イルゼの影檻 〜闇属性の兄弟子が溺愛してくるけど初対面ですよね!〜
縁代まと
第1話 初対面の兄弟子が満面の笑みで迫ってきた日
「イルゼ、この後の予定は? 良かったらランチを一緒に食べないか、バッヘル産の紅茶が好きだったろう。沢山仕入れておいたんだ。あと君が好きな作家の新刊が手に入ったから、それも――」
「あ、あの!」
後ろから親しげに声をかけてきたのは黒い髪に紫色の瞳を持つ青年だった。
長く伸ばした髪を太くてゆったりとした三つ編みにし、切れ長の目の下には泣きぼくろがある。口元から覗く牙のような八重歯も相俟って、大型肉食獣のような雰囲気を持っていた。
耳から下がる黒い石のイヤリングは彼が闇属性であることを示している。
彼の名前はラウ・ハウザー。
今日うちの学園にやってきた、闇属性の臨時講師。そして。
「私たち、今日が初対面ですよね!」
「ああそうだよ、俺の愛しの妹弟子!」
――今日初めて会った、それどころか存在すら初めて知った兄弟子だった。
***
私、イルゼ・シュミットは孤児だったところを魔導師である師匠に拾われ、養女という形で育てられた。
師匠は闇属性のエルフで世の流れには疎かったけれど、それでも別邸に私を住まわせ世話係や教育係まで付けてくれたので子供を大切にする良い人だと思う。絵本の代わりに異国のモンスターの解剖図鑑を渡すのはどうかと思うけれど。
けれど十三歳になった頃、私に光属性の魔法の才能があるとわかった。
そこで養女兼弟子となり、住まいを別邸から本邸に移して修行していたのだけれど――そう、師匠は闇属性。魔法の基礎や応用の仕方は教えられるけれど、光属性の魔法そのものについては上手く教えられない。
そのため二ヵ月前に魔法を専門としているイスタンテ学園に入学したのだった。
師匠は「引退した老いぼれと暮らすより世界のことを学べるだろう」とも言っていたから、長く閉ざされた世界で育ってきた私のことを心配していたんだと思う。
私も本から得た知識や師匠の客人、世話係や教育係の話を聞いたり、時々少し離れた街に師匠と買い物へ行くことがあったものの、師匠と同じく世の流れに疎かったので入学の勧めに二つ返事で頷いた。
入学した先で色んなことを学び、そして友達……初めての友達ができたらいいなと胸躍らせて。
でもそんなに簡単にはいかなかった。
イスタンテ学園は初等部、中等部、高等部に分かれた一貫校で、私みたいに途中から入ってくる生徒は少ないらしい。なにせ学園に入れるのはお金持ちの子が大半で、そういう家柄の子は魔法の才能の有無を幼い頃に確かめる。
つまり初等部の頃から入学した子たちだ。
一方、入学するお金のない一般人はそもそも才能の有無を調べない――調べられないし、育ってから才能があるとわかっても後ろ盾がないと入学できない。学園の入学費は一般人の年収の二倍だ。
……要するに、私みたいな運の良い編入生はごく少数ということ。
そんな私がすでに完成した人間関係に突っ込んでいける余地はなかった。少なくとも自分のクラスでは。
(この学園は師匠の古い友人がやってるって話だけど、だからといって友達作りまでサポートしてくれるはずがないもんね……)
人間関係の構築は自力でやるべし、である。
ただこの学園、お金持ちが多いからか人間関係の構築=将来役に立つ人脈の確保と捉えられていて、私も入学当初は色んな人に声をかけられたけれど引退した魔導師の弟子だと知るや否や閑散としてしまった。
師匠は何か肩書きがあったと思うんだけれど、ぼんやりとしか覚えていないのでうろ覚えで口にするのはよくないと黙っていたのが悪かったのかもしれない。
でも師匠の肩書きを確かめるためだけに手紙を送るのも気まずい。
つまり私は絶賛ぼっち中なわけだ。
そんな時、闇属性魔法の担当であるイゴーラ先生が急病で倒れ、学園長の口利きで臨時講師が招かれた。
正式に学園に所属している魔導師ではないものの、信頼できる筋から呼んだ講師らしい。
それが臨時講師のラウ・ハウザーだった。
大きい肉食獣っぽくて私はなるべく距離を取りつつ授業を聞いていたのだけれど、それでもラウが生徒たちに人気なのが見て取れた。
クールで冷徹とも言えるくらい突き放した言い方をするものの、授業内容は的確で闇属性以外の生徒にも実りが多い。博識且つ様々な成果を上げている人物らしく、みんなのお眼鏡に適ったようだ。
それどころかちょっと信者的な崇め方をしている人までいた。
風の噂で一日も経たないうちにファンクラブまでできたと聞いたけれど、嘘か本当か確かめるすべはない。だって友達がいないから。
これからしばらくは彼が毎日授業に訪れる。
