8 胸騒ぎと呪い


 アズライト・ロックは一般的とは違う家庭環境で育った青年だ。

 と言っても家族仲が悪いわけではない。

 両親と年の離れた弟が一人いて、何かしらの行事や、それぞれの誕生日には集まって祝うくらいには仲が良い。


 しかし、それ以外の時は別だ。

 仕事で忙しい両親はほとんど家におらず、弟が生まれるまではアズライトは、ほぼほぼ一人で生活していた。

 ただ小さい頃のアズライトには、それが「当たり前」だったので、寂しいとも思わなかったが。


 食事を作り、掃除をし、洗濯をし、弟の面倒を見て、空いた時間に勉強をする。

 それがその頃のアズライトの日常だ。

 だからこそアズライトは「自分が誰かのために何かをする」という事が当たり前だった。

 騎士になってからも、長年培われたその感覚はなかなか変わる事がない。


 そんなアズライトの心境に変化が訪れたのは、人狼の呪いを掛けられた時の事だった。

 自分を助けるためだけにやって来てくれた他人アルが、自分のためだけに力を使い呪いを解いてくれた。

 そしてその子は自分を助けたために、人狼の呪いを受けてしまった。


 その時、彼女の行動の全ては、アズライトだけに向けられたものだった。

 彼女は悪意も欲望も何もなく、ただただ純粋にアズライトを助けに来てくれのだ。

 

 人狼の呪いが解けた時にアズライトの目に映った、光に包まれた彼女の姿は神々しくて、自分を真っ直ぐに見つめていた青い瞳がとても美しくて。

 あの時のアルの行動は、瞳は、感情は、他の誰にでもないアズライトだけに向けられたもの。

 それを理解したとたんアズライトは一瞬で恋に落ちた。


 他人に尽くしてばかりだったアズライトにとって、アルがしてくれた事は、例え彼女にとってはいつも通りの事だったとしても――とても特別な事だったのだ。




 ◇ ◇ ◇




 とある日の夕方。

 アズライト・ロックは聖騎士としての一日の業務を終えて、帰路についていた。

 ゆっくりと沈む夕日が自分の影を伸ばす。まるで自分を引き留めているようだと思いながら、


「ああ……今日も一日が終わってしまった……」


 アズライトはそんな呟きを漏らした。


(もっとアル様のお傍にいたかった……)


 何故、時間とはこんなにもあっと言う間に過ぎてしまうのか。

 一日が終わる度にアズライトはいつもそう思う。

 騎士団長に頼み込んでアルの聖騎士になれたはいいものの、一緒にいられる時間は仕事時間だけ。

 もっとずっとアルの傍にいたいのにと、アズライトはため息を吐いた。

 憂いを帯びたその横顔に、すれ違った女性が頬を染めたが、アズライトは気付かない。


(何ならいっそ、家を出て聖堂に住むのもアリかもしれない)


 アズライトは見てくれだけは立派な騎士だが、頭の中はそんな突拍子もない事を考えるくらいに、どうしようもない男である。

 ただまぁ、そんなアズライトであっても一応は、理性や一般的な常識はそれなりに持ち合わせている。

 願望をそのまま口にしたら、アルにドン引きされるだろうなという事は理解しているし、周囲からも距離を置くようにと言われかねない。

 後者の場合はどんな手段を使っても回避するつもりではいるが、前者だけはダメだ。

 ドン引きならまだしも、それが悪化してアルに嫌われでもしたら、アズライトは生きていけない。


『アズライト……嫌いです』


 うっかりアルの声で頭の中でそんな幻聴を再現してしまい、アズライトは固まった。

 そんな事を言われたら死ぬしかない。

 サアッと青褪める。だから絶対にそんな事にならないように、気を付けなければならないのだ。


(肝に銘じよう……)


