第8話 先生に毒を盛ったと同級生に責められた日

「イルゼさん、あなたラウ先生に毒を盛りましたね?」


 ある日の午後、再び私を呼び出したミレイユさんがそんなことを言った。

 今まで何かとつっかかられることはあったものの、こんな誤解を受けたのは初めてだ。

 どうしてそんな思考に至ったんだろうか。今日もラウは中庭で私の作ったチキンライスを元気に食べていた。――また少し火が通り過ぎたし、グリーンピースが無かったので大きなソラマメで代用したけれど味は悪くなかったはずだ。


 とりあえず毒を盛られたような素振りは見せていなかったはず。

 そう思っているとミレイユさんとその取り巻きふたりがしくしくと泣くジェスチャーをした。


「かわいそうなラウ先生。授業中にお腹をさする回数が多かったし、聞き込みによると休憩時間は職員室の机に突っ伏してるとのこと。顔色もあまりよくありませんわ」

「よ、よくご存じですね」

「ふふん、壁にミレイユ窓にミレイユですわ!」


 なんのことわざを弄ったのかはわからないが、ミレイユさんはラウのファン。

 ファンなら相手のことをしっかりと見ているだろうし、私の気づかなかったことを把握しているのも頷ける。少し悔しいけれど。


 ……悔しい?


「とりあえず! あなたあれからラウ先生にまだちょっかいをかけているんでしょう? コソコソしていてもわかってますのよ。なぜかいつも途中で見失いますけれど……!」

「そうそう!」

「あんたが一番怪しい!」


 少し別のことに意識を持っていかれている間にミレイユさんたちがヒートアップしたのか腕組みをして口をひん曲げていた。

 もしかするとラウが魔法で中庭にいるのを隠してくれていたのかもしれない。


 とりあえずこんな誤解をされたままじゃ困ったことになる。

 今のところクラスのストレス発散係と言えるほど悪化はしていないけれど、このまま他のラウのファンにも伝播したらどうなるかわからない。

 それにこの学園の部活動には新聞部があり、そこがゴシップばかり扱っているので目をつけられると厄介なのだ。生徒が先生に毒を盛ったなんて噂が広まったら変な注目を浴びてしまう。

