第一章【9】
【九】
「ごうちゃぁん!!」
開口一番に両腕を広げ、母が息子を抱きしめる。
今は彼女一人。
行く宛もなくとりあえず帰宅したところ、真田少年の行動を読んでいたかのように母がやってきた。
さほど広くない自宅。母と息子の二人きりで暮らす家。
いつもよりもガランとしているように思える。
「ちょっ……やめろって」
「ダーメ! 立派に勝ってみせてすっごく偉いわぁ! もう顔中にチュッチュしてあげる!」
「客が見てる!」
顔をよじって熱い唇から逃れようとしながら息子は叫んだ。
強く抱き寄せ、呼吸も困難にしていていた母の勢いが緩んだ。
「誰がいるの」
冷たい、鋼鉄然としたトーン。
彼女にとっては、安全にあちこち歩き回っていたばかりなのだから無理もない。
「あの刺客だ。名前は震儀遠。安心してくれ、拘束してあるし相手もやる気が――」
「情報を引き出したら殺しなさい。いえ、貴方はやらなくていい。私が息の根を止めるから」
冷たい言葉を残し、ドスドスと家を歩く。
剛毅の部屋にいる暗殺者の前まで来て、仁王立ちをした。
魔法少女ナイトスターには勝てると思っても、腕力で地面を割る怪物が相手なら話が別なのだろう。
遠は盲目の瞳を震わせ、元から白い方である顔色を一層青白くしていた。
「さあ、今から尋ねることを余さず話しなさい。沈黙を選ぶ度に貴女の指を一本ちぎります」
「ひいっ!!」
「お、おい怯えてるじゃねえか」
「敵を恐怖させるのは基本よ」
「俺が勝ったんだから、俺に任せてくれよ」
「ダメ」
「そこをなんとか……」
剣呑なオーラを放つ母から、自分を殺しに来た刺客を庇った。
母親のやり方が正しいのはわかる。
しかし、真田剛毅は魔力を使った戦いを通し、彼女が殺しをする気がまったくないのを理解した。
それなら、少年としてはあまり手荒なことはしたくない。
母に歯向かうのは怖い、絶対に彼女の意志を曲げることはできない。
力でぶつかっても瞬殺されるのがオチ。
殺し合いをしても耐えられた恐怖心が、母に歯向かうと思うとガタガタ震える。
怖い。母が怖い。
それは本能レベルでの屈服。
リスが5mの化物イノシシに立ち向かうよりも離れた生物的力の差。
「わかっているの? 彼女はあなたを殺しに来たのよ? 仲間もいるでしょう。これからどれだけの刺客が来るか、そして、それはいつまで続くか。誰にもわからない」
見下されているようでも圧力をかけられているようでもない。
殺気をぶつけられているはずもない。
とにかく、息子としても親の迫力というものをまざまざと感じさせられる。
ここでの答えを間違えれば、騎士は刺客を葬るという確信。
息子を殺すことはないとわかっていても、母の強靭さに生物としての恐怖を感じた。
戦っている時の余裕は何処へやら。
遠が縋るようにこちらへ体を寄せようとしていた。
「……敵だからってなにも、そこまで圧をかけなくていいだろ。こいつだって好きでやってるわけじゃないとわかったから」
「………………ふぅん」
”どうしてわかるのか”と質問されることを予想していたのに追求はない。
かつては魔法少女の使い魔だったという以上、魔力を使うことの特性を知っているのは当然だったか。
「それで?」
母は続きの言葉を促す。
両腕を固く握りしめ、肩・腕の筋肉が膨張した。
部屋の中に巨象が出現した。しかも、無言。
その気になったら暴力によって容易く剛毅を殴って、遠を沈められるのを示している。
真田剛毅が子供の頃、少年が少し前のツッパリだけをしていた頃、魔法少女として勝利を収める前の頃なら、とっくに目を伏せて逃げていたに違いない。
今の自分は違う。真田剛毅、魔法少女ナイトスターは意を決して顔を上げる。
「お、おおおおおおれは……! こいひゅをいかひてあげていいろ――」
「んーー! んーーーーーー!!」
