第9話「紅き女神と焰の試練」

 アキラは村を後にし、次の勇者を探す旅を続けていた。焚き火の炎が揺らめく中、先ほどの戦いの余韻が心に深く残っている。彼は過去も未来もただの幻だと見なしていた。炎の前で、自らの無感情さを確認し、冷静さを保とうと努める。「感情を捨てた者が、人間であり続けることができるだろうか?」彼はその答えを知りたくないと思っていた。


 アキラが焚き火の前で冷静さを保とうとしていると、闇の中から突如「紅き女神様のために!」という叫び声が響き渡った。彼の視線が急激に動くと、狂信的な信者たちが暗闇から浮かび上がるように現れ、異様な輝きを放つ魔石を持って突進してきた。アキラはその不気味な光景に一瞬、息を呑んだ。


 信者たちは、自爆攻撃を決行することを一心に誓っているかのように急速に接近してきた。彼らの目には決意と狂気が交錯し、自爆にかける覚悟がひしひしと伝わってくる。その背後には、神界の意志を果たすために自らの命を投げ出すという壮絶な信仰が見え隠れしていた。

 

 アキラはまず、ミカを安全な場所に避難させることを最優先に考えた。冷静に周囲を見渡し、ミカを守るために最善の行動を取ることを決意する。爆発の恐怖が迫る中、アキラはミカを引き連れ、迅速に避難路を確保しようとした。ミカには、彼が自分の命を守るために最善を尽くすと約束し、安心させようと努めた。


 自爆攻撃が始まると、爆発は単なる物理的な衝撃に留まらず、周囲の空気を一変させた。爆発の衝撃波がアキラを吹き飛ばし、彼の再生能力にも影響を与えた。アキラはその激しい衝撃にもかかわらず、必死に耐え抜きながら冷静さを保とうとした。信者たちが繰り返し自爆する様子はまるで狂乱の儀式のようで、アキラの内面に深い不安を呼び起こしていた。


 その瞬間、耳元に含み笑いをするかのような女性の声が響いた。「これも――運命よ。」その声にアキラの心は凍りついた。すぐに彼の記憶が、元の世界での最後の瞬間、校舎から突き落とされ地面に激突する直前に聞いた言葉と重なった。女神の声がここでも響き、アキラは自分が死に至る原因が女神によって操られていることを確信した。


 爆発の混乱の中で、アキラは自身の過去と現在が交錯するような感覚に襲われた。焚き火の炎が青く変わり、過去の記憶とリンクするかのように映像が浮かび上がる。彼はその感覚に対処しながら、信者たちの狂信的な行動の背後に潜む意図を読み解こうとする。


 アキラはその痛みと混乱を受け入れつつ、自爆攻撃がただの破壊行為ではなく、何かもっと深い目的があるのではないかと考え始める。「このままでは進めない」と心の中で決意し、次のステップに進むための手がかりを探し始めた。ミカの安全が確認された後、アキラは自爆攻撃の最中でも冷静さを保ちつつ、周囲の安全を確保するための準備を進めた。彼の内なる葛藤と、それに立ち向かう決意が、暴力の中でも彼を導き続けた。戦場が次第に静けさを取り戻し、アキラは再び前進する決意を固め、次の目的地へと歩みを進める。


 アキラとミカは村を少し離れた狩人の使う無人の小屋に避難し、休息を取ることができた。アキラはこれからの戦いに向けての計画と、ミカを守る責任感で心が満ちていた。小屋の中で、二人は互いにじっと見つめ合い、言葉以上の深い絆を感じ取ることができた。


「ありがとう」とアキラが静かに言うと、ミカは微笑み返し、その瞳には感謝と安堵が浮かんでいた。月明かりが差し込む部屋の中で、二人は寄り添い、心の距離を縮めていった。アキラは優しくミカを抱きしめ、温かな体温で安心感を与えた。互いに触れ合い唇を重ねることで、二人の心と体はさらに深くつながっていった。


 その夜、アキラとミカはお互いに寄り添い、求め合い続けた。最後に深い安らぎを得ることで心の隙間を埋め合った。安らかな眠りの中で、二人は互いの存在の大切さを再認識していた。


 翌朝、アキラは自身のことを考え込んでいた。過去の記憶と他者の体験が混じり合い、自分自身を見失いつつあることに気づく。「俺は俺であり続けられるのか?」再生の対価に縛られ、深く考えることを避けていた。任務を遂行するたびに、人間らしさを失っていることに気づいていた。感情や思いやりは遠い記憶のように感じられる。「もし俺が自分を見失ったら、まだ人間でいられるのか?」この問いが繰り返されるが、答えは闇に消えていく。


「昨日の痛みを忘れ、今日の痛みを記憶し、明日の痛みが成果を生む」と自分に言い聞かせるが、その痛みは消えることはない。再生しても消えない痛み、血に染まる視界がアキラを襲い、彼の心はさらに使命感に染まっていく。機械仕掛けのように冷徹に任務をこなすアキラを癒してくれるのは、彼に懐いている魑魅魍魎たちだった。幽影蛇(ゆうえいじゃ)はアキラに寄り添い、「アキラ兄ィ、胸を張って進めばいいんです。僕らのヒーローですから」と励ます。


 アキラが自らの葛藤に押しつぶされそうになっていると、背後から馴染みのある声が聞こえてきた。「やあやあやあ、アキラ君。久しぶりだね」


 振り向くと、そこには外側の者が立っていた。彼は飄々とした態度で、アキラに近づいてくる。


「君、相変わらず悩んでいるようだね。勇者を退職させることについて、色々と考えているんじゃないかい?」


 アキラは警戒しながらも、「お前には関係ないことだ。それより、なぜここに現れた?」と問いかけた。


 外側の者は一瞬、悲しげな表情を浮かべたが、すぐに微笑に変わる。「かつて僕も神界に関わる者だったが、女神に裏切られたんだよね」


 その言葉を聞いた瞬間、アキラは焚き火をじっと見つめた。炎の揺らめきが彼の目に映り、過去の記憶がかすめる。「それが事実なら……」彼は言葉を飲み込み、慎重に次の言葉を選んだ。


「裏切られた?」アキラは静かに問い返した。


 外側の者が言った。「君は気づいていないかもしれないが、君の任務はただの『退職代行』ではない。君が退職させた勇者たちの背後には、もっと大きな計画が隠されている」


 アキラは眉をひそめたが、表情には変化はなかった。「俺には関係ない。任務があるだけだ」


「本当にそう思うかい?」外側の者は薄笑いを浮かべた。「君が無視している真実は、やがて君自身をも飲み込むことになる」


 アキラはその言葉を深く考えなかったが、その背後で何かが変わり始めていることを、無意識のうちに感じていた。


「残念ながら事実はそうだね。おかげで僕の半身は吹き飛ぶし、なかなか再生されなくて困った物だよ。あの女神は、表向きは慈悲深い存在のように見えるが、その裏では計り知れないほどの計略を巡らしている。何らかの方法で今後接触してくるだろうから気をつけた方がいいね」


「女神を抹殺するつもりか?」アキラは静かに、しかし内心では不安を抱えながら尋ねた。


 外側の者は軽く笑った。「ふむ、地上での影響力は低下しているから、将来的には可能かもしれないが、確実ではない」


 アキラは焚き火の炎に視線を戻し、何かが揺れ動くのを感じた。「では、紅い女神とは何者だ?」彼の声には微かな震えが含まれていた。


 外側の者は飄々とした態度を崩さずに応じる。「紅い女神と呼ばれる者もいたよ」


「はぐらかさないでくれ」アキラは疑念を込めた視線で問い詰めた。


 外側の者は一瞬、息をつき、深く呼吸を整えた。「少し説明しよう。紅い女神は神界の者ではなく、別の世界の神から力を授かった女勇者だ。理由はともかく、彼女が神界に現れたことで大混乱が起こった。三人は光焔界に逃げ、一人は半身を失い、もう一人は神界に残されて抹殺された。まるで信じられない話だろう?」


 アキラはその言葉を黙って聞き、焚き火を見つめ続けた。炎の中に、自分の運命がちらつくように思えた。


「そう、だったのか」


 外側の者はアキラの反応をじっと見つめ、再び口を開いた。「ただし、アキラ君、本当に気をつけるべきことは君がすでに知っていることだよ」


「知っているだと?」アキラは眉をひそめた。


「そうだよ。嗟嘆や永劫獣、虚空竜から記憶と体験を受け継いでいるんだろう?彼らはその女神と対峙し、その結果を体が覚えているはずだ」


 アキラはその言葉に戸惑い、次に何を言うべきか迷ったが、外側の者は続けた。「ただ、気をつけてね。記憶に深く入り込みすぎると、元に戻れなくなるかもしれない」


「……ああ」


 外側の者はアキラの反応を冷静に見つめながら、「答えは君がすでに知っているよ。僕よりもね。何せ三人分の記憶があるんだから」と静かに言った。


「わかった」


 その瞬間、外側の者は再び飄々とした態度に戻り、軽い口調で言った。「それじゃ、本題に入ろうか。実は君にお願いがあるんだ。次に君が出会うのは、勇者ではない者だ。そいつを殺さずに退職させてほしい」


「勇者以外にも退職代行が通用するのか?」アキラは驚きと疑念を込めた目で相手を見つめた。


「そうだよ。ただ、誰なのかは今は教えられない。ただ、一つ言えるのは、君の貞操が狙われるかもしれないってことかな」と外側の者は冗談めかした調子で答えたが、その笑みに隠された意図が感じられた。


 アキラがその言葉に反応しようとした瞬間、二人を監視している何者かの気配に気づいた。「何者だ?」と問い詰めるアキラに、外側の者は笑みを浮かべて「君が知るべき相手ではないよ」と軽く流した。この不気味なやり取りに、アキラの心に新たな不安が広がる。


