第17話 目覚めて最初に目にしたのが胸板だった日
簡易小屋に窓はないため朝日が射し込んでくることはなかったけれど、いつも同じ時間に起きている私の体は今日もしっかりと起床時間に目覚めてくれた。
ただ普段と異なるのはここが相変わらず見知らぬ世界であることと――隣で眠っていたはずのラウに抱き締められた状態で目が覚めたことである。
最初は顔面を枕に押し付けた状態で起きたのかと思った。
もしくはネラに顔面を押し付けて起床とか。眠っている間も召喚しっぱなしにするという訓練のために一緒に寝ていた時に前科がある。
しかし今は枕なんてものはないし、ネラも呼び出していない。
普段ならこれがラウだと気づいた段階で蹴り飛ばすくらいはしたが、ぐっすり眠っている彼を見るとそっとしておきたくなった。
とんでもない理由による気絶からちゃんと睡眠に移行できたようだ。
(睡眠が上手くとれないから薬に頼ってるって言ってたし……薬なしでも眠れているならそっとしておいた方がいいはず)
さすがの私も鬼ではない。
――目覚めてすぐにゼロ距離でラウの胸板を拝むことになり、『さすがの私』もどきりとして赤くなったのを見られたくないというのもあるけれど。喜ばれた挙句に今後そういう路線でアピールされたら大変困る。
重い腕の中から数分かけて抜け出し、大きく伸びをしたところで違和感を感じた。
寝て起きたわりには疲れが取れていない。
まあ床でそのまま寝たようなものなので「それはそう」と納得はできるのだけれど、ただの疲れを翌日に持ち越した感覚とは少し異なっていた。
(とりあえず……命に関わることじゃなさそうだし、今は朝ご飯の準備を優先しよう)
そして食べながらラウに相談すればいい。
そう決め、違和感から目を逸らして昨日採取したブドウのような果実をすり潰しているとラウが起きてきた。眠そうな目のままボサボサになった三つ編みを解いて手櫛で整えている。
その様子は毛づくろいをする猫のように見えた。
「なんだかとても良い夢を見た気がするよ……おはようイルゼ」
「そ、それはよかったですね。おはようございます、ラウさん」
「……! 朝起きておはようを言ってくれるイルゼ!? うわぁ! 最高のシチュエーションじゃないか、栄養たっぷりだ! もしかしてこれが朝食か!?」
朝から元気そうで何よりだ。
そして寝る前になぜ気絶したかまったく覚えていないらしい。
下手に思い出してまた気絶されても困るし、逆にリベンジすると言われても困るので黙っておいた。……もちろん起きた時の体勢についても。
ひとまずブドウジュースを作るのを手伝ってもらい、水洗いだけでも食べられるキノコと携帯用簡易食糧――バー状にした固いパンを食卓に並べる。ブドウジュースはとても酸っぱかったけれど、味気ないパンと一緒に食べると丁度良かった。
キノコは無味だ。味より食感を楽しむタイプのキノコなので致し方ない。
そんな簡単な朝ご飯の席で先ほど感じた違和感について訊ねると、不思議そうな顔をしたラウは数秒間何かを確かめるように黙ると「ああ」と納得したような声を漏らした。
「俺はまだ余裕があったから気づけなかったな。どうやらこの土地は空気中に存在する魔力がほとんどないらしい」
「魔力がない!?」
「完全に存在しないわけじゃないけどね。イルゼは身の丈に合わない魔法を使って魔力不足で倒れるくらいスッカラカンだったろ? だから今も自然回復が追いついてないんだよ」
魔力は時間経過と共に回復する。
それは空気中に漂う魔力を呼吸と共に体内に取り込むからだ。
しかし肝心の魔力が空気中にないと回復するものもしない。道理に適っているけれど、魔力のない土地なんてほとんど聞いたことがなかった。
魔力の薄い土地なら授業で習ったけれど、それは砂漠のような国でこんな森の存在する場所ではなかった気がする。それとも未開の地にそういった場所があったんだろうか。
そう問うとラウは「人類はすべての土地を網羅したわけじゃないからね、そういうこともあるかもしれない」と頷いた。
「なら、これは転移魔法の暴発によるものだったとか……」
「そう決めつけるにはまだ早計かな。今日はもう少し範囲を広げて探索してみるよ。あ、でもイルゼはお留守番だ」
昨日はラウのあとをついて回ったけれど、それは狭い範囲でのこと。
それに魔力が少しでもあれば倒れることはないものの、安静にして呼吸を落ち着かせた方が取り込む効率も良いとされている。
