第2話 同級生の令嬢に釘を刺された日
ひとまずラウには「悪目立ちしたくないので私たちの関係は伏せておいてください」と言い含めておいた。
渋られるかと思いきや、秘密の共有というシチュエーションがツボに入ったのかにこにこしながら快諾してくれたけれど……不安だ。
クラスで浮いている私は同級生にとって毒にも薬にもならない存在で、だからこそスルーされてきたけれど、それは結構危ういバランスの上で成り立っている。
他のクラスではストレスの捌け口として、まるで係のようにそれを担当させられている生徒がいると耳にした。
その生徒が憎まれているわけじゃないけれど「何かあったら腹いせはその子にしよう」と暗黙の了解が出来上がっているらしい。
もちろんその生徒はクラスの中ではもっとも低い地位で、性格も大人しいそうだ。
学校内で争いが起これば問題になるけれど、そもそも争いにまで発展しないようになっていた。
――みんなズルいな、と思うものの私はその捌け口係が誰かわからないので助けようがないし、情報収集もできない。だって友達がいないから。
(……で、変な目立ち方をすると私も自分のクラスで似たような立場になる可能性があったわけだけれど……)
ラウに口止めをしたところで、あの異様な振る舞いは中庭に移動するまで色んな生徒に見られていた。
それは両手の指で足りるような人数だったけれど、だからこそ真実が歪んで尾ひれまで付き、結果――同じクラスのミレイユ・シュトラウスに呼び出されることになったのだ。
ひと気のない校舎裏、ミレイユさんの左右には取り巻きの女生徒ふたり。
物語でしか見たことのないような絵面になってしまった。
「イルゼさん、あなたラウ先生につきまとった挙句、ランチまでご一緒したんですってね?」
無理やり、と取り巻きのふたりが声を合わせて言う。双子のようにぴったりだ。
そして噂にくっついた尾ひれは困ったタイプだった。ラウ・ハウザーというアイドル的存在のイメージ像はなかなか覆らない。だからすべて私側がおかしかったかのように歪んだわけだ。
見ていた人の目は腐っていなかったと思う。でも又聞きした人はそれを信じたくなくて「こうだったかもしれない」と解釈する。そして、その話を次に聞いた人はその話の「かもしれない」を取り払ってしまう。
だってその方がイメージ像に合うし、センセーショナルだから。
その結果「かもしれない」は真実になり、又聞きでそう言った人まで「やっぱりそうだったんだ!」となる。
世間慣れしていない私でもそう理解できるのは、この短い期間でも学園内で何度かそういったものに遭遇したからだ。勉強は大切だけれど師匠のところに帰りたい。
とりあえずここで単純に肯定しても否定してもマズいことになりそうなので、精一杯困った顔でミレイユさんを見る。
「人違いです!」
「まあ! なんて見え透いた嘘なのかしら。もっと頭を……」
「それはもう何度も間違われて私も困っているんです! ミレイユさんも人から話を聞いたんじゃありませんか? 私の友人は嘘を教えられて恥をかいたと言ってました」
まずは撹乱しよう。
尾ひれの付いた話は不安定だ。だから歪みやすいけど、つまり私にも歪ませる余地が残ってるってことでもある。
その上で「ミレイユさんは気高く慈悲深い方だとお聞きしています、どうか助けてください!」と下手に出ながら協力を仰ぐ。上手くいけば味方にすることでターゲットから外れられるはず……と思ったけれど、そう簡単にはいかなかった。
「何を言うかと思えば。あなたに友人なんていないでしょう?」
「う」
瞬殺だった。
だって本当に友達がいないから!
ミレイユさんはにんまりと笑うと踵を返す。
「まぁいいですわ。今日は忠告をしに来ただけですもの。ラ……」
「ラウ先生にまた迷惑をかけたら!」
「ただじゃおかないからね!」
「あなたたちが先に言うやつがありますか!」
取り巻きふたりの頭をぴしゃりと叩き、ミレイユさんは「そういうことですわ!」と言い残してさっさと去っていく。
とんでもないことになってしまった。ここで誤解を解いてもらうのは至難の業だと思う。ラウ本人に説明してもらうのが一番効果があるだろうけれど、あの執着心でできた溺愛っぷりを見てからだと頼み事をするのが恐ろしすぎる。
だってあの人、思い込みと妄想だけで作り出した妹弟子のイメージ像がクオリティ高すぎて私と瓜二つなんだもの。
学園に広がっているラウのイメージ像とは一線を画すレベルだった。どんな精度なんだとツッコミたい。それとも闇属性の魔法にはそういう気味の悪いものでもあるんだろうか。
「……平和な学園で友達に囲まれながら勉学に励みたかったなぁ」
今のところ、満たせているのは最後の部分だけだ。
***
しばらくは大人しくしておこうと思っていたのに、昼休みになると再びラウから声をかけてきた。満面の笑みで。プレゼントを山ほど持った親を見た子供でもこんな顔しない。
「俺の可愛いイルゼ! 授業中はさかずに人目があるから我慢したよ! さあ褒めてくれ、撫でるための頭はここにある!」
「完全無人じゃない廊下でそれはやめてください……!」
大型ネコ科っぽいのに性格がまんま大型犬だ。
しかし授業中は前者の例えの方がぴったりなんだから凄い。二重人格だって早くカミングアウトしてほしいくらいだ。
ラウは「そんなに気にすることないさ」と私の腰を抱くと、まるでエスコートでもするかのように歩き始めた。一瞬流されたものの慌ててその手を振りほどく。
「だからやめてくださいって! 師匠に言いつけますよ!」
「師匠に怒られるだけで君と触れ合えるなら安いものだよ」
「思考回路が最強すぎる……!」
こうなったらもっと強く拒絶して、且つラウの『妹弟子像』が壊れるようなことをすればいいんじゃないだろうか。
そう思いつき――あまり熟考せずに実行に移したのは、私もこの状況に少なからず混乱していたからかもしれない。
「そういうことする人は嫌いです」
可愛い妹弟子が言い放つ言葉ではないだろう。
視線にも敵意をしっかりと込め、睨みつける形でラウを見据えてそう口にするとラウはしばらくの間きょとんとしていた。思わぬ反撃を食らった猫のような顔だ。
しかし直後に見せたのは一気に温度が急降下したと錯覚するほどの絶望の表情だった。
「そんな! そんな! イルゼに嫌われたら俺はどうすればいい!?」
「だ、だから、嫌われないようにすれば良……」
「いやいやいや、どうすればいいなんてわかりきってる。死のう!」
一か百かしかない!!
この人、ニから九十九まで丸々どこかに落としてる!
しかもラウは私の気を引くためにわざとこんなことを言ったわけではないらしく、迷いなく懐からナイフを取り出すと革製ホルダーの留金をパチンと外して刀身を引き抜いた。
授業で魔石を削るのに使っていたものだ。隣国のドワーフに作らせたと言っていたので切れ味は折り紙付きである。
それはもう自然な動きで骨の隙間から心臓を狙おうとしているのを見て、私は慌ててラウの手首を押さえた。
「ストップ! 死ぬのはナシで! そういうのはダメです!」
「でも君に嫌われたらこの世に生きている意味がない!」
「あるでしょう一つくらい!?」
「ない!」
凄くしっかりとした口調で言い切られた。
ラウは私より早く外の世界に出たし、講師に招かれるくらいだから才能や地位もそれなりにあるはずだ。
ルックスの良さについては良いことも悪いこともあるだろうけれど、完全なマイナス点のみではないのでは……? なのに生きる意味が私しかないなんて謎すぎる。
しかも最近まで会ったこともなかったのに。
とりあえずこのままじゃ本当に死にそうだ。
こういう手合いは相手をしないこと、と予習した本にも書いてあったけれど、兄弟子にこんな死に方をされては師匠に顔向けできない。あと友達も完全にできなくなるに違いない。
「じ……冗談です、さっきのは冗談ですから! だから落ち着いてください、ハウザー先生」
「……」
趣味の悪い冗談だったらそれはそれで嫌がるんじゃないだろうか。
そう思ったものの、ラウは涙目をぱちくりさせると「イルゼから名前を呼んでくれた……!」と感動していた。大丈夫そうだ。
「でもどうせ呼ぶならラウがいいな」
「贅沢を言う余裕まで出来てる……」
「君が俺を嫌ってないなら何も恐れることはないからね、これまでみたいに!」
……ラウにも何か事情があるのかもしれない。
ただ内心ならともかく表でリクエスト通りに呼ぶつもりはない。親しいと周りに勘違いされると困るからだ。
しかしラウは何度も頼み込んできた。
そして私としても安易に嫌いだと他人に言った引け目がある。まず好きだ嫌いだと言う段階にないのだけれど、だからこそ嫌いではないのに嫌いだと言った形なわけで。
べたべた触られるのも師匠がそういう文化圏出身なので嫌悪感自体はない。嫌なのは周りに誤解されることだけだ。
「……わ、わかりました。ただし周りに人がいない時だけラウ先生とお呼びします」
「ラウお兄ちゃん」
「ラウ先生」
「ラウお兄ちゃん」
「……ラウさん」
譲歩しすぎて崖から落ちそう。
ラウはにこにこすると「今はそれで良いよ」とナイフをホルダーにしまった。
授業でナイフを見るたび先ほどの光景を思い出してしまいそうだ。
「あと、その、前回も言いましたが周りに誤解されたくないんです。だから兄弟子だとしても適切な距離感でお願いします」
「適切な距離感っていうと?」
「え? うーん、それは……」
色々浮かんでくるが、改めてそう問われると迷ってしまう。
この答えによってはラウに理解してもらえるかもしれないので、言葉は慎重に選ばなくてはならない。
しっかりと考えたかったものの、今はそこまで余裕がなさそうだ。
「……次までに紙に纏めておきます」
「イルゼは恥ずかしがり屋な上に真面目だなぁ」
でもそういう子だよね! と昔から知っているような顔でラウは笑った。
恥ずかしがり屋、の部分だけ実物とは異なるけれど、その他の精度が高すぎて誤差の範囲内に見えるのが悔しい。
「ああ、もうこんなに時間が経ってしまった。今日こそ俺の弁当を食べておくれ、ほら、蜂蜜をかけた柔らかめフレンチトーストとレモネードだよ」
そう言ってラウはいそいそとフレンチトーストとレモネードを何もない空間から取り出した。
無属性魔法の収納だ。難度が高く、普通は希少品や旅の必需品を入れることに使うのだけれどラウは弁当を入れている。
桁違いの才能を持つ魔導師。
彼が本当に兄弟子で、このまま魔法を教わることができれば私も飛躍的に成長できるかもしれないけれど――
「わかりました……頂きます……」
――フレンチトーストとレモネード。
そのどちらもバッチリと好物だったので、私はやっぱり少し不安になったのだった。
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