第二章【3】

【三】

 母の名前は真田桃香。

 かつていた魔法少女が生み出した使い魔。

 それが彼女の奥義によって”友達”になるという願いを叶え、それからは人間として生きている。

 戦いを終えた魔法少女は、日常に戻り、そして亡くなった。

 母から聞いた話はそれくらいだった。

 親友・家族を亡くす辛さは知っていたから、それ以上は知ろうとしなかった。

「久しぶりだね。桃香」

「……そうね」

 罅割れた声。俯いた顔。

 相手を真正面から見ることができない母の姿を、息子は初めて目にした。

 衝撃的な姿だった。

「な、なあんだ市長かよ。おいおいただのマッチポンプってことか! 大したことねえオチじゃん!」

 言及している対象ではなく、騎士である母に確認しようと、少年は叫んだ。

 市長のことはずっと憧れていた、ファンだった。

 しかし、それはあくまでスポーツ選手に憧れるのと同じ意味だ。

 家族の様子がおかしいのなら、そちらを優先する。

 量の拳を握りしめた母、桃香は下唇を噛みしめる。

「まずは労おう。よく頑張ってくれたね、ナイトスター。交雑乙女、暴走するのを恐れていたのだが、とても順調に倒してくれている。新人にしては大したものだ。あの夜、君にお願いしたのは正解だった」

「ああ!? テメェがあの夜に来なくてもすぐにやっつけてたけどな!」

 母の代わりに真田剛樹が凄んだ。

 市長、まだ不安定な自分を認め、一人の男して見てくれたと考えていた相手。

 敵だったというのはショッキングだが、それでもあまり動揺がない。

 相手を疑っていたわけではなく、それどころではないのだ。

 背後に騎士を置き、魔法少女を守ろうと鎖を構える。

 コンディションは最悪だ。

 遠。キャナリークライと本来は勝てるはずのない戦闘強者と手合わせしてきたのが心身の機能を大きく乱していた。

 これ以上の戦いを続けたら、心労で倒れるのが必死。

 それでも、ここで突っ張れるのは自分だけという事実は、真田剛毅をいたく強がらせた。

「それでなんだ交雑乙女の力が盗まれただの適当言いやがって!! お前が全面的に指示してただけじゃねえか! 何が狙いなんだ! 俺には交雑乙女を倒せと言って、こいつらには俺を倒せと依頼するなんてよぉ! いや言わなくていいぜ、どっちにしたって今から俺のゲンコツが火を吹くからな」

「君に言っただろう。私の目的は一貫して”魔法少女の力を普及させる”だ。そのためには、データが欲しかった。君と、交雑乙女の両方だ」

「なんで素直に頼まねえ! 俺達の情報をヤクザに渡しやがって、おかげで妹だって帰国しても可哀想に避難生活かもしれねえぞバカヤロー!!」

「最終的には君を殺すからだ」

「おーじゃあ今すぐ殺してみろや」

 もはや売り言葉に買い言葉だ。

 母がこうも揺れているなら、真田剛毅が全力でぶつかる他ない。

 それ以外にやりようがあったら、少年は誰かに教えてほしかった。

「待って!!」

 息子の肩を強く掴んで、母が後ろに下がらせた。

 騎士が復帰したか。

 それならば彼に引くつもりは毛頭ない。

 そもそもこちらは三人だ。

 市長がどれだけ強いとしても、魔法少女に、騎士と遠の二人が協力してくれれば勝てないわけがない。

 だのに、どんな毅然とした面持ちかと、後ろから目を凝らすと、桃香はとっくに敗北をしているかの如く敵に従順だ。

「あなたに身を捧げます。だからこの子に手を出さないで」

「それは無理だ。わかるだろう。君は私の親友だ。それは本当に最後の手段にする」

 市長の言葉に、焼きごてを押し付けられたお見紛うほどに桃香の全身が震えた。

 その言葉に真田剛毅は訝しんだ。

 二人に強い関係があるのはわかるが、そこまで深い関係とは。

 あまり自分のことを話さない桃香ではあるが、それでもママ友を除けば彼女の交友関係はゼロだ。

 当然、市長は誰かのママではない。

 後はもう亡くなったという、かつての……

「いやまさかありえねえな。おい、テメエは何者だ! おふくろをナンパしようっつうのか! 自由恋愛を認めるにしてもなあ。家族を脅かすようなヤローは、俺は絶対に認めねえ!!」

