第3話「退職代行者」後編


 薄暗い教会の一室。木城は床に這いつくばり、司祭たちの前にひれ伏していた。彼の目は血走り、頬はこけ、かつての英雄の面影はどこにも見当たらなかった。


「頼む……頼むから、俺に力を返してくれ……!」

 

 彼の声は震え、ほとんど泣き叫んでいるかのようだった。かつての誇り高い戦士が、今や無様な姿で司祭たちに縋りついていた。


 司祭の一人が冷静に、しかし憐れみを込めて言った。「木城様、どうか落ち着いてください。再び力を得る道は他にもあります。まずは冷静に考えましょう」


 しかし、その言葉は木城の耳には届かなかった。彼は司祭の足元にしがみつき、狂ったように懇願を続けた。


「俺はあの力が必要なんだ! 俺を見捨てないでくれ! あいつを倒すためには、俺にはあの力が……!」


 木城の言葉は次第に焦燥と狂気に染まっていった。彼の声にはかつての自信も冷静さも欠けていた。ただ、力を渇望する醜い欲望だけが、彼を突き動かしていた。



 司祭たちは互いに視線を交わし、何かを決断したように無言で頷いた。若い司祭が一歩前に出て、冷静な声で告げた。


「木城様、再雇用の儀式があります。それを行えば、あなたは新たな力を得ることができますが、その代償は……」


「代償なんてどうでもいい! 俺は力さえあれば……それでいいんだ!」


 木城は若い司祭の言葉を遮り、さらに懇願した。その姿は、もはやかつての英雄の姿ではなく、ただの哀れな亡者のようだった。


「わかりました。しかし、これだけは覚えておいてください。再雇用によって得た力は、もはやあなた自身のものではない。あなたは、その力の器に過ぎなくなるでしょう」


 若い司祭は無感情にそう告げた。


 木城はその言葉を理解することなく、ただ力を得られるという一点にのみ焦点を当てていた。彼は頷き、再雇用の儀式が始まることを待った。


 教会の奥深く、暗く冷たい地下室に木城は連れて行かれた。儀式が行われるその場所は、どこか異様な気配が漂っていた。壁には古い儀式用の紋様が刻まれ、中央には黒い石で作られた円形の台座が置かれていた。


 木城はその台座に立たされ、司祭たちは彼を囲むようにして呪文を唱え始めた。空気が重くなり、地下室の気温が一気に下がったように感じられた。木城は背筋に冷たいものが走るのを感じたが、それでも儀式が進行するのをただ待つしかなかった。


 司祭たちの呪文が進むにつれて、木城の体に異変が現れ始めた。まず、彼の皮膚が青白く変色し、次に筋肉が不自然に膨張していく。彼は痛みに顔を歪め、声を上げたが、司祭たちはそれを意に介することなく、儀式を続けた。


 突然、木城の目の前に、かつての自分が立っているかのような幻影が現れた。彼はその幻影に手を伸ばそうとしたが、手が届かず、幻影は消え去ってしまった。


「俺は……本当にこれでいいのか?」


 木城は一瞬、自分自身に問いかけたが、その思考もまた消えていった。彼の意識は次第に薄れ、代わりに圧倒的な力の感覚が全身を満たしていくのを感じた。


 教会の地下深く、再雇用の儀式が終わった。木城は新たな力を得たが、その目には狂気が宿り、口元には不自然な笑みが浮かんでいた。かつての力を取り戻したはずだったが、彼の内心には、理性が徐々に崩れていく感覚が広がっていた。


「これが……俺の力だ……」

 

 木城は呟いたが、その声には狂気が混じっていた。


 司祭たちは冷ややかな目で木城を見つめ、彼の変貌を確認すると、若い司祭が一歩前に出て命令を下した。


「さあ、行きなさい。そして、アキラを討つのです」


 木城は無言でその場を立ち去ったが、その歩みは重く、もはや自分がかつての英雄ではなく、別の存在に変わり果てたことを感じ始めていた。彼はもはや、自らの意志ではなく、与えられた使命を果たすためだけに動く存在となっていた。



 同じ頃、夜の闇が教会を包み込む中、アキラはその影に紛れて静かに侵入した。女神の神託に対する疑念を抱き、その真実を確かめるために、アキラはこの教会に足を踏み入れた。


