第8話「友と刃の間で」


 翌朝、アキラとミカは次の目的地へ向かう準備を整え、村を後にしようとしていた。村の門へと近づくたびに、アキラの胸には不安が膨らんでいく。道の両脇に立つ村人たちは無言のまま彼を見つめ、その視線がまるで刃のように背中に刺さった。


 一歩一歩進むごとに、アキラの歩みは自然と鈍り、周囲を警戒する気持ちが強まっていく。ある村人は無表情で微笑んでいたが、目には陰りがあり、手に持った野菜を無意識に握り潰していた。別の村人は、何かを隠そうとするかのように、震える手で服の裾をぎゅっと握りしめていた。


 その時、子供が突然アキラに近寄り、無邪気に「お兄さん、誰かを探しているの?」と尋ねた。無垢な瞳の奥に潜む違和感が、アキラの心にさらなる警戒を促した。彼はミカに「油断するな」と短く告げたが、その瞬間、突如として襲撃が始まった。教会が送り込んだ刺客であり、その中にはかつての友人シンジの姿があった。


 シンジの冷たい視線を受け止めた瞬間、アキラの胸に鋭い痛みが走った。かつて共に未来を語り合った友が、今や刃を向けているという現実に、彼の心は凍りつく。「お前には用がないんだよ」という冷ややかな言葉が、アキラの心に深く刺さった。


「お前が……どうしてここに?」


 シンジは冷笑を浮かべ、アキラを見据えた。手には鋭い刀が握られていた。


「久しぶりだな、アキラ。お前がまだ生きているとは思わなかったよ」


 シンジが一歩近づくと、アキラは無意識に後ずさった。彼の目には異様な光が宿っており、その異常さがアキラに強烈な警戒感を抱かせた。


 その瞬間、アキラの脳裏に過去の記憶がフラッシュバックした。あの日、校舎の屋上で、シンジが彼を突き落としたときの冷たい笑み。「女神のためだ」というシンジの言葉が、今も耳にこびりついて離れない。しかし、その後に続いたのは後悔と混乱の声――「俺は何をしたんだ?」。シンジは女神に操られ、彼の意志はすでに粉々に砕かれていた。


「女神様を愚弄する者は排除だ……」


 シンジはその言葉を自分に言い聞かせるように、再びアキラに斬りかかった。しかし、その攻撃にはわずかな迷いが見えた。かつての友情の記憶が、シンジの心に影を落としていたのだ。彼は自分の意志に逆らうように動いていたが、女神の命令に逆らうことはできなかった。


 シンジはかつて、女神によって「救われた」と感じていた。しかし、それが錯覚であることを彼が理解し始めたのは、アキラを殺害した後だった。警察が校舎に押し寄せ、シンジたちが現行犯逮捕されるまで、彼は自分が何をしたのか理解できずにいた。全国的に知られる事件となり、シンジ自身も、なぜあそこまで憎悪が高まったのか理解できていなかった。


 留置所で囁かれる女神の声だけが、彼にとって唯一の救いとなった。「転移すれば家族は救える」と女神は囁いた。「親兄弟が全て救われる、だから合言葉とともに転移しなさい」と。そしてその時、学校関係者を含めた全員が女神の誘因により唱えた。「紅き女神のために」と。


 その後、シンジは女神の声に完全に支配され、冷酷な兵器へと変貌した。しかし、アキラとの再会が彼の心にかすかな揺らぎをもたらしていた。過去の記憶が、シンジの動きを一瞬止めた。


「これでいいのか……」


 アキラはシンジの攻撃を冷静にかわしながら、内なる葛藤に苦しんでいた。「どうして、友を討たなければならないんだ……」かつて共に過ごした日々が、彼の脳裏に鮮やかに蘇る。しかし、その記憶はシンジが自分を裏切った瞬間に塗り替えられる。激しい怒りと裏切りの痛みが再びアキラの心に突き刺さる。それでも、どこかでシンジが操られているのではないかという疑念が消えなかった。


「またこうして、刃を交えるなんて皮肉なものだな……」


 アキラは躊躇いを振り払い、戦う決意を固めた。この世界では、迷いは命取りになる。感情を押し殺し、アキラは冷徹に戦い続けることを選んだ。


 シンジが鋭く斬りかかる。アキラは反射的にその一撃をかわし、瞬時に反撃を試みるが、シンジもそれを予測していたかのように素早く回避する。鋼の刃が交わり、空気が裂かれる音が響き渡る。二人の戦闘は、まるで死神の舞のように、緊張感に満ちていた。


