第25話 授業参観に師匠が来るか来ないかそわそわした日

 ――授業参観当日。


 その日は朝から快晴で、来校する保護者たちの足を止めるようなことはひとつも起こらなかった。じつに平和だ。

 それなのに遠い土地では国がひとつ滅んですぐなのだから不思議な気持ちになる。


 いつもは必要時以外は閉じている学園の正門は開け放たれ、数名の先生が訪れた馬車を案内しているのが校舎の窓から見えた。

 教室では私を含めた生徒たちが窓からそれを眺めている。

 授業はまだ開始前だ。自由に動けるなら外の様子が気になるというものだろう。


「イルゼさん。父から聞いたんですが、こうやって窓際にズラッと並んでる生徒って外から見ると上の学年になるにつれて減っていくそうですよ」

「一年生名物って感じなんですね。なら見れる時に見ておかないと!」

「あなたたち、一年の中でも特にはしゃいでる部類ですわよ……」


 そわそわとしながら外を眺める私とポリーナさんを見てミレイユさんが呆れた声を漏らした。

 たしかにちょっと声が大きくなりすぎたかもしれない。気をつけないと。


「……でもミレイユさんもしっかり見にきたんですね?」

「わっ、私はお父様がいらっしゃるか気になっただけですわ! あなたたちと一緒にしないでくれます!?」


 取り巻きふたりが「そうだそうだ!」と声を揃えていたが、それによりミレイユさんが教室内で一番騒がしい人になっていた。

 しかしみんな気になるものは気になるのか、相変わらず注目しているのはミレイユさんではなく外に集まった馬車たちだ。


 貴族は馬車に家紋が入っていたり、独特なデザインや色の組み合わせから「あれはディルバーン伯爵の馬車ですね」「あっちはカリアス侯爵ですよ」と予想しやすい。

 逆に私のような平民は徒歩か借りた馬車なので、それはそれでわかりやすかったけれど個人までは特定できなかった。目視で見るにはちょっと遠い。

 それでも「お父さんたちが来てくれた!」という声が教室から聞こえたので、目を皿のようにして見ている生徒にはわかるようだ。


 ……師匠はどんな手段で来るんだろうか。


 地位はまぁ高いと思う。

 しかし世間のあれこれを嫌って森に住んでいたくらいだし、おつかいは使用人に頼むことが多かったようだし、なんなら私もよく手伝った。そんな師匠が混んだ道を馬車でやってくるとは――思えないわけではないけれど、想像はできない。

 でも徒歩は更に可能性が低いだろう。


(まぁ、そもそも来てくれるかわからないわけだけれど)


 みんなとこうして一喜一憂するのが楽しいので窓際にいるものの、私は半ば諦めていた。

 その時ミレイユさんが「あっ」と声を漏らす。

 視線の先には黒を基調とした立派な馬車があった。よく目を凝らしているとその馬車の中から黒い髪をオールバックにした男性が現れる。ポリーナさんが横から「ミレイユさんのお父様、ゲインス・シュトラウス侯爵様ですよ」と耳打ちしてくれた。


 遠くて見えづらいけれど質の良い服と靴を履いている。そして遠目でもわかる姿勢の良さが目を引いた。

 ミレイユさんって侯爵家のご令嬢だったんだな、と思っていると当人がご令嬢とは思えない勢いでガッツポーズをしているのが視界の端に見えた。


「ミレイユさん、良かったですねお父様がいらっしゃって」

「ええ、とても! ……あっ、ま、まあお父様なら来てくださるとわかってましたし? あなたにお祝いされるほどのことではありませんわよ」


 そう言いつつ嬉しさからか口元がにやけたままだ。

 ひとまず授業で良いところを見せられるといいですねと言うと、ミレイユさんは予習はバッチリなので心配の必要はないですわと窓際から去っていく。


「ポリーナさんのところは……」

「あっ、うちは元から来ない予定なんです。みんなとわーわーするのが楽しくてここにいるだけなので。イルゼさんは?」

「うちは未定です。来るか来ないかわからないんですが、私としては来ない可能性のほうが――」


 そう言い終わる前に先ほどまでとは異なるどよめきが起こった。


 一体どうしたのかと教室を見回すと、生徒の大半が外を見ている。

 それも今までのように眼下ではなく上のほうだ。

 みんなに倣って視線を追うと、学園の正門の上に大きな影が落ちていた。その真上に黒く大きなドラゴンが飛んでいる。隣でポリーナさんが目をぱちくりさせていた。


「ド、ドラゴン? まさかドラゴン型の魔獣?」

「いえ、あれはショコラです」


 ショコラ? とポリーナさんはさっきまでとは違う理由で目をぱちくりさせる。


 ノワールドラゴンのショコラ。

 黒豹のエミザはただひたすらに怖かったけれど、ショコラはクールでカッコ良くて私の憧れの的だった。艶消しされたような黒い鱗、逆に艶やかな濃いグレーの爪と牙、赤黒い角には黒い溝が走り、大きな翼は雄大だ。個人的には尾の先の鱗の並びが特に美しいと思う。


 そんな美しいドラゴンは師匠、アレクシエル・シュミットの召喚獣だった。


 ショコラの上には男性の姿が見える。

 腰まである長い群青色の髪、耳飾りの付いた長い耳、季節に縛られず着ているお気に入りのファー付きコート。

 そしてここからは見えないが、きっと銀色の目にモノクルをしていて、歯は他の人よりギザギザしているだろう。


 馬車も徒歩も嫌だからドラゴンで来る。じつに師匠らしかった。


 そして、この時ばかりは私もさっきのミレイユさんみたいな顔をしていたかもしれない。

 やっぱり師匠に来てもらえるというのは嬉しいものなんだな、と自覚する。


 着陸したドラゴンの足元で腰を抜かしている人たちには申し訳ないけれど、私はポリーナさんの手を握って「師匠が来てくれました!」と笑みを浮かべた。

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