第一章【8】
【八】
魔法少女になり、ケツ怪人を倒した週の終わり。
気持ちの良い空の下で、真田一家は膝を突き合わせてた。
「初の魔法少女活動、ご苦労さまあ!!」
山の頂上、登山道にはならない危険の多い地帯。
以前より伝えていた”家族で出かける”という男子高校生にとっての試練の日だ。
同級生は家族と出かけることに抵抗を抱かない人間が多いと聞くが、真田少年にしてみれば”軟弱”の一言。
真田剛毅としては、男たるもの家族との団欒のようなものは絶対に避けるべきだ。
まあ思想はあくまで思想。
現実は、母の意のままになっている。
「どう、おいしい?」
ニコニコしながら尋ねてくる母に、剛毅は頭を下げる。
たまごサンドのまろやかな味わいに軽くマヨネーズのこくもある。
母が朝早くに作ってバスケットに詰めたものだ。
「んもう……何度観てもたまんないわあ」
息子が魔法少女をやっている映像を繰り返し眺めているのだ。
飽きもせずに、何度も何度も。
いい加減、飽きてほしいものだ。
「この可愛さ……天使どころじゃないものぉ〜〜」
悪気がないのは理解している。
だが、それでもむず痒いしできれば眼の前でやるのは控えて欲しい。
とてもいたたまれないからだ。
そんな彼の心情よりも、母のウキウキを掬い取り、山の天気は文句なしの快晴だ。
青い空、澄んだ風、見渡す限りの緑、遠くに見える灰色のビルのジャングル。
少年としては別の思惑があったのだが”ピクニック”とはこうも心が洗われるものなのか。
「とりあえず食べたら始める」
「ええ、もちろん。あら、ハムがついてるわごうちゃん」
サンドイッチをまとめて3つ、かぶりついて無理矢理に咀嚼する剛毅。
彼の口の端にハムの切れ端がついていたのを、母がつまんで食べる。
昔から真田少年はどちらかと言えば少食気味であり、急いで大食いするというのに不慣れだ。
剛毅を食が細いのに無理やり、口に物を詰めたせいで腹がパンパンだし頭がクラクラした。
「さあて準備しましょうか」
剛毅が食べ終えたのを確認すると、母がテキパキと後片付けをした。
水筒のお茶を飲んで当代魔法少女はそれを見守る。
こういう時に、率先して母の作業に加わるのはいつも妹だった。
彼もそういう気持ちがないわけではないのだが、ぼーっとしている間に、機会を取られるか終わってしまう。
気づけば、妹がいなくなったせいで、家事は母だけの仕事に成った。
「さ、魔法少女ナイトスターになりましょぉ」
母騎士が大楯をこちらに向けた。
それも、片手に武器を持たず、大楯を二つ組み合わせたスタイルだ。
縦にも横にも大きい彼女がすっぽり見えなくなった。
この前の夜に名乗り始めた”ナイトスター”。
母は何度も口ずさむくらいに気に入っているようだった。
形を変化させるのを覚えたおかげで、魔法の杖は消せなくとも鎖となって腕に巻き付けられる。
ケバケバしい装飾の神杖は、今や少し変わったファッションくらいになっていた。
これはかなりのお気に入りだ。
なにせ、わかりやすくカッコいい。
まるでイケナイことをする不良のようだった。チェーンを巻くだなんて。
「明るいところの下で見るとなおのこと可愛らしいわねえ」
初めての本格的な訓練。
実戦を二度も得てからというのは妙な気分だ。
「もっと早くやるべきだったんじゃないか?」
初めての訓練をするまでに実戦を挟んでしまった。
「ママがしっかり見ていたんだから大丈夫よ。まずはどういう方向かを確かめたかったの。パワーファイターになるかなあっておもてたのに、違ったものね」
お尻の怪物相手に追い詰められはしたが、”騎士”の監督下なのはその通りだ。
プリリン・バースを持ち運ぶ方法も、本当は知っていたのではないか。
少なくとも、杖の形状を変えられるというのは知っていてもおかしくない。