 シンジが一瞬動きを止め、冷たい瞳でアキラを見つめた。その目には、何かを訴えかけるような微かな光が宿っていた。


「これで本当にいいのか……」


 その問いかけがアキラの心を一瞬揺さぶる。しかし、次の瞬間、シンジは再び容赦なく攻撃を仕掛けてきた。


 アキラは辛うじてその猛攻をかわし、即座に反撃に移る。彼の銃が一瞬の隙を捉え、シンジの胸元を狙う。しかし、その瞬間、かつての友情がアキラの決断を鈍らせた。


 アキラの攻撃はついにシンジの刀を弾き飛ばし、その隙を見逃さず、彼は一気にシンジの懐に飛び込み、決定的な一撃を放った。


 シンジは崩れ落ちながら、かすかな微笑みを浮かべた。それは、まるで長い夢から解き放たれたかのようだった。息絶える間際に、かすれた声で言った。


「俺たちは結局、何も変えられなかった……紅い……紅い女神には気をつけろ……悠人たちが待っている……」


 その言葉がアキラの胸に深く刻まれた。シンジの瞳からは、ほんの僅かに涙が零れ落ちたように見えた。


 アキラはシンジが完全に動かなくなったことを確認すると、静かに「退職フィールド」と呟いた。驚いたことに、死後数秒だったためなのか、半透明の状態でぐったりした勇者が分離された。シンジの体はまるで抜け殻のように見え、アキラの目の前でぼんやりと浮かんでいた。その半透明な姿は、まるで魂が抜け出たかのように無力で、彼の体内から浮かび上がった核が淡く光を放っていた。


 アキラはその核に狙いを定め、迷いを振り払うようにして刀を振り下ろした。刃が核を貫いた瞬間、シンジの半透明な擬人化体は霧散し、まるで風に吹き飛ばされた砂のように消え去った。アキラはその光景を見つめながら、心の中で何かが崩れ落ちるのを感じた。


「死後でも退職が通じるのか……」アキラは驚きと戸惑いの入り混じった声で呟いた。


 その事実に動揺しながらも、胸には冷たい虚無感が広がった。彼の手が震えているのを感じながらも、アキラは己を奮い立たせ、シンジの無残な姿に最後の別れを告げた。


「さようなら、友よ……」


 アキラの心の中にわずかに残っていた温もりが、完全に凍りついた瞬間だった。かつての友情、共に戦った日々、それら全てがこの一撃で断ち切られてしまったという現実が、彼の胸に重くのしかかった。


 ミカが駆け寄り、アキラを支えたが、彼の胸には深い悲しみが渦巻いていた。彼は使命を果たすために戦い続けるしかないと感じながらも、その道の果てに何が待っているのか、考えずにはいられなかった。


「紅い女神……悠人たちが待っている……」


 シンジの最後の言葉が、アキラの頭の中で何度も反響し、その言葉が胸に重くのしかかった。これからの戦いに対する不安と恐怖が押し寄せ、彼はその重圧に押し潰されそうになっていた。


 ミカはアキラの肩に手を置き、彼の苦しみを感じ取り、そっと寄り添おうとしたが、アキラの瞳はどこか遠くを見つめていた。彼はただ、目の前に広がる現実を受け止めることしかできず、その現実の重さに圧倒されていた。


 二人は無言で立ち上がり、静かにその場を後にした。森の中には彼らの足音だけが響き、朝の薄明かりが背後に差し込んでいた。森の静寂が二人の間に広がる中、アキラはシンジの最後の言葉を繰り返し考えた。彼が背負う使命と、それを果たすためにこれから向き合うべき戦いが、さらに彼の心を重くしていた。


 ミカもまた、アキラの沈黙に気づいていたが、彼の苦しみを和らげる言葉を見つけることができなかった。彼女はただ、彼の隣に寄り添い続けることしかできなかった。


 やがて、二人は次の目的地へ向かう決意を新たにし、歩みを進めた。しかし、アキラの心にはまだシンジとの再会が残した影が色濃く残っていた。彼はこれから待ち受ける戦いに備え、心を強く持とうと努めたが、過去の友との戦いが彼に与えた傷は、簡単には癒えないことを痛感していた。


