第29話 沢山の報告をしたけれど、伝えられないこともあった日

「イルゼ~! 見事な駆け抜けっぷりじゃったぞ~!」


 学園内の使用されていない教室にて。

 がらんとした教室の内装は私のクラスと同じものだったが、備品がないだけでまるで別の建物のようだった。

 唯一床と一体化している教卓はそのままで、その上に腰掛けていた師匠が機嫌良さげに手を振っている。


「勝手にイス代わりにしていいの?」

「いいとも、ここを創設する際に儂も資金援助したからの。オールスヴァインもある程度は自由にしていいと言っとる」


 それは初耳だ。

 学園長とは古い仲とは聞いていたけれど、師匠がそういうタイプとは思っていなかった。

 しかし続けて「あの頃は日々引退について考えていてなぁ、後任が育てば楽をできると思ったんじゃよ」と言われて納得する。


「さてさて、話したいことは山ほどあるが――まずは『それ』じゃな」


 そう言った師匠は私ではなく私の後ろを見ていた。

 振り返った先にいたのは澄ました顔をして立っているラウだ。

 いつの間に真後ろに、と驚いているとラウは師匠に声をかけるよりも先に「イルゼがひとりで歩いていくのが見えたからついていったんだ」と当たり前のように言う。

 人はそれをストーカーと呼ぶんじゃないだろうか。


 師匠は解せんといった表情で頬杖をついた。


「ラウよ。独り立ちした弟子の動向に興味はないが、ここで働くなら報告のひとつくらい寄越せ。観覧席で変な声を出すはめになったぞ」

「臨時講師ですからね、これを天職とするつもりはなかったので。それに忙しくてなかなか手紙を書く時間がなかったんですよ」


 ラウも師匠には敬語を使うんだな、と感心したものの――笑顔が他人行儀だ。

 もしかして仲が良くないのかもしれない。

 これまで師匠について話題に出した時はそこまで感じなかったけれど、私にとっては義父なので『仲の悪い師弟もいる』ということを無意識に考えから外していた可能性がある。

 もしそうなら感じるも何もないだろう。


 そう考えていると教卓から下りた師匠が「この減らず口が!」とラウの頭をがしっと掴んで固定し、もう片方の手で渾身のデコピンを放った。


 子供の頃にいたずらをするとやられたお仕置きだ!


 地味だが必要最低限の範囲に絞られたインパクトは凄まじく、鼻の奥に突き抜ける痛みがあることを私は知っている。

 さすがのラウも額を押さえてよろめいた。

 そして「久しぶりにやられた……」と呻いている。その声に憎々しさはない。

 ……心配するほど仲が悪いわけではないようだ。


「師匠、私も訊ねたいことがあるの。ラウさんは本当に私の兄弟子なの?」

「うむ、イルゼを弟子にする少し前まで森にいた。その後は修行場所を移してな、独り立ちさせたのは三年ほど前じゃ」

「その存在を私に伏せてた理由は訊いても大丈夫……?」


 必ず伝えなくてはならないという決まりはない。

 ただ、兄弟子の存在を知らなかったせいで人生で一番のびっくり展開に見舞われることになってしまったのだ。理由があるなら知っておきたい。


 すると師匠は苦々しい顔をした。


「元からこやつは少し問題があっての。幼いお前と会わせる気になれんかった」

「も、問題……」


 心当たりがありすぎる。

 師匠は「それに修行に出てから別の意味でも近づけ難くなったんじゃ」と続けた。


「儂もこやつの修行に付きっきりというわけにはいかなかった。イルゼも鍛えねば娘から弟子にした意味がない。故にしばらくの期間は儂だけ修行先に通う形にしておったんじゃよ」

