第21話 兄弟子との契約で反省点を見出した日
ああ、許しを乞う時に改めて「ミレイユさんは口は悪いけど私に怪我をさせるようなことはしてません」と言うべきだったな、とか。
いや、でも森では激昂していたけれど、落ち着いた後も同じ結論を出していたから改めて伝えたところで変わらなかったかも、とか。
そんな考えが頭の中をぐるぐると巡ったのは現実逃避の一環だと自分でもわかっていた。それほどラウからの契約の口づけがイメージとかけ離れていたのだ。
婚姻の際の口づけを例に出していたから、そういう軽すぎず深すぎず、それでいて短い時間のものだと思っていたのに――私の唇を塞いだラウは随分と長い間そのままだった。苦しくて逃れようとしても頭の下に手を差し入れて制止してくる。
そうしている間に口の中へと侵入してくるものがあった。
舌を入れることまでは許可していない。そう目を白黒させたが、すぐにそれが実体のないものだと気づく。
(魔力……魔法? じゃあこれで魂の糸を繋ぐのかな、でも……)
相反する属性だからこそわかる。
その魔法の気配はふたつあった。片方は無属性、もう片方は闇属性だ。
ラウが言っていた防衛の魔法がこれなのかもしれない。まさか体の中に何か仕込む気なのだろうか。そんなの聞いてない。
(……詰めが甘いってこういうことか)
魔導師を目指すなら、魔法が絡む事柄にはもっと慎重に挑むべきだった。
具体的には確認をもっとしっかりとすべきだった。突然の事態だったわりに色々と訊ねられたとは思うけれど、あれじゃ足りなかったわけだ。
今後の課題が増えた。
……なんて、やっぱり思考が『今現在』から少し逸れて飛んでしまうのは私も長い口づけに少なからず動揺しているからだ。
喉の奥へ落ちていった魔法の気配は呼吸を妨げることはなかったけれど、唇を塞がれているとやっぱり苦しい。この状態で鼻で呼吸するのも結構難しいものだ。
とりあえず冷静になれと心の中で繰り返していると、突然胸の内側からクンッと糸を引っ張られるような感覚が湧いて出た。
目には見えないけれどラウの言う魂の糸というものが繋がったらしい。
途端に様々な許可を求める第三者の声のような感覚が体の内側から響いてくる。
これをどうしたらいいのかラウには説明されなかったけれど、咄嗟に「許可をするのは危険感知だけ」と強く念じると誰かに問われる感覚は霧散した。
「……! っふ、……!」
次に現れたのは黒い何かの気配。
きっと共に入ってきたラウの防衛の魔法だ。闇属性の防衛魔法ってどんなものなんだろうか。人の中に入れるタイプは聞いたことがない。
聞いたことがないってことは――ラウが作り出した魔法の可能性もある。
黒い気配は私の体の中でとぐろを巻き、鎮座したかと思うとスゥッと溶けるように消えていった。
きっと感じ取れなくなっただけで体の中から消えたわけではないのだろう。
この隠れ潜む何かが私を守ってくれるんだろうか。……危機に反応するなら今な気がする。本当に苦しい。心臓がうるさいのもきっとそのせいだ。
すべて終わったというのに未だに唇を重ねているラウの両耳を引っ張ると「イテテッ!」という声と共に彼が離れた。追撃するために起き上がりたいが、どうにも叶いそうにない。
天井を仰いだまま空気を大きく吸い込んで、そして吐き出す。
「……詰めが甘いと言われた理由がわかりました。じつに甘い。反省点です」
「こんなことされた直後に出てくる感想がそれだなんて、俺のイルゼは一風変わった可愛さがあるなぁ。甘いと言うならキスが甘いと言ってくれてもいいのに」
「結局可愛いんですね。あと甘いというか苦しかったですよ」
ぐったりしたままそう抗議するとラウは「キスの仕方が下手なイルゼ、百点満点だ……」などと呟いてガッツポーズをしていた。
そして私を助け起こしながら笑う。
「顔が真っ赤なのも苦しかったせい?」
「そ、そうです」
「へえ、じゃあ練習しなくっちゃいけないね。よかったらもう一度――」
「二度目はありませんってば」
ラウの額目掛けて手の平を突き出して押し返す。練習が必要なほど機会が巡ってくることもないはずだ。
それでも顔の赤みはなかなか引いてくれない。ここは話を逸らすために防衛の魔法について質問しよう、と顔を上げたところで奇妙な感覚が空間全体にぶわっと広がり、その直後に目を疑った。
いつの間にか間近に穴が開いていた。
丸い全身鏡のようだが真っ黒で、かと思えば時折白い光の粒子が散っているのが見える。まるで星空のようだ。
ぽかんとしているとラウが私を引き寄せてローブで庇った。
「……この穴の向こうから慣れ親しんだ魔力が感じられるね」
「えっ、と。元いた場所の魔力ってことですか?」
ラウ曰く自然に存在する魔力は地域によって少しずつ異なるらしい。私にはわからないけれど玄人には感じ分けることができるそうだ。
もちろん異なっていても結果として出力される魔法に差異はないので、気にしている魔導師は稀だとラウは説明する。
だから穴の向こうから知っている質の魔力が流れてくるなら、この穴を通れば帰れるかもしれないということだ。
「しかし、……うーん」
ラウの言いたいことはわかる。
なぜ今このタイミングでそんなものが目の前に現れたのかわからないのだ。
詳しく調べたいけれど、私たちの見ている目の前で穴は徐々に欠け始めていた。長持ちするような存在ではないらしい。
もし帰ることができても、再びとんでもない場所に放り出されるかもしれないけれど――この機を逃すのは得策ではない気がした。
「ラウさん、ここは帰れることに賭けて行ってみましょう」
「勇敢だね。そういうところも大好きさ」
だから行ってみようか、とラウは私の手を握る。
まさかの対価を払うことになったけれど、これでもうミレイユさんの件で憂いはない。あとは帰るだけだ。
ほんの数日過ごしただけの簡素な家を振り返ると、……たしかにほんの数日だったはずなのに少しだけ寂しく感じた。世話になったのは事実だ。心の中で家にお礼を言い、私たちは穴のふちに立つ。
そして、星空のような空間へと自ら身を躍らせた。
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