「退職代行が通用するなら、再度職業認定は女神の仕業か?」アキラは核心に迫るように尋ねた。


「おやおや、アキラ君、ついに女神に疑問を持ったか。いいね、君も成長している」と外側の者は愉快そうに答えた。「実はね、ヒルジの丘の麓にある古い教会が、本来の神託の場所なんだ。そこでは、無職の者なら誰でも職業とそれに応じたスキルを得られる。ただし、女神の影響下にはない」


「それは一体誰が?」アキラはさらに問い詰めた。


 外側の者は少し黙った後、意味深な笑みを浮かべて言った。「もうすでに君は会ったことがある相手だよ。それ以上のことは今は教えられないが、いずれ分かるさ」


 そう言って、外側の者はふっと姿を消した。彼が消えた後も、その言葉がアキラの心に深く残り続けた。そして、新たな疑問が彼の頭を巡った。「ヒルジの丘の麓の古い教会……」アキラはその場所に心当たりはなかったが、外側の者が言ったことが頭から離れず、次の行動に対する迷いがじわりと生まれていた。


 アキラは外側の者の言葉が心に残ったまま、焚き火の前で考え込んでいた。夜が深まるにつれて、彼の心はますます混乱していった。ヒルジの丘の麓の古い教会が、いったい何を意味するのか。外側の者の言葉が示唆する神託の場所が、彼の次の行動にどのような影響を及ぼすのか。彼はその教会についての記憶を掘り返そうとするが、まるで霧の中にいるようで、どうしても具体的なイメージが掴めなかった。


 突然、暗闇の中から、かすかな足音が聞こえた。アキラは敏感に反応し、武器を手に取った。その音が近づいてくると、彼は身構えた。


「誰だ?」彼は声を張り上げた。


 すると、影から現れたのは、黒いローブに身を包んだ一人の女性だった。彼女は静かにアキラに近づくと、穏やかな声で言った。「アキラ様、お待ちしておりました」


 アキラは警戒心を強め、リリスの顔をじっと見つめた。「君は一体?」


「私の名前はリリス」と彼女は答えた。「外側の者からお話を伺いました。私が、次にアキラ様が出会うべき人物を知っているかもしれません」


 アキラの警戒心は高まった。「どうして君がそのことを?」


 リリスはゆっくりと、だが確実にアキラの視線を受け止めた。「私は神界の情報を追っている者です。外側の者の言う『勇者ではない者』の正体について、少しの手がかりを持っています」


 アキラはリリスの言葉に対して、即座に信頼することはなかった。彼は一瞬の沈黙の後、冷静に尋ねた。「手がかり?それだけでは信じるわけにはいかない」


 リリスは微笑んで答えた。「もちろんです。信じるかどうかは、アキラ様自身の判断にお任せします。ただし、私が知っていることは、あなたの次の行動に役立つかもしれません」


 アキラはリリスの言葉をじっくりと考えた。「それで、教会に関して何を知っている?」


「ヒルジの丘の古い教会には、神界の力を宿す特別な存在がいると言われています」とリリスは答えた。「その教会に向かうことで、あなたの運命に関わる重要な情報が得られるかもしれません」


「教会の中にどんな危険が潜んでいるのか、分かっているのか?」アキラはさらに追及した。「君の言葉に隠された意図があるなら、正直に言ってほしい」


 リリスは少し沈黙し、その後、真剣な表情で答えた。「教会には、あなたが想像もつかないような試練や危険が待っているでしょう。それに、私もその教会に関する全てを知っているわけではありません」


 アキラは深く考え込み、リリスに対する警戒を強めた。彼の心の中で、リリスの意図に対する疑念が湧き上がっていた。「君の言葉を完全に信じるわけにはいかない。もし本当に役立つ情報があるなら、もっと具体的な証拠を示してほしい」


 リリスは一瞬、困惑したような表情を浮かべたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。「アキラ様が納得するまで、私の言葉は信じられないでしょう。しかし、あなたが選択を迫られるその時が来れば、私の言葉がどれほど重要であったかを理解するかもしれません」


 アキラはリリスの言葉に慎重に耳を傾け、彼女の言葉が全て真実であるとは限らないことを肝に銘じた。「分かった。教会に向かう前に、他に注意すべきことがあるなら、もう一度確認させてほしい」


 リリスは立ち上がり、暗闇の中へと消え去る前に、最後にこう告げた。「教会に向かう途中で、あなたの目的を阻む者たちが現れるでしょう。それらの者がどんな試練を課してくるかは分かりませんが、心してかかってください」


 リリスが去った後、アキラは焚き火の前に座り続けながら、彼の運命が次第に明らかになる予感を抱きつつ、準備を整え始めた。彼の心には、リリスに対する疑念と、これからの試練に対する決意が交錯していた。

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