ああ、穏やかなイゴーラ先生が恋しい。
こんな風に思うのも属性嫌悪のせいなんだろうか。
属性には相性があって、例えば光と闇は相性が悪くて魔導師同士もデフォルトで『うっすらと相手のことが嫌い』という心理状態になる。
これを属性嫌悪と呼び、一人前の魔導師になるには属性嫌悪と自分の感情の境目をしっかり見極めてコントロールする必要があるそうだ。ただし個人差があるので難易度は人による。
私はそんなに属性嫌悪が出ないタイプだった。師匠に嫌な感情を抱いたこともない。
ただ、だからこそコントロールの仕方については素人なので、色んな人と接するようになったことで支障が出た際に対応が遅れる可能性があった。
本当に属性嫌悪なら気づけた今のうちに対処を考えるべきかもしれない。
そう悩みながら廊下を歩いていた時のことだ。
例のラウ・ハウザーが声をかけてきたのは。
しかも気さくに。楽しげに。きらきらとした目と満面の笑みで。
彼に双子の兄弟がいたと言われたら信じたと思う。しかし兄弟でも偽者でもなく確実にラウ本人だった。
何が起こったのかわからず目を白黒させていた私に彼は言う。
名前を見てもしかしてと思っていたんだ、と。――どうやらラウもアレクシエル師匠のもとで修業した弟子だったらしく、独り立ちしてから各地を巡っており、その途中で臨時講師としての声がかかったようだった。
でも私が師匠に魔法を習っている間、ラウの姿を見たことはない。
つまり本当に今日が初対面なのに、この溺愛が酷い兄のような様子は一体なにがあったんだろう?
あとをついてくる大きな犬――もとい猫のようなラウは相当目立ち、擦れ違った生徒がなんだなんだという顔で振り返る。こういう目立ち方は宜しくない。
そこで私は遮蔽物になる植木の多い中庭へと移動した。
「……好きな作家の新刊って何ですか」
「アイリィス・ハルマンの名探偵オルポシリーズ十三冊目『新緑堂の殺人鳥』さ」
ぞわっとするほど当たっている。
さっき口にしていたバッヘル産の紅茶が好きという情報も合っている。
兄弟子を名乗るストーカーな気がしてきた。でなければここまで当たっているはずがない。
そう警戒心を最大にしながら質問する。
「し、師匠の名前は?」
「アレクシエル・シュミット」
「年齢と種ぞ……」
「見た目がやたら若い950歳のエルフ、本邸はクリスブルグの西の森の中。好物は栗を使ったお菓子だけど、昔栗の中の虫を見てトラウマになったせいで今も調理する時は目を皿のようにして確認してる」
「……もしかして私のストーカーじゃなくて、師匠のストーカー……?」
思わずそう口にするとラウはぎょっとした顔をして「まさか!」と激しく首を横に振った。太い三つ編みがぶんぶん揺れる。
「なんだか緊張していると思ったらそんなことを心配してたのか! 大丈夫、俺はイルゼの優しい優しい兄弟子だよ。不安になることはない。むしろ安心して甘えてきてほしいな! ここ空いてるよ、ほら!」
「そこが信用できないポイントなんですが!?」
ハグでもしそうな勢いで両腕を広げるラウから距離を取ったものの、身長160ほどの私と比べて彼は20センチ以上大きいため離れても離れた気がしなかった。
これで真顔だったら腰を抜かしていたかもしれない。
今の満面の笑みでも色んな意味で怖いけれど。
「初めて会うのに自分のことを色々と知ってる人がグイグイ来たら怖いじゃないですか……!」
「俺が同じ立場だったら、イルゼが俺のことを知っててグイグイ来てくれたら鼻血ものだが?」
「私たち共通語話してますよね?」
大変な人物と遭遇してしまったかもしれない。
ただ、もしかしたらラウが遠目に私を見たことがあって、一方的に妹弟子として認識して溺愛していたのなら……それはそれでホラーだけど辻褄は合う。相当ぼろぼろな辻褄だけど今は無視しよう。
少しでも理解が及ぶことを祈って「もしかして遠目に私のことを見たことが?」と訊ねると、なんとラウは首を横に振った。
そして紫色の目を細めて言う。
「君を見たことはないが、師匠からたびたび話を聞いていてね。……ああ、誤解はしないでくれ、師匠から情報を根掘り葉掘り聞くなんてことはしなかったよ!」
「な、なら何で私の好きなものを知って――」
「おお、当たってたか! やったな俺! ふふ……可愛い妹弟子イルゼ、これはね」
ラウは人懐っこい笑みを浮かべ、大きな手で私の手を握った。
「俺の妹弟子がどんな子か、数年間毎日毎日シミュレーションした結果さ」
――私が訊ねたことを後悔したのは、言うまでもない。
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