 こうなったらまずはミレイユさんたちの誤解を解かなくちゃならない。


「待ってください、私が先生に毒を盛るメリットなんてありませんよ」

「それは……」


 ミレイユさんが口籠る。

 このままクールダウンしてくれれば、と思ったのも束の間、ミレイユさんが胸を張って言った。


「体調不良の先生を看病する口実になりますわ!」

「そうだそうだ! それが狙いでしょ!」

「マッチポンプ!」


 凄まじい想像力だ。私には真似できない。


「ひとまずこの件に関しては私は関わっていないと断言します」

「……ふん、そうやって言い逃れできるのも今のうちですわ。必ず尻尾を掴んで見せますからね。なにせ」


 ミレイユさんは腰に両手を当てるとバーンッと仁王立ちになり、取り巻きふたりが左右で彼女に注目を促すポーズを取った。


「私、新聞部の期待のホープですから!!」

「……」


 気をつけようと思っていたけれど――すでに目をつけられていた、今そのことに気づけたのは幸運なんだろうが、不幸な気持ちになるのを私は抑えられなかった。


     ***


「イルゼ、次の休みの日に一緒に買い物へ行かないか?」


 ……ミレイユさんに再び釘を刺された次の日にこれだ。

 いつものランチタイムも控えた方がいいのでは、と相談するか迷っていたのに更に上の提案がきた。


「ラウ先生、その前にこちらからも質問を」

「ん? いいよいいよ、なんだい? 俺の誕生日とか? 血液型とか? 夜にどんな格好で寝てるとか?」

「ランチタイムをやめて距離を置こうと言ったらどうします?」

「死ぬ」


 簡潔だ。

 しかし大体予想していたことではあった。それにこのランチタイムがあるからこそ、他の時間は私に構わないように抑えてくれているのだ。

 もしランチタイムがなくなったら授業中に突然暴走し始めるかもしれない。それは避けたかった。


 それに、まあ、ラウが兄弟子だということを伏せたいと我儘を言っているのは私の方だ。

 訊ねてはみたもののNOと言われればすぐに撤回するつもりだった。


「訊いてみただけですよ。そんな捨てられた子猫みたいな顔しないでください」

「よかった、悪夢のレパートリーが増えるところだったよ。で? 俺の問いの答えは? バレることを危惧してるのなら変装していこう。あと金は俺が出す」


 次点で気になっていた点も一息で解決されてしまった。

 ミレイユさんには釘を刺されたけれど、学園外なら見られる可能性も低いはず。変装しているなら尚更だ。

 意地悪な質問もしてしまったし、ここは頷いておこう。そう半分まで首を動かしたところでラウはすでに喜んでいた。早い。


 なにはともあれ、こうして兄弟子と初のお出掛けをすることになったのだった。


     ***


 学園は休みの日に何をしてもいい。

 日がな一日部屋でゴロゴロしたり、休みでも勉強したり、実家に帰ったりと生徒の休み方は様々だ。

 私はもっぱら勉強していたけれど、今日はラウと出掛けることになっている。


 さすがに連れ立って学園から出るわけには行かないので、指定の時間に王都の噴水前で落ち合う約束だ。

 今日は動きやすい縦縞のシャツにショートパンツを履いてきた。靴は休日用にと用意していたものの、ほとんど出番のなかったものを。やっと出番を与えられてホッとしている。


 いい天気だな、としばらく待ちながら空を眺めていると「イルゼ!」と明るい声がした。

 ラウだ。学園を出る時間もズラしたので私が出迎える形になる。

 あっちも動きやすい格好だといいな――と視線をやると、ラウはシンプルなシャツにベスト、黒いスラックスという出立ちだった。そう、シンプルなのにモデル顔負けのオーラを放っている。