「へんてこなお尻さんとの戦いでわかったでしょう? 魔法少女に大事なのは”意志”。けれども、ただの意志では方角が散漫過ぎるの。だから、まず初めに”あなたの衝動”、“願い”を知りたかった」
そう言われると納得はする。
なんだかいいように誘導された気分もするが。
「交雑乙女って双極を選んで強くなるらしいけど、俺はやらなくていいのか?」
市長に尋ねたことと同じことを質問する。
「ダぁメえぇ。貴方にはまだ早すぎるわ。それは、あのお尻さんを見たらわかるんじゃないかしらぁ。下手に力を求めて先走ると、ああなってしまう」
真田剛毅は頷いた。
尻怪人は、やはりなってはいけない姿なのだろう。
それは一目で察するに余りある。そして、何度思い出しても確信を強められる。
市長の言葉だけでは受け入れるに不安があったが、ここに母の言葉も乗せれば納得できる。
魔法少女ナイトスターに変身し、鎖を展開させる。
腕に巻いた鎖よりも、長さは自然と増していた。
「さあ、私の鎧に攻撃を当てて。優しくしないとダメよ?」
舐められたものだと少年は憤慨した。
この鎖を速く動かせないとでも思っているのか。
母の豪力は骨身に染みて理解しているが、ああも大振りの二刀流……二楯流など背後から突いてくれと言っているようなものだ。
「よおし、後悔すんじゃねえぞ、おふくろ!!」
シャランと美しい極細のベルツリーめいた音色。
それが自分の獲物が奏でるものだと少年は初めて知った。
伸び伸びと動く鎖、母の真横を通って背後に回る。
けれども、動きが読まれ、大楯の弾かれた。
「ママと呼びなさぁい」
怜悧な眼で、母は言う。
いつものほわほわ系ではなく、騎士の貌だ。
どうして防がれたかはわかる。
鎖の動きが単調すぎた。
先端の鉤爪に意識を集める。
そう、集めるというのが真田剛毅にとっては正しい。
自分という人間はありとあらゆることに考えや注意が散らばっている、と少年は自己分析した。
人の目が気になる、人の感情が気になる、自分が誰かの害になっていないか気になる。
やりたい行動を素直に、現実に起こせる自分になりたいのに、高い共感性が邪魔をしてしまう。
だからハッキリとした衝動、自分がどう在りたいかを引き出されるまで、ああまでの時間がかかったのだろう。
今は違う。何をするかも、そのためにどうするかもわかる。
鎖、そして先端の鈎爪。
これで遠いところまでひとっ飛びに、目標を達成する。
姉を蘇らせる。
それを考えると、真田剛毅の心はいつも充足感に満たされた。
「舐めてんじゃねえ!」
先程よりは速く、複雑な動きで鎖が母の真横を狙う。
要塞の厚みに塔の長さを持った大楯の下部を蹴り、斜めの角度で鉤爪を受けた。
「クソッ……そうか一発受けられても次でウボワァッ!!」
新人なりに改善点を考えていたところに、無情な鉄拳が襲った。
鼻梁に直撃したパンチは頭部が肩から飛んでいく心地がした。
「攻撃を工夫するのは良いけれども、忘れないで。最善はいつでも”即殺”。二の句を告げるヒマも与えないこと。口を開く暇も与えずに相手を倒す。そのためには、瞬間的に発揮可能な最大出力、上限を爆発的に増加させなさい」
普段は穏やかでほわほわした性格の母からまず聞くとは思えない言葉だった。
戸惑いを覚えながらも、剛毅、ナイトスターは言われたことを反芻する。
少し専門的なワードが混じっているようで、よく理解はできない。
「即殺……爆発的……」
「あらあらできないの? ”ツッパリ”なのに」
ムッとするが、強く言い返すこともできない。
彼には学ばなければならないことが山積みにある。
姉を救けるために、それと、仇も討つために。
強くなる。母の善意、援助を十全に活かすためにもだ。
「どんどんやってやるよ! 喰らえ!」
鎖に強めていた意識を強くするイメージを、新人魔法少女はした。
しかし、それで攻撃が強くなったら苦労はしない。
