第10話 物騒な兄弟子を最終手段で鎮めた日

「じっ……」


 冗談言わないでください。

 そう言いたかったものの、私自身が冗談とは思えず言葉に詰まる。

 ラウは自分の言葉を理解しているんだろうか。私の障害になるからと先生が生徒の命を奪うと言っているのだ。しかも私から聞いたのは毒を盛ったとなじられた件だけ。

 あまりにも過剰だった。


 こういう時はどう言えばいいのだろう。

 肝心のラウは特に失言したような顔はしていない。だからこそ無言で流してはいけない気がした。

 しかし本気で受け止めて怒ると、否定することで逆にラウの思考を肯定してしまうようで――取り返しのつかない大ごとになるようで怖い。でも何か言わなきゃ。

 そう混乱した末、私はイスから腰を浮かせて、


「ね、寝言は寝て言ってください!」

「いてっ!」


 腕を伸ばしてラウの額をぺちんと叩いた。

 何かちょっと、いや、だいぶ違う気がするけれど、すでに口から出てしまったものは仕方がない。そして叱るのに手が出るのもどうかと思うが不可抗力だ。

 ラウはズレたサングラスの向こうからきょとんとした目を覗かせていたものの、しばらくしてそれを押し上げると幸せそうな笑みを浮かべた。


「ふふふ……イルゼから触ってくれた……」

「あなた私に殴られても喜びそうですね」

「喜ぶよ?」


 また記念日にされそうなので、よほどのことがない限りやらないでおこう。そう心に決める。

 ラウはへらへらとしながら「まあ考えておいてよ」とまるで軽い提案をした後のように言った。つまりさっきのは聞き間違いではなかったと示しているようなものだ。


 変な兄弟子は、じつはかなり不安定なところに立っているような人物なのかもしれない。


 無言になってスプーンを止めているとラウは笑みを引っ込め、しばらくパフェを見つめてからサングラスを畳んでテーブルに置いた。

 こちらに向けられた紫色の目がよく見える。


「昔、近しい人に毒を盛られてね」

「え……」

「それ以来、他人の作ったものが気持ち悪くてさ。ああ、でもイルゼと師匠は例外だよ?」


 そこで自炊していたがラウは下手ではないものの料理そのものは好きではなく、効率化していった結果お手製ドリンクに辿り着いたのだと語った。

 だから過剰反応したんだろうか。

 いや、でもこれは単に食事を疎かにしているという指摘への返答な気もする。


 どちらにせよやりすぎだ。

 体にも、そして心にも良くない。


「――なら、これならどうですか? このパフェはある意味私が毒見済みです」

「うん?」

「そしてこうします」


 パフェの中身をスプーンで掬い、ラウに差し出す。

 最終手段だ。

 食べ物に忌避感があって食べられない人への対応としては間違っているかもしれないけれど、ラウは私に甘い。それなら効果があるんじゃないかと思ったわけである。

 差し出されたスプーンの先を見ていたラウは、そんな先端と私の顔と交互に見ると途端に目を輝かせた。


「イルゼが俺に……あーんを……!? しかも自分が使ったスプーンで……!?」

「手が疲れるんで早く食べてください」

「くっ、風景保存魔法があれば永久に俺の部屋に飾っておけたのに!」


 心底悔しそうにしつつ、しかし躊躇いなくラウは差し出されたパフェを食べる。

