第32話 ノゥスデン城へ第二王子に会いに行った日

 ハウルスベルクの第二王子は名前をアスカル・ガル・ウォーケンといい、金色の髪に赤い目をした好青年だと聞いている。

 ただ王族なら表向きの顔を持っていると思うし、好青年という評価が本当のことなのか私にはわからなかった。

 とはいえ、そんなことは直接顔を合わせるような機会もないだろうし気にしなくていい。これまでもこれからも。


 ――そう思っていたのだけれど、現実というのは思わぬ角度から突飛もないことが起こるもの。

 師匠から間接的に私とラウ、そして私たちが飛ばされた不思議な世界の話を耳にしたアスカル殿下に呼び出されたことで、一生縁がないと思っていた顔合わせの場が設けられたのだった。


 今、私たちは正装をさせられてハウルスベルクの王族が住まうノゥスデン城を訪れている。


 ラウは緊張していないんだろうか。

 そう思ってちらりと視線をやると、お堅いスーツを着込んだラウは表情も顔色も普段通りで自然体だった。

 それどころか私と目が合うなり嬉しそうに微笑んでいる。

 ……本当に見習いたいくらい自然体だ。


 師匠は城に赴くこと、そして王族に会うことに慣れきっているのか飄々としている。先日ガーリルさんの店に出向いた時となんら変わりはない。

 それどころかいつものコートを羽織っていた。コートの下は少しおめかししているようだけれど、本当にそれで大丈夫なのかと問いたくなってしまう。不敬だって怒られないんだろうか。


 私は落ち着いたデザインの桃色のドレス。

 べつに夜会に行くわけではないのでフリルやリボンなどの装飾品は控えめにしてある。合流した際にラウが「可愛いよイルゼ! 花嫁さんみたいだね! それとも俺に嫁ぐ気になった!?」などという斜め上のリアクションをしていたけれど、どう見てもウェディングドレスではない。


 寂しいことにネラは連れていけないため、今は送還してお留守番だ。

 癒しがなくて緊張していると師匠が笑った。


「そんなにも緊張するならイスタンテ学園の制服を着せてくればよかったかのぅ」

「せ、制服なんてそんな」

「知らんのか? 学園の制服は正装が必要な場に着ていけるようデザインされておるんじゃぞ。まあ国から認められた学園の制服だけじゃが」


 それは初耳だった。

 ――が、入学前のパンフレットに書いてあるのをちらっと見たような見なかったような。

 ああいうものは慣れた頃にもう一度熟読した方がいい。私はそう胸に刻む。


 そうして城内へ案内された私たちは客室へと通された。

 客室は家具や調度品があるため正確な広さはわからないものの、私の暮らす寮の部屋が十個は入りそうだった。窓には立派なカーテンが吊るされており、綺麗な手縫いの刺繍が入っている。


 そんな部屋の中央、立派なテーブルとイスの前に金髪の男性が立っていた。

 恐らくアスカル殿下だ。

 ずっと立って待っていたのではなく、私たちが来たのに気がついて急いで立ち上がった瞬間だったようだった。男性は笑みを浮かべてこちらへと近寄る。


「よく来てくれた、アレクシエル! このふたりが例の話に出てきた者か?」

「そうじゃ。……ほれ」


 師匠が私の背中をぽんと叩いた。

 挨拶しなさい、という合図だ。

 私は慌てて頭を下げ――かけて、王族や貴族向けの挨拶は頭を下げないのだと思い出す。

 危なかった。たどたどしいながら片足を引き、もう片方の足の膝を折る。ちゃんとしたカーテシーになったかは謎だけれど、殿下が気を悪くした様子はない。


「お初にお目にかかります、イルゼ・シュミットです」

「アレクシエルの養女だと聞いていたが……いやはや想像とは真逆だ。もっと目つきが悪くて歯がギザギザした子が出てくるかと思った」


 それだと養女というより実の娘じゃないだろうか。


 そんなことを考えていると、殿下は突然嬉しげな顔をした。

 平民から見ても親しみのある――というか、ありすぎる顔だ。簡単に言うとデレデレしている時のラウに似ている。

 そのまま「こんなに可愛い子だとこちらの方が緊張してしまうな。ほら、まずはこっちの席へ……」と私の手を引きかけたところで、ずいっと前に出たラウが微笑みと共に声を発した。


「ラウ・ハウザーです。以後お見知りおきを」

「……! いやあ、すまない。挨拶が途中だったのに夢中になりすぎてしまった。私は可憐な女性に弱くてね」


 好青年?