 ぐっと胸に拳を当てて決意していると、


「もう、本当にあの子ったら……あら? アズライトじゃない。今日の仕事は終わったの?」


 誰かから声を掛けられた。女性の声だ。

 足を止めて声の方へ振り向くと、そこにはオーガスタ・フランムの姿があった。

 急いでいたのか、彼女にしては珍しく髪が少し乱れている。


「ああ、どうも。オーガスタさん」


 まぁ、人それぞれ事情があるだろう。そんな事を考えながらアズライトはそう返した。

 少々ドライな言い方だなと自分でも思った。彼女の弟であるドミニクの顔が浮かんでしまったからだ。


 アズライトはドミニクに対して、アル絡みで色々あるので、あまり良い感情は抱いていない。

 それがオーガスタに対してもほんのり出てしまったのだ。

 とは言えオーガスタとドミニクは別人だ。一緒に考えるのはさすがに良くない。


「ええ、本日の仕事が終わったところです」

「そう、お疲れ様。……なら、ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「どうしました?」

「弟を見ていないかしら?」


 オーガスタはそんな事を聞いて来た。

 おや、とアズライトは片方の眉を上げる。


「いえ、特に見ていませんが……?」

「そ、そう!? 良かった……」

「良かった?」


 安堵の息を吐くオーガスタに、アズライトは首を傾げた。

 見ていない事に「良かった」とはどう言う事だろうか。

 ……何だか嫌な予感がする。

 そう感じたので、アズライトはオーガスタに尋ねた。


「何かありましたか?」

「……その、さっき友人から、ドミニクがここ最近何度も、呪いを受けて聖堂に運び込まれているって聞いたのよ」

「それは、はい。そうですね」

「やっぱりそうなのね!? ああ、もう、迷惑を掛けたわね、ごめんなさい……。どうもあの子、自分から知人に呪いを掛けてもらいに行っていたらしいのよ」


 やはり、とアズライトは思った。これだけの短期間に、何度も呪いをかけられるなど普通ならばありえないのだ。

 大方、アルに会う口実のために、呪ってもらったのだろう。


(しかし愚かな事をしたものだ)


 呪いとは食べ物のように気軽に摂取するものではない。

 そして相手を呪う事に長けた人間の性根は基本的に悪い・・のだ。

 どんな悪意を仕込まれるか分かったモノではない。

 ドミニクへ怒りと呆れを感じていると、


「それでね、今日また運ばれて行くのを見たって教えてくれた人がいたから、慌てて家を飛び出して来たのよ」

「!」


 続けて聞いたオーガスタの言葉に、アズライトは目を見開いた。


「その話、いつの事ですか?」

「え、さ、さっきよ?」

「ッ!」


 アズライトは今日も一日、アルの傍に仕えていた。

 けれどもその間にドミニクの姿は見ていない。

 恐らくアズライトと入れ違いに運び込まれたのだ。

 それが故意か、否かは分からないが。


「オーガスタさん、感謝します!」


 アズライトは短くそう言うと踵を返した。


(アル様……ッ!)