 浮かんできたバカげた考えは、頭を振って却下する。

 とにかく自分が場を盛り上げるのだ。

 そうでなければ、親子揃って、敵にいいようにされる確信があった。

 テレビでもネットでも、弁舌によって相手を論破し、従わせていく姿は印象的だ。

 そして、悔しそうに押し黙る相手の姿も。

 真田剛毅も憧れた市長の姿だ。

「君が否定した考えそのものだ」

 交雑乙女の力を使って術を用いる姿はすでに見ていた。

 その時に彼が選んでいる双極は”赤ちゃん”だ。

 だから彼が、”それ”のはずはない。

 市長はあっさりと少年の推測を否定した。

「私は魔法少女だった。真田桃香を使い魔として生み出し、人間にしたのも私だ」

「嘘だ」

 頭部、額部分に手を当てて少年は呻いた。

 さんざんにおかしなものは見てきたし戦ってきた。

 ケツ悪魔、ジジイが変身した乙女。

 そして最後には元魔法少女。どう見ても外見が男だが、キャナリークライの例がある。

 ありえないことではない。少年の頭はおかしくなり始めていた。

 何処までもまともなのがいない。

 自分の姉に対して持っている敬意、尊敬の念。

 それをあざ笑うかのように、真田剛毅の魔法少女ライフでは、理想にしてた魔法少女らしさにそぐうイベントが一つもなかった。

「どうしてこんなことを? か。力を取り戻すためだ。魔法少女になったばかりの君は知らないだろう。力を失うことの重みを」

 母の様子を伺ってみるも、一切の否定がない。

「散々に蹂躙してきた子鬼の恐ろしさ。魔力を噴射するだけで払える呪雲が唯人には必死のものだ。魔法少女の力を一人に持たせるのは間違っている。だから私は長年に渡って研究した」

「………………………………………………?」 

 無言で話を聞き、真田剛毅は疑問に思った。

 ”これ戦う意味あるのか?”と。

 市長の思想に間違いはないように思える。

 むしろ協力してもいいくらいだ。

 交雑乙女と自分をぶつけあわせようとしているのは、この際は受け入れて良い気がした。

 これは話し合えば上手く収まるのでは?と少年は思った。

 だが真田剛毅は年齢若く、無知であった。

 相手が話し合おうとしない場合、それは多くのケースにおいて、相手にとっては”話すまでもなくこちらが敵とわかっている”ものだ。

「なあ、それは否定しないから、俺になにかできるなら――」

「だから私は君の姉、真田静に働きかけた。仲間が欲しくないか、と」

 先代魔法少女、プリティプディングの名を出され、真田剛毅の血が冷えた。

「なのにだ」

 悠然とし、堂々たる振る舞いを崩さない市長の声が憤りに震えていく。

 黄金の間に燃える炎……そんな印象を受ける変容だった。 

「あの女は断った! ”良いことだと思うけど、落ち着いてからにしよう”と!! バカげている!! 明日も知れない世界で落ち着いてから!? 待っていられるか!」

 話の雲行きが怪しくなってきた。

 姉の発言は……弟として無条件で姉の方を支持したいのをできるだけ除いても、間違っていないが市長の言うことも間違っていない。

 それでも市長から発せられる強い憎悪の念。 

 彼は言っていた。魔法少女プリティプディングとは、思想の点で同調したと。

 仲間、家族からの援助というのは、確固たる個を築き上げてから。

 市長の激昂は、それを否定しているように思えてならない。

「だから私は。私達は研究を始めた。原理はできていたから順調だったが”種火”が欲しかった。より私の研究が理想の結果になるために。計算したら膨大な魔力を要求するとわかった」

