第11話(母視点)

昨日県大会を終えて帰宅した息子に、どうだった? と訊くと、「県大会は抜けたよ」と、つまり関東大会への出場を決めた、とたいした感動も見せずに言っておりました。先日夫から聞いてはじめて知ったのですが、関東大会への出場経験があれば、決して弱小ではない大学からのスポーツ推薦を頂ける可能性が高いらしいのです。わたしはきっと全国大会で入賞くらいしないことには、そう言った勧誘の声はかからないと思っていたのですが、夫曰く「この国にいくつ大学があると思っているんだ。何十とある大学の陸上部が、たった八人を奪い合うなんてありえないじゃないか」とのこと。それを聞いていたので息子の乏しい反応を見て、だったらもうすこし嬉しそうにしたらどうなのよ、と思いもしましたが、わたしはおめでとう、と声をかけました。続けて、優勝だったの? と訊ねると、「敗けたよ、二位だった」と息子は応えました。「勝てると思っていたんだけど」と言う息子は、どういうわけか嬉しそうに見えました。結果としては辛酸を舐めたはずなのですが、苦渋を味わっているとは言い難い、寧ろ甘露と言わんばかりの表情を見せたのです。でも、次の大会には行けるんでしょう? と問えば、「まぁね」とこれまた淡々と返してくるので、関東大会出場を決めている余裕から発した笑みではないようです。「次は勝ちたいな、悔しかった」そう呟いてシャワーに向かった息子はやはり、敗北を振り返る時の方が寧ろ活き活きとした声をしていたように思えました。


いったい何故でしょう?


いくら考えてみてもわたしにはわかりません。けれど、ふと気づいたこともあります。


人生とは、目に見える結果という数値を用いての単純な足し算引き算では計れないモノなのでしょう。わたしはどこか、幸と不幸が目に見えない秤の上でバランスを保っているようなモノだと思っていたのです。過分な幸福を求めなければ、尋常でない苦痛には見舞われまい、喩えとして相応しいかはわかりかねますが、言わば貸しと借りのような関係とでも言いましょうか。しかし、違う。いや、違うと信じてやまない人もいる。わたしはわたしの価値観で、わたしが考える幸福を、つまりは平均たることを息子に押しつけようとしていたのです。息子にとってはそんな秤のバランスなど畏るるに足らぬモノで、どれほどの苦痛や困難を伴おうとも己の弱さや不足を直視し、それを乗り越えることに幸福を見出せるのでしょう。それはどことなく刀剣のようです。熱され、叩かれ、削られて。それを何度もくり返すことでしか得られない強さ、堅固さ、輝きがある。とは言え、そうなる必要はない、そうでなくたってちっとも構わない、と言うわたしのような鈍もおりましょう。そういう生き方だって、わるくはありません。否定されて然るべきモノではないと思います。しかし、ひとつの事実として。何度も打ちのめされて、それを乗り越えて、そこから丹念に磨かれた刃は紛れもなく美しい。どうしようもなく見る者の心を奪います。私の息子は、きっとそれを目指しているのでしょう。


なれば……。

なれば。


わたしがすることは、ひとつ。


おそらく自分の子どもが子どもでいる時間はあまりにも短い。モチロン血の繋がりとしてのそれは永劫変わりませんが、年齢や立場としての子どもである時間はあといくらもありません。取り柄も何もありませんが、わたしにできることなど片手で数えあげるほどしかありませんが、すこしくらいは誇れる親でありたい。息子がまだ子どもを持ち合わせている間に親らしいことをひとつくらいしてやりたい。義姉が問うた「我が子の才能を認めてあげられない親と、我が子の才能のなさを認めてあげられない親と、いったいどちらの親を持つ方が子どもにとって不幸なのかしらね?」、これにはまだ答は出せません。しかし、どちらが不幸か? ではなく、わたしはどうすれば我が子は幸せか? を考えたいのです。マイナスをなくせれば不幸でなくなる、というモノではないのなら、わたしは息子の才能を認める認めないではなく、我が子が望んだ幸せだけは認めようと思います。あまりに速い時代や世間の潮流に、息子がその歩みを止めないように、時々でいい、そっと背中を押そうと決めました。



風呂あがりにストレッチをするのが息子の日課です。夫が言うには「身体を軟らかくしておかないと怪我をしやすい」のだそうです。今日も息子はいささか眉を顰めながら脚を拡げて前方に身体を傾けています。彼にしてみれば、きっとこれも幸福な、そして必要な痛みなのでしょう。邪魔をするのはわるいので、ストレッチが終わるのを待って、毎日大変ね、と声をかけました。「別に」と息子は素っ気ない返事をします。おかあさんは、ほら、身体硬いから、ちょっと恥ずかしいわよね――そんなどうでもいいことが口を吐いて出ました。でも、もう少し、わたしなりに勇気を出して、息子の名を呼びました。



「颯太」



「何?」息子は訝しげな表情をわたしに見せてきます。その顔はなんだか、お小遣い減らしてもいい? と訊いて、「なんで?」と返してくる夫にそっくり、そんな顔しなくてもいいじゃない、とわたしは言いたいのを堪えます。息子は「なんだよ?」と重ねます。わたしは言いました。きっと、これも、彼の望む幸せを認めるひとつのカタチだと信じて。関東大会、見に行くから――応援しに行くから、とハッキリ言えない駄目な母親ですが。息子は「いいよ、別に、わざわざ来なくたって」と言いました。しかし、その表情は、昨夜自らが喫した敗戦を振り返る時に見せたそれとよく似たモノでした。

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