「そういえば用事に出掛けて戻らない日もたびたびあったような……」

「その理由、イルゼには説明しなくとも何とかなるがラウに伝えんわけにはいかんじゃろ」


 そこで妹弟子の存在を明らかにしたと師匠は言う。妹弟子が師匠の養女だということも添えて。

 その時までラウは師匠のプライベートにまったく興味がなかったらしく、養女がいることすら知らなかったらしい。

 しかし自分と紐づいた『妹弟子』という存在を知り、それをきっかけに異常性が表に出た、と師匠はラウを横目で見た。


「こやつの妹弟子への執着っぷり、イルゼももうわかっておるじゃろ? あれだけネチネチ訊いて妄想していた奴が実際に会って何もしとらんはずがない」


 大正解だ。

 むしろ色々とされすぎた。


 するとラウが不服そうに前へと出る。


「師匠、俺はイルゼを世界の悪意から守ってるだけですよ。あの頃に夢見た妹弟子がそっくりそのまま存在して生きてるんだ、蔑ろにするはずがない」

「その妄想の精度がキショいんじゃ」


 師匠が歯に衣どころかオブラートすら着せない勢いだ。

 でもその表現に納得してしまう私もいる。ラウの妄想は実際に私を見たことがないのに恐ろしい精度だった。この様子だと多少は師匠に聞いていたかもしれないけれど、それでも長年一緒に暮らした家族レベルに把握されている。


 逆に出会ってからの妄想は少しズレていたが、それは恐らくクオリティより優先して『今ここにいる私にしてほしいこと』を軸に妄想しているからだろう。欲が丸出しだ。


「こんな輩だ、まだ成長過程にある大事な娘を直接会わせる気になれると思うか? 思わんじゃろ?」

「酷い師匠だなぁ、俺は妄想してるだけで無害ですよ。手は出……」

「……」

「……」

「……おい、せめて言い切れ」


 あの変な世界で最後にしたこと。


 あれは手を出したことにカウントされるんだろうか。私はそう迷ったものの、ラウとしてはカウントされるらしく言い渋っている。

 あれを聞いた師匠がどう出るか気になったが、休み時間は限られているのだ。

 ここは気になっていることを訊ねるべきだろう。


「師匠、その話はまた今度。それより――ええと、魔法と魔法がぶつかって転移する事象について何か知らない?」

「なんじゃと?」


 私はサバイバル授業で起こった一連の流れを師匠に説明した。

 もちろん、話がややこしくなるのでラウがミレイユさんの命を狙って乱入してきたことは伏せて。授業の詳細を知らなければ師匠は気づかないだろう。

 ひとまず不思議な世界で様々なものを見つけた件まで話を聞き終えた師匠は自分の顎を撫でた。


「聞いたことがあるな……どれ、後で文献を漁ってやろう」

「……! ありがとう! あ、でも招集があるなら無理は――」

「いや、儂が呼ばれたのは国宝レベルの魔石……『灯吸いの魔石』が見つかったからじゃ。話を聞くにそれはお前たちが見つけたものじゃろ?」


 ラウはあの魔石を持ち帰っていた。

 その正体を探る過程で他人の目に触れる機会もあっただろう。そして王族の知るところとなり、調査のために大魔導師である師匠が呼び出されたというわけらしい。

 ラウにも何度か呼び出しがあったそうだが得られた情報が少なかったため、今は講師業に集中しているとラウ本人も語る。

 ……しばらく姿を見なかった頃に呼び出されていたのだろうか。


「あれ? でも私には何も……」

「要因もわからないのに話したらイルゼが実験体にされるかもしれないだろ、だから黙ってた」

「王族から師匠に呼び出しがあったくらいの問題なのに!?」


 意図的に情報を伏せたら罰されるやつじゃないだろうか。

 ちらりと師匠を見ると「まあそれは同感じゃな」と納得していた。こういうところは似たもの師弟すぎる。


「まあハッキリしてから上に報告を上げる形でよかろう。そしてイルゼ、そういうわけじゃから文献探しも魔石の調査も辿り着く先は同じじゃ、なーんも遠慮することはないぞ!」

「そういうことならお言葉に甘えようかな……」

「あー! いいな! 俺もイルゼに甘えられたい!!」

「ふふん、馬鹿め! かつてイルゼに「パパ♡」と呼ばれていた儂の特権じゃ!!」


 パパ呼びした記憶もハートを付けた記憶もない。


 バチバチと火花を散らすふたりを見ていたその時、ついに予鈴が鳴ってしまった。

 コートの位置を整えた師匠は「とりあえず解明は後日また秘密裏に行なうとしよう」と教室の出入り口へと向かう。

 そしてドアの前で不意に足を止めて振り返った。


「ところで……わかっとることは今のうちに聞いておきたい。お前たち、その変な世界からどうやって帰ってきた?」

「それは、……」

「……」

「……」


 言ったらどうなるか見てみたいとは思った。

 しかし自分の口から言うのは――なんとも覚悟がいる。師匠はこんな人だけど私にとっては父親なのだから。

 父親に対して「キスしたら帰れました」なんて言えるだろうか。


 その結果ふたりして無言になってしまい、師匠は再び「言い切れ!」と激しくツッコんだ。


     ***


 教室からは師匠が先に退室し、時間を置いて私たちも出ていくことになった。

 といってもほんの少しの差だ。

 あまり余裕を持ちすぎると次の授業に遅れてしまう。


 イスタンテ学園は広いので予鈴から本鈴まで十分ほどあるので走って向かう必要はないものの少し心が急いていた。そわそわしつつ廊下を進んでいると、その廊下の合流地点で人影と出くわす。

 ――ミレイユさんとその父親だ。


 どうやらミレイユさんが父親に様々な報告をしながら歩いていたらしい。

 次の授業へ向かうギリギリまで話したいと粘ったのだろうか。普段の様子からそう予想していると、ラウを見たミレイユさんが見事に固まった。


 その姿に『娘が先生の存在に気づいて縮こまった』と判断したのか父親がラウを見る。

 そして次に私へ視線を向け、なぜか笑みを浮かべたものの先にラウへと話しかけた。


「ミレイユの父のゲインス・シュトラウスです。そちらはラウ・ハウザー先生ですね」

「ラウ・ハウザーです。正規雇用ではありませんが闇属性の魔法を担当しています。ああ、ちょうど生徒の相談に乗っていたところなんですよ」


 ラウは私と一緒にいる理由を問われる前に先生の皮を被ってそう言う。

 まあ嘘ではない。それを聞いたミレイユさんの父親――ゲインス閣下は再び私を見た。なぜかミレイユさんが不安げな顔をしている。


「君は実技で素晴らしい活躍を見せていた子だね?」

「あ、えっと、私は、イルゼ――」

「さすがお目が高い! イルゼという有望な生徒です!」


 貴族に対してフルネームを名乗らないのは失礼にあたる。

 そして侯爵ともなると師匠のフルネームを知っていてもおかしくないし、そこからピンとくる可能性もあるだろう。それを危惧したのかラウが自然な形で有耶無耶にしてくれた。

 ゲインス閣下は特に気にすることなく笑みを浮かべて続ける。


「確かに有望だ。まさか一年生があのように精密な光を大量に作り出せるとは! それにミレイユからも何度か名前を耳にしたよ」


 あの時にざわめきが起こっていたけれど、どうやら光のコントロールと量が評価された結果らしい。

 しかもミレイユさんが私の話を父親にしてくれていたとは。少しは打ち解けられたんだろうか。

 さっき師匠にも褒められたこともあり、ゴールした時の高揚感が蘇ってきた。


 しかしラウが満面の笑みを浮かべて頷き、私の優れている点を挙げ連ねたのですぐにヒヤヒヤした気持ちになってしまう。ボロが出そうで気が気でない。


 ひとしきり喋った後、はっとしたゲインス閣下がミレイユさんの背を押した。


「授業に遅れてしまうな。ミレイユ、お前もこの子のように精進しなさい」

「は、はい」

「では私はこれで失礼。未来の大魔導師に期待しているよ」


 最後の言葉は私に向けられたものだった。

 これでなんとか授業参観を最後まで乗り切れたわけだ。それにミレイユさんとも今後更に良い関係を築けるかもしれない。


 そう思っていたものの――すでにミレイユさんは教室に向かって歩き始めていたため、その時のミレイユさんの表情を見ることはできなかった。

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