第36話 拗ねた兄弟子が面倒臭いことになったので呼び捨てにした日
困ったことが起こったのは翌日の昼。
いや、振り返ってみればアス様との件もだいぶ困ったことだったけれど、それを上回るものだ。昼休みにいつもの場所に向かうとラウの様子がおかしかったのである。
正確に言い表すなら『明らかに』おかしかった。
なにせ植え込みに頭だけ突っ込んだ状態で両膝を抱えて横たわっていたのだから。
「な、なにやってるんですかラウさん。誰かに見られたらいつもとは違う意味で大変なことになりますよ」
「そっとしておいてくれ……これは今の俺に必要なことなんだ……」
「そして死にそうな声ですね!?」
とりあえず足首を掴んで引き抜くと「意外と力技で対応してきた!」と嘆かれた。
この人相手なら多少は強引にいったほうが良いと学習させたのは本人である。
髪や襟に葉っぱや折れた枝をくっつけたラウは顔色が悪く、目の下には隈まであり、瞳には生気がなかった。声音もやっぱり疲れ果てた老人のようだ。
一体なにがあったのか問おうとしたところで、再び膝を抱えて背中を向けられる。
この反応はもしかして……。
「ラウさん、もしかして拗ねてます?」
「……」
「寮でのプライベートは今は守ってくれてるみたいですけど、外へ出る時はそうじゃないですし、それに影檻も一回発動したので……昨日殿下の護衛をしたことを察知してて、それを気にして眠れなかった的な?」
「全部言われると意外と恥ずかしいんだが!」
ごろんとこちらに向き直ったラウは両手で顔を覆ってメソメソした。
「だって俺のイルゼが他の男とデートしたんだぞ、しかもあんなに長時間! 直接は見てないが! 滞在時間と移動時間から考えて五軒は回ったろ!?」
「そこで正解するのがあなたの怖いところです」
「史上最高に嫌な正解だ!」
ラウはその場でじたばたしながら言う。まるで陸に打ち上げられた魚だ。
むしろ魚のほうが観念するのが早いかもしれない。
あれは護衛であってデートではないですよ、と説明しても「観測者は俺だから君の認識は慰めにならないぞ!」などと言われた。
いつもより面倒くささに磨きがかかっている。
「でもその時の私の気持ちは大切でしょう」
そう言いながら隣に腰を下ろすとラウの動きが止まった。
「いつもは厄介ですけど、あの時に影檻が発動したのはありがたかったんですよ」
「……そうなのか?」
「私だって昨日今日出会ったばかりの人にベタベタ触れられるのが好きなわけじゃありません。でも第二王子じゃ強く出られませんから」
アス様なら私が本気で嫌がれば気遣ってくれただろうけれど、最初の最初から強く出ることはできないし、触れる前から「触れないでくださいね」は自意識過剰以前の問題がある。
だから静電気体質だということにしておけたのは、あの時はプラスになっていた。
もちろん時と場合によるけれど。
それに私は本当にデートのつもりがない。
でも何度も疑ってかかってしまっていた殿下の人となりを、ほんの一端だけでも知ることができたのはこれからの私たちの身の振り方にも繋がることだったと思う。つまり実りがあった。
国の実情に関しても少し聞くことができたのもありがたい。
そう包み隠さず伝えるとラウはようやく顔を覆っていた手をどけた。
「イルゼはあのシチュエーションを利用して情報収集をしていたわけか。君と俺のこれからの未来のために」
「人聞きの悪い……! しかも解釈がおかしい……!」
「まあ王子だなんて地位の人間は利用価値があるからね、それもまた必然か! そして第二王子のやましい気持ちは影檻がしっかりと守った! ふふん、そう考えると意外と悪くはないな」
とりあえず復活したらしいラウは起き上がると頭の葉っぱを払い除ける。
「ふう、ホッとしたら腹が減ってきた。イルゼ、今日のメニューは何かな?」
「現金ですね……まあ世話がなくていいですが。あと今日はこれです」
私は細長いパンにマシュマロとケチャップを挟んだものをラウに差し出した。
ナスも一緒に入れたかったのだけれど、パンが裂けそうだったので我慢したものだ。今度作る時はマシュマロを輪切りにしてみよう。
静止しているラウに二品目を見せる。
昨日迷いに迷って買ったもので作ったマンゴーの辛子漬けだ。
味見してみたけれど意外とイケる。ただ、ネラはひと嗅ぎしただけで棚の下に潜ってしまった。苦手な匂いだったんだろうか。
ラウはなぜか深呼吸してから「いただくよ!」とにっこりと笑った。
よし、完全に元気になったみたいで良かった。
私もランチタイムへと入り、ホッと一息ついていると隣でラウが震えつつ言う。
「そういえば師匠が言ってたよ、話があるから今日の放課後に宿へ来いってさ。研究に関する城での話し合いには師匠も参加してるから、その件についてじゃないかな」
なんでも宿の位置はラウがすでに聞いているそうだ。
私は昨日アス様が言っていたことを思い出す。
アス様は「研究に関する正式な予定も明日には纏まるだろう」と口にしていたから、たしかにその件についてなのかもしれない。
「アス様もそう言ってました。気合いを入れて行かないとですね」
「……」
「ラウさん?」
「イルゼが親しげな呼び方をしている! 地獄だ!」