どれだけ鎖を速く伸ばそうと試みても、母の鉄壁を崩すには遠すぎた。
物事への集中はできる。
けれども、集中を強めるというのは、感覚で掴むしかないことだ。
「ううん、これでも本気を出さないわねえ……」
「いやこれが本気……」
「そんなことないわ。ママにはわかる。ごうちゃんは天才よ!! ママにおまかせ!!」
何かある度に耳にする口癖。
そんな気休めを聞きたいわけではない、と口を開く。
母の姿が見えない、視界が廻り、遅れて衝撃が鈍行でやって来た。
だが次に起きたことは、冷水をぶっかけられるよりも震えるものだった。
「え?」
大自然が一望できるほどの高さまで登山したのだが、それよりもさらに高く、少年は飛んでいた。
何があったか上下に回転する体に翻弄されながら、理解した。
騎士の大盾に跳ね上げられたのだ。
動きの始点もわからない、抵抗不可能の速度。
母がナイトスターとは隔絶した力を持っているのは誰の目にも明らかだった。
「う〜〜〜〜んとぉ」
目を細め、息子の様子を確認する。
起きた出来事のままに、抗うことができずにくるくると回転し、飛ばされた魔法少女は高度を上げ続ける。
もうそこらのビルよりも上の高さまで来た。
勢いは止まらない。
鎖をどれだけ伸ばしても、刺さるものがなければ……
「ダメねぇ〜〜〜〜」
眉を顰めて母は溜め息をついた。
「もうやむを得ないわ! ママ決めました! 可愛いごうちゃんにこんな不向きなことさせられません! お姉ちゃんの復活は諦めましょう! 次の魔法少女を探すわ!」
五十メートルは上空。
魔法少女でも耐えられるのかよくわからない。
いや、空を飛べば良いのだが、ナイトスターは空の飛び方を知らない。
そんな状況でも母の言葉はしっかりと聴こえた。
「なんだって!?」
号機が驚嘆を露わにした。
そんなことができるのか。
できないと言っていた気がしたが。
いや、重要なのは”母が本気かどうか”だ。
考えるまでもない、彼女はのんびりぽわぽわあらあらうふふだが、嘘はつかない。
姉を諦める。
彼女を取り戻すことなく、姉の仇を討つこともなく、何も成せずに終わる。
少年がやったことと言えばケツを倒したことくらい。
初めは望んだことだ。
こんなフリフリの可愛いドレスなんて男の中の男が纏うものでは断じてない。
しかし、ここで終われば、少年はそれだけで終わる。
ただツッパリをやってごっこ遊びで毎日を無為に費やすだけ。
そんなのは────
「ダメ!!」
魔法少女になった日に見たフラッシュバック。
そこで倒れるプリティプディングの姿。
何もできずに、そこに背を向けて終える自分。
必死に自分を納得させた毎日に逆戻り。
イメージすると、心が燃えた。
全身の神経が鋭くなり、流れる汗一粒も知覚できた。
骨が軋み、筋肉の収縮が腕を曲げるのと同じ感覚でわかった。
鎖が鋭利に薄皮一枚の厚みになった。
チェーンが超延長。
地面に刺さり、瞬間的に巻きつける。
落下の衝撃。それは本能的に、チェーンを編み上げたクッションで相殺する。
出来るとは思わなかった。
できるできないよりも、「やる」が先に来た。
大楯にチェーンが絡みつき、鉤爪が騎士の頬に一条の傷を作った。
流れた血を手の甲で拭った母がにっこり笑った。
「やっぱりね」
バランスを崩し、鎖のクッションから転がり落ちる。
みっともなく膝で着地した魔法少女はじんじん痛む脚をさすった。
今の攻撃はすごかったと自画自賛できる。
速さ、正確さともに段違い。
殺意を載せたら”即殺”も容易だっただろう。
あれが母の言っていた”爆発的”ということか。
「でも……あそこに意志なんてあったかな」
ただ無我夢中だった。
自分が何を思っていたかも、真田剛毅は言葉にして説明することができない。
「意志は自分で意識して出そうと思えるものではないもの。けれども、一度でもその強度での出力ができれば、なんらかの回路が出来上がるものよ。そして、あなたが”爆発”した時にどういう方向に強くなるかもわかったわ。”速度”と”複雑”。相手の攻撃手段を奪って、最小限の傷で戦いを収めようとする」
確かに、自分にはできなかった爆発力。
これまでは自分の周囲に漂う魔力に、意志を通わせていた感触だった。
けれども、今やった意志の爆発は違う。
自分の裡、奥深くの原始的根源からせり上がったものだ。
こんなのを自分ができたとは。
壁を破った。
そのはずだがまだ実感はない。
「さあ! それじゃあ何故かやって来た暗殺者と戦ってみましょう!!」
「………………うん?」
言葉の意図を掴みそこねた真田少年が、首を傾げた。
澄んだ山の空気。
そこに最もあってはいけないものが、東より立ち上った。
火炎の渦である。
「うおおおおおおおお!?」
瞬間的に杖、鎖を伸ばすも、炎の質量を抑えられない。
その前に炎を母の大楯が受け止め、拡散させた。
こちらが反応するよりずっと前には、ナイトスターを守る動きを、母がしていたのだ。
新人とは言え、こちらは目の前のことに精一杯だった。
少し強くなったと思ったのにこれだ。
これからやるべきは、感情の爆発をしながら、周囲に気を配る。
できる気がしない。
「そこにいるでしょう? 出てきなさい」
双子大楯の片割れをガントレットのようにし、母が地面を割った。
術ではなく、大楯を叩きつけただけで。
度肝を抜く腕力だ。剛腕、爆腕。
「さあごうちゃん。誘い出したわ」
のんきに見える母の口調。
彼女にとってはなんてことないのだろうが、刺客には驚天動地のようだ。
「はぁ……はぁ……! 何が起きたの?」
山に出来た亀裂の先にあるのは肩で息をした少女。
すぐに平静になり、紅潮していた頬も冷たさを帯びたものになる。
彼の義妹と同じくらいの背丈だが、印象は違う。
ぴんと伸びた背筋、攻撃するようには見えない、むしろ相手を導こうとするかのような佇まい。
アスリートよりも指揮者や、モデルを前にした画家といったアーティスト然としている。
それは、アスリートよりも頑丈で堅強な母を日常的に見てきたからわかること。
少女の顔つきは厳しいが纏っている服は、仕立ての良い童話のお姫様のようだった。
「…………そうか? どう見ても燻り出したとかじゃないか」
「まあどちらでもいいわぁ。ママ、ここから離れるから、ナイトスターちゃんはあの子をやっつけてほしいの」
「見ていかないのか」
思わず尋ねてしまい、魔法少女は失敗したと思った。
何を見ていくんだ。ここは戦場になる。
お母さんが教室の後ろでいつも手を振ってくれるわけがない。
自分の甘えた弱さ、力の無さが産んだ言葉だ。
市長の言葉、姉の思想を思い出せ。
助けを受けるのは確立した個を持ってからだ。
「ここに来たっていうことは、貴方のことを知っているわ。どうしてか知らないけれども、それを突き止めてくれると嬉しいわね。こちらとしては、私達一家全員が何処にいるのかを知られていると考えないと。だからまずは隠れ場所のチェック。敵に拠点がバレていないか確認しないと。終わったら迎えに行くから、待っていてね」
本音を言えば、行かないで欲しい。
力のある人に見守っていて欲しい。
自分がどういう目でかつての姉を見ていたか、あらためてわかる。
だが、あの頃と同じではいられない。
今の自分には力があり、戦う必要がある。
力比べに負けたら魔法少女ナイトスターはあっけなく死んで、家族が悲しむ。
ツッパリらしい終わりではない。少年の理想とは違う。
胸が悪くなる想像だ。
戦いというのはいつだってそういうものなのかもしれない。
負けて残念、悲しむのは自分だけ。
そんなシチュエーション、自分は絶対に手にすることが出来ないと、真田剛毅は理解した。
「応援よろしく」
親指を立て、母に頷きかける。
もっと色々と言いたいことはあったが、時間も状況もそれを許さない。
