第20話 口づけについて合理的に考えた日
ハウルスベルクでは口づけは婚姻の際に用いられることが多く、契約の一端を担っている。
ラウの言う魂の糸を繋ぐ契約に用いられるのも納得できないわけではないけれど、突然すぎて返答に困った。誰が見知らぬ土地に放り出されてサバイバル生活中にこんな選択を迫られると思うだろうか。
数日考えさせてほしかったけれど、早く帰りたいと急いていたのは他でもない自分だ。
そして帰った後のことを考えてお願い事をした結果がこれである。
不義理だが本気で嫌なら断ってもいいだろう。ラウもそこまで無理強いはしないはず。問題は――
(そこまで最悪の選択肢でもない、と思っている自分がいることが問題かも……)
――これだ。
初めての口づけは好きな人のためにとってあるんです、なんて乙女なことは考えていない。
サバイバル中の口の衛生環境が気になるという点も、食後に簡単な洗浄魔法を使っているため特に問題はなかった。これは一年生の間に教えられる生活用の無属性魔法のひとつだ。つまりラウもばっちりである。
口づけひとつでミレイユさんの命が救われるなら秤にかける必要もないとも思う。
むしろ気にするべきは口づけ自体ではなく魂の糸を繋ぐということの方だ。
しかし魂の糸に関して私に知識はないし、調べられる環境でもない。
まずやるべきは情報収集も兼ねたラウへの再確認だ、と結論を出してから問い掛ける。
「口づけはまぁいいとして」
「まぁいいとして!?」
「得るものが多く失うものは少ないと判断したので。もちろん相手が全然知らない好色おじさんやおばさんとかだったら嫌ですけど」
それよりも魂の糸の契約についてもっと詳しく説明してほしい。
そう伝えるとラウは「イルゼをドキドキさせられる日は来るんだろうか……」と珍しく弱気なことを言った。もっと切羽詰まった状況にならないようにすれば私だって、と思ったけれど今は言わないでおく。
ラウは黒い毛先を指でくるくると巻きながら説明した。
「さっき言った通り魂の一部を繋ぐことだよ、そして許可を得た事柄だけ共有できる。命の危険が迫っているか否か、感情、記憶とかね。見たものや食べたものなんかも記憶の共有を経由することでリアルタイムで見せられたりする」
「プライベートが消え去りますね……」
「ここまで許可する人は早々いないけどね。長く続けてると自他の境界線がなくなって相手が自分みたいに感じられて……異性を愛するような気持ちが消えるらしいから」
おお怖い、とラウは震えてみせる。
想像通り結構危険な契約なんじゃ……。でもその危険に見合った見返りはある。特に私を危険から守りたいというラウには。
「この契約は『魂の糸繋ぎ』って名称で魔導書にも載ってる。高位の魔導師なら誰でも使おうと思えば使えるけど、師匠はしてないかな」
「なるほど……その魂の糸繋ぎは任意で契約解消できるんですか?」
「できるけど魂に跡が残る。魔法の痕跡を調べる感じで高位の魔導師が確認したらバレるよ。……といっても、俺は一度繋いだら切るつもりはないけれど」
つまり永遠に繋ぎっぱなしにする覚悟で挑まなくてはならないということだ。
その他のデメリットも考えた上でしばらく長考し、ラウに向き直った。
「わかりました、受けましょう」
その言葉に喜びかけたラウに「ただし」と人差し指をつきつける。
「繋いだことは学園には伏せます。調べられるような事態も避けましょう。そして繋いだからといってラウさんとの関係は変えません」
「ふむ……」
「あと私が許可するのは危険の感知だけ……にすると耳飾りの時のようになりそうなので、ええと、危ない時だけ『これは本当に危ない!』って自分のメッセージを記憶経由でそちらに送ることはできませんか?」
意思の表明の途中で確認するとラウは「許可は対面で行なう必要があるから、記憶の共有許可を離れた場所から行なうことはできない」と答えた。つまり普段は記憶の共有を切っておいて、メッセージを送りたい時だけ遠くから解除ということはできないわけだ。
加えてラウには私が危険だと判断ができない緊急事態に察知できないと困るらしい。彼の不安を払拭できなければ元も子もないので悩みどころだ。
「……危険感知後の防衛に関しては別の魔法を仕込もうか。これが発動すれば俺にも伝わるから」
「? そんなものがあるなら、耳飾りの件も含めて初めからそっちにしておけばよかったのでは」
「いやだ。繋ぎたい。――のもあるし、今後君が許可してくれるものが増える楽しみがなくなるじゃないか」
「……」
「くっ! イルゼのゴミを見るような目の栄養価が高すぎる!」
この人に魂の糸繋ぎを許していいのか不安になってきた。
すると顔を覆う指の間から私を見ていたラウが――その指の向こうで笑った。目だけしか見えないがそれだけでも十分伝わってくるほど。
「それにこの魔法を使ってしまうとね、俺はいよいよイルゼを逃がしてあげられなくなる」
「使わなくてもベタベタですが」
「そうやって怖がらない君は気高く強かな最高の妹弟子だ。けれど想像が追いついていないなら、この手段はやめておいた方がいい。俺のなけなしの理性からの最後のアドバイスだよ」
声音は真剣だ。
魂の糸繋ぎについては知らなかったものの、説明を聞いただけでも今後他の誰かと婚姻関係を結んで暮らすことは難しくなるんじゃないかという予想はつく。理解があれば問題はないだろうけれどハードルは高くなるだろう。
……私は偉大な師匠を持っているし、こうしてイスタンテ学園に入れてもらったけれど元々は孤児だ。そしてなかなか友人も作ることができなかった。
友人ができた今、もうそれだけで満足していて結婚相手までは望まない。
そこにラウの執着を強めるような要素が加わったところで気にするのは今更というものだろう。もちろんラウと結婚するという考えはないけれど。
そう説明するとラウは顔を覆っていた手を下ろした。やっぱり笑っていた。
「詰めが甘いね、イルゼは」
「言い方……!」
「でもそういう平和を包んでヒトの形にしたような人間が俺は好きだ」
単に平和ぼけしていると皮肉られているわけではなさそうだけれど……と眉を顰めているとラウがこちらの両肩に手を置く。
そして「許可が出たなら気が変わらないうちに済ませるよ」と微笑んだ。
私も儀式とはいえ他人との口づけは緊張するし、なぜか無意味に耳が熱くなるけれど一瞬我慢すればいい話だ。大丈夫。
しかもこれ一回なら犬に噛まれたと思えばいい。これをラウに言うと今後犬のように振る舞ってきそうなので心の中で思うだけにしておくけれど。
しかしラウは私が何かを考えているか想像がついたのか、低く笑うと両腕に力を込めて押し倒した。雑な作りの天井と魔石の光を受けて逆光になったラウが見える。
笑みにより覗いた犬歯のせいで、これから獲物を食らう獣のようだった。
「本当に詰めが甘い。魂の糸繋ぎについてはあれだけ訊いてきたのに、防衛の魔法については何も聞かないなんて」
「あ……」
「でも安心してくれ、イルゼ。これも一緒に済ませてしまうさ」
それ以上のことはしないとも。
そう言って唇を重ねられ、私は思い知ることになった。
本当に詰めが甘かったし――想像も追いついていなかったと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます