凪の夜
十年前、小町の訃報を僕にもたらしたのは、折原だった。彼は電話口から、それまでに聞いたことのないほど切羽詰った声で、ネットニュースを見てみろ、と怒鳴った。わけのわからないままパソコンでポータルサイトを開くと、「ポルトガルで列車事故 日本人女性が死亡か」という見出しが飛び込んできた。僕はリンク先に広がる文章を、息をすることも忘れて読み込んだ。それから、ポルトガルの日本大使館に電話をかけた。
そのあたりから、当時に自分がどのような行動をとったのか、というたしかな記憶は途絶えている。僕のこれまでの人生を二つの区分に分けるとしたら、間違いなくその時点が分水嶺になるだろう。
小町の訃報が飛び込んでから間もなく年が明けた。センター試験も、会場になんとか向かえたというだけで、結果は無残なものだった。受かった大学は一つだってなかった。小町という存在を喪ってしまってから、僕は本当に、なにも手につかない状態になってしまった。
そんな僕を叱咤激励したのが、折原だった。彼にしたところで、大事な友人を亡くしたばかりだというのに、悲しむ素振りを決して見せることなく(実際のところは、僕が察せなかったというだけなのかもしれないけれど)、時に寄り添い、時に厳しい姿勢で向き合ってくれた。そして僕の両親にも、僕が無気力な状態になってしまった理由を伝えて、その心境を理解してやってほしいと訴えてくれたらしい。おそらく、折原のそういった配慮がなければ、僕の人生は想像もつかないほど荒んで、今よりもずっと陰惨なものになっていただろう。
大学に通えず、かといって浪人生としての務めを果たせそうにもない僕を見かねたのか、折原は上京を先延ばしにして街に残ってくれた。
それからの一年、ほとんど毎日のように僕の家に通い詰め、様子を見に来てくれた。折原とは長い付き合いになるけれど、彼と最も密に過ごしたのは、僕たちが十九歳になったその年かもしれない。
とにかく、僕は折原のケアの甲斐もあり、一年間の浪人生活を経て地方の県立大学に合格した。そして進学に際して街を出て、一人暮らしを始めた。あの街にいる限り、僕は小町の残像を振り払うことができない気がしたからだ。
知らない場所で、知らない人間に囲まれながら、僕は大学に通った。親の仕送りに頼らずとも最低限の生活を送ることができるよう、アルバイトもした。けれど、その四年間は僕にとって色を持たない、孤独で無味乾燥な日々の連続だった。楽しいと思えるようなことはなに一つとしてなかった。そうしなければ自分が駄目になってしまう――うまく言い表わせないけれど、そうすることをやめてしまったら僕はこの世界から消えてしまう――という切実な危機感に駆られながら、僕はプログラムをこなすように淡々と大学に通い、講義が終わるとアルバイト先に向かった。
けれど、いくら僕が他者との関わりの一切を不必要としていても、大学に通い、アルバイト先で接客をしていると、否応なく他人と関わる瞬間が訪れる。いつしか僕は、望まないコミュニケーションによって生じるストレスから逃れるために、対外的な関わりを一任する人格を己の中に作り出した。小町という存在を喪い、これ以上ないほどに傷ついた心に、更なる刺激を与えることのないように外の世界にうまく向き合うには、そうやって立ち回る他なかったのだ。
その役割を担う、意図的に生み出された人格の基礎は、折原だった。要するに僕は、十年以上の関わりの中で取り込んだ折原という人間のパーソナリティを自分なりに再現して他人と関わろうと試みたのだ。随分と荒唐無稽な話に思えるかもしれないけれど、要するに口調や、一人称や、関わる相手との距離感を、状況に応じて意識的に変えてみるという、ただそれだけのことだった。交友関係の広がりを期待せず、相手にどう思われているか、自分の言動がどう捉えられているかという、他人からの全般的な評価がほとんど気にならなくなっていた僕にとって、そうやって立ち回るのは特に難しいことではなかった。
折原という人間を模したペルソナを被ることで、僕はどうにか二十代の生活を送ってきた。それを脱ぐことが出来たのは、一人きりで過ごしているとき、電話越しに家族と話すとき、そして、当の折原本人と向かい合っているときだけだった。