背中を向けると、轟音がし、山が割れ、砂煙が立った。
二人の気配が消え、少年は少女と向き合う。
「子どもが何をしている」
「あんたよりは大人だよ」
そう言って少女は笑う。
たしかに、大人っぽい表情だ。
人生経験を感じると言っても良い。
肉食獣を思わせる凄み、機能美がある。
「何歳だ」
「17」
「嘘だろ!?」
真田剛毅と同じ年齢。
相手が何歳か検討をつけていたわけではないが、”同じ年齢”というのは意表を突かれた。
よく眼を凝らすと幼さのある顔立ち。
母とは違う、自分と同じ子ども。
黒髪に灰色の双眸。キレイに切り揃えられた髪の長さ。美術の彫刻。そんな美しさがある少女。
真田剛毅に視線を注ぐはずの目は、彼を見ているようで見ていない。
白内障というものか。
「教えてよ」
眉間に皺が寄った。
あまり良くない言い方だったらしい。
思わず謝りそうになるが、彼女の次の行動に言葉を喪う。
敵が、舞ったのだ。
両腕を振るい、足運びをし、頭・肩・腰の高さは不動。
静かなモーションのはずなのに、相手の動きの熟練さを否応なく理解した。
後ろにある右腕を横回しに、掌をナイトスターに掲げた
「あたしはあんたにどう見える?」
炎の奔流がアーチを描いた。
「…………あっ」
気づけば焔がドレスを焼く。
「なんで?」
相手も驚きの声を上げる。
反応を誘う牽制。
避けるのなど造作もない。
当たるのがおかしい。
しかし、動くことができなかった。
思考も止まっていた。
それは彼女の舞いがあまりに――
「くそっ」
意識を覚醒。
相手は様子見の攻撃が当たったことにすぐ適応した。
交差した両腕を大きく開く。
両サイドからクロスして焔の柱が生まれた。
後ろに退いて直撃を避ける。
相手の攻撃が逆に目眩ましになる。
そう睨んで、地面すれすれに鎖を這わせ、相手の足首を狙う。
「ほっ」
両拳を突き上げ、炎の壁が攻撃を弾いた。
「なに今の見え見えの攻撃。やる気あんの?」
「くそっ」
「あたしには何も見えないけどねー!」
舌打ちをしたナイトスター。
両目の下をあっかんべーのように引っ張る。
ハッカ飴のように透明な瞳が炎の赤によく映える。
「お前……盲目なのか」
「そうだよ。ショーガイシャとは戦えないって?」
「一言一句その通りだ」
「それが遺言になっても恨まないでよね」
敵が摺足で岩に半円を描く。
その動きをなぞった焔の扇が生まれ、敵の手に握られた。
「そーれっ」
扇いで熱いソニックウェーブを発生させた。
高熱と音の衝撃。
避けても衝撃は大きい。
最初に車、トラック、いや母に体当たりされたような感触がした。
次に熱。熱すぎてむしろ氷水を浴びせられた後のような寒気がする。
強力な攻撃。
大事なのは相手にどう対処するか。
敵が盲目なのは理解した。
なら次に考えるのは、相手がどうやってこちらの動きを把握しているかだ。
音、耳で判断していると思った魔法少女は、チェーンの複数節を岩肌にぶつけた。
敵の四方八方にくぐもった高温が鳴り響き、共鳴し合う。
視覚も使える側からしても耳を抑えて蹲りたい音だ。
全力疾走で相手の懐にタックルをしかけた。
足音程度なら轟音が掻き消すに違いない。
「ざんねーん」
舞いが激しくなり、扇が首を撫でた。
母は言っていた。
変身すれば全身に魔力が漲り、痛みに鈍くなると。
それでも、首、鎖骨が焼け爛れ、喉が焼き潰れるのは絶叫も許されないものがある。
抜ける青空に熱、酸素を求めて反射的に大きく息を吸おうとする。
できない。扇が生み出した熱風の渦が 上下も含めた方向感覚を奪う。
この女、戦うのがとても上手い。
ルーキーの自分とは隔絶したものがある。
何よりも、敵には”人を傷つける”ことへの躊躇いが皆無。
まさかケツ怪人を恋しく思うとは。