 食いつきのいい雛鳥に餌でもあげているかのようだ。雛鳥と言うにはあまりにも大きいけれど。

 そうしてラウは咀嚼してから飲み込むなりおかわりを所望した。三回ほど。

 こういうのを味を占めると呼ぶのだろうか。食が進むなら何よりだが、どうせ食べるなら自分で持ってほしい。もうパフェの中身も安全だとわかったはずだ。


 そう言うと「イルゼが手ずから食べさせてくれるものと、イルゼの手作り以外はまだまだNG!」と断固拒否されてしまった。

 やっぱり我儘の言い方に癖がありすぎる人だ。


 たっぷり食べ終わったところでラウは笑みを浮かべた。

 今まで見た中でもっとも幸せそうな笑みだった。


「……甘いものをこんなに食べたのは久しぶりだよ。ランチもしっかりと食べてるし、はは、君がいないと俺は死んでしまうなぁ」


 だから傍から離れるな、と。

 暗にそう言っている気がしたのは、恐らく勘違いではないのだろう。


     ***


 兄弟子とのお出掛けはこうして終わりを迎え、学園に帰った私たちは再び今までと同じ日常に戻った。

 無事に終わった、と言い切れないのが不安を煽るが致し方ない。


 なお、ラウのアドバイス通り師匠用に瓶入りのコンペイトウを買っておいたけれど、まだ手紙を書いてすらいないので送るのは少し後になりそうだ。

 簡単な保存魔法のかかった瓶らしいので日持ちはするはず。焦らずに書こう。


 ――その時はラウのことも訊いてみようか。


 そう考えている間に召喚魔法の二度目の授業があり、今度は補習を免れOK判定をもらった。光属性の魔法の授業では先生にコントロールが上手いと褒められた。

 制服も夏物に変わり、丈夫なのに通気性が良くて感心する。そうやって書くことがどんどん増えていった。


 なのになかなか手紙に纏められなかったのは単純に忙しかったからだ。


 光属性の魔法の鍛えるべき方向性がわかって以来、先生に訊ねて様々な訓練をしている。そして通常の授業も徐々に難しくなってきた。

 卒業後はどこかの組織に所属するかフリーの魔導師としてやっていくことになるが、そのどちらでも魔獣退治に駆り出される可能性が高い。そのため野営訓練やサバイバル授業など魔法とは直接関係のないことも沢山教えられるのだ。

 こういう『慣れ』がものを言うカテゴリーは一年生の段階から積極的に教えるようにしているらしい。


 そんなこんなでとにかく時間がない。

 ラウとのランチタイムが続いていることが奇跡的なくらいだ。


(……いや、まあ中止すると本当に死にそうで怖いというのもあるけれど)


 妹弟子と触れ合えなくて衰弱。

 しっかりした食事をとる機会がなくなって衰弱。


 そんなことあるものか、と思うことでも今までのラウを見てきたからには「ありそう」と心配するポイントになっていた。困ったものだ。

 当のラウは今日も隣で私の作ったお弁当を平らげている。

 相変わらず体調が悪そうだと噂されているけれど、こんなにも食欲があるのに不思議だ。


「……ラウさん、もしかして体のどこかが悪かったりしません?」

「まだ心配してくれてるのか? 大丈夫だよ、あー……まあ、これは飲んでるけど」


 そう言ってラウが手のひらに転がしたのは錠剤だった。つまり薬だ。

 やっぱり何か病気なのでは?

 恐ろしいところもあるけれど、世話を焼いてくれる兄弟子であることには変わりないので心配にはなる。

 するとラウは八重歯を見せて笑った。


「いつか飲んでるところを見て驚かせてしまうかもしれないから、先に言っとくよ。これ、睡眠薬ね」

「睡眠薬?」

「そう。寝るのが下手くそなんだ」


 ラウの目の下に隈はない。

 なら睡眠薬はきちんと仕事をしているわけだ。しかし薬に頼らないと眠れないというのは如何なものか。

 ――過去に毒を盛られたという件と関係あるんだろうか。気になるが突っ込んでは訊けない。

 黙りこくっているとラウが私の両手をぎゅっと握った。


「イルゼがこうして手を握ってくれたらぐっすり快眠なんだけどなぁ、もちろん俺の部屋で! できれば俺とお揃いのパジャマでァッいてッ!」


 すぱんっと逃れた両手でラウの頬を挟む。

 油断も隙もない。悩んでいたのが馬鹿らしくなってしまう。

 そこで昼休みの終わりを告げる鐘が私たちの耳に届いた。


「あ、そういえばイルゼ。明日はまたサバイバル技術の授業だったね?」

「はい、実技の方ですね。ラウ先生は――」

「忌々しいことに二年の授業だ。……気をつけるんだよ、まだ警戒しているとはいえ何が起こるかわからないから」


 ……あれからラウの言った通り、アルペリアの滅亡は一大ニュースとなった。それと同時に発表されたのがアルペリアに巣食っていた魔獣が周辺諸国へと移動している件だ。

 ハウルスベルクでは騎士団が大規模な狩りをして一旦は落ち着いたものの、今でも思わぬ場所に思わぬ魔獣か現れて被害が出ている。

 私たちが向かうサバイバル用の地域も例外ではない。


 するとラウがごそごそと内ポケットを探って何かを取り出した。

 小さく固い音がする。――片側だけのイヤリングだ。ただし土台のみで飾りは付いていない。

 ラウはそれに向かって短い詠唱をすると、突然ナイフで自分の指を切った。あまりにも突然のことで止める暇もなかったものの、止血しようと思わず指の付け根を掴む。


「なっ、何してるんですか! 突然指を切るなんて……!」

「お守り作りだよ」

「おま……もり?」


 そうそう、とラウは痛みを感じていないのかと疑いたくなるほどいつも通り頷いた。

 戸惑っている間にラウの血が勝手に動き出し、するすると小さな玉のように集まって凝固する。

 ただ血が固まっただけの代物ではなく、例えるなら赤黒い宝石のようだ。まるで初めから宝石でしたよと言わんばかりの見た目である。

 ラウはそれを惜しげもなくナイフでカットして形を整えると、専用の魔法でもあるのか綺麗に土台へと固定した。


「ピアスでも良かったけどイルゼの耳に穴を開けたくないからさ、イヤリングで妥協したんだ」

「いや、その前にお守りの意味を説明してほしいんですが」

「……俺、イルゼに危険が迫った時に傍にいられないと思うだけで気が狂いそうなんだ。これは安全を祈願するものだけれど、君に危険が迫った時に守ってくれるものでもある。一回こっきりだけどね」


 もしかして、私はいま目の前で相当高位なマジックアイテムを作られたのではないだろうか。

 マジックアイテムは様々な魔法を駆使して作るものだ。使う魔法は得意な属性に限らないので難度は凄まじい。――というふんわりとした情報しか知らないくらい、魔導師のひよっ子である私には縁遠いものだった。


「血とか使って大丈夫なんですか……?」

「そういうものだから大丈夫だよ。ほら、付けてあげよう」


 さすがの私でも多少どぎまぎする。

 しかし自分で出来ますと言う前にラウが手を伸ばして耳に触れた。

 ……まあ妹弟子の身を案じてマジックアイテムまで用意してくれたんだからいいか、と考えていると付け終わったラウが「なんだこの至高の耳たぶの柔らかさは……!」と感激していたので聞かなかったことにする。


 私の耳には元々小さな薄黄色の石がついたイヤリングが付いていた。

 これは自分の属性を示すものだ。その隣に赤黒い石のイヤリングが並んでいる。

 属性を示す役割りのものは両方に付けるのが定石なので、片側だけのラウのお守りは付けていても怒られることはないだろう。お洒落として同じように片側だけ色々と他のアクセサリーを付けている生徒もよく見かける。


「血で作られたものだと思うと気味が悪いですが、その……身を案じてくれるのは嬉しいです。ありがとうございます」

「ははは、可愛い妹弟子のためならどうってことないさ。サバイバル技術の授業は凄く面倒だけど、頑張ってくるんだよ」


 そう言ってラウは私の頭をぽんと一度だけ撫でた。

 よく師匠にしてもらったのを思い出す。きっとラウも同じようにされてきたんだろう。

 こういう形で兄弟弟子の繋がりを感じるのは――悪くはなかった。


 しかし私の兄弟子はやっぱりとんでもない人物である。

 そう身を以て知ることになったのは、翌日の実技授業に出発した後のことだった。

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