第14話 殺気満々の兄弟子から逃げ出した日

 演劇で悪役が登場した時のような緊張感だった。

 ミレイユさんも視力が戻ってきたのかラウの姿に気づき、笑みを浮かべかけたがその雰囲気に圧倒されている。


 現れた瞬間に舞い上がった黒いローブが重力に従って落ちていく中、ラウは私の怪我と泥まみれの姿を確認すると「イルゼ!!」と声を張り上げて駆け寄った。

 ミレイユさんのことは見えているのかいないのかわからないが、とりあえずいつものように取り繕う気はまったくないらしい。


「なんて怪我だ、しかもこんなに汚れて!」

「す、少し切った程度ですよ」

「あああ、しかも可愛い顔にまで怪我してるじゃないか!」

「それより、ええと、なぜここに?」


 少しでも話題を逸らそうと訊ねてみたものの、ラウは依然としてこちらの負傷にあたふたとしながら答えた。


「言っただろう、これは君に危険が迫った時に守ってくれるものだって」

「言ってました……ね」

「そして君を一番上手く守れるのは、俺だ」


 自信満々且つ真剣に返されたのはそんな答えだった。

 つまり彼の血で作られたお守りであるあの耳飾りは、要するにラウを召喚するマジックアイテムだったわけである。

 ――召喚獣ならいざしらず、人間の召喚は稀少な転移魔法とも異なる仕組みで行なわれるもので、普通は魔力をたっぷり籠めた専用のポータルから行なうことになっている。それだけ危険だからだ。


 なのにラウは私の危険に駆けつけるためだけにそんな危険をホイホイと冒したわけだ。

 ありがとうございますと喜ぶより先にゾッとする。命綱なしで崖の上からダイブして助けに来てくれたのを見たようなものだ。実際にはその何倍も危ないけれど。


「なんて危ないことをしてるんですか……! しかも危険って言ってもちょっと怪我したくらいなのに!」

「流血を伴う怪我をした段階で発動するようにしたからさ。――それより、だ。君をこんな目に遭わせたのは誰だ? ダルキスか? こんな怪我を伴う授業なら……」


 そう言いかけたラウの目がミレイユさんに向く。

 『敵』を探すために周囲を見回していた目だ。びくっと体を震わせたミレイユさんだったが、逃げることもできず棒立ちになっている。

 ラウは「ああ」と納得したような声を漏らした。


「お前か」

「……! ラウ、ストップ。ミレイユさんは」

「イルゼをいじめていたのもコレだろ。言ったじゃないか、殺そうかって」


 ラウはゆらりと体の向きを変えるとミレイユさんに向き直る。

 私からは見えないものの、相当恐ろしい顔をしていたのかミレイユさんが引き攣った声を漏らした。どうやら弁明の言葉すら出てこないくらい混乱しているらしい。


 ラウは普段から暴走気味だけれど、今日は雰囲気が違っていた。

 あの日、一緒に出掛けた時に不穏なことを口にした時の彼がそのままずっと戻らずに続いているかのようだ。

 そんなラウの言葉は嘘には思えない。冗談にも思えない。そして撤回するようにも思えない。


 ぞわりとした私は慌てて立ち上がり、ラウの脇をすり抜けて走り出しミレイユさんの腕を握って走り出した。


「逃げますよ、ミレイユさん!」

「んな、な、い、一体どういうことですの!?」

「いいから早く!」


 また転びそうになりながら森の中を走る。

 後ろからは足音は聞こえないものの、闇の気配の濃い殺気が追ってきていた。きっとラウが闇属性の魔法を準備しながら追ってきているんだろう。

 このままじゃ本当にミレイユさんが殺されかねない。


 たしかに困った人だけど、兄弟子がクラスメイトを殺すなんて絶対にあってほしくない事件だ。


 ぬかるみに足を取られたミレイユさんを叱咤激励し、とにかく進み続ける。地図は確認できないけれど、こちらの方角にゴールがあるはずだ。

 ゴール地点にいるダルキス先生に助けを求めればラウを落ち着かせてくれるかもしれない。


 しかし途中でミレイユさんが肩で息をしながらへたり込む。

 そうだ、この人は私ほど体力があるわけじゃなかった。慌てて視線を走らせると目の端に小さな洞窟の入り口が見え、あそこに隠れますよとミレイユさんを引っ張り込む。

 鼻水をすすりつつも息を整えたミレイユさんは外から聞こえる小さな物音にも怯えながら問う。


「あ、あれはラウ先生ですよね? ドッペルゲンガーとかではなく?」

「残念ながら本人です」

「いつもはクールで理知的なのに、あ、あの顔……まるで殺人鬼そのものでしたわ。どういうことか説明なさい、怖くて震えが止まりませんわ!」


 説明を聞いて恐怖を紛らわせたいのだろうけど、真実にそんな効果があるだろうか。

 しかしこうなったら隠しておいても事態は悪化するだけだ。無事に戻れても被害に遭った理由を凄まじい剣幕で訊ね続けられるに違いない。

 意を決してラウが兄弟子であること、そして私を病的なほど溺愛しており――その結果、私を害するものに何をするかわからないことを掻い摘んで話した。

 ただし妄想の産物である妹弟子とイメージ像が合致していて気に入られた件はとりあえず伏せておく。


 話を聞き終わったミレイユさんは「そんな、ラウ先生が……」とショックを受けていたが、先ほど目にしたものによほどインパクトがあったのか否定する気は起きないようだった。


「夢を壊してすみません」

「この話の最後にそういうことをさらっと言うあなたも怖いですわ……」


 がっくりと顔を伏せたミレイユさんは「それで」と私を見る。


「なぜ私を助けてくれるんです?」

「兄弟子がクラスメイトを殺すところ見たいですか?」

「いや、まあそれは満場一致で嫌ですけど、そういうことじゃなくて……」


 自分が何を言ったか、どんな態度を取ってきたかミレイユさんは自覚があるらしい。

 言いたいことは山ほどあるけど、今はとりあえず。


「私に関することはいいです。ただ後でポリーナさんへの言葉は撤回してほしい、そのためにはミレイユさんが生きてなきゃいけません。だから今は力を合わせてラウから逃げましょう」

「……お、おかしな状況ですわね」

「私もそう思います」


 ミレイユさんは僅かに表情を緩めると小さく頷いた。


「わかりましたわ、私も死にたくはありません。……死ぬわけにはいきません。だから後ほどあなたたちには正式な謝罪をしますわ」

「よし、なら今は話し合いましょう。ラウは多分この周辺にいます」

「な、なんでわかりますの?」


 闇と殺気の入り混じった気配が行ったり来たりしているのだ。


 きっと大技を準備しているんだろう。

 私を巻き込むことはないだろうけど、何をしてくるか詳しいことは予想もつかない。そう伝えるとミレイユさんはぶるりと体を震わせた。

 しかしさっきのように思考は停止していないようで、そっと口を開いて私を見る。


「……それだけあなたを溺愛しているなら、可愛くおねだりしてみては?」

「お、お、おねだり?」

「争うのはやめて話し合いで解決しましょうって内容を可愛い妹弟子らしくお願いするのです。ラウ先生は我を失っているようでしたし、こちらも相応の勢いが必要ですわよ」


 勢いがあっても緊張感はどこかへいってしまうんじゃないだろうか。

 しかし聞く耳を持たせるためなら試す価値がある。私はミレイユさんに頷いて立ち上がると洞窟の出口へと向かった。


 しかし――可愛くおねだりなんて、どうやればいいんだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

イルゼの影檻 〜闇属性の兄弟子が溺愛してくるけど初対面ですよね!〜 縁代まと @enishiromato

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画