「どう? キレイでしょ。あたしの動き。魔法少女……交雑乙女ってのになって良かったよ。双極の属性とかはわかんないけど、気に入ってんだ。自分の感情を体で表現すれば相手が勝手に死ぬって最高じゃん」
相手の言葉に、混乱した思考が治まった。
そうだ、市長の言葉を忘れていた。
こいつはどれだけ戦いが上手くても、魔法少女への経験は無しに等しいはず。
せいぜいが、一般人相手か、魔力で暴走した獣を倒した程度に違いない。
それならば、母に教わったスキルを使わない手はない。
感情の爆発。それには自分の場合は”姉に会うのを諦める”がトリガーだった。
この場合は純粋に死にそうなのだから、今の家族に会えなくなるのをイメージする。
――こんにちは、今日からあなたのお母さんになります。あなたの妹になる子。
思い浮かべるのは母と妹に初めて会った日。
姉も実の母も亡くして、塞ぎ込んでいたところに、突如として現れた家族。
当時からすでに巨体だった母。
それとは別に、まだ弱々しく消え入りそうなか細さだった妹。
母を盾にするように隠れ、頭だけを覗かせる幼さ。
負けたら死ぬ。家族に会えない。
それだけでなく、家族を悲しませるかも知れない。
あまり健全で欠点のない関係を築けているとは癒えないが、それでも自分のせいで家族を泣かせるのは…………
「嫌だ!!」
意志の爆発が生まれた。
鎖が残像を生み出し、実質双対の鉤爪となって、暗殺者の両肩に喰らいつく。
「いった―!!」
熱波の拘束が解かれ、無我夢中で後ろを蹴った。
靴底に少女の腹の感触がする。
他人に暴力を振るった初めての感触に、少年は吐き気を呑み込んだ。
「ゼェ……ハァ……!! お前の名前は?」
首元を抑え、息を整える。
「震儀遠(ふるぎ・とぉ)」
「…………本当は魔法少女、交雑乙女だったか? それの名前を聞きたかったけど、まあ良い。俺はナイトスター」
「真田剛毅だろ?」
「そうだけど魔法少女としての名前だっ!! というか名乗ってから本名で呼ぶな!!!」
羞恥心に顔を赤くして、少年は叫んだ。
「改めて聞くぞ。どうして俺のことを知ってる? 狙いは何だ」
「え、さあ?」
首を傾げた遠。
嘘をついているようには見えない。
だが信用する理由もない発言。
「ふざけんじゃねえ」
「いやホント。殺せって言われて来た。理由は……聞いたら教えてもらえたのかな? いつもは質問すんなって殴られるだけだから、まあ良いんだけどさ。殺しはいつもやってるし。もっぱら動物相手だけど」
「交雑乙女ができたのは最近だろ。殺しルーキーが早速かぶれてんじゃねえよ」
「違う違う」
両腕両脚を絶えず動かしながら会話していたのが、ピタリと動きを止めた。
時間が止まったと錯覚するような停止。
呼吸も瞬きもなく、その中で考えあぐねるように両手を開いたり閉じたりした。
目を閉じ、それから演舞めいたポーズをやめる。
「あたしはずっと暗殺者。まあ鉄砲玉って言われるけどさ、あたしは暗殺者の方が響きが好き。音の響きは重要だよ」
両手を合わせ、直角に捻る。錠の鍵を開ける動作。または、短刀を突き出す様を表しているかのようだ。
先程の舞はとりとめのない感情のままに動いていた。
しかし、今の在り様は違う。
”殺す”という現象を模倣している。
武術が戦いの動作、肉食獣の動き、時には兵器の理論を取り入れて発展したのが、真田剛毅にもわかった。
人間、誰しも一度は武術に興味を持つもの。
軽く調べるのと、こうして目の当たりにするのでは臨場感が違う。
それでも諦めたり続けなかったりして、昔やった習い事の一つになるのが普通。
しかし、モノにしたらこれほど美しいものなのか、と少年は心の中で嘆息した。
「……凄いな、キレイだよ」
「うえっ!?」
素直な呟きに、遠は頬を朱に染めた。
思わず顔に手を当てようとするのを堪え、彼女は笑みを浮かべる。
”己の強さ”に自信のある人間が浮かべるものだった。