 普段と異なり高い位置で結われた髪とサングラスは変装要素だろうか。

 髪はともかくサングラスはとても怪しかったけれど、その怪しさが霞むほど、ええと、なんというか。


「おや、そんなに見つめてどうしたんだ? そんなに俺がカッコよかった?」

「まあ、はい、……そうですね」

「え。やった、今日はイルゼとのデート記念日且つカッコいいって言われた記念日だ!」


 そうハイテンションに手帳にメモしている姿はいつものラウだった。

 それでも見た目は良いのだから褒めていいのだけれど、なぜか私の口から出たのは咳払いだった。

 兄弟子を褒めるのがちょっと恥ずかしいのかも。そう考えているとラウは咳払いを聞いて別の解釈をしたのか、サングラスをずらして私を見つめながら微笑んだ。


「イルゼも可愛いよ、いつも可愛いが今日はまた別の良さがある」

「そ、それはどうも」

「特にその普段は見えない生足は俺には刺激が強い! 異国のメデューサを見たかのように体が固まってしまいそうだ、でもできることなら毎日拝みた――」

「じゃあ早速行きましょうか」


 すたすたと歩き始めるとラウは「うわあ! 待ってくれ!」と慌ててついてくる。

 出だしはなんとも言えなかったものの、色々な店を巡ったり気になっていた王都のスイーツを食べたりするのはとても楽しかった。

 どれも地元では見られなかったものばかりだ。


 師匠の住む森は人の出入りがほとんどないところだったし、近場の街も王都の流行が一年遅れで来る感じの田舎だった。大きいけど農地だらけな土地だ。

 優しい人ばかりで私は好きだったけれど、商人から王都の話を聞くたび羨ましく思っていた。


 ただ、ここには勉学のために来たのだから遊び歩くわけにはいかない。

 そんな気持ちがあったのだけれど……ラウが良い機会をくれた。


 特に王都に本店のある有名パティシエの店の名物、メロンソーダクリームドラゴンDXパフェは絶品だった。

 大きなパフェを抱えるようにして食べているとラウがにこにこしながら言う。


「美味しそうに食べてるイルゼは最高だなぁ、ステンドグラスにしたい……」

「相変わらず特殊な趣味ですね」

「紳士の嗜みさ。……しかしさっきも塩モンブランとかハーブレモンソフトとか食べてたけどお腹は大丈夫なのか?」


 甘いものは別腹なのか問題ない。

 少しくらいは胃が重いけど歩いている間に解消された。

 逆にラウはほとんど何も食べていなかったけれど、それを問うと「朝に食べすぎたんだよ」とにこやかに答えられたので深追いすることはできなかった。また栄養剤のみじゃないといいのだけれど。


「甘いもの好きは師匠と同じだね、まだケーキのひとつやふたつ入りそうだ」

「入りますけど……師匠も甘いもの好きなんですか?」

「おや。さては格好つけて隠してたな? 師匠は超が付く甘党さ、今日は土産に瓶入りコンペイトウでも買って送ってやったら喜ぶんじゃないかな」


 それはいいかもしれない。


 そろそろ師匠に近況報告の手紙を書きたかったし、そこにお洒落なお土産をつければ王都で上手くやってますよというアピールにもなる。……未だにぼっちだと悟られて余計な心配をかけずに済むかもしれない。

 どのお店で探そうかな、と窓の外を見ているとおもちゃ屋に蛇のぬいぐるみが並んでいるのが見えた。


「――そういえば、あの大蛇について何かわかりましたか?」

「デート中なのに色気のない話をするじゃないか。まあ襲われた本人だから気になるよね」


 ラウは背もたれに体重をかけると組んでいた腕を解いて顎をさする。


「やっぱりあそこにはいないはずの中級魔獣だった。痕跡を辿ってみるとどうやら西方、それも西の果てから逃げてきた個体らしい」

「西ですか?」

「そろそろ新聞にも出ると思うが、西の大国にアルペリアっていうところがあっただろ。その国が極級魔法の暴発で壊滅したのさ」

「ごっ……」


 極級魔法はかなり高位の魔導師でないと使えないものだ。

 効果が強くコントロールの難度が高く、そして扱える条件が課されているものがほとんどだ。特に戦争の多かった五百年ほど前に作られたものが大半なのは、それだけ魔法による活動が活発な時代だったということでもある。

 国を丸々滅ぼすレベルの極級魔法も存在するだろうが、普通は危なくて手は出さない。


「アルペリアは隣国と険悪だったらね、牽制に使える武器が欲しかったんだろう。極級魔法の研究をしているという話は学園に来る前から耳に入っていた」

「な、なんて無謀な」


 世界で魔法に一番秀でているうちの国でさえ極級魔法の扱いには慎重だ。

 戦争に利用して勝てたとしても痛いしっぺ返しがくると理解している。アルペリアはそんなリスクすら無視して研究していたんだろうか。


 ラウはサングラスを押し上げながら口先を尖らせた。


「アルペリアは広いが土地が肥沃かというとそうでもない。大蛇は飢えてこっちに逃げてきたんだろう。西はあの山に至るまでは人里も少ないしさ」

「じゃあ他の土地にも同じような魔獣が……」


 魔獣も普通の動物と同じく飢える。

 そして普通の動物でさえ飢えれば山を越え海を渡るものもいるのだ。それより強靭な魔獣が国を跨いで現れてもおかしくはない。

 アルペリアが潰れた影響はこれからどんどん大きくなるのではないか。そう心配しているとラウが重ねて言った。


「ウチもそのうち魔獣以外でも困ったことになるだろうね」

「魔獣以外で?」


 ラウは肩を竦め、簡潔に言う。

 それはなるべく深刻にならないようにと意図した声音だった。


「アルペリアは愚かだったが、それでも我が国の友好国。――あちらからの輸入に頼っていたものも多いのさ。俺たちが思っている以上にね」

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