なんだか色々と覗き見られている気がするけれど、音声情報には疎いらしい。
たぶん把握している時は把握してるんだろう。しかし今回は完全に不意打ちだったのか、再びダメージを食らったラウは反り返り――しかし万力を込めて反りを戻すと荒い呼吸を繰り返す口元を押さえた。
「大丈夫、大丈夫、これもイルゼが俺との未来を守るためにしたことだ……」
「悪化してる……」
「でもズルいなぁ、ズルい。だからといってラウ様と呼ばれるのは距離が開いて嫌……っ嫌……嫌な呼ばれ方じゃないな……でもあれだ、困る!」
呼び方ひとつでここまで悩めるものなんだろうか。
でも私もポリーナさんから呼び方を変えてもらった時は嬉しかった。
そしてラウは確実に兄弟子だと師匠との接触ではっきりとした。
そのふたつを吟味し、ついでにラウが再び面倒な状態になることへの不安も加味して、私はひとつの提案をする。
「なら、先生と生徒として接している時以外に限りますけど――ラウと呼びましょう。これならどうですか?」
心の中ではずっとそう呼んできたし、それがしっくりきていたから今更だけれど、最初からラウが懇願していたことのひとつだ。
それを限定的でも叶えると言えば機嫌も直るんじゃないか、と思ったのだけれど……ラウは両手を目一杯開いてひっくり返るという古典的な驚き方をした。
こっちがビックリする。
「地面に後頭部ぶつけませんでした!? 凄い音しましたよ!?」
「き、き、記念日だ! この世の宝なイルゼが愛する兄弟子である俺を「ラウ♡」と呼んでくれた記念日だ!!」
なんて長い名前の記念日なんだろう。
ラウは幸福を噛み締めるような顔をしながらしばらく無言になった後、突然起き上がると私を見た。
顔の距離が近い。今度はこっちが不意打ちを食らった気分だ。
「是非それで頼むよ、そして贅沢を言うなら俺にも師匠に対するような口調で話しかけてほしいな!」
「さすがにまだそこまでは」
私は敬語の方が楽な人間だ。
師匠は本当に幼い頃から接してきたから例外である。むしろ弟子として気合いを入れるためにお父さん呼びを師匠呼びに変えるのも大変だったくらい馴染んでいた。
しかしラウは兄弟子とはいえ今年出会ったばかり。
まだまだ砕けるのには時間が欲しいし、……距離を縮めすぎるとラウが暴走しやすくなる気がするので、その防波堤として一線引くためにも変えたくはなかった。
「ああ、でも物語調ならいけますよ。日記もそれで書いているので」
「それってめちゃくちゃ固くなるじゃないか、なら今のままでいいよ……今はまだね、今は!」
……なんとなく日記の中身を把握されているような気がしたけれど、深追いしないでおこう。ただ今度は鍵付きの日記帳を買おうと心に決めた。
「でも、まあ、今回は拗ねる程度で済んでよかったです。知られたらもっと酷いことになるかなと思ってたので」
「……」
疲れたしこれくらいは言ってもいいだろう。
そう思って口にすると、ラウは気まずげな顔で目を逸らした。
「ラウ、あなたまさか……」
自ら死を選ぶほど追い詰められたラウの姿を思い返す。
私が嫌ったわけでもないし、まさかあそこまでの状態にはならないだろうと思っていたのだけれど――衰弱していたのは寝不足以外にも理由があったんじゃないだろうか。
するとラウはいたずらが見つかった子供のように笑って頬を掻いた。
「俺も頑張ったんだよ、いっそ第二王子を殺そうかとも思ったけれど――さすがに君と一緒にいられなくなりそうだから。でも不安で堪らなかった」
「なにしたんですか」
「回復ポーションを二本ほど消費した」
それはつまり、自分に刃を向けるようなことをして回復ポーションで治癒させた、ということだ。
回復ポーションは傷を治すためのもので、体力までは回復しないし増血効果もない。それならあの疲れようも納得だ。
ああ、この人は本当に自分に刃を向けられる人なんだな、と改めて実感する。
「……どうしてそこまでのことをしてしまうんです?」
「俺のイルゼは兄弟子が大好きだろうけれど、第二王子とはいえ王族は魅力的だろう。あちらのほうが良い、と君に言われたら……俺は……君の幸せを優先したいのに、送り出せる気がしない」
そんな自分が嫌でもある、とラウは言った。
そうか、ラウは盲目的なほど私の存在に自信を持っているけれど――自分自身には自信がないのだ。そして自己肯定感もない。
きっと私に肯定されても『イルゼに肯定された自分』を価値のあるものだと考えている。
魔法に関しては自信があるだろうし、そういう面も時々覗かせているけれど、根本では自分に自信を持っていない……そんな人間だった。
「ラウ、そういうところだけ自信がないんですね」
「う」
「その理由はなんですか?」
あまり踏み込むべきことではないのかもしれないけれど、知りたいと思った。
前に毒を盛られた話もしていたし、ラウには私の知らない心の傷があるのかもしれない。――それを心配する程度には、私はもう妹弟子だ。
しかしラウは困ったように笑うと、
「今はまだ言う勇気がない」
そう、短く敵意のない拒絶の言葉を口にした。
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