第3話

 私は、男の子になっていた。


 その事実を受け止められずにいた私は、洗面台の鏡の方へと向かった。

 下げていたズボンに足を取られ、転びそうになりながらも、なんとか洗面台へと辿たどいた。


 鏡にうつる見知らぬ少年の顔。


 められているとは、とても思えない自然な桜色ピンクの髪に真紅の瞳。

 あさ寝間着ねまきを着た可愛らしい少年が、マヌケづらで鏡をのぞんでいた。

 これが私なのかと、しばらくの間、自身の顔を両手でベタベタと触りまくってしまった。

 プニプニとしたやわらかなほほの感触が伝わって来た。


 ――これが、若さか。


(今は、自分のものにもかかわらず、)そのしっとりとした肌に思わず嫉妬しっとしてしまった。


 ようやく心が落ち着きを取り戻した時、私は、深いため息を一つ吐いた。


「大丈夫ですか?」

 ノックの音と共に彼が声を掛けて来る。

「今、戻ります」

 私はそう返事をすると、軽くほほを二回叩き、気合を入れて浴室をあとにした。


 ベッドに戻った私を待ち受けていたのは、二人からの熱い視線だった。

 もちろん、良い方のものではない。私からの説明を期待してのものだ。


「あ、あの、その前に、お二人のお名前を――」


「そうでしたね。はやる気持ちをおさえられず、自分達の事ばかり考えておりました。失礼しました。私の名は、カミール。アーサー様の従者です」


 ――この人は、『カミール』と言うのか……。


 私は、そんな事を考えながらも、彼の青く輝く瞳に魅了みりょうされていた。


「俺の名は、セドリック」

 私は、ハッとして声のぬしの方を向く。

「普段は、王都で働いているが、こうやって定期的にアーサー様のもとへとやって来て、近況を報告している――まぁ、そんな感じだ」

 何か複雑な事情でもあるのだろうか? 上手くは言えないけど、何かを誤魔化ごまかそうとしているようにも見えた。

「で、お前は、何者なのだ?」


 ――ついに来た。核心の質問。


 でも、私には、もう一つ聞いておきたい、いや、聞かなければならない事があった。


「その前に、私について……。いえ、この体の持ち主の方について教えていただきたいです」


 私の言葉を聞いて、二人は互いの顔を見合わせていた。


「良いでしょう。お話します」


 カミールは、そう言って『アーサー』について教えてくれた。


 この体の持ち主である少年の名前はアーサー。この国の第一王子であり、この屋敷の主人しゅじんでもある。彼の上には、姉が二人いるらしいが、この屋敷に彼の家族はおらず、多くの使用人と共に暮らしていたようだ。


 その可愛かわいらしい容姿ようしと優しい性格を持ち合わせ、誰からも好かれていた理想の王子様であったとの事だ。

 その為、今回の自殺について、誰も思い当たる事が無いらしく、全くのなぞという話だった。

 私は、彼の自殺の理由について、多少は気にはしていたが、それ以上の大きな疑問をかかえていた為、それどころではないというのが正直な感想だった。

 そして、何より今は、かつての私がせ、『アーサー』という少年になってしまったという事実を受け入れる他なかった。


「それでは、貴方のお話をお聞かせ下さい」


 ――ついに来たか……。


 私は、全身に変な汗が流れるのを感じた。


「私は、この世界の人間ではありません。異世界……。つまり、別の世界から来ました」

「お前、何を言ってるんだ? うそをつくにしても、大胆過だいたんすぎる。そんな話、誰が信じると言うのだ」

「セドリック様、落ち着いて下さい。まずは、話を聞きましょう」


 セドリックは、不満そうに腕を組み、だまんでしまった。しょぱなからこの状態では、先が思いやられる――私は、心底、困り果てた。


 私は、この後、自身の住んでいた世界について、そして、日本について、丁寧ていねいに話した。話をすればするほど、彼らの信じられないといった表情が増していく。


 その一方で、彼らは、私の話に興味津々きょうみしんしんだ。

 娯楽ごらくが少ないせいもあるのだろう、二人は、少年のように目をキラキラとかがやかせがら話をっていた。

 私は、そんな二人を見て、思わず可愛かわいらしいと思ってしまった。


 二人がこんな状況である。

 彼らが自身の環境との違いに大きなリアクションをするたびに、私にも、この世界についての情報がって来た。


 どうやら、この世界は、中世ヨーロッパのような世界観で、科学の代わりに魔法が発展しているというヲタクであればお馴染なじみの設定のようだ。

 その為、日本人の私には、すんなりとそれを受け入れる事が出来た。


             *


 あれからどれだけ時間がたったのだろう。

 私は、話疲はなしづかれていた。友人の子供に遊びをせがまれ続け、クタクタになった時のような心境しんきょうだ。


「つまりお前は、異世界から来た人間だと言いたいのだな」

「ですから、最初からそう言っています」

「しかも、中身は女だと」

「ええ、そうです」

「うむ~」

 セドリックは、うなごえを上げながら、考え込み始めてしまった。


 ――取り調べってこんな感じなのかしら……。


 正直、そろそろ解放して欲しい。それが素直な感想だった。


「だが、どうしたものかな」

「そうですね。ですが、彼女――は、自分がアーサー様でない事をすぐに報告してくれました」

「そんなうそ、きっとぐにばれてしまいますから……。そうであれば、先に言ってしまった方が――」

「確かにそうだが、記憶喪失だのなんだのと、いくらでも方法はあったはずだ。でも、お前はしなかった」

「そうです。貴女はそうしなかった。誠実な方のように思えます」

「べ、別に、そんな……」


 いんキャな私は、められたような感じがして、急にくさくなってしまった。


「私は、信用しても良いのではないかと思います」

一旦いったん保留ほりゅうだな。判断材料に対して、想定しなければならないパターンが多過ぎる」

「例えば、どんな?」

「こいつが、本当の事を言っている場合。とんでもない詐欺師で今の話をでっち上げている場合。アーサー様のままだが、混乱して戯言たわごとを言っている場合。いくらでも想定出来る」

「確かにそれくらい突拍子とっぴょうしもない話ではありますね」

「と言う訳だ。当分の間、監視させてもらう事になる。窮屈きゅうくつな生活にはなると思うが、我慢がまんしてくれ」

「あ、はぁ……」

 私は、気の抜けた返事をしてしまった。


「身の回りのお世話は、私や使用人がさせていただきます。そこまでひどあつかいにはならぬよう対処させていただきますのでご安心下さい。貴女の話が本当だとしたら、相当そうとう、お困りでしょう。何かあったら、遠慮なく言って下さい」

「あ、ありがとうございます」

「あっ、あともう一つ、大事な事がある。お前には、アーサー様を演じて欲しい」

「えぇっ!?」

「大きな混乱はけたい。私とカミール以外、この話はしないで欲しい。ここだけの秘密だ」

「わ、分かりました」

「それから、これからは、自分の事は『僕』と言え。それに女言葉もひかえて欲しい。あと、敬語も不要だ」

「わ、分かりました……」

「言ったそばから!」

「あっ。わ、分かったよ」

「それで良い。はぁ~。今日は、なんて日だ」

 大きなため息を吐きながら、セドリックは、部屋を出て行ってしまった。


 ――ため息を吐きたいのは、こっちの方だ。

 私は、心の中でつぶやいていた。


 こうして、私は、この世界で『アーサー』として生きる事になった。

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