 教会内部は静寂に包まれていたが、その静けさは異様で、不気味だった。アキラは壁沿いに身を潜め、影を巧みに利用しながら進んでいった。この場所には、何かが隠されていると直感で感じ取っていた。


 アキラは教会内を慎重に進みながら、地下へ続く階段を見つけた。そこには女神の神託に関する古い記録や、過去の文献が保管されていると彼は推測した。階段を降りていくと、古びた石壁が目に入り、幾世代も前の信仰の象徴が刻まれていた。


 アキラが地下の通路を進んでいた時、突然、背後に不穏な気配を感じた。瞬時に反応して振り返ったアキラの目に映ったのは、暗闇の中から現れた異形の姿だった。そこに立っていたのは、かつて同じ世界から召喚された木城だった。しかし、その姿はもはや人間とは呼べないほどに変わり果てていた。


 木城は狂気に満ちた笑い声を上げ、その目には憎悪と狂気が入り混じっていた。「お前が……木城か……」


 アキラは静かに言葉を発したが、その目には木城の異常な様子を警戒する光が宿っていた。


「そうだ!お前が全てを奪ったんだ……だが、今は違う!今の俺は女神によって与えられた力を持つ者だ!」


 木城は狂気に満ちた声で叫び、アキラに向かって突進しようとした。その動きはかつての彼とは全く異なる、再雇用によって得た異常な力に支配されたものだった。


 アキラはその瞬間、女神の神託に対する疑念がさらに深まった。なぜ、こんな狂気と暴力をもたらす力を女神は与えたのか?その真意は一体何なのか?


「木城、お前は自分が何をしているのか理解しているのか?その力が、お前を狂わせていることに気付いているのか?」


 アキラは木城に冷静に問いかけた。しかし、木城の目にはただ復讐と力への渇望だけが映っていた。


 木城は突然、自分の頭を抱え込み、狂気じみた叫び声を上げた。


「意味ねぇ! 意味ねぇ! 意味ねぇ! 意味ねえええんだよ!」


 木城は狂ったように同じ言葉を繰り返し、その声には絶望と狂気が渦巻いていた。


 アキラはその異常な様子にわずかに目を細めたが、冷静さを失わなかった。「人を捨てたか……。終わりにしよう」と心の中で呟き、木城の次の動きを見極めた。


 木城は頭を抱えたまま、狂気じみた声で叫び続けた。「アキラぁあああああ! 跡形もなく粉々にしてやる!」


 もはや、木城は何を言っているのかも分からなくなっていた。その声には理性の欠片もなく、ただ力と憎しみによって突き動かされていた。


「木城……お前はもう、戻れない……」


 アキラは静かに呟き、影の中に身を潜めた。


 木城は狂った笑みを浮かべながら、再びアキラに襲いかかってきた。その動きは以前よりも速く、力強かったが、その攻撃にはもはや理性が残っていなかった。アキラは冷静にその攻撃をかわし、木城の隙を探した。


 ついに、アキラは木城の一瞬の隙を見逃さなかった。影の中から素早く動き、木城の背後に回り込むと、アキラは冷静に拳銃を構えた。そして、ためらうことなく引き金を引いた。


「ドンッ!」という音とともに、銃弾が木城の胸の中央に命中した。その瞬間、木城の体内で核のような物が砕け散る感覚が伝わってきた。アキラはその一撃が木城の力の源を破壊したことを確信した。


 しかし、アキラは油断しなかった。彼は続けざまに二発の銃弾を木城の頭部に撃ち込んだ。弾丸は正確に木城の頭を貫通し、彼の体は無力に崩れ落ちた。


「俺は……女神の……力を……」


 木城は呟き、膝をつき、その場に崩れ落ちた。目からは狂気が消え、ただ虚ろな瞳が残された。


 アキラはその姿を見下ろしながら、心の中で深い虚無感を覚えた。木城の最期は、アキラにとっても大きな打撃となった。


 アキラは木城の遺体を見つめることなく、教会の地下から立ち去った。胸の中には、さらなる疑念と決意が渦巻いていた。


「女神の力が何なのか……必ずその真実を暴いてみせる」


 彼は心に誓い、夜の闇の中へと消えていった。

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