と同じ明日を迎えようとした。
結局、僕はその程度の人間なのだ。
あの日からずっとそうだ。
追いかける夢がない。成し遂げたい目標がない。頑張る目的がない。滾る情熱がない。惹かれる興味がない。
すべてを捧げられる生きがいがない。
ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。
「——僕には、自分がないんです」
どんなに変わりたいと願っても。
何とかしたいと望んでも。
それが出来るだけの、自分がない。
絞り出した一言は、自分でも驚くほどの熱を帯びていた。本当に僕の口から出た言葉なのか疑いたくなる。
「……自分がない、か」
神代さんの声が聞こえる。
そこにはいったいどんな感情が乗っているのだろう。
わからない。
さっきまでとは別の意味で、まともに彼女の顔を見ることが出来ない。
それっきりお互い無言のまま、時間だけが過ぎていく。一秒、一分と、無情な時が刻まれていく。だけれど、夜明けまではまだ遠い。これだから長い夜は嫌いなのだ。
いっそこのまま帰ってしまおうか——そう思った刹那、音が聞こえた。
パンッと。重苦しい空気を切り裂く音。
神代さんが手を鳴らす音だった。
「——よし! わかった!」
そして神代紗悠は、天に向かって叫ぶ。
わかった? 何が? 急にどうした?
数多の疑問符を踊らせる僕。
そんな僕の目を真っ直ぐに見返して、神代さんは高らかに宣言した。
太陽のような声で——太陽のような笑顔で。
「じゃあ見つけに行こうよ! 千種君の自分ってやつを!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます