第一章【6】

【六】

 ――――男には名前が2つある。親からもらった名前と、世界に叫ぶ名前だ。二度目の名前は、大事だぜ。自分がどう生きるかを世界に伝えるんだからな。

                         『あたしの彼氏はワルな騎士』の若葉葉散より。

 平和とは一度罅が入ると治るのは難しく、自壊するのは容易い。

 魔法少女が世界を救ったことから、人々の胸には常に強い希望のようなものがあった。

 絶対の、正しく慈悲深き者の自己犠牲のおかげで自分たちは生きている。

 そんな意識が楔となって心に打ち込まれていたのだ。

 しかし、それも新たな驚異の登場で変わってしまった。

 魔法少女が死のうと生きようと、驚異は常に現れ、自分らの命を理不尽に奪う。

 永遠の平穏というのがありえず、危機というのは人類同士の闘いがそうであるように、永遠に発生すると考えるのに十分な理由。

 夜闇の路地裏、長くに渡って人が通ることも珍しい場所で、男二人と女が争い合っていた。

「やめて!」

「へへへ、その悲鳴を聞きたかったのさこっちはよぉ!!」

「なんで、なんでこんなことを!?」

「むしろおめえらは何やってんだぁ!? 好き放題生きる方が得だとわかっただろぉん!?」

 夜は犯罪にうってつけの舞台。

 昔の常識が蘇ろうとしている。

 多くの悲鳴も銃声も血も、夜の闇に静かに呑まれていく。

 静止を訴える男に女が高笑いした。

 女が鉄パイプを振り下ろすと、男の額が割れて血が吹きでた。

 凶器を振り回す女に突然に追いかけられ、男達が逃げ込んできた先が、この路地裏だった。

「ちくしょう! やめてくれよ!!」

 もうひとりの男が腰を抜かして両手を顔の前に突き出す。

 命乞いと恐怖の証明以外の何物でもない行為。

 女が鉄パイプを振り上げて、振り下ろすも男は突風とともに消えていた。

「なんだぁ!?」

 風が通り過ぎた向こう側には、被害者を抱きかかえ、可憐なドレスに身を包んだ魔法少女が立っていた。

 正確には魔法少女の出で立ちをした真田剛毅。

 どちらにしても救けられる側には関係ない。

 そもそも今の少年の姿は、知らない相手から見たら真っ当な魔法少女そのものだ。

 危機を脱した男は頬を染め、恍惚とした面持ちで少年(魔法少女)の横顔をじっと見つめてくる。

 真田剛毅の全身には力とやる気が漲っていた。

 犯罪現場で人命がかかっているというのに不謹慎な話だが、誰かを助けられるというのは素晴らしい。

 尊い人命を助けられたという以上に、自分でも命を助けられたという事実が、全身に力を与えているかのようだ。

 自分は弱い人間ではない、悪い人間でもない。

 その確信を、人助けをするということで得られていた。

 救けた相手が向けてくる視線の圧。いつもなら少年は不快感を覚え、若干顔を背けてしまうだろう。

 だが、この瞬間は、別だった。 

 そんなことは気にならないくらいに、全身を充足感が駆け巡っていた。

 今の自分は無力ではないのだ。

「愛想よくしてねえ」

 遅れて母が魔法少女の前に着地した。

 正式なデビュー戦に赴く前に、母に”これだけは抑えて”と言われたことがいくつかある。

 その内の一つが”魔法少女は愛されることで強くなる”ということだ。

 プラスの感情を向けられることで”魔法少女”としての性質が固まり、より存在が強固になる。

 少年にはよくわからないが”周りの評価が無自覚でも自己認識に繋がる”ということらしい。

 魔法少女なのに少年だと教えると、せっかく人を救けてもかえって力を弱めることになってしまうため、男であることを隠したまま、魔法少女として振る舞う必要があるのだ。

「おいおい、降りて来なあ、かわい子ちゃんよお!!!」

 鉄パイプを振り回し、地面に擦らせながらも女が叫んだ。

「あら、私を忘れてもらっては困るわね」