そんな風に、己の中にもう一つの人格を作り出してまで、自分自身を傷つけまいとすごした僕がただ一つ、意識的に取り組んだ行為があるとするならば――それは小町の死を悼むことだった。なにもすることがない日があると、僕は一日中、一人きりの部屋から出ることもなく、花家小町という存在が喪われてしまった事実を噛み締めた。涙を流したり、過ぎ去った時間に思いを巡らせたりするようなことはせず、粛々と、黙々と、喪失という名の沼に身を浸らせていた。
つまり、進展ではなく停滞を選んだ。絶望の中に沈殿した日々から、浮上することを拒んだ。主体性だとか、必要性だとか、生産性だとか、そんな言葉から遠くかけ離れた二十代の日々を、今日まで僕は送ってきた。
けれど。
今の僕は、ハンドルを握り、夜の高速道路を走っている。目的がある、目的地がある、という感覚を、随分と久しぶりに実感している。
慣れない運転のせいか、身体はまだ少し強張っている。けれど、不思議と穏やかな気分だった。もっと言ってしまうと、悪くない心地だった。
僕はきっと、目の前に広がる、オレンジ色の道路照明が延々と続いているこの光景を、自分の人生を象徴する一つのシチュエーションとして、生涯記憶することになるのだろう。そして、なにかの折に同じような光景を目にしたとき、きっと今日という日のことを思い出す。小町の死から十年が経った夜、僕はなにを思い、どんな気持ちでハンドルを握っていたのか……そんなことを鮮明に思い出すのだ。
それは、小さくもたしかな予感だった。
大学に進学した二十歳の年に離れて以来、地元に足を踏み入れるのはこれが初めてのことだった。僕は、まだ日も昇らない明け方の五時に実家の鍵を開けた。事前に連絡を入れておいたからか、両親は共に起床していて、僕を出迎えてくれた。僕の暮らしている町を訪れた二人と会ったり、電話を通して話したりすることはこれまでに何度となくあったけれど、こうして実家のダイニングテーブルを挟んで顔を突き合わせるのは本当に久しぶりのことだった。僕はまず、九年もの間、実家に顔を出さなかったことを詫びた。折原のおかげで、十年前の冬になにがあったのかを両親は知っていた。だから、咎めるようなことはなにも口にせず、僕の謝罪を受け入れてくれた。
適度に休憩を挟みながらとはいえ、七時間近くかけてここまで車を走らせてきたためか、身体は休息を求めていた。横になりたいと伝えると、かつて僕が使っていた部屋に布団を敷いてあるとのことだった。そこは今、父の書斎になっているという。ドアを開けると、たしかに僕のベッドや勉強机なんかは処分されていて、代わりにデスクトップのパソコンが載ったデスクや、小説や専門書なんかが並べられた本棚が入っていた。部屋の真ん中に、整然とした空間に似つかわしくない花柄のカバーがかかった布団が敷かれていた。その横には、おそらく普段は父が使っているのであろうパジャマが畳まれていた。僕はそれに着替えて、布団に潜り込んだ。
まだしばらく、夜は明けそうにない。天井を見つめていると、自然と小町のことを思い出した。小町が、初めてこの部屋に来たときのことだ。あのときの僕は、くだらない男のくだらない言葉を聞き流せずに暴力を振るい、停学処分を受けて、その罪悪感から彼女を避けるように過ごしていた。そんな中で、突如として現れた彼女に赦されて、僕は泣いた。そして、初めてのキスをした。
あれから、十年余りが経った。あのとき一緒に過ごした部屋はその面影をなくし、僕は街を出て、彼女はこの世を去ってしまった。
そうやって、数多の出来事を包含して進む時の流れに小町の死を落とし込むことを、今日まで僕は避け続けていた。それはすなわち、僕がずっと小町の死を抱え込んできたことを意味する。止まることなく進む時間の中に事実を浸すことを拒み、誰にも触れられないように、たった一人でひっそりと守り通し、その死を悼んできた。
「小町」
布団の中、天井に向かって、名前を呼ぶ。そうしたことに、他でもない僕自身が驚いた。その名を口にするというのもまた、僕がずっと避け続けていた行為の一つだったからだ。
強く目を閉じる。彼女の名前を呼ぶことで、様々な感情が蘇るのを覚悟した。けれど、僕の心は、風のない夜の穏やかな湖面のように凪いでいて、そこになにかが落とされることはなかった。
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