 母が言葉を出せないままに、話すのをやめてと手を伸ばそうとした。

 無視した市長は言葉を続ける。

 まるでそれが当然のことのように。

「真田静を殺し、私は不足を賄った。力を使い果たした彼女に銃口を向け、引き金を引いた」

 真田剛毅は何も言わなかった。

 遠だけが気遣うように少年の手を握ろうとし、炎を使う彼女が、火鉢に触れたかのように退いた。

 魔法少女を姉に持つ少年は、自分が力を持ったらどうするか考えたことはなかった。

 けれども、姉を尊敬し、背中に憧れ、空を飛ぶ様に夢を見た。

 実の両親はずっと姉にかかりっきりで、自分のことは無視していたが、それで良かった。

 ただ姉に無事に帰ってきてもらいたかった。

 目の前の男が殺したせいで。

「ああっ…………!!」

 母の真田桃香が口元を手で覆い、青褪めて後退る。

 “何に怯えているんだろう”と、真田剛毅は他人事同然に思った。

 次にこうも思った。

 “市長がママをいじめているんだ”

 “母さんを守らないと”

 “あいつを●●てでも”

 決意が歯の隙間から豪風と漏れた。

「GRRRRRRRRR!!」

 それは、人の声ではなかった。

 魔法少女でも、ツッパリでも到底ない。

 怒り、衝動。それに突き動かされて全てを壊そうとする生き物。

 獣、猛獣、魔獣ではない。

 少女と見紛う腕と足は鱗が覆う。

 瞳孔は縦に割れ、瞳の色が黄金の色に変じた。

 背丈が猫背に軽く丸まるが、華奢な背中から 両翼が生えた。

 意志の爆発。

 それが炎上に変わった。

「素晴らしい……」

 市長が輝かしきモノを迎え入れるかのように、全身を強張らせ、両腕を広げた。

「なっ、ええ……?」

「遠さん。ここからすぐに離れて」

 大楯を双腕に装着した騎士が守りを固める。

「でもおじいちゃんを置いていくのは……」

「ああ、それなら問題ない」

 市長が手を翳し、朱黒の闇を広げた。

 真田剛毅が魔法少女になった日も、キャナリークライが時間を止めた瞬間にもあったもの。

 今回は、冷血ゲンガーの全身に臍の緒が生えた。

 ついたのではなく、生えた。

 はじめからそうなっているかのように自然だった。

「さあ孵(オギャ)る時だ」

 市長が手を引く動作をすると、緒が抜かれ、老人の体から朱黒の塊が出てきた。

 サッカーボールくらいの大きさの球体。

 否、それは小さな手足があった。

 折りたたまれているが、たしかにそれは手足だった。

 一番大きな部位は頭部で、そこから柔らかい胴体が繋がった。

 赤ん坊の前段階、胎児だった。

「う、ううう……!」

「おじいちゃん!」

 血の色、臓腑めいた胎児を抜かれた松平源五郎の老化が急速に進んだ。

 眼窩が落ち窪んで皮膚が垂れ下がり、水分が抜けて、自然と歯が抜けていく。

 呼吸もなく、生気が絶えようとしている。

 もはや手の施しようがないことは誰の目にも明らかだった。 

「……舞踊がしてえんだろ?」

「話さないで!今、どうにかするから」

「もう好きにやれや。おめぇならすぐにてっぺんだからよぉ」

 最後の力を振り絞った冷血ゲンガーの枯葉めいた掌が、遠の頭に載った。

 そのまま、キャナリークライだった交雑乙女は事切れた。

「死んじゃった」

 事態を呑み込みきれない遠がぽつりと、呟いた。

 真田剛毅だったモノは、それを見て、咆哮する。

「GRRRRRRR!!」

「そうだ。来い」

 魔法少女のコスチュームを纏った物が手招きする。

 青の焔を口から吐きながら、それは突進した。

 魔法杖プリリンバースが十枚の爪になり、鎖は尾になった。

 鋭利な爪が無造作に市長の端正な顔に振り下ろされた。

 一瞬の交差によって真田剛毅は駆け抜けた。

 爪には血がつき、敵の肩が切り裂かれた。

 何故か竜の性質が発現した少年は、圧倒的な膂力とスピードがあった。

 これまでは家族や喧嘩友達を守ろうと思うと、内側より生じては昇って来た魔力。

 それが、本当は魔法少女ではなく、真田剛毅が“何か”であることに由来しているとわかる。

 ナイトスターが持つ身体能力の優に十倍にもなろうとしている。