 そして聖堂を目指して全力で走り出した。




 ◇ ◇ ◇




 同時刻。

 アルが聖堂の掃除をしていると、そこへ複雑そうな顔の神官がやって来た。


「アル様、急患が運び込まれました」

「分かりました。直ぐに伺いますね。どのような感じですか?」

「その、実は……また・・ドミニク・フランムさんなのです」

「えっ」


 神官の言葉にアルは目を丸くする。

 また・・と彼女は言ったが、そう表現したくなるくらい、ドミニク何度も呪われて運び込まれてくる。

 彼に掛けられた呪いはそれほど重くはないものばかりだ。しかし先日の恋の呪いのように、放っておくと周囲に被害が及ぶタイプのものである。

 なので放置は出来ない。恐らく今回もそんな呪いだろうと言う予感があった。


「今、聖堂長様が対応しています」

「聖堂長様がですか?」

「はい。解呪が難しい場合は、アル様にお願いしたいとの事です。それとアル様はドミニク・フランムに、あまり近づかない方が良いだろう、と」


 アルが聞き返すと神官は頷いた。

 彼女も聖堂長タルクも、アルがドミニクに絡まれている事を知っているので、気を遣ってくれたのだろう。

 しかも今はアズライトが仕事を終えて帰ってしまっている。

 アルへの危険を排除出来る人物がいないため、タルクはそう判断したようだ。


「…………」


 確かに聖者であるタルクも解呪は出来る。出来るが、彼が最も得意としているのは癒しの力なのだ。

 アルはこれまでに何度かドミニクに掛けられた呪いを解いているが、そのどれもが普通より少し強めの呪いである。


(もしも聖堂長様が、私みたいに解呪に失敗して、呪いを受けてしまったら……)


 それを想像したら背筋に冷たいモノが走った。

 タルクは自分よりもずっと経験を積んでいる聖者だ。アルに解呪のやり方を教えてくれたのもタルクだった。

 だから信頼していないわけではない。

 ――でも。

 ――だけど。

 タルクはアルにとって家族のような人なのだ。

 もしも何かあったらと考えるのが怖い。


「……遠くから見ていても良いでしょうか? もしもの時は迅速に解呪を行った方が良いでしょうし」

「ダメですよ。聖堂長様からの言いつけです」

「でも」

「……と言っても、これに関しては聞かないのがアル様なのは分かっておりますので。ダメだと禁止して一人でこっそり動く方が心配ですから、他の神官達と一緒にいるなら良いですよ、とも聖堂長様は仰っていましたよ」


 アルが粘ったところ、神官は苦笑しながらそう言ってくれた。

 どうやらタルクから二段構えで伝言を預かっていたようだ。

 自分の性格をしっかり把握されている事にアルは少し赤くなる。つられて、ぽん、と獣の耳と尻尾が飛び出てしまった。


「大丈夫です、守ります!」

「ふふ。それでは行きましょうか、アル様」

「はい!」


 アルは元気に頷くと、神官と一緒にドミニクが運び込まれた部屋へと向かった。

 ただその部屋に入る事は無い。開かれたままのドアから、そっと中の様子を伺うくらいだ。

 部屋の中にはベッドに寝かされたドミニクがいて、その周囲をタルクや数人の神官が囲んでいる。


(今日の呪いはどんな感じなんだろう)


 そう思ってみると、ドミニクの頭に獣の耳が生えているのが見えた。

 ぎょっとアルは目を剥く。


「人狼の呪い……!?」

「いいえ。たぶん、それに似せて作られた呪いでしょうと聖堂長が仰っていました」


 人狼の呪いそのものでなければ、まだマシだろうか。

 アルがそう思っていると、


「――――ガ、ゥ、ル……ル」


 ドミニクの口から獣の唸り声のようなモノが聞こえた。

 ハッとして顔を見ると、薄っすらとドミニクの目が開いている。

 その目は、ドミニク本来の緑色のそれではなく、金色・・に変化していた。

 さらにその口からは、牙のようなものみ見える。

 アルが息を呑んだその瞬間、


「ガァッ!」


 とドミニクは吼えて飛び起き、口を大きく開けてタルクに襲い掛かった!

 

「ぐ……!」


 ドミニクがタルクの腕に食いつき、そこからボタボタと血が床に落ちる。血の匂いが広がる。

 神官達が焦った顔で、タルクからドミニクを引き離そうと、彼の身体を掴む。

 しかし想像以上にドミニクの力が強く、なかなかそれが叶わない。

 ドミニクの牙はより深くタルクの腕に刺さる。それどころか、彼はさらにタルクを傷つけようと、腕を振り上げた。その指先には爪が鋭く伸びている。

 あんなもので抉られたなら、タルクも神官も無事では済まない。


(嫌だ、嫌だ、嫌だ、聖堂長様!)


 このままではタルクが死んでしまう。

 嫌だ。嫌だ。いなