第二章【4】

【四】

 目を覚ました真田剛毅。

 朝の陽が差し込み、また目を閉じようとするのを妨げた。

 もっと眠っていたいと少年は思った。

 気絶するまでに起きた、存在を揺るがすような数々の出来事。

 すべてが彼の自我に過ぎた負荷を与えていた。

「おはよ」

 隣に寝ていた震儀遠が呟く。

 顔をこちらに向けることはしない。

 目の見えない彼女は“相手を視認する”行為を不要としているのだ。

「………………」

「おはよって言ってるでしょー。返事しなよ―、ねー」

 手で少年の顔をベタベタと触る。

 赤子同然に柔らかく、それでいて分厚い皮が瞼・鼻・唇をポフポフ叩いた。

「んもう、ちょっとやめてくれよ」

「そんな可愛い声出されたらむしろもっとやりたくなるかもー」

「ちょっ……やめてって!」

 両手で顔中を弄くり回されるのを少年が、笑いながら避けて起きる。

 出会って間もない女の子と一緒に寝るなんて、初めてのこと過ぎた。

 そんな精神状態じゃないはずなのに、どうしてか変な気分になる。

「あれからどれくらい経った」

「5時間くらいかなあ。時計を気にしたことないから」

 言われてみれば当然のことだ。

 彼女は盲目だ。

「ごめん。気遣いが足りなかった」

「べつにいいってぇ」

 頬を擦り寄せ、猫のように遠が喉を鳴らす。

 いや、待てと少年は遅れて思い当たった。

 それなら盲目の人物はどうやって時間を把握しているんだ。

「お前、ウソついたな。時間くらいは気にするだろ!」

「えへへ、バレた」

 今、二人がいるのは自宅。

 それも真田剛毅の自室だ。

 誰もいない、戻ってくるかも不明な場所で、少年はボヤけた頭を振る。

「これからどうすればいいんだ」

「とりあえずまだ寝っ転がれるよぉ」

 服の裾を掴んで遠が言う。

 それはその通りだ。

 母は市長のもとに降った。

 これまでの活動が母と、市長の主導によるものだった。

 二人がいないなら、こちらとしてもやることはない。

 姉の復讐。

 やりたくないわけではないが、どうにも気力が出てきてくれない。

 姉を殺した相手はわかった。

 姉を復活させる願いも残っている。

 しかし、自分の素性を突きつけられると、すべてが空虚に、うすっぺらく思えた。

 自分は姉、姉、姉と何度も言ってるが、果たしてどれだけ知っていたのか。

 知っていることがあったとして、その記憶・知識は本物なのか。

「俺はどうすればいいんだ」

 胸に手を当てて独白する。 

 これには遠も応えなかった。

 自分はプリティプディングに生み出された存在。

 本当はこの家の人間ではなく、魔力によって生み出された魔法少女の使い魔。

 感情が激しくなりすぎると人間の形が崩れて、かつての使い魔の姿に逆行する。

 意志は衝動に成り下がり、構成要素が魔力の竜人になり、それも過ぎれば感情の爆発の制御もできずに、破壊兵器に変じる。

 あれだけ苦戦したキャナリークライを殺した市長を、半殺しにできた。

 それも純粋に魔力を振り撒いただけでだ。

「これ程に自分を恐ろしいと思ったことはないよ」

 カーテンを握って外を見る。

 白鯨組のあった事務所の方角の建物群がひどくスッキリしていた。

 抑えようとしても勝手に手が震える。

 魔法少女をやったことが、市長の策略によるもの。

 本来の狙いは不明だが、母/真田桃香が犠牲になって解決したらしい。

 ならば真田剛毅……魔法少女ナイトスターにできることは、やるべきことはない気がする。

 否。己の危険性を理解したからには、真田剛毅には“何もしない”義務があるとすら思えた。

「そうだ。母さん、桃香さんは、元は市長に協力してたんじゃないか。お姉ちゃんが死ぬ原因も担ってる相手を助けようってのか。……助けようってのか?」

 自問自答。

 己の心に尋ねるも、答えは決まっていた。

「そうだ。助ける。俺はあの人に生きてほしい。こう思うのも、俺が使い魔だからかもしれないけど」

 自分が姉の、プリティプディングの意志で生まれたのだとしたら、魔力を介して姉の思考・意志がかなり自分に混じっているのだろう。

 今、母を助けようとするのは、姉が自分にそうなって欲しいと願ったからなのかもしれない。