「ごうちゃん!落ち着いて!! その姿になっては駄目よ。どんどん人の形から遠ざかるわ」

 母の叫びを無視して、剛毅は地面を蹴って加速する。

 市長の両肩に爪を突き立てようとすると、白銀の剣に払われた。

「さあ久々の愛剣を使ったダンスだ。せめてお手くらいはできる知能で向かってきてくれよ?」

「GAAAAAAARGH」

 開いた顎から青い炎が奔流した。

 魔法少女のコスチューム、交雑乙女の力でマントを顕現したそれによって炎を払う。

 そこに鱗の足が叩き込まれた。

 かつて魔法少女だった者が残像だけを置き去りに飛んで行った。

 速度と、怪力。

 極論だが強くなるにはその2つさえあれば事足りる。

 遠の武術も、キャナリークライの小細工も、力と速さでねじ伏せればいい。

 今の真田剛毅は持っていた、根源の……質量的な強さを。

 奇しくも、それは母、真田桃香の剛力に近かった。

 蹴り飛ばした市長が不敵に笑う。

 伸びる影となって牙が男の肩に刺さる。

 そのまま喰い千切ろうとするのをすんでで口を離す。

 危険を察知した真田が距離を取った。

 戦闘本能に基づいた反応。

 今の構造から人ならざるものになった彼にしてみれば、それだけで危機を脱することができる。

 しかし、市長は剣で突きに来た。

 高速移動ではない、瞬間移動としか思えない速度。

 龍人となった少年の肌が受け止め、表皮が甲高い音を発する。

 地下空間。

 魔法少女との戦いを想定して用意したエリア、その床を爪で剥がし、龍人が投げる。

 塊を剣が両断。

 その下を潜って顎で噛み付くのを、市長が柄頭を下ろして頭頂部を殴った。 

 倒れかけたのを踏ん張って、爪で斬り上げた。

 上体を反った市長が腕を翻して龍人の腕を斬り飛ばす。

「GYYYYYYAAAA」

 悲鳴をあげた剛毅が倒れたのを、桃香が駆けつけて守った。

 大楯が剣を弾く。

「悲しいね。かつての友が背を向けるか」

「お願いします。もうやめましょう!」

「ねえ、あれなんなのか知ってるの!? あの人、なんなの!?」 

 見知った相手が、目の前で人ならざる者の変容して戦っているということに、困惑した遠が金切り声をあげた。

「そうだな。真田剛毅くん。君はお母様から何も聞いていないのかい?」 

 含みをたっぷり持たせた問いかけだが、今の剛毅には物を考える冷静さがない。

 ただ唸り声をあげて、敵の喉笛に喰らいつくタイミングを見計らっている。

「それでは逆に訊こう。君は己に疑問を持ったことはないか?」

「貴女! それは……!」

 母が目を剥いて大楯を構えて突進した。

 市長は闘牛士のように重量級の質量をいなす。

「家族なんだろう? 私を捨ててまで優先した仲じゃないか。秘密はよくない」

「やめて!!」

 眉間に皺を寄せ、決死の形相で母が叫ぶ。

 彼女の苦しみにいち早く反応した真田剛毅が動き出す。

 龍人の姿が消失した。

 次には壁を走り、相手の背後に回った。

 壁を蹴って反動をつけ、超高速で相手を横切った。

「君はいつも姉のことばかり語って、想う。だがご両親はどうだ? 今の家族にまったく文句がないわけでもあるまいに、君は実の両親のことを考えたことがあるか? 彼らの愛情を恋しく思ったことは」

 実の両親、姉の父と母のことだ。

 彼らのことを考えることも、思い出すこともほとんどない。

 姉の父も母も、いつも姉にかかりっきりだった。

 そのことに不満や怒り、悲しみはさほどない。

 だって彼女は魔法少女なのだから。

 真田剛毅はそう受け入れていた。

 だから、言うなれば通り過ぎた昔だ。

「ありえないと思わないか? どれだけ姉思いとしても、親の愛情に未練を持たないのは考えづらい」

「あいつは何を言っているの?」

 遠の呟き。

 母が市長を黙らせようと決死に向かうも、彼女の動きの尽くを市長は読んでいた。

「私が君のお姉さんに魔法の使い方を教えた。私は友を作った。その方法を教えてと請われた。私は応じた。君のお姉さんは何を作った? 全力で慈しみ、守るために力の限りを尽くせる家族だ。特に、妹か弟ならなお良かった。だから君を作った」

