第6話「ミカの過去と決意」

 アキラたちは教会との激しい戦いを終え、次の目的地である「忘れられた街」へと向かっていた。


 アキラがふと視線を上げると、遠くの森の奥に一瞬だけ奇妙な光が目に入った。その光は彼を呼ぶかのように揺れ、瞬時に消えた。


「今のは……?」と心の中で呟いたアキラは、ミカに告げる間もなく、得体の知れない不安が彼の心を覆い始めた。


「忘れられた街」がただの地図上の名前ではなく、何か恐ろしいものを隠しているのかもしれない……。その思いが頭をよぎると、アキラは急に立ち上がり、武器を握りしめた。


 深い森の中で、二人は休息を取るため、焚き火を囲んで静かに腰を落ち着けた。夜の静けさが二人を包み込み、木々のざわめきや遠くで響く小動物の気配が時折耳に届くのみだった。だが、その静けさがかえって、ミカの心に潜む不安を呼び覚ましていた。


 焚き火の炎が、彼女の内なる葛藤を反映するかのように揺れていた。炎が過去の記憶を鮮明に蘇らせた。アキラは彼女の沈んだ表情に気付き、言葉をかけた。


「ミカ、なぜ勇者を辞めたかったんだ?」


 アキラの声は穏やかだったが、その奥には過去への迷いと後悔がにじんでいた。彼もまた、この世界で力を振るうことの意味を問い直していたのだ。


 ミカは一瞬驚いたようにアキラを見たが、彼の真剣な眼差しに促されるように、再び炎に視線を戻した。揺れる火が彼女の心をかき乱し、封じ込めていた過去の苦しみを呼び覚ましていく。深く息を吸い込み、彼女はその感情を抑え込むようにして語り始めた。


「私は……ただの普通の少女だった」


 あの日、彼女はただの少女だったが、同時に、決して折れない意志を持っていた。戦いにおいて誰よりも冷静であり続けるミカだったが、彼女の心の奥底には、今でも母の手を離れたあの瞬間の恐怖が巣食っていることを誰も知らない。


「私が弱さを見せたら、全てが終わる……」


 その言葉を胸に、彼女は何度も自分を奮い立たせてきた。毎朝、母の作る朝食の香りで目覚め、学校に行って友達と笑い合った。


「あの普通の日常が、どれほど幸せだったかなんて、後になって初めてわかったの。家族や友達に囲まれて、平凡な生活を送っていた。でも、ある日突然、この異世界に勇者として召喚されたの」


 「忘れられた街」に足を踏み入れた瞬間、ミカは息を飲んだ。


 二人が「忘れられた街」に足を踏み入れると、街の中心で突然、地面が揺れた。アキラはミカの腕を掴み、急いで建物の影に隠れた。彼らの目の前に広がるのは、まるで地獄のような光景だった。


 突如として現れた霧の中から、かつての英雄たちの亡霊が次々と現れ、互いに戦い始めたのだ。二人は息を呑み、その光景を見つめるしかなかった。


「ここで何かが起こっている……俺たちはただの観客じゃない」


 眼前に広がるのは、血に染まった大地と朽ち果てた建物。どこからともなく聞こえる悲鳴と、空中を漂う哀しみの匂いが彼女の心を締め付けた。歩を進めるたびに、死んだはずの者たちが不気味な微笑みを浮かべて立ち上がり、再び戦い始める。その無限のループに囚われた人々の姿を見たミカは、心の中で何度も問いかけた。


「これが……私の運命なのか?」


 彼女の内なる葛藤が、その場の空気と共鳴し、恐怖と絶望が押し寄せてきた。


 ミカの声は震え、悲しみと諦めがにじみ出ていた。彼女の目の前には、かつての戦場の光景が浮かび上がる。血に染まった大地、倒れゆく人々。そのすべてが彼女の心に深い傷を残していた。


