第4話 『千種奏斗の独白』

『人はいずれ死ぬ。だから日々を適度に適当に生きる』


 これこそが僕が有する絶対的な信条であり、揺るぎない信念であり、信じて疑わない価値基準である。


 そう思うようになったのは、いったいいつの頃からだっただろう——などと嘯くつもりはない。


 時も、場所も、人も、原因も、何もかもはっきりしている。


 小学生の頃は良かった。


 あの頃は純粋に、純朴に、純白に、毎日、ただひたすらに楽しさだけを追い求めていたと思う。


 幼いなりに勉学に励み、休み時間は校庭で戯れ、放課後になれば近所の公園で遊ぶ。休日は家に集まってゲームをして、飽きたら外に出て走り回った。


 教室に掲げられた『みんななかよし』の標語の通り、みんな一緒だった。もちろん、その中でも特に仲が良い集まりというか、グループというものはあったと思う。当時は明確な線引きはされていなかったけれど——いわゆる『目立つグループ』や『目立たないグループ』なるものも存在していたのだろう。


 だけれど、そのグループの間にもきちんと繋がりがあった。クラスという大きな単位の中で、それぞれのグループが——何より人同士が、有機的に繋がっていた。


 色々な意味で、クラスはひとつだった。


 僕は決して友達が多い子どもではなかったけれど——少なくとも孤独ではなかった、と思う。


 孤独は生きにくい。

 それは、小学生の知性でも何となくわかる。


 だから、みんな一緒だった。

 自然と一緒になろうとした。

 楽しかった。


 中学生になった。


 僕は成長した。彼らも成長した。


 他人には自分とは異なる個性があることを知った。


 小学生の時にもぼんやりと存在していた『グループ』。多様な個性がありつつもそれを尊重し、有機的に繋がっている——と思っていたそれは、実は似通った個性が集まって構成されていることを知った。


 ——そして、その個性は、個人のヒエラルキーに直結するという事実も。


 その頃の僕は思春期を経て、元来の引っ込み思案で物静かな性格が顔を出していた。


 同じ地区内で進学するだけなので、中学校に上がったところでそこまで交友関係に変化はない。けれど、僕の立ち位置は明確に変わった。


 小学生の頃から仲良くしていたグループ。小学生の時には遠慮なく話せていた人たち。そんな人たちとのコミュニケーションにおいて、僕は次第に『聞く側』に回ることが多くなった。


 話を聞き、適度に相槌をうつ。

 自分から発言はしない。

 集団で歩く時はだいたいいつも最後尾。


 休み時間も一人でいることが多くなった。

 いつからか、彼らと話すことも少なくなった。


 その性格が災いしたのだろうか。


 狭い教室の中で、『千種ちぐさ奏斗かなとを軽んじよう』という空気が形成され始めたのだ。


 率先して行動していたのは、つい最近まで一緒のグループのはずだった人たち。


 直截暴力を振るわれたり、暴言を浴びせられたわけではない。だけれど、意識すればこちらが気づく程度の声で、言葉で、態度で、伝えてくるのだ。


 教室の後方で、集団で。


 ——俺たちはお前を馬鹿にしていると。


 嗤いものにしていると。


 僕が席を立つ。嗤いが起きる。

 僕が名前を呼ばれる。嗤いが起きる。

 僕が寝たふりをする。嗤いが起きる。


 僕がいる。嗤いが起きる。


 僕は本当に一人になった。


 孤独——否、これは孤立と呼ぶべきだろう。


 いつからか、何か行動を起こすこと自体が怖くなった。


 だけれど、決して学校は休まなかった。休んだら終わりだと思った。


 そして、自分の座席に突っ伏し、いつものように嘲笑を浴びせられながら——僕は知ったのだ。


 人との繋がりは簡単に切れてしまうことを。

 昨日まで友達だった人たちが、今日から自分を脅かす敵になり得ることを。

 人間はいとも容易く残酷になれてしまうことを。

 何か気に入らない。たったそれだけの、理由にもなっていない理由で、他人を見下し、軽んじ、蔑み、貶める行為が出来ることを。

 人はその行為を見下し、軽んじ、蔑み、貶めているわけじゃないのだと思い込めるということを。

 その思い込みだけで、自身の行為が正当化できてしまうことを。


 そして、世の中にはどうしようもない理不尽があることを。

 個人の力ではどうすることもできない不条理が存在することを。


 人生とは——かくも虚しいということを。


 僕は、知ったのだ。


 結局、その行為は卒業まで続いた。


 時を経て、僕は高校生になった。


 必死に勉強して、僕の中学から合格者が出たことのない、地方有数の進学校に進学した。


 中学時代に経験した数々の絶望。戒め、教訓にした絶望。


 僕はまたもや成長してしまったのだ。


 絶望を引き摺ったままの僕は、人と関わることを諦めた。誰かに心を開くことを固く禁じた。


 初めから一人でいれば、余計な傷を生まなくて済む。仲良くなるから仲悪くなるのだ。


 幸いなことに、進学校の高校生は幾らか大人だった。ほとんどの人が自分の進路に必死で、適度に他人に無関心だった。


 部活動には入らず、かといって何か他に習い事をしていたわけでもない。アルバイトもやっていなかったし、そもそも校則で禁止されていた。

 どのような形であれ、とにかくコミュニティに所属することが嫌だった。行動を起こすことが嫌だった。


 朝起きて、学校に行き、勉強し、帰路に着く。

 宿題を片付け、ご飯を食べ、お風呂に入り、寝る。


 そんな毎日を繰り返して三年の時が過ぎ、大学受験を迎えた。


 別に大学でやりたい研究があったわけではない。


 進学校だから。ただそれだけの理由で、自分の学力で受かりそうな大学を選択して進学した。


 実家近辺では見つからなかったので一人暮らしをすることになってしまったのは予定外だったけれど、両親はすんなり送り出してくれた。素直にありがとうと思う。


 そうして迎えたキャンパスライフ。


 世の中には『夢のキャンパスライフ』なんて言葉があるらしいけれど、そんなものはまやかしだ。


 大学という空間は中学校や高校とは違い、自分から行動を起こさない限り、交友関係なんて形成されないのだ。つまり僕にはどだい無理な話。


 朝起きて、大学に行き、勉強して、帰路に着く。

 晩御飯を作って食べ、お風呂に入り、寝る。


 高校生の頃とほとんど変わらない毎日を繰り返して——次第に、とある思いが僕の頭を支配する。


 ああ——なんて退屈なのだろう、と。


 人生に絶望し、人と関わることを諦めたあの日から、僕はあらゆることに対して無気力になった。情熱がなくなった。


 目に映るものすべてがどうでもよくなった。


 高校時代、部活動で県大会までいった奴がいた。すごいと思う。でも僕にはそれが出来ない。


 将来の夢を叶えるため、この大学でこの分野の権威に学びたいのだと言う奴がいた。素晴らしいと思う。でも僕にはそれが出来ない。


 大手企業に入社するため、今の時期から積極的にインターンシップに参加している同回生。専門職に就くため、日夜資格の勉強に励む同回生。


 みんな素晴らしい。素敵だ。


 僕とは別世界の住人たち。


 ああ——僕の虚しい人生。退屈な人生。


 だけれど、しょうがないじゃないか。無理なものは無理なのだから。


 そして、それを——いつしか僕はこう考えるようになったのだ。


 ——人はいずれ死ぬ。絶対に死ぬ。

 

 寿命だろうが病気だろうが事故だろうが殺人だろうが自殺だろうが、絶対に死ぬ。


 そして死ねば、すべてが無くなる。


 だったら、彼らの情熱溢れる輝かしい人生も、僕の平凡極まる退屈な人生も結局は同じではないか。


 結果が同じなら——過程がどうであろうと関係ない。


 彼らの日々も——僕のこの日々も。


 だから僕は、今日も唱える。


 ——人はいずれ死ぬ。だから日々を適度に適当に生きる、と。

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