真田剛毅には虚勢によってでしか出せない顔だ。
「油断させようって作戦だね。まあいいよ。こっちならあんたの勝ち目はゼロだ」
そう言われ、身構えるナイトスターの前で、少女の姿が消失した。
なにか考える暇もなく、顎を蹴り上げられた。
体が浮かんだところにすぐに追撃され、掌底の雨嵐が降り注ぐ。
反射ができない。鍛錬の結晶が生み出す一挙手一投足は芸術そのもの。
素人の防御反応など、容易く擦り抜けていく。
浮かばされたナイトスターが地面に再会するまでに被弾した攻撃、およそ30。
「くそっ」
起き上がった瞬間には貫手が鼻に突き刺さった。
痛みを堪えてチェーンを巻いた拳で遠を殴り飛ばす。
「へえ、タフじゃん。普通ならあの貫手で脳までイッてたよ」
今の猛攻を繰り出し終わったというのに、少女は息一つ乱さない。
魔法少女でいたことに感謝するしかない状況だ。
素体で戦っていたら全身の骨が外れたり折れたり砕けたりしていた。
これほどの相手とこんなに早く戦うことになるだなんて、魔法少女でなければ何回絶命したことか。
そうだ、ナイトスターは死んでいない。
何度も殺されてもおかしくないのに。
「どう? もう抵抗するのも馬鹿らしくなるでしょ。いいよ。諦めて。目を閉じたらすぐ終わるから。まあどうしても抵抗するって言うならもっと苦しむことに――」
「お前、殺しをやりたくないのか?」
軽口を叩いている時も止まらなかったステップが乱れた。
「…………なんだって?」
「交雑乙女なりたてだから知らないんだな……魔法少女は意志を通さないといけねえのよ。つまり、やりたくない、テンションが上がらないことをやろうとしても無駄ってこと」
先程の舞いと、今の武術。
洗練性、実用性、機能美は殺しの技の方が秀でている。
それでも、威力がない。
舞いにあった強大な威力がなかった。
「へえ。今度の口攻撃はそんなにだね」
陽炎のゆらめきを歩法に乗せ、遠が消えた。
側頭部を打たれ、次には逆方向で足払いを決められる。
後頭部が岩に直撃し、次には彼女の裸足が顔を踏み抜く。
人間同士ならとっくに脳が零れている。
「まあよく保ったよ。ホント、がんばったねー」
「そうか。皮膚で熱を探知していたのか」
鼻と口を塞ぐ足裏。
土埃に汚れ、皮が分厚く、草履のようだ。
ナイトスターが脚を掴んで、持ち上げる。
「え?」
成す術なく逆さ吊りにされた暗殺者。
反応を見ても、推測は正解だろう。
音で撹乱しようとしても効果がなかった。
それなら、皮膚だ。
裸足で踏まれた時、彼女の足裏、それと指、皮膚全体が外界からの刺激をもとめて微振動していた。
「なにも効いてねえよ。さっきの炎を使って踊ってた方がよっぽどヤバかった」
「で、でもあたしは組最強の鉄砲玉で――」
「やりたくないことをやると弱いんだよ。認めろ、お前は踊りたいんだ」
首をコキコキと鳴らし、しこたま打たれた頭と肩を擦る。
力任せに少女を放り投げる。
空中で回転して着地した遠の右腕をチェーンで絡め取る。
彼女の力では外せないし殴っても壊れない。
意志の通らない力では、プリリンバースに干渉できないのだ。
「なんで殺しなんてやってる? やりたくないならやらなければいいじゃねえか」
「……親が怒るからだ」
鎖が絡んだ右腕、その手首、肘、肩の順番に脱臼させ、意図的に軟体となり、拘束から逃れた。
そしてまたも意識からの消失。
これが何なのかはよくわからないが、ハッキリとわかるのは、殴られても耐えられるということ。
鈍い痛みが鳩尾を通り、それから連打が来る。
彼女の戦法は初手に急所、次にダメ押しの連続攻撃。
後者が来た瞬間、両腕で敵の腰を掴んだ。
「何を――!」
意味不明な行動を遠が嘲る。
しかし、ナイトスターはあえて己に鎖をまわし、それから敵の首にも巻き付けた。
チェーンが巻かれ、両者の顔が密着。
通常ならこれをしても意味はない。