 臨戦態勢になった騎士が柔和な笑みを崩さず、構える。

「んだババア!! こっちはてめえを相手にしてる場合じゃねえぞ!」

 振り下ろされた鉄パイプを大楯が受け止めた。

 敵である女の全身には朱黒いオーラが立ち上り、発するプレッシャーが人ならざる力を知らせてくる。

 一合、二合と楯と鉄の棒が打ち合い、夜の暗闇に火花が散る。

 敵の力は尋常なものではない。

 母の楯をわずかでも揺さぶり、何の変哲もない鉄パイプによる打撃を騎士が斜めに受けて正面からの打点を避けている。

 頭を割られた男性はすでに真田剛毅が回収し、命に別状がないことを把握している。

 出血は派手だが、絶命に至ることもないだろう。

 あの狂った女をどうにかすればいいだけ。

「魔法少女ちゃん! 貴方に任せるわ!」

 楯で敵を押し返し、距離を取った騎士が声を張り上げた。

 記念すべき本格的な初戦。

 姉の復活に至る道のりの第一歩。

 母の監督下にいつつという情けなさはあるが、それでも心強い。

 さっきまで騎士を相手に猛攻をしかけていた犯罪者が、戦う相手が変わったことを知ると、口に笑みを浮かべた。

 間違いなく、真田剛毅を侮っているのだ。

 杖の構え方にも腰が入っていないへっぴり腰ともなれば、犯罪者が悪いとも言い難くある。

 女が鉄パイプを握る手に力を入れると、鉄パイプを包み込むように、肉体が変容していく。

 初めは盛り上がった肉塊、それが両腕両脚が細くなり、顔と上半身の部分を巨大な丸いものができあがる。そして、顔の真ん中には縦に深く走る亀裂。

 出来上がったのは滑稽極まりないもの。

「お尻じゃん!!!!!!」

 魔法少女の力で変身した女は、ケツの怪物になっていた。

 よく見ればミニスカートを履いているが、だからどうだというのか。

 市長の赤ん坊との交雑乙女を事前に知っていて正解だった。

 いきなりこれが現れれば、正気を失うほどに動揺しただろう。

「なあ……!? あれは魔法少女の力を使ってるのか? 魔法少女なのか!? あんなのがいるのか!! ありえるのか!!」

 二人の戦いを見守る役割の母に問いかける。

 だが歴戦の勇士であるはずの母をして、目の前の光景は衝撃に開いた口が塞がらないようだ。

「え、ええぇ?」

 母も驚愕を隠せない。

 魔法少女の力を盗んだ何者かがいるとして、それは魔法少女の亜種だと思っていた。

 真田もここに来る際には自分と同じ力を持つ者と戦うと教えられていた。

 しかし、実際はというとオムツを履いて浮かんでいた大人の赤ちゃんと比べても、勝ると劣らない奇怪な生き物が出てきた。

「まあ……たしかに考えてみると理には適っているわ。魔法少女は”双極”の属性に触れると力が強まる。”お尻”を選択するとそれだけ魔法少女としての属性が強まる」

 事情通の騎士が状況を分析し、理解する。

 新人の少年にとっては意味がわからないことしかない。

 だが”赤ちゃん”と魔法少女の組み合わせを見たばかりだ。

 無理矢理にでも”これはアリなんだ”と受け入れるしかない。

 市長のおしめ姿を知っていなければ、その場で気が狂いかねない冒涜的な形だ。

 お尻の上半身になった魔法少女、否、交雑乙女だったか。

「ギャギャギャ!!」

 お尻の怪物が襲ってくるのを杖を振って退ける。

 臀部から細い脚と腕が生えた姿でケツが俊敏に移動する。

 腰から生えている極めて短いスカートは腰巻き同然だった。

 人造の魔法少女は”双極”を持つことでその性質を強化させる。

 市長から、力を奪って逃げた、あの生き物は魔法少女を強化させるのにお尻を使ったということか。

「クソッ、なんなんだよ!? あっちの方が”理解不能”という意味でよっぽど魔法使ってるじゃねえか! いや……魔法? あれ魔法なの? おし……ケツになる魔法なんて世の中にあるかな!?」

 魔法少女が声を大にして驚く。

 そんな2人のやりとりを見ていた要救助者の男性が呟く。

「す、凄い男言葉なんですね……」

 一般人に言葉遣いを言及されてしまった。

「ああ!? こっちがどんな話し方してようと自由だろ! それとも何か? 可愛い顔してるから変だってかてやんでえバーロちくしょー」

「言葉遣い」

 反射的に激昂した真田少年を、母が静かに、端的に窘めた。

「はい、以後気をつけます。ごめんなさい」

 救助者はとっくに母に預けていたが、まだ魔法少女を見ているのを失念していたのだ。

 真田少年の男らしい言葉遣いだけでなく、あのお尻も魔法少女関係者と知られたら、姉が作り上げた魔法少女としての名誉が崩れかねない。

 そう考えた彼は、保護者に目配せをしたが、相手は無言で頷いた。

 ”そのまま戦え”ということか。

 考えてみれば、一般人にとってはあれはただのお尻の怪物だ。

 お尻からミニスカートが出てたからと言って、お尻が魔法少女であると思うはずがない。

 魔法少女のイメージが損なわれることもないだろう。

「え、なんですかあれ!? ちょっと!?」

「ご心配なく、あなた達は私が守りますから」

 要救助者の前に騎士が大楯を構え、戦闘の二次被害に備える。

 本格的な戦闘の始まりを予感し、両手で杖を強く握りしめる。

 まさかお尻と戦うことになるなんて予想だにしなかったがやるしかない。

 ”Be A Man(男らしくなれ)”と自分に言い聞かせて意識を集中させると、光が杖の周りで弾けていく。

 正確には、先端に埋め込まれた宝玉の周囲だ。

 お尻が両腕を旋回させてこちらに飛びかかってきた。

「BUUUUUUUUUUUUU!!!」

 野太い鳴き声が大気を震わせる。

 魔法少女の杖で、お尻の攻撃を受け止める。 

 プリリン・バースと姉が呼んでいた杖、綿菓子とケーキを合成させたような見た目のそれは、何ができるのかまだわからない。

 姉がしていたようにしてみようと考えて杖から光を放つ。

 記憶と見た目は似ているが、大きさも速さも足元にも及ばない。

 鎌が軽々と光の弾をを掻き消し、魔法少女へと距離を近づけていく。

 横薙ぎの斬撃を跳んで躱し、宙で身を捻って頭に攻撃をぶつける。

 ふわふわした星が女の頭部にあたり、一瞬のけぞるが額に大きな瘤を拵えた女が凄絶に笑う。

「何なんだお前は! 魔法少女の力を使ったと思ったら悪いことしやがって!!」

「BUUUUUUUUUUUUUTTTTT!! キャキャキャ! 見てわかんねえのかい! これはケツだ! クソみてぇな人生を送ってきたあたしが、金も何もかんもをケツから呑み込んでやるのさ!! 不思議なもんでさあ〜〜〜〜”全部をケツで呑み込んで糞にしてやる”って決めてから、魔法少女の力が上がる一方なのさあ!!」

 お尻の割れ目が広がって、甲高さに気泡が混じったような声音でがなり立ててきた。

 言いたいことはわからないでもないが、それでどうしてお尻なのか。

 市長は交雑乙女とは魔法少女と”双極”の属性を持つと言っていた。

 それによって反動的に魔法少女の力が強まると言うが、ケツを選ぶというのはいったいどういうメンタルが故か。

 黙っていれば何かわかるかと一度じっとしてみると、お尻の鳴き声が徐々に整ってきた。

「ケツは良い! 何を呑み込もうと出す時は全部糞だ!! ケツに呑み込まれることで人はようやく真の平等を得られる! それであんたはどうなのさ? こんな力を持ったら好き放題したくなるだろう!?」

「待てよ、俺とお前の力は違うだろ!」

「同じさァ、同じケツ穴さァ!!」

 お尻になった怪物は甲高く咆哮した。

 肉と肉が打ち合い、震える音も混じる。

 放屁めいた音色。

 ケツが話をしているんだから当然だ。

「どうせこの世界に平和はないんだ! あんたもあたしのケツでごっつぁんさせてもらうよ!」

 お尻になっても言葉は話せる。

 重低音ではあるが、これからのためにも貴重な情報だろう。

 …………本当にそうなのか? 自分はこれからお尻と戦っていくのか? こんなのが2人といるのか?

 赤ん坊、お尻という流れで来られると、全ての可能性が悪い意味で拓けてしまっている。

 魔法少女の力を盗んだ悪党達を倒すと言うには、”魔法少女”の双極の属性こそが重要に見えてきた。

 思考をするのに邪魔な懸念を追い払い、真田は声を張り上げた。

「バカを言うんじゃねえ!! グダグダ言おうとやってることはただのか弱い人たちをイジメてるだけだろ!! それのどこが平等だ! あとケツは呑み込むものじゃねえ!! そんなことして何が楽しいっつうんだ!!」

「そう言ってる間にこっちはすでにテーマソング作成にも進んでいるのさ! あ〜れは〜お尻の〜〜〜〜無敵のおケツ〜〜」

 調子外れのリズムで歌い、女はただ力を振るうばかり。

 お尻と魔法少女の組み合わせ。

 一見すると馬鹿げているが、実に強力だ。

 とにかく身体能力が高い。

 一撃一撃が新人魔法少女では受け止めるだけで必死な威力。

 反撃に転じるには経験もパワーも不足している。

 このままではジリ貧は必死。

「ずっと遠慮してきたよ。魔法少女が頑張ってるんだからってね。でも結果はこれさ! 働いてても上司にどやされ、行儀よく生きててても無駄に終わる! じゃあもう知るか!! 市長のクソ野郎に貰った力ならさあ、世間様も同意してるってことじゃん! クソに貰ったクソでみんなクソにしてやる! 景気づけにまずは魔法少女からクソにするのさあ!!」