 竜人の顎が限界まで開き。

 特大の炎玉を出した。

 地下空間の大半を埋め尽くす冷気の塊。

 周囲の温度が急速に冷えて、熱が焔に喰われていく。

 吸われた熱がどこに行くのかはわからない。

 ただ焔は吸い込むのみ。

 あの焔、ありえない青炎はエネルギー、熱量を吸い込み、蓄えるのだ。 

 財宝を溜め込むドラゴンのように。

「君はプリティプディングの忘れ形見、私達が言うところの使い魔だ。だから君は無条件に姉を愛す。それでも、桃香達と家族として過ごせたのは……卑しい嗅覚で新たな家族を同族と嗅ぎ取ったかな?」

 気づけば真田剛毅の表皮から鱗が剥がれ落ちて、牙が縮み、爪が鎖に戻った。

 ただ黙して語られる真実を聞いていた。

 市長が莫大な支持を得た理由の一つに、“弁舌”の上手さがある。

 たとえ反対意見の持ち主だとしても、その言葉には耳を傾けてしまう。

 否、耳を塞いでも心に流れ込んでくる。

「君が魔法少女の適性を持っているのも当然。何故なら、君は真田静の魔力で出来ている。もはや魔法少女ですらない。魔法そのものだ」

「ねえ……」

 人の形になった真田剛毅が震える声で助けを求めた。

 悲痛な面持ちで母が歯を食いしばっているが、何も言わない。

「本当なのか?」

 真田少年が心細さで弱々しく指を動かす。

「ごうちゃん…………私達は家族よ」

「だが君の母親は私に協力したぞ」

 心細さから母の胸に飛び込もうとする少年の足が止まった。

「交雑乙女を使う研究に手を貸すように言った。彼女が戦えるのもそのおかげだ。そして、彼女のデータのおかげで、私はなんとかプリティプディングを不意打ちするだけの力を持てた」

「なんで……!」

 驚愕に全身を震わせて母から離れた。

 これまでも家族に気まずさを覚えたり、劣等感に苛まれたりはした。

 しかし、家族からこうも遠ざかろうとしたことだけはなかった。

 息子の反応、様子に、剛力で無敵のボディを持つ真田桃香の瞳に、全身を刺されたかのような痛みが走った。

 何かしらを言おうとしても、市長がすぐに遮る。

「まあ。あまり彼女を恨んでくれるなよ。君の姉……正確には造物主を私が殺そうとしたのを知ると、強く反対したし、殺したと知って絶縁を言い渡したからね。もっとも、研究の成果で無敵のパワーを手に入れていたが。君もよく知っているだろう。彼女の強さを。無力とは正反対さ」