しかし、この戦いは魔法少女のバトルだ。
殺し屋のものではない。
額と額がぶつかり合い、二人の鼻がぶつかって潰れる。
「この距離じゃ攻撃もできないだろ!」
「できる!」
首に巻き付いたチェーンを一瞬で伸縮。
撥条のように手元で縮まる。
通常の戦いならばできないこと、それも魔法少女にはできる。
拳を相手の脇腹に置き、先の修行で学んだことを実践する。
「跳べ!!!」
チェーンが勢いよく遠を押し出した。
大きな岩石が砕かれ、その向こうに遠が消える。
目を閉じて耳を塞ぎ、魔法少女ナイトスターは集中した。
視覚・聴覚に頼ることなく、腕に伝わる鎖の感触に肌感覚を研ぎ澄ませた。
暗殺者が、消えた方とは逆側から襲いかかる。
「ぐえっ!?」
振り返りざまに放った蹶り。
運良く少女の横顔に直撃した。
これまでは反応不可能だった、攻撃への反応。
意志の爆発によって、高速化した動きで攻撃を当てる。
ずっとわからなかった視覚からの消失、死角からの急襲。
それは純粋な歩法によって成されていた。
少年の意識の穴、連続する思考でもつい生まれる消失点を見破り、常にそこだけを通って戦っていたのだ。
恐るべき技術。魔法少女の術よりもよほど奇妙。
本人が殺し大好き人間なら、とっくに戦いは終わっていた。
「なんで……!!」
魔力の籠もった一撃を貰い、腰から崩れた遠は歯噛みした。
「魔法少女は”やりたい”が大事なんだってよくわかった。だって、お前の攻撃が急に効かなくなったからよ。じゃあ、そうだ。”できる”と信じるのも同じくらい重要なんだ」
母は言った。”杖を体の延長と思え”と。意志が魔法少女の鍵を握ると。
魔法の杖、プリリンバースは真田剛毅の心に合わせてチェーンフックに変化した。
それならばこちらの意志でさらなる変化も見込めると思い、絶対に可能だと自分を騙し込んだ。
鎖、その先端に鉤爪のある形状。
それをバネに変形。
相手をびょんと跳ね飛ばした。
その次は、鎖そのものを極薄にして伸ばし、分岐させた。
「お前に習って肌の感覚ってのを信用したよ。もっと言えば、杖だけどな」
腕を振ると、鉛筆ほどの太さになっていた鎖が元の形に戻った。
「目も耳も捨てて、杖の教える感触に従ったらできた……よっしゃ!」
まだ話の途中だったが、込み上げてきた”タイマン勝利”の喜びに、少年はガッツポーズした。
「同じ土俵で負けたってことか……」
敗北を受け入れた交雑乙女の遠は、静かに目を閉じた。
負けた側の作法か、”そうなるのを望んでいたのか”。
全身の力を抜いて頭を垂れた。
「いいよ、殺して」
勝ったのは実力でも作戦勝ちでもない。
ただの知識。母の導き、教えがあっただけだ。
ケツ魔人、武術の達人である暗殺者。
どれも魔法少女より遥かに異常で珍妙。
ようやく”魔法少女で在る”ことが、真田剛毅にとって最大の武器だと理解した。
魔力を使った戦い。意志。”力を持ち”、己を信じる。
「殺さない」
「なんで? こっちはいつでもあんたを殺しにかかるよ?」
「人を殺すのは怖い。絶対にやらねえ」
「臆病者」
「なんとでも言えよ」
少年がなりたかったのはツッパリだ。人殺しではない。
殺すのは姉の仇だけでいい。
鎖で遠を拘束し、魔法少女ナイトスターは頷いた。
「お前だって”やる気”なかったんだからおあいこだ」
魔力を使った戦いは意志を反映する。
だから、戦う過程で相手を理解することができる。
少なくともやりたいか、やりたくないかはどうしてもわかる。
故に、勝った後は相手への敬意しか感じなかった。
「とにかく、お前ってめちゃくちゃ凄いな。後で色々と教えてくれよ」
それは、どうしてかタイマン張ったら戦友(ダチ)という、ツッパリの哲学に通じていた。
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