 その時、アキラはふとミカに向けて呟いた。「俺たちの戦いは、これからも続くんだな……」


 ミカは静かに頷きながら、アキラの手をそっと握りしめた。「そうね。でも、私たちならきっと乗り越えられるわ」


 アキラはミカの言葉にわずかな微笑みを浮かべたが、その目の奥にはまだ深い葛藤が残っていた。彼はこの戦いがどこへ導くのか、そして自分が本当に望む未来が何であるのか、再び考え始めていた。


 その頃、教会では不穏な動きが進行していた。


「なんてこと!」イザベラは叫ぶように声を上げた。


 それもそのはず、四人目の勇者を失ったことが、勇者クリスタルの光が消えたことで明らかになったのだ。屈強な司祭ベラミーも失ったことで、教会内ではすでにイザベラの評価が急速に低下していた。他の司教たちは彼女を避けるようになり、不運が伝染するかのように距離を置いていた。


「もうこうなったら、私が先陣を切るしかないのね」と、半ば絶望し、半ば希望を抱きながら、イザベラの心は揺れていた。若くして司教の地位に上り詰めた彼女は、その美貌を武器に相手を誘惑し、戦士としての力をもって司教としての威厳を保ってきた。しかし、今やその全てが危機にさらされていたのだ。


 彼女の美貌は狂気によって歪み、アキラの似顔絵に向けて何度もナイフを突き立てた。


「私がここまで上り詰めたのは、この手に入れた地位と名誉と財産のため。それを失うなんて、あり得ない!」


 イザベラは狂ったように叫び、机が傷だらけになるまでアキラの似顔絵にナイフを突き立て続けた。


「憎い! 憎い! 憎い! 憎いぃー!」


 彼女の行動は狂気に満ちていた。


 その時、突然、耳ではなく、脳裏に低く落ち着いた男性の声が響いた。


「お困りのようですね、イザベラ司教」


「何!? 誰なの!?」


 イザベラは驚き、周囲を見回したが、部屋には誰もいなかった。声は再び響く。


「私は外側から見通す者です……。あなたが求める新しい道をご提案するために参りました」


 その声には冷静さと不気味な落ち着きがあり、イザベラの脳裏に浮かんだのは、燕尾服とシルクハットを身に纏った謎の紳士の姿だった。彼の存在感は圧倒的で、彼女の心に強烈に焼き付いた。


「新しい道……? 何を言っているの?」


 イザベラは動揺しながらも、声は続けた。


「あなたの地位や名誉は、確かに素晴らしいものです。しかし、今以上のものがあるとしたら……さらに高い地位、そしてそれに伴う報酬。そんな新たな可能性をお考えになったことは?」


 その提案にイザベラの心は大きく揺れた。地位や名誉、そして富に忠実だった彼女にとって、今以上の報酬という言葉は抗えない誘惑だった。


「それは……本当に可能なの?」


 彼女の声は、期待と不安が交錯し、強がりは完全に消え去っていた。


「もちろんです。私はあなたの持つ三つの顔のうち、どれか一つをさらに高める道を示します。あなたの美貌をさらに際立たせ、誘惑の力を倍増させるか、それとも戦士としての力を飛躍的に強化するか。どちらでも、さらなる栄光を手にすることができるでしょう」


「……本当に?」


 イザベラは無意識に唾を飲み込み、胸が高鳴るのを感じた。これまで築き上げてきたものを失う恐怖と、新たな力を手に入れる期待が彼女の中でせめぎ合っていた。


「ただし、あなたにはまだ果たすべきことがあります。アキラ……彼を討たなければなりません」


「もちろん、そのつもりよ。奴が次に現れる場所で、私が待ち受けて、必ず討ち取ってみせる!」


 イザベラは決意を固め、ナイフを強く机に突き刺した。だが、その瞬間、再び声が響いた。


「良いでしょう。しかし、もし全てを失ったとき、迷わずヒルジの丘の麓にある古びた教会にお越しください。そこには新たなあなたを待つ運命が用意されています」


 その言葉は不気味なほど穏やかで、彼女の心に深く染み入るようだった。


「待ちなさい! まだ話は終わっていないわ!」


 イザベラは叫んだが、声はもう響かず、ただ脳裏に「お待ちしておりますよ」という言葉だけが、いつまでもこだましていた。


「私がやるしかないのね。今度は私の手で……アキラ、覚悟しておきなさい!」


 イザベラは決意を新たにし、机の上に置かれたアキラの似顔絵を見下ろした。彼女の目には再び狂気の光が宿ったが、その奥には、今後の運命に対する不安と期待が入り混じっていた。

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