 母は何も言おうとしない。

 それが市長の言葉の正しさを証明している。

 なにもわからない。

 自分の正体、姉の死の真相、母と仇の繋がり。

 戦いを通し、姉の後を継いで、少しずつ定まってきた真田剛毅の在り様が、酷くグチャグチャになっている。

「ぐうっ……!」

 両手で頭を掻き毟った。

 鎖が巻かれた手が皮膚を傷つけ、掻き傷を刻む。

 ナイトスターの体だから痛みはない。

 本当は人間ではないのだから、これまで感じてきた痛み自体が嘘なのかも。

 魔法少女は意志で戦う。

 そのことを、真田少年は理解した。

 ならば、その意志そのものが偽り、造り物なら。

「剛毅!」

 母の声が遠くで聴こえた気がした。

 姉の仇に燃やしていた感情が、行き場をなくし、内側で連鎖的な爆発を続ける。

「やはりか……奪われた己の魔力に、魔王の魔力を補充して彼に渡したか」

「ああっ!」

 頭を抱えた少年が叫ぶと、彼を中心に周囲の壁が壊れ、床が均された。

 息苦しい空間が吹き飛ばされ、しかし遠と真田桃香には傷の一つもない。

 魔力の大爆発で地下が消え、巨大なクレーターの中心に少年はいた。

「ぐううっ……! 痛い……痛い!!」

 魔法少女の戦いにおいて意志の爆発は大きな助けになる。

 しかし、この状況において、それは真田少年を自壊させかねないものだ。

「……これは手に余るな」

 苦笑した市長の両足が弾け飛んで、魔力で浮遊することで倒れるのを耐えていた。

 端正な顔には深い溝ができ、それどころか顔の3分の1が零れ落ちた。

 市長の顔が素顔ではなかった。

 そのことに注意を払える状況ではないが、正気ならば真田剛毅もさぞ驚いたことだろう。

 普段のカリスマに溢れた精悍な顔の奥には、染み一つない綺麗な珠の肌があったのだ。

 それだけではなく、市長が負った負傷は全身を深々と刻んで、骨が露出していないのが異常な程だ。

 眼球がこぼれ落ちそうになったのを、片手で抑えている。

 その手も薬指と人差し指が千切れ、手のひらで蓋をしているも同然だ。 

 真田剛毅の爆発に致命傷を受けたのは確か。

 誰かが攻撃すれば、今の市長はまず死ぬ。

「遠……逃げろ」

 少年が警告するのと同時に、魔力のプレッシャーが上がる。

 爆発するまでもなく、自然と溢れる部分だけで、攻撃になった。

「桃香……いやピーチティ! 君の望みを受け入れよう。これは危険だ。」 

 使い魔の名で呼ばれた母が、第一に剛毅の状態を見た。

 首を振って挑むように睨みつける。

「剛毅を助けて。貴女の術ならできるわ」

「いいだろう。約束する」

「絶対に?」

「二言はない。少しは信用してほしいよ、ピーチティ」

 母騎士は鎧を外し、腕、脚の武装も解いていく。

 終わりに、大楯双振りを地面に深々と突き立てた。

 粉塵が落ちきらない中、太陽光も閉ざされた世界で、それらは墓標のように物悲しく見えた。

 極薄のインナーが豊満な乳房と、うっすら脂肪の乗った筋肉の塊を包むのみの姿。

 母性の象徴は巨大だが、いつものエプロンをしていない彼女が放つ印象は、どう見ても“ママ”ではなく、“戦士”だった。

「遠さん、剛毅をお願いね」

 桃香が市長の腕に抱かれ、発光する。

 少年の魔力には遠く及ばないが、ケツ怪人もキャナリークライも歯牙にかけないだろうレベルに強大なエネルギー。

「お帰り。それじゃあ――」

 左の腕で桃香を抱き寄せ、右の腕で緒を引き抜く動きをした。

「孵(オギャ)れ」

 朱くて黒い闇。

 聞き覚えのある音。

 鐘の音。

 空間を綴じていた緒が解かれた。

 連動して開かれる異界への簡易門。

 真田剛毅が魔法少女になった日に起きた虐殺。

 鈴の頭を持つ怪物が、虚空を引き裂いて降りてこようとしている。

 別の世界からの来訪者。

 ここではないどこかから殺戮を目的に招かれたモノ。

 それが真田剛毅に喰らいつこうとした。

 追い詰められて魔法少女に変身した事件。そこで暴れた魔獣。

 魔法少女になるように市長にまんまと仕向けられたのだ。

 わかったとしても今の真田剛毅にできることはない。

「君も孵(オギャ)れ」

 魔力の異常暴走に苦しむ真田剛毅。

 その下腹部からへその緒が引き抜かれた。

「ああっ!!」

 莫大な魔力の放出。

 重力に乗って雪崩込もうとする魔獣。

 その方へと、真田剛毅は行き場を求める魔力を下腹部より解放した。

 膨大なエネルギーを大量に吸い込んだことで、門が耐えられずに砕けた。

 内側から弾けそうなほどの魔力が、一旦ガス抜きされたことで収まりを見せた。

 力を使いすぎた少年は崩れ落ち、それを確認した桃香は目を伏せて恭しく礼をした。

「感謝します」 

「そう畏まらないでくれ。昔みたいにやろうじゃないか」

 今にも顔が丸ごと剥がれて落ちる状態で、市長は笑う。

 その奥には硬質で重厚なものではない、柔らかな声音もあった。

 それはか弱く清楚な乙女のものだった。

「最期の時を迎えるまではね」

 母を連れて、彼は去って行った。

 自分が使い潰した市長も、親友と呼ぶ者の家族も、一瞥することさえなく。

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