第16話 どうしようもない兄弟子と一緒に寝た日
何をどうすればいいんだろう。
高い空の上から落ちて助かる方法がすぐには思いつかない。そうこうしている間に魔力不足で意識が遠のいてきた。
いや、これは突然の命の危機による動揺と薄い空気、そして震えるほど寒い気温も手伝っていると思う。
わかったからといって解決策はひとつも浮かばないのだけれど、ここで気を失ってはだめだということはわかる。
なのに自分の意思で意識を保つことのなんと難しいことか。
悔しさに歯噛みしながら意識を手放した瞬間、私の体を抱き寄せたのは――とても温かい、がっしりとした両腕だった。
***
「――ぅわっ!」
肺の空気をすべて吐き出してから無理やり絞り出したような声が出てしまった。
飛び起きた瞬間にここが地上だということは体の下に感じる感触でわかったけれど、記憶は落下中からそのまま続いている。
まだ恐怖心でドキドキしている胸を押さえながら辺りを見回すと、雑に切った木で作られた室内だった。ベッドなんて組んだものではなく太い丸太からそのまま長方形に切り出したような代物だ。
(山小屋……? いや、それにしては造りがおかしいし、……これ生木だ)
使われている木はどれもこれも切ってすぐのものだった。乾燥させていない。
慌てて作った即席の家、そんな印象だった。
その時この部屋にある唯一のドアが開き、様々なキノコや山菜を抱えたラウが姿を現した。
ミレイユさんはこの場にいないのか、あの殺意満々の顔ではない。むしろ起きた私を見て満面の笑みを浮かべていた。
「ああイルゼ、良かった! 目覚めたんだね!」
「は、はい。ここは? というか何が起こったんです?」
「何が起こったのかは調査中だ。ここはどこかの森の中だね、授業に使っていた場所とは別だよ」
ラウは丸太を輪切りにしただけのテーブルに採ってきたものをドサドサと置く。
そんな彼には上着がない。見ればベッドのシーツ代わりに掛けられていた。
「あ、それ、毛布代わりにするか迷ったけど、ここって気温がそんなに低くなくてさ。だから痛くないように下に敷いたんだ」
「でもなんとなく凍えた記憶があるんですが……」
「そりゃ高度がハンパなかったからだよ」
あの時、ラウは私と同じ場所に放り出されていたという。そこで気を失った私を抱き寄せ、浮遊魔法を駆使して着地したそうだ。
浮遊魔法もずっと飛んでいられるものではないので、その間に影の紐を編んで凧のように風を掴みながら滑空したらしい。……器用すぎる。
「で、ここは簡易だがイルゼが起きた時に安心できるように建てた」
「建てた!? 私、一体どれだけ眠って――」
「正確な時間はわからないけど半日くらいかな?」
「……半日で建てたんですか?」
雑とはいえ早すぎだ。きっと様々な魔法を使ったに違いない。
しかし、たしかに目覚めた瞬間に見知らぬ空ではなく一応は人の手の入った天井が目に入ったのは落ち着く一助になった気がする。
ありがとうございます、とお礼を言うと「作った甲斐があるなぁ!」とラウは足取りを軽くしながら喜んだ。
「ここがどこかはわからないが、ひとまずぐるりと調べてみた感じ――植物や菌糸類はあるけど動物の姿は見当たらなかった」
「そのキノコや山菜は見知ったものですよね、ならあの森から近い場所……少なくとも国内では?」
そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
ラウはそんなことを言いながら収納魔法から火の魔石が内蔵された着火装置を取り出した。上に鍋やフライパンを置けばそのまま調理できる優れ物だ。ちなみに震え上がるほど高い。
そこへ同じく収納魔法から取り出した鍋を置き、ラウはキノコと山菜をちぎって放り込んだ。
「とりあえずヘルシーだが腹ごしらえをしよう。少しだけど調味料も持ってきてあるんだ」
「し、収納魔法を使える高位の魔導師って、そこに調味料をしまい込んでるものなんですか……?」
「さあ? 俺以外の奴がどんな使い方してるか知らないからサッパリだ」
贅沢な使い方だと思う。
でも……魔法も自分の力のひとつ。自分の力をどう使うかは自由だ。なのでそれ以上はツッこまないようにしておこう。
するとラウが「あ」と声を漏らした。
「肝心の水を汲んでくるのを忘れたな。近くに川があるんだよ、採ったものを洗うのに使ったのにうっかりしてた」
「その前に両手が塞がってましたし仕方ないですよ、……あの、私ももう少し状況を把握したいので汲んできましょうか?」
イルゼひとりで行かせられるもんか! と言いながらラウは私の手を引いた。一緒に来てくれるらしい。
こういう時は頼もしさを感じるのだけれど、ミレイユさんの件では彼の手綱を握ることの難しさを思い知った。
師匠はラウの性格について知っていたんだろうか。ああ、相談したい、と思うのは現実逃避かもしれない。
そんなことを考えながら外へと出る。
「……」
見上げるほど大きな巨木が生えていた。
しかも一本だけではない。まるで元いた場所で普通に自生している木と同じ存在ですよ、とでも言うように見える場所に生える木がすべて巨木だった。
ついでに変な色と模様の果実を実らせている。
家の脇には牛一頭並みの大きさをした花が咲き、巨大なパンジーのような見た目なのに香りがバラだ。
その向こうには巨木の幹に絡みつく蔓が見えたが、色が真っ赤だった。毒々しい。
「……たしかに目覚めてすぐこれを見てたら、もうちょっとパニックになってたかもしれません」
「パニックになるイルゼは見たかったけど、回避できて何よりだよ」
本当にそうですね、と返しながら、私は奇妙な森の巨木を見上げることしかできなかった。
***
現在地は不明。
原因も不明。
もちろん、どうすれば帰れるかも不明。
夜を迎え、目覚めた時に口にしたのと同じ山菜とキノコのスープを食べ終わってからようやく実感が湧いてきた。これは遭難だ。
一生帰れない可能性もあるんじゃないだろうか。
(せっかく初めての友達ができたのに……)
この場にポリーナさんはいない。弄ってくるミレイユさんたちもいない。
いるのはラウだけだ。――そんなラウがあまりにも通常運行なので落ち着くことができたけれど、外が灯りになるものが一切ない真の闇に包まれたのを見ると不安が首をもたげてきた。
「イルゼ、そろそろ寝ようか。あっ、念のため周りに簡易結界を張っておいたからね、何か現れれば俺がすぐにギッタギタのメッタメタにしてあげよう!」
「ラウさんは元気ですね……不安にならないんですか?」
「俺の不安は君に嫌われないかどうかだけさ」
この気持ちの共有は難しそうだ。
しかし私の様子から思い至ったのか、ひょいと抱き上げてベッドへと連行しながらラウは笑みを浮かべた。
「そうか、イルゼは不安なのか」
「……はい」
「心配いらないよ、俺がいれば大丈夫だから安心してくれ。イルゼが帰りたいと思うなら、俺が全身全霊でその方法を探してみせる」
――安心していいのか悪いのかわからないけど、これでホッとするのだから私も大概だ。
そのままベッドに私を送り届けたラウはごろんと床に寝転がった。
「随分とワイルドですね。あなたなら私と並んで寝るって言うと思ってましたが」
「言いたかったけれど俺の妹弟子は照れ屋だからね、嫌われると君を帰した後に死ぬことになるから我慢したんだ。さあ! 俺の理性が仕事をしている間に寝……」
「いいですよ、広いベッドですし一緒に寝ましょう」
あれから収納魔法の中にあった予備の服を発見し、それを重ねるという荒業でベッドの完成度が上がっていた。
なので環境的には近いものの、兄弟子を床にごろ寝させるというのは気が引ける。
そして日中はともかく夜は少し気温が下がるのだ。それならなるべく近くにいて体温の低下を防いだほうが良いだろう。
不格好ながら『家』の中にいるので忘れがちだが、私たちはサバイバル中なのだから細かいことは気にしていられない。そう考えたわけだ。
ただし意味のないセクハラは禁止。そう説明している間もラウは無言だった。
不服なんだろうか。そう思って様子を窺うと――
「き、気絶してる……!?」
――目を開けたまま気絶していた。ここでも器用すぎる。
妹弟子に同じベッドで寝ることを許可されたから? お揃いのパジャマで寝る妄想までしてたくせに?
「……本当にどうしようもない兄弟子ですね、あなたって」
つい笑ってしまいながら、私はベッドから服を回収してラウの隣に敷いて寝転がる。これならどっちで寝ても一緒だろう。
そしてラウの瞼を指で下ろしてから「おやすみなさい」と私も目を閉じる。
明日も不安はあるだろうけれど――今日よりは前進できるように頑張ろう。
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