「ふざけやがって! 弱い者いじめしたいだけじゃねえか! せめて力使わずに普通に生きろよ! しかも尻て!」

「うるさいねえ、万物は尻から出て尻に帰るのさ! 帰らないならケツから迎えてやるよ!! この名言を冥土の土産に、ここで死にな!」

 敵の顔が縦に割れ、口蓋が覗く。

 悪臭、鼻が曲がるほどの悪臭が、真田の神経を揺さぶった。

 視界が揺れ、敵の顎がさらに大きく開いたと思いきや、内部から鋼鉄の棒が射出された。

 圧縮された空気の噴射を推進剤に超音速で襲いかかってきたそれを、真田剛毅は辛くも避ける。

「クソっ」

 頬にできた切り傷。棒はブラフ。本命はともに射出された齒だ。

 抜けた齒はすぐに新しいのが生えてくる。

 お尻であることに囚われていた。

 お尻だろうと相手は魔法少女の力を持っている。

 つまりは姉……自分と同族と言えなくもないのだ。

 認めなければ、交雑乙女も魔法少女の一種。お尻も姉や自分の同族だ。

「これで……終わりだ! うんちになっちゃえー!」

 実質、初めての戦いであることからの、戦闘の奇想天外さに対応しきれず、硬直してしまった真田剛毅の眼前にお尻が飛びかかった。

 正面の戦いだと言うのにまともに攻撃をもらってしまった。

 限界まで開いたお尻は底が深く、暗黒一色。

 呑みこまれればどうなるか予想もできない。

 おそらくはお尻魔法少女の言うように、糞になるのだろう。

 魔法少女が糞に。ぞっとしない話だ。

「今、貴方は追い詰められているわ」

 母が厳しい眼差しを息子に注ぐ。

「ここで一歩を踏み出して。魔法少女としての形を作るのよ」

 そんなことを言われてもわからない。

 言葉で示されても、魔法少女になるなど想像もしていなかったのだ。

 目の前に菊紋がいっぱいに広がる。

 無数の牙が生えた門は少年を呑み込み、その通りの糞に消化するのだろう。

「嫌だ……!」

 とにかく嫌悪感と拒絶の意志が真田の胸中を埋めた。

 そんなのは絶対に嫌だ。

 魔法少女になってうんちになって終わり、残るはケツの怪物が悪徳を謳歌する。

 とても許容できる終わりじゃない。

自分は魔法少女だ。

世界を救ったプリティプディングの後継者だ。

そして、彼女を蘇らせるために強くなると願ったのだ。

希望の糸がどれだけ細いとしても、それを見逃す気はない。

姉へと至る糸を鎖のように太く、雁字搦めにして――

 真田の意志に応じて、杖が光輝に包まれる。

 最も暗い夜の暗闇の中に、星の光がきらめく。

 光は不定形の粘土になって捏ねられ、真田少年の右手の指に巻き付く。

 杖の感触が大きく変容した。

 その意味を理解するより先に、無我夢中で真田は拳をお尻に突き出した。

「ぎょえええええ!!」

 お尻のタブが絶叫に震えた。

 姉より受け継いだ魔法の杖が、真田剛毅の意志によって右手の指を防護するナックルガードになり、先端の宝玉はチェーンになって伸びていた。

 前回の変身では、魔法少女だった姉を思い出した。

 今回はとにかく印象的な姉のシーンを頭いっぱいに上映する。

 自分が取り戻そうという存在。

 敵を倒し、胸を張って優雅に宙に揺蕩う美しさの極地。

 強く、薙ぎ払う。

 姉とはとにかく敵を倒し、平和を齎す存在だった。

 そのイメージが女装魔法少女に乗ってメリケンチェーンから魔術を放つ姿になったということだ。 

 母の言葉、危機的状況、連動して引き出された強さのイメージが、脳に焼き付いていたた記憶に結びつく。

 そうして瞼を通過する程の激しい光が杖から生まれた。

 弾ける火花がたちまち伸びて放射状へ雷が走った。

「はぁっ!? なっ、こっ、あぎゃあ〜〜!!」

 チェーンが伸び、そこをアースに魔力による電流が流れる。

 轟音が遅れて訪れ、目を開けると周囲は黒い焦げがこびり付いていた。

 光が消えて視覚が戻ると、戦っていたお尻は雷に打たれて目を回し、気絶していた。

 変身をしていたからか、意識を失うと人間の姿に戻った。

 人の形に戻ると、手入れのされていないボサボサの髪に穴の空いたブラウスの女でしかない。

 貧しさは見えるが、それでもお尻になるようには到底見えない。

 この女にケツになるほどの闇があるとは到底思えなかった。

 いったい人間の心にはどれほどの未知の領域が眠っているものなのか。

 だが勝ちは勝ちだ。戦いに勝った。

 初めてのまともな戦いというのはこれほどに異様なものなのか。

 まず相手の外見から予想を圧倒していた。

 だが、とにもかくにも初陣にて見事に勝利を収めることができた。