 自分の意志がわからない。

 それは魔法少女として戦う上で実質、死刑宣告に感じられた。

 理性では速く動き出さなければと、危機感を持っている。

 速ければ速いほど良いと知っている。

「ねえ観て観て」

 遠の声に振り向く。

 寝床を寄せて作られたスペースで震儀遠が腕と脚を振り回していた。

 そうだ。戻ってきたら踊りを見せてもらうと約束していたのだ。

 真田剛毅は遅れて思い出した。 

 初めて戦った時は厳かさがあったものだが、今の彼女にあるのは純粋たる解放感。

 何も邪魔するものはないと言わんばかりに、自由気ままに体を動かしてリズムを取っている。

 そして、それが一つの舞踊になっていた。

 薄く汗を滲ませ、視覚のなさが齎す型のなさ、空間認識能力の高さが、広くない部屋を自己表現するための媒介にしあげていた。

「どう?」

 踊りを止めないまま遠。

 真田剛毅は深く頷く。

「凄いよ。素人の俺が評価するまでもないくらい」

「何でも良いから言って。自分じゃわからないから」

 くるりとターンしながら言葉を待つ踊り子が、流し目をしているように見えて、艷やかさを感じた。

「ええっと」

 初めてのことに、真田剛毅は口ごもる。

 踊りを批評したことがない彼は、とにかく見たままを口にした。

「とにかくキレが良いよ。刀剣みたい。けれども楽しそうで、なんか……みんなと良い時間を過ごそうって気分に溢れてる。腕の振りが大きくて孔雀みたいだ。でも重さを感じない。あとは、そうだな――」

 頭に浮かんだことをそのまま出力している間も、遠はダンスを続ける。

 すると、真田少年は一つのことに気づいた。

 少女の踊りが、観客の言葉によって方向性が定まっていく。

 無軌道だったものが方向を持ち、重い軽いが混在したステップも、同じく。

 外部の視点が、形のないモノに実体を持たせていく。

「なあ」

「どうしたー?」

 育ての親を無惨に殺されたとは思えない明るい調子で、遠が首を傾げた。

「ありがとう。お前、良い奴だな」

「へえっ?」

 顔を赤くした少女が、動揺で脚をもつれさせ、寄せたベッドに倒れ込んだ。

 彼女の踊りを見ていると、心が軽くなって、頭がスッキリする。

 とにかくやってみようって気になれた。

「なんか、わかった気がする。俺、やってみる。桃香さんを取り返す。何処に行けばいいかわからないけど」

 突っ伏した顔を上げた遠が枕に顎を乗せて、遠が言った。

「あたし、知ってるかも。なんかあったらここをぶち壊せっておじいちゃんに言われてたとこがある」

「いやでもそれは……」

 途中まで言って、真田剛毅は思い直した。

 冷血ゲンガーと言われたキャナリークライは、常に裏では小細工を弄して表では飄々とした好々爺でいるような人物。

 市長と敵対した時のことを考え、備えておくのは当然。

 そして、真田桃香はかつて使い魔で、市長は主だ。

 市長を叩きに行けば使い魔もいる可能性が十分ある。

「じゃあ場所を教えてくれ。そこに行く」

「案内するよ―」

「いやでも危険じゃん。大まかな場所と特徴になる目印を教えてくれたら、俺だけで平気だろ」

「ちょっとーこれ忘れてない?」

 遠がわざとらしく、彼女自身の両目の前でブンブン手を振る。

 本当に見落としていた。

 自分の無神経さが信じられない。

 目印だのが、盲目の彼女に伝えられるわけがない。

「下手に首突っ込んだら、巻き込まれるぞ」

「まあ良いよ」

「そこまでする理由はないだろ」

「だってキミ、良い人だもん。そう、ヒーローってやつ? ムワハハハ」

 そう言って遠は奇妙な笑い方をした。

 彼女は知るわけもないが、真田剛毅の顔が朱く染まっていた。

 自分が何処から来た者だろうとも、この盲いた瞳には、“良い人”に映っている。

 くすぐったくも確かな充足感があった。

 魔法少女が使い魔を作るのは、自分の理想を映す鏡面を生み出すため。

 使い魔を通して、魔法少女は己の行く道を見つけられる。

 真田桃香が言っていたことだ。

 どうやらそれは、使い魔じゃなくても良いらしい。

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