「……ある戦いの後、私は『忘れられた街』に送り込まれた」


 街の中心には、かつての勇者たちが封印された大樹があった。木の根元には、彼らが残した言葉が石板に刻まれていた。


『ここに集いし我ら、永遠の戦士。戦いの果てに安らぎを求めることなかれ』。


 ミカはその言葉に震え、街が持つ暗い運命を感じ取った。


 そこは時間が歪み、死んだ者たちが再び生き返り、永遠に戦い続ける呪いに囚われていた。


「私は彼らを救おうとしたけど、結局何もできなかった。何度も同じ命を奪い続けるしかなかった……その時、私は勇者であることに疑問を持つようになったの……」


 ミカは言葉に詰まり、無意識に手を握りしめた。炎の光が彼女の涙を浮かび上がらせるが、彼女はそれを振り払うように顔を上げた。


「忘れられた街」の真実は、ただの呪われた場所ではなかった。


「忘れられた街」は、かつて異世界の英雄たちが戦いの果てに集った場所だったが、実際には異世界全体の記憶を喰らう存在に支配された街だった。記憶を失った者は、その街から抜け出せないだけでなく、永遠に同じ戦いを繰り返す定めにある。


 アキラとミカは、この街が単なる呪われた場所ではなく、異世界全体を支配しようとする力が集中する「記憶の牢獄」であることを知る。


 そこには、かつて勇者として召喚された者たちが、その力を使い果たし、最期を迎えた後も戦い続ける姿があった。ミカは驚愕した。彼らは一度命を落としたはずだったが、何度でも蘇り、同じ戦いを繰り返す定めにあったのだ。


「彼らも……私と同じ運命だったの?」


 ミカは愕然とし、その運命が自分にも降りかかる可能性を恐れた。その街に囚われた者たちが、かつて彼女と同じように勇者として戦い続けた者たちであることが明らかになった時、彼女は初めて自分が歩んできた道の恐ろしさを理解した。


 ミカは一瞬、涙を浮かべたが、こらえ続けた。彼女は、自分の中で勇者としての役割が怪物へと変わり果てた瞬間を自覚した。


「戦いの中で、命が奪われるたびに、私の心が少しずつ壊れていくのが分かった。私は……ただ人を助


けたかったのに、いつの間にか私自身が恐怖の象徴になっていた」


「アキラ……」ミカは言葉を選びながら静かに続けた。「かつての私はただ、人を救いたいと思っていたの。でも、戦いを重ねるごとに、私自身が怪物になっていくのがわかった。みんなの期待に応えようと必死だった。でも、気がついたら……誰も私のそばにいなかった。救うはずの命が、私の手で奪われていったんだ。アキラ……あなたも、同じように感じたことはある?」


 彼女は小さな声で問いかけた。その声には普段見せない弱さが滲んでいた。アキラは一瞬言葉に詰まったが、すぐに彼女の手を取って強く握り返した。


「正しいかどうかなんてわからない。だが、俺たちが信じたものを守るために進むしかないだろ?」


 その言葉に、ミカはかすかに微笑み、目を閉じて力を取り戻すように深く息をついた。彼女はアキラの目を見つめ、その奥に潜む彼の苦悩を感じ取ると、自らの心の奥底にも触れられたような気がした。


 彼女の声が途切れたその瞬間、森の奥からかすかな物音が響いた。ミカの心は不安で満たされ、鼓動が速くなる。火が大きく揺れると同時に、空気がひんやりと冷たくなった。アキラもその異変に気づき、鋭い視線を暗闇に向けた。風が止まり、森の静寂が一層深まった。


「……何かが近づいている」


 アキラの呟きに、ミカは反射的に武器に手をかけた。心臓が激しく鼓動し、過去の戦場の光景が脳裏をよぎったが、今回は違った。アキラが「ミカ、左側を頼む!」と叫ぶやいなや、ミカは恐怖を振り払って力を解放し、強力な魔法を発動させた。