歯の根が合わず、舌足らずでろくに言葉になっていないのを、捕虜が頭付きで批難した。
恐怖で言葉を発せなくなっているのは遠も同じだ。
猿轡を噛まされたわけでもないのに、唸り声しか上げられなくなっていた。
見知った自宅が処刑場にしか見えなくなってきた。
自分の言いたいことにとにかく意識を集中させ、それ以外のことを頭から追い出した。
「俺は……その……仮にこいつが危険なことを考えてても、それに負けないくらい、俺に力があればいいと思う。だって……だってお姉ちゃんが死んだのだって、俺に今の力がないからって言えなくもないだろ。それなら、とにかく俺が強くなれば良い。そうしたらこいつを殺さなくて良いし、誰がどれだけ殺しに来ても平気だろ」
「初勝利に酔い痴れているわ。あなたは、私が本気を出せば片手で叩き潰せる程度でしかないのよ。なのに、そこまで強くなると思える? それが”可能”だとでも」
「で、でき――――」
「もうダメね。貴方を殴り飛ばして後ろの女の子を殺す」
「「ヒイィィィ!!」」
母親。少年にとっての巨大な壁、超えられない障害物。
絶対の支配者にして君主。
そんな人物が下す裁定。
遠が蝸牛のように椅子を背負いながら、その場を這って少しでも逃れようとした。
真田は、来るママの怪力パンチを覚悟するより先に、とにかくこのみっともない殺し屋を死なせないことに意識が向いた。
彼女を守らなかれば。そう思った。
スローモーションで拳を振り上げる母の姿が見える。
意志の爆発が、魔力の出力のみならず認識の速度も変えていた。
真田剛毅の動きも同じくらいに遅く、蛞蝓に変身したのかと思う緩慢さ。
無理にでも指先と足の指を酷使。空気がへどろのように纏わりつく。
泳いでいるかのようだ。
地面を蹴って目の前の母の拳に飛びついた。
「強くなる!!!!」
魔法少女に変身して、母のパンチを止めた。
風圧に部屋中の家具が巻き上がり、TVに罅が走って粉砕された。
それだけではない、家そのものが衝撃に軽く浮いた。
気のせいかもしれないが、場の全員がそう感じた。
部屋はめちゃくちゃになったが、背後の遠には傷一つない。
叫びを受けた母は、無言で拳を引いた。
とっさの変身。
あの山を割った母のパンチを自分なんかが受け止めた。
子供の頃からニコニコふわふわ優しく、時には剛力で子どもを従えていた母を、少年が止めたのだ。
出会ったばかりの少女、それも殺されかけた相手を守ろうという強い意志が秘められているのに少年は驚いた。
「無礼をお許しください、魔法少女ナイトスター様。貴方の意志の在り処を確かめさせていただきました。お見事です」
「…………なんとかなって良かったぁ」
攻撃を収めた母騎士が跪く。
幅広のスカートをつけた姫然とした少年は、母の動きに居心地の悪さを覚えるも、ほっと胸を撫で下ろす。
初めから殺す気はなかったのか。
あくまで見たかったのは真田剛毅、ナイトスターの覚悟、何で意志が爆発するかの再確認。
「おら、怪我はないか殺し屋」
部屋の片隅で、拘束のままに縮こまっている遠が目を限界まで見開いてナイトスターを凝視していた。
「んんん」
魔法少女の手に触れられ、失語症めいていた少女が、何度か咳払いをした。
自分を助けた少女を繰り返しまばたきをして、見つめる。じっと。
「なんだよ」
「すっごく素敵……」
惚けて蕩けた赤ら顔で、暗殺者の女は言った。
とりあえず、反応に困った魔法少女は、後頭部を掻きながらはにかんだ。
それから、こういう時にツッパれば良いんだと気づいた。
「馬鹿野郎、そんな甘っちょろい褒め言葉、全然嬉しかねえぜ」
「良いじゃんステキー」
母や妹相手にしているのと同じように躱された。
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