まだ習ってないけれど専用の呼吸法があるくらいだ。
しかしお留守番というのは避けたい。
「私も連れて行ってください。……というか私も調べます。早く帰ってポリーナさんに会いたいので」
「誰だい、それ――ああ、クラスにいた気がするな」
ラウが変な嫉妬の仕方をしてポリーナさんを悪く言わないか心配だったけれど、それは杞憂だったのか「友達ができたなら良かったじゃないか」とにっこりと笑ってくれた。
「まあ結界があるとはいえ、イルゼをひとりで置いておくのはそれはそれで危ないか……突然来た場所だ、突然戻されることもあるかもしれないしね」
そうなったら私はここにひとりで取り残されることになる。
ラウの言葉にぞっとしていると、ラウもそのリスクを重く見たのか「じゃあ一緒に行こうか」と頷いた。
「ただし俺から離れないこと。腰に腕を回してもいいよ、それともお姫様だっこをしようか? 俺としては肩車でも最高に嬉しいが!」
「目的が安全確保からラウの喜ぶことにすり替わってますよ」
指摘しつつ朝ご飯を食べ終わり、手を払って立ち上がる。
そろそろたんぱく質が欲しいけれど、魔力が回復しきっていなくても体調の方は良さそうだ。これなら多少の遠出にも耐えられる。
ラウのアドバイスでいくつかの木の実を出先での栄養補給用に包み、私たちは日が高いうちに出発した。
まず初日に見て回った区域はスルーして一気に通り抜ける。
崖はラウが影で作った橋で渡り、登る場合はハシゴを作ってもらった。至れり尽くせりなのでラウの魔力が心配だったものの「ふふふ、誰の心配をしてるんだ?」と笑われてしまった。
なんでもラウの体内魔力は学園一番らしい。師匠には負けるけれど、とボソリと付け加えていたけれど、それは比べる相手が悪いというものだ。
巨大樹は相変わらず行く先々に生えており、やはり動物は見当たらなかった。
代わりに巨大樹より巨大キノコが栄えている区域があったものの、空気が悪かったため調査は後回しと相成った。遠目に見ても知らない種類が多かったので、胞子だけでも毒になるタイプのキノコがあったら大変だ。
途中で見つけた川は激流で――その水の間にきらきら光る粒子が見えた。
正体はわからなかったけれど、ラウは激流で砕けた何かの鉱石かもしれないと予想をしている。確認するには水に突っ込む必要があるので、これも後回しである。
そして次に行き当たったのは、やけに暗い区域だった。
「まだ日中、ですよね……?」
「うーん、日の光を何かが吸収してるみたいだ。闇に包まれてるのは安心するけど、ここも後回しにするかい?」
大抵の闇属性の魔導師は本能的に暗い場所にいると落ち着く。
逆に光属性の魔導師は少しそわそわすることが多いので心配してくれたらしい。
「大丈夫ですよ、属性嫌悪すらほとんど感じないので」
「闇を受け入れてくれる光……ううーん、俺の妹弟子にピッタリの表現だ……」
「あ、でも」
そう不意に私が手を差し出したので、ラウはそれをじっと凝視して「小さくて可愛い手だね」と褒めた。そういうことじゃない。
「夜目が効くわけじゃないので、ここから先は手を繋いでいきましょう」
「……」
「それにラウさんから離れちゃダメですからね、だっことか肩車とかは遠慮しますがこれくらいなら……」
「イ、イルゼが自分からラブラブ恋人繋ぎを希望してくれるなんて……!!」
してない。
このまま勢いで恋人繋ぎをされても困るので、さっさと自分からラウの手を取って普通の手繋ぎをする。それでもラウはまた気絶しそうな勢いだったので、ぐいぐいと引っ張りながら暗い道を進んでいった。
未知の場所は未だに怖い。
しかし臆することなく進む私の姿を見て落ち着いてきたのか、ラウは上機嫌で言った。
「イルゼは随分と逞しいね、しかしそれでこそ俺の妹弟子!」
「もう、なんですか。……あなたが言ったんでしょう、自分がいれば大丈夫だから安心しろって」
暴走すると何をするかわからない人だけれど、――こうしてしっかりと安心できているのは、なんだかんだで彼は間違いなく私の兄弟子だからだろう。
血の繋がった家族はいないが、身内に対する感情はこういうものなのかもしれない。
そう伝えるとラウが歩きながらまた気絶しそうになったので、酸っぱいブドウをこれでもかと口に突っ込んでおいた。
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