 ミカは全身が戦闘モードに切り替わるのを感じた。心臓が激しく鼓動し、血液が全身に力を送る。彼女の視界が鋭くなり、すべてがゆっくりと動き始めたかのように感じた。アキラの声が遠くから聞こえるが、それは彼女に冷静さを保つ指針となった。


 突然、暗闇から飛び出してきたのは、巨大な獣だった。ミカは瞬時に反応し、アキラへ「左側を任せて!」と叫んだ。彼女の手から放たれた魔法の光が獣の眼前で炸裂し、獣は怯んだ。だが、次の瞬間、獣は予想外の動きを見せ、ミカの足元をすくった。彼女は倒れかけたが、咄嗟に魔法で防御を展開し、間一髪で危機を免れた。


 アキラは影移動を駆使し、その背後に回り込んだ。影の刃が閃き、獣の背中に深々と切り込んだ。獣は怒り狂い、再びミカに襲いかかろうとしたが、彼女は瞬時に防御の魔法を発動し、攻撃を跳ね返した。


 二人は息を合わせ互いを支え合いながら、次々と繰り出される魔法と剣技が、闇を切り裂きながら、次々と敵を一掃していった。アキラの剣が閃くたびに影は崩れ去り、ミカの魔法が炸裂するたびに闇の中から新たな敵が湧き出してきた。


 しかし、二人は一歩も引かず、まるで無言のダンスを踊るかのように、息を合わせて戦い続けた。


「これが俺たちの力だ!」


 アキラが叫び、最後の一撃で獣を倒したとき、彼らの周りには静寂が訪れた。


 彼女は今度こそ、自らの力で過去の恐怖と対峙し、敵を一掃した。「これは私がやるべきことだ」と新たな決意を胸に、過去の自分を乗り越えた。


 戦いが終わり、森に再び静寂が訪れた。森の静けさが二人を包み込み、先ほどの激しい戦いがまるで夢のように感じられる。しかし、心の奥にはまだ冷たい汗が滲んでいた。アキラは躊躇なく周囲を確認し、敵が全滅したことを確かめた後、静かに焚き火の前に戻った。


 ミカもまた、全力を尽くしたことで疲労の汗を拭いながら、再び過去の記憶に立ち返った。


「人々が私を恐れるようになったとき、私は自分が何のために戦っているのか分からなくなったの。力を使えば使うほど、皆が私から離れていったわ。私は救世主じゃなく、ただの怪物だと感じたのはその時からよ」


 ミカの目には涙が滲んでいたが、彼女はそれを拭わず、ただ焚き火を見つめていた。その目の奥に、決意と苦しみが入り混じっていた。


 ミカが涙をこらえ語り終えた瞬間、赤々と燃える火がふと揺れた。アキラはその揺らぎに目を留め、まるで彼女の心の動揺が焚き火に反映されたかのように感じた。森の静寂がその重さをさらに深め、二人を包み込んだ。彼女の話を受け止めるかのように、火の灯りがわずかに揺れる。アキラはその焚き火をじっと見つめた後、静かに言葉を紡いだ。


「恐怖は力に対する本能的な反応だ。それを理解し、制御できる者だけが本当の戦士だ」彼は揺れる炎を見つめながら続けた。「君が辞める決断をしたのは間違いじゃない。だけど、今ここにいる君はかつての君とは違う。過去から逃げることはできないが、それをどう受け入れるかが重要なんだ。だからこそ、今の君が戦う意味をもう一度見つけるんだ」


「過去の過ちからは逃げられないんだ……」アキラは焚き火を見つめながら、続けた。「だが、それをどう受け止め、どう進んでいくかが、俺たちの行く末を決める」。


 ミカはその言葉に耳を傾け、自分が過去にしたことを思い返した。「忘れられた街で、私は自分を失いかけた。でも、今ならわかる。あの時の私は、戦い続けるしかなかったんだ。逃げることも、やり直すこともできなかった……」