 好青年……というか女の子『好』きな『青年』という雰囲気だ。

 しかし女好きで男を邪険にするタイプではないらしく、殿下は本当に申し訳なく思っている様子でラウと私を見る。


「アスカル・ガル・ウォーケンだ。ここは非公式の場、気負いすぎずリラックスして話をしてくれ」


 やはりアスカル殿下で間違いなかったようだ。

 短く切り揃えられ、片方の前髪を後ろへ撫でつけた殿下の金髪は濃いめの色合いで、少し暖色の強いレモンのような溌剌とした色をしている。

 赤い目はワインレッドと呼ぶべきだろうか、前に師匠が飲んでいた葡萄酒をもうちょっと濃くしたような色だ。

 身長もラウと同じくらい。なので全員が立っていると私は首が疲れる。


 年齢はたしか……公表通りなら二十四歳。

 第一王子とは二歳差だったと記憶している。


 向かいの席に腰を下ろすと、殿下は回りくどい話し方は好きではないのか「ここは単刀直入に訊くぞ」とすぐに本題を切り出した。


「我が城の研究機関に持ち込まれたあの魔石、採取したのはイルゼとラウで間違いないな?」

「は、はい」

「そしてお前たちはふたりで飛ばされた不可思議な世界であれを見つけた、と」


 ちらりと師匠を見ると頷かれた。話してもいいらしい。


 私はラウと一緒にあの世界について殿下へと説明する。私たちの魔法がぶつかった瞬間に飛ばされ、哺乳類の姿がなく、代わりに植物や菌類が中心の世界について。

 空気中に魔力が恐ろしく少ないため、自然回復に時間がかかる旨を話すと殿下は「良いことばかりでもないか」と少し表情を曇らせた。


「――アルペリアの件は耳にしているな? 輸入に頼っていたことで我が国に食糧難の兆しがある。今は友好国の助力を得ているが、打撃を受けているのは相手も同じこと」


 冬になれば更に目に見えて影響が出るだろう、と殿下は言う。


「成長の早い作物を優先し植えるよう対策をしているが焼け石に水だ。そもそも田畑に向いた土地が少なく、まずは開墾から進めなくてはならない」

「なる、ほど……でもそのお話と何の関係が……?」

「私はな、お前たちの飛ばされた世界に希望を見出した」


 動物はいなくとも食糧になるものが採れるかもしれない。

 広い土地も活かせるかもしれない。

 そしてなにより、少し探索しただけであれほど希少なものが見つかった。食糧が確保できずとも、希少品を採掘できればそれを他国に売り払い食糧を買いつけることができる。


 殿下はそう説明してくれた。どうやらあの世界に資源としての可能性を感じたらしい。変な場所だとばかり思っていたので、そういう見方もあったのかと感心する。

 その時ラウが「殿下」と短く呼んだ。


「あの世界のことはまだ何もわかりません。じつは他国の領土だった、などという結果も考えられます」

「その時は外交だ、そして食糧として分けてもらえないか交渉する。魔石は別口で、だな。まずは一番の問題をどうにかせねば」

「それなら他国と行なっても同じでは?」

「ははは、そんなことはない。一瞬で行き来ができるという強みは想像以上だぞ」


 輸送にコストがほとんどかからないのは……たしかに強い。

 そして時間に追われているハウルスベルクには更に魅力的に見えるだろう。

 しかしラウの言う通り、あの世界についてはまだ何もわかっていないのだ。そもそももう一度行けるのかどうかも怪しい。


 そう私からも伝えると殿下は「そこで、だ」と身を乗り出した。


「お前たちにはその世界への行き方、帰り方、そしてもう一度行けたなら植生や地図のどこに位置するのか、もしくは完全に異なる世界なのか研究してほしい。私はその支援をする」

「け……研究ですか」

「イルゼは学生だったな。学業に響く場合は私に連絡をしてくれれば取り計らおう」


 なにをどう計らうのかを考えると頼もしさより不安が湧いてくる。

 師匠は面倒臭そうな顔をしており、こういう責任重大なお願いをよくされるんだろうなと察せた。ラウは――なぜか笑みを浮かべて乗り気だ。


「イルゼ、どうせ個人で調べるのは限界があるんだ。この話に乗ろうじゃないか。それに一緒にいる時間が増えそうだし!」

「本命はそっちですか」

「これこれ、お前ら。これは殿下が言っているより面倒な案件じゃぞ」


 突然口を挟んだ師匠がそう言いながらテーブルに両足を放り出したので、私は危うく飛び上がりそうになった。下手な怪奇小説より怖いことをするのはやめてほしい。

 しかし殿下は慣れっこなのか嗜めることはなかった。


「まず、こやつの兄……第一王子のガリレウスはな、アホじゃ」

「アホ!?」

「アスカルとはまた別の方向の色欲バカなんじゃよ」


 それは要するにアスカル殿下まで色欲バカだと言っていることになる。というかアホとバカを両方使うのは駄目なんじゃないだろうか。

 師匠は特に気にした様子もなく殿下を手のひらで示した。


「アスカルはガリレウスに命を狙われておる。王太子はガリレウスじゃが、まあ同じ色欲バカでもこちらのほうが有能じゃからの。蹴落とされる不安を抱える器もないんじゃろ」

「そういうのって本当にあるんですね……」

「あるぞ、数百年前からちーっとも変わっとらん!」


 耳が痛いな、と殿下は肩を揺らして笑う。


「この研究は私の地盤固めの一環でもあるんだ。兄に肩入れしている人間が強くてな、国民の支持が欲しい。……ただ」


 そこで真剣な表情になった殿下は自分の両膝に手を置き、神妙な声音で続けた。


「ハウルスベルクの国民を飢えさせたくないという気持ちは本物だ」

「殿下……」

「我が国の素晴らしいご婦人たちに苦労をかけたくないし、ご婦人たちの大切なものも失わせたくないからな!」

「殿下!?」


 信用していいんだろうか。

 しかし言っていることはつまり、国民全員を助けたいということだ。

 私は目の前に座る殿下を見つめて悩む。二つ返事で受けていいものじゃない。なにせ受ければ私たちは第二王子派ということになり、もしかすると第一王子に狙われることもあるかもしれないからだ。

 そうしてじっと見たまま悩んでいると、殿下は「乙女の視線は輝いて見えるな」とラウみたいなことを言った。それじゃ私の目からビーム魔法が出ているみたいだ。


 ……本当に信用していいんだろうか。

 その答えを出すべき時間は刻一刻と迫っていた。

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