第35話 気晴らしに付き合って護衛をしていたのにデートだった(らしい)日

 気晴らしに街を見て回ったら帰るから。


 アス様はそう言ったけれど、何時までに帰るとは言わなかった。

 そして例えば何軒の店を見て回れば帰るかなど、具体的なことも言わなかった。

 だから五軒目のお店に連れて行かれた今も私から文句は言えない。一応「そろそろ戻ったほうがいいのでは?」とやんわりと進言はしてみたものの、それが受領されることはなく今に至る。


(まあ、第二王子としての仕事もあるだろうし……そこで命まで狙われているなら息が詰まるのかもしれないけれど)


 私みたいに命の危険を感じずに毎日を過ごせる環境ではないのはよくわかる。ストレス発散も必要だろう。

 ……いや、そうだ。私も自分自身のじゃないけれどラウが自分の命を粗末にしたり、ミレイユさんの命を狙ったりするのに頭を悩ませていた。それを思い出して妙な親近感を抱いてしまう。


 もちろん私の抱える問題とストレスは自身が狙われているアス様のものとは比較にならないだろうけれど、と考えていると棚を見ていたアス様がくるりと振り返った。


「今度ママにジャムを贈ろうと思うんだが、イルゼはどちらがいいと思う?」

「お、王妃様ですよね? このパン屋のジャムは美味しいですけど、もっと王族や貴族向けの店で買ったほうがいいのでは……」


 そう声を潜めて言うとアス様は明るく笑った。


「言葉足らずだったな。ママっていうのは酒場のママだ!」

「な、なるほど」

「安いパンしか買えなくなってきたそうだから、せめてジャムで美味しく食べてほしくてね。……しかしこうも如実に影響が出ている上に、数字も一緒に突きつけられると困ってしまうな」


 アス様はジャムの値札を見る。

 そこに書かれた値段は少し前の倍ほどに跳ね上がっていた。

 棚に並ぶパンも数が少なく、それは人気で売り切れているわけではなく材料不足でそもそも多く作れないからだ。この店のチーズがゴロゴロ入ったパンが好きだったのだけれど、それも跡形もない。

 最初にいた食料品店も価格に店長の苦しみがありありと表れていた。


 そして、これまでアス様と足を運んだ店もすべて影響を受けていたのである。もしかしてアス様はこれを自分の目で確認するために足を運んだんじゃないか、と思えてしまうほどに。

 そんな店の様子を振り返っていると、アス様が困り顔で呟いた。


「服飾類は影響が少ないが、とにかく食品関連の打撃が酷い。三軒目は本当は先に手前にあったカフェに寄ろうと思っていたんだ、しかし閉店してしまっていた。イルゼ、君の行きつけの店も似たような状態なんじゃないか?」

「苦しそうなところは多いです。閉店は……その、一軒だけありましたが、ご主人が高齢だからと言っていました。でも無関係とは思えなかったのも事実です」


 ちょくちょく街に繰り出すようになって足を運ぶようになった菓子屋があった。

 しかしその店の扉が開くことがなくなり、閉店のおしらせが張り出されたのはつい最近のことだ。

 子供の頃から通っているような思い入れのある店というわけではなかったけれど、雰囲気が気に入っていたのでとても残念だった。


「これからどんどんそういう目に見える形で影響が出るだろう。我が国の自給率の低さには驚かされるばかりだ。――何度か父に指摘をしたが、ハウルスベルクはこれで成り立つ国なのだと信じて疑わない様子だったよ」


 アス様は前々からこういった事態を危惧していたらしい。

 まさかアルペリアが一瞬で滅ぶなんてことは予想していなかっただろうけれど、それでも他国から攻め込まれたり天災などで輸出がままならなくなった時、ハウルスベルクはどうするんだろうと思うことはあったんだろう。


 しかし第二王子という立場では備えを作っておくこともままならない。

 そこで希望となるのが――私とラウが見つけたあの世界だ。


 アス様はにっこりと笑う。


「だから期待しているよ、ふたりとも。研究に関する正式な予定も明日には纏まるだろう。私から言えることはすべて言っておいたから」


 仕事はしてからここに来ているよ、ということらしい。

 プレッシャーは相変わらず凄まじいものの、私も街の活気がどんどん失われていく様子は見たくなかった。


「……はい、あの時にお受けすると言った言葉を撤回するつもりはありません」

「今は、だな? まだ君にとって受け入れ難いことが起こっていないなら幸いだ」


 アス様はそう笑うと、結局チェリージャムとブルーベリージャムの両方を買った。

 なんでも片方をママに、もう片方をケーキ屋の看板娘にあげるらしい。

 さっき立ち寄った店で買ったものもすべて女性へのプレゼントだった。もちろん全員別の人だ。


 ……うーん、受け入れ難いことに片足を突っ込んでいるって言うべきだろうか。

 そう本気で迷っていると、店を出たところでアス様が私の目と鼻の先に小さな紙袋をぶら下げた。

 可愛くラッピングされた小袋だ。


「さっき会計する時に脇に並べてあってな。チーズクッキーだ」

「ええと」

「護衛を受けてくれたお礼には足りないが、良かったら貰ってくれ」


 空っぽのトレイに書かれたチーズパンの札を見つめているのに気づかれていたんだろうか。

 私は咳払いをするとそれを受け取った。

 むしろ高価なものでない方がありがたいし、受け取りやすいというものだ。


「ありがとうございます、いただきます」

「ははは、喜んでもらえたなら何よりだ。……君たちがそうして嗜好品を楽しめる国であり続けられるよう、こちらも頑張らなくてはな。私たちで出来る対策は引き続き実施していこう」


 今日はこれで帰るよ、とアス様は片手を上げると背を向けて歩き出した。

 そして一度だけ振り返って言う。


「また落ち着いたらデートしよう、イルゼ!」

「デートではないです」


 きっぱりとそう言ったものの、アス様の耳に届いていたかどうかは闇の中である。

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