 あんなのが魔法少女と知られることなく、事態を収められた。

 そう考えると嬉しさや達成感がある。

「いよぉおおおし……」

 戦いを終えての勝利は虚しいとよく言われる。

 しかし、実際に終えてみると虚しいのではなく手持ち無沙汰だ。

 ゴングが鳴るわけでもファンファーレが奏でられるわけでもない。

 さっそく市魔法少女の力を盗んだ悪党を倒したことを伝えようと思い、市長に電話をしてみたが、今は繋がらないようだ。

 こういう場合、次の事件現場に飛んでいくとスマートなのだが、あいにくと心当たりがない。

 あと、空の飛び方もわからない。

「あの……」

 なんとなくその場でぼーっとしていると、助けた男性が声をかけてきた。

 一人は気絶したまま目覚めていないが、騎士の後ろにいた方が声をかけてきたのだ。

 状況把握に脳を動かし。戦いの興奮が冷めやらないせいで話しかけられているとすぐには気づかなかった。

 真田少年はびくんと体を震わせて跳びはねた。

「おおぅ、なんすか」

「助けていただき、本当にありがとうございました」

 地面に擦り付けて、さらに擦りそうなくらいに深々と頭を下られた。

 慣れないことをされて、少年は緊張を抑えられない。

 生まれてこの方、真田剛毅は人にここまで感謝されたことがなかった。

 すべての好意や感謝は自分を通り抜けて、家族に向かうもの。

 不平や不満を抱いた記憶はない。

 そのはずだったのに、たった一つの感謝でも、真田少年にとっては心の根底を揺るがす衝撃だった。

「いえいえいいんですよ! べつに当たり前のことっすもん! 困ったときのお互い様……みたいなね? まあしばらくは夜に出歩くのは控えた方がいいかもしれないですね」 

 こんなありきたりな警告をしても伝わるわけはない、と言ってから気づく。

 少なくとも、真田は家族にそんな決まりきった定型文句を伝えられても……聴き入れるがそれは母が怖いからだ。

 無駄なことを言ってしまったと後悔するも、反応はぜんぜん違う。

「は、はい!! 絶対にそうします! 魔法少女様……」 

 犯罪の被害に遭ったばかりの男が、恍惚と崇拝が混ざった瞳で見つめてくる。

 そこでようやく真田少年は気づいた。

 この人は自分を見ているのではなく、背後にいる先代の威光を見ているのだ。

 ルーキーに過ぎない少年がここまですぐに、市民の信頼を得られるわけがない。

 成り行きで力を得たに過ぎない彼の両肩に”魔法少女”の重みがのしかかる。

 自然と背筋がぴんと張って、胸を突き出し、顎を引いた。

「とにかく、ご安心ください! これからは何かあっても、俺がなんとかしますから!!」

 ふと、少年は自分の魔法少女としての名前がないことを思い出した。

 どうせ一時的なものだとしか見ていなかったので、名前を考えるつもりがなかった。

 それに、魔法少女としての名前を持つと、いよいよ”戻れなくなる”予感があった。

 暗い路地、夜でも煌々と明るい街頭でも照らせない場所にピカピカ光が灯った。 

 通りを行き交う人々が騒ぎを聞きつけてやって来たのだ。

「はいはーーーーい。新人魔法少女はこちらですよー」

 違った。真田の母が騎士の格好のままで案内して来た。

 何をやっているんだ、あの人は。

「おお、魔法少女だ!」

「新しいのはちょっと悪っぽいぞ!」

「でもかわいい!!」

 フラッシュの雨あられが出来合いの魔法少女に降り注ぐ。

 名前も決めていない、ただの間に合わせな在り方でいることが、真田剛毅には酷く恥ずかしい。

 ここで背を向けるのは簡単だが、逃げれば姉の名誉に傷をつける。

 迷う少年に、市民は遠慮なく質問を浴びせる。

「お名前はなんですか?」

「いつから魔法少女を?」

「必殺技は?」

「う……あ……」

 後退りしそうなのを堪えたのは、自分があの”魔法少女”だという認識。

 姉と同じ、人々の希望にならなければならない存在。

 迷った少年は、夜の空に視線を逃がす。

 何かを期待したわけではないが、暗闇が光に消される今では、星の一つも見えはしない。

 どんなに大きい星でも、地上に強い瞬きがあれば、目が眩むものだ。

「スター……」

 朧気に浮かんだワードを口にし、真田剛毅の心に天啓が来た。

「魔法少女ナイトスターです! 心細い時は、俺を呼んでください!!」

 思いつく限りのそれらしいポーズをし、真田剛毅改め、魔法少女ナイトスターは初めて世界に姿を現した。

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