第9話(母視点)

息子の最後の大会がいよいよはじまりました。難なく最初の試合、いわゆる地区大会と言うのでしょうか。それは一位通過で県大会への出場権を勝ち獲ったようです。「県大会は通れそうか?」と夫が問えば、息子は「わからない」と言葉少なに応えるのみ、ともかく次は水戸市で行われる県大会に向けて息子はより一層身体に鞭を打っているようです。


この頃テレビの地方局などを見ていると、高校球児たちが白球を追いかける様子が中継されていて、その爽やかさ、青春感とでも言いましょうか、それを眼に映した後で我が子を見るといささか居た堪れない気持ちに苛まれます。昨日も、名の知れたバレーボールコーチの方がテレビで「全国のスポーツに励む高校生諸君、夏の主役は君だ!」とカメラに向かって指を差しておりましたが、その君とは息子のことではないのだろうな、とわたしは思ってしまいました。というのも息子に主役という肩書きは荷が重すぎると言うか、そぐわないと言うか、もうひとつしっくりこないのです。それはおそらく、彼が根を詰めすぎているのが原因なのではないかとわたしは推察しております。敢えて喩えるのなら、何日にも渡り断食を行う修行僧のような厳しい雰囲気を身に纏っておりまして、モチロン息子は毎日食事を摂っておりますが、自分に課している練習のストイックさたるや、筆舌に尽くし難いほどです。そして主役、あるいは主人公と言い替えてもいいかもしれませんが、そのようなきらきらしい存在に、厳しい修行を行う僧侶と言うのは似つかわしくなく、また、そのような主人公はあまり世間を惹きつけるモノではありません。あまり僧侶の喩えばかりで申しわけないのですが、破天荒な僧侶や一休さんのようなかわいらしいお坊さんならば見ていて心身共に踊らせることもありましょうが、しかし、楽しげなシーンもなく黙々と鍛錬を己に課す修行僧など、見続けたいと思う人はちょっといないと思います。いいところがはじまりと終わりだけをちらと見て、「あぁ、頑張ったねぇ」とたいした感慨もなく呟かれるくらいのモノではないでしょうか。



「なんだか、お前は自分の息子が幸せを手にすることを阻止したいみたいだ」


夫はわたしの言いぶんを聞き、そう言います。モチロン、そんなつもりはありません。ただ、その幸せとやらは決して陸上などという道でなくても手に入るモノであろう、今もしも望むモノが一時的に手に入ったとしても後々になって大きな不幸に見舞われるくらいならば今のうちから平凡な道を選んで欲しい、と思うだけなのです。何かに打ちこみ、努力をすることは尊いことでありましょうが、ひとつの事実として、息子はとても苦しそうで、そのようなつらい思いなどせずとも幸せになれる道はあるのに、と思ってしまうのです。わたし自身、中学では調理部、高校では文芸部に参加し、誰かと競ったり優劣を較べたりした経験に乏しいものですから、身体を傷め汗をかき、時には涙を流してまでも欲する勝利というモノが理解できません。息子は男の子ですからいささか事情は異なりますが、誰かと競わずに青春時代をのほほんと生きてきたわたしでさえ職を持つことはできましたし、過分な選り好みなどをしなければ、そんなに苦しい思いなどしなくても大丈夫なはずなのです。


「それを決めるのはあいつ自身だよ」、夫はそう言います。それ? わたしは訊き返しました。「何を大丈夫と思うか、何を不幸と決めるのか」、夫がそう言った時、どういうわけかわたしの頭に、あの地方局で放映されていた高校野球の中継が思い浮かびました。片方のチームの投手がスローカーブを投げる、甘く入ったその球をもう片方のチームがホームランにする、ボールが青空を駆けて守備チームの応援スタンドに入る、何人かの応援者は頭を抱える、けれどすぐに「大丈夫!」と誰かが叫ぶ、そのスタンドの最後方には「白球に夢を乗せて」と書かれた横断幕が掲げられている。夫は続けます、「たぶんあいつにとって、苦しい思いをする方が、今楽だったり無難だったりする道を選ぶよりも、大丈夫なんだよ。夢に挑んで敗れるより、挑むことすらしない方が、あいつにとっての不幸なんだ」


――夢……。


わたしは思わず呟きました。「いや、あるいは夢なんて言い方をしてはいけないのかもしれない。夢と気安く呼んでしまえるほど、あいつのなかでは大仰でも漫然ともしていないはずだから。ともかく理想と言うほどの距離はなく、目標と名づけてしまうほどには容易ではない、そう言う大切なモノをあいつは見つけたんだよ。他人の目から見ればどれだけ愚かでも、無謀でも、あいつ以外の誰かがその道を塞ごうとするのはよくない」でも、とわたしは思います。だとしたって、わざわざ傷を負うような生き方――そんなモノ、見ていられません。そんな歩み方をしなくてはならないなんて、何かが間違っているんじゃないでしょうか。そんな痛みが果たして人生において必要でありましょうか? しかし、「あいつにとっては、必要なのかもしれないよ」と夫は言います。「わざわざ心に傷を創ることで、さらにその奥底にある痛みを抜き出したいのかもしれない。他人からはただの傷口としか見えないそれは、胸に溜まる負のエネルギーの噴出口なのかもしれない」そう言ってから、淋しげな表現を浮かべ、夫はこう続けました。「かく言う俺の言葉も、何もかも的外れかもしれない」


そんなの、誰にもわかりません。

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