 ミカは心の中で自問した。「私は何のために戦っているのだろう?過去を消し去りたいのか、それとも未来を築きたいのか?」彼女はこれまで、多くの命を奪い、英雄としての責務を果たしてきたが、その度に心が蝕まれていくのを感じていた。「誰かを救うために戦うのではなく、自分を守るために戦っているのではないか……」。その思いが彼女を苦しめ続けた。しかし、アキラの存在が、彼女に戦う意味を再確認させてくれた。


「私は……もう逃げない。だから、今度は違う選択をしたい」。彼女の言葉は決意に満ちていた。


「そうだな……」アキラは頷き、二人は次の戦いに向けて準備を始めた。


 アキラの言葉は、自分自身への問いかけのように感じられた。彼もまた、自らが何者であるか、何のために戦うのかを見失いかけていたのだ。過去の友人たちの姿が一瞬彼の目に浮かび、その記憶が彼の心を締めつけた。だが、彼はその痛みを押し殺し、冷静さを取り戻した。


 ミカはアキラの言葉に少しだけ微笑んだが、その笑顔の奥にはまだ癒えない深い傷が残っていた。それでも、彼女はその傷を抱えながらも前に進む決意を新たにした。少しずつ自信を取り戻し、目に力が戻っていくのをアキラは感じ取った。


「もう後戻りはできない。でも、今度こそ自分の力で誰かを守りたい。私は、アキラ、あなたと一緒に戦う覚悟を決めたの」


 アキラは彼女の決意を受け止め、軽くうなずいた。そして、静かに焚き火の炎を消し去った。


 焚き火が消えると同時に、彼の瞳もまた冷たく輝いていた。暗闇の中、アキラの瞳は夜の闇に溶け込むように光を失い、その瞬間、彼の心の中で何かが断ち切れたようだった。静寂に包まれた森の中で、彼はこれまでにない静かな決意を胸に秘め、次の試練へと歩みを進めた。


「それでいい。行こう、次の試練が待っている」


 二人が立ち上がり、静かにその場を離れると、森の中に彼らの足音だけが響き、再び夜の静寂が訪れた。


 しかし、その静寂の中で、アキラはミカの過去に絡む新たな脅威が潜んでいることを感じ取っていた。彼女がかつて倒したはずの敵が、今もなお彼らに影を落としているという不穏な予感だった。


 その瞬間、アキラの目に過去の友人たちの幻影がよぎった。彼らと共に過ごした日々、そして虚空竜によって見せられた彼らの死の光景が、彼の心を刺すように蘇った。アキラはその痛みに顔をしかめたが、すぐにそれを振り払い、森の奥深くに視線を向けた。


「俺には、信じていた友人がいた……だが、彼らは……」


 アキラはふと立ち止まり、静かな声で語り始めた。「友人がいたんだ。彼らと共に助け、笑い合い、そして……信じていた。だが、それは幻だった……」。


 彼の言葉には深い悲しみと後悔がにじんでいた。ミカはその言葉に驚き、そして彼の苦悩が自分と重なることを感じ取った。


「アキラ……」ミカはその背中に手を置き、彼が抱える重荷を少しでも分かち合いたいと願った。


 アキラの呟きにミカが反応し、彼を見つめたが、彼はそれ以上何も言わなかった。ただ彼はゆっくりと歩き出し、その背中には深い苦悩が漂っていた。


 彼の足取りは重く、一歩一歩が地面に深く刻み込まれるかのようだった。森の静寂がその重圧をさらに強め、彼の心の内を鏡のように映し出していた。アキラの背中には、過去の影が色濃く落ちていた。彼が抱えるものはあまりに重く、その一端がミカにも伝わってきた。


「アキラ……あなたは一人じゃない」


 彼女は心の中でそう呟き、彼の隣で歩みを進めた。


 二人は静かにその場を離れた。森の中に彼らの足音だけが響き、夜の静寂が再び訪れた。しかし、その静けさの中には、二人が抱える過去と、それに向き合う覚悟が交錯していた。


 次に待ち受ける運命、そしてかつての友人たちとの対峙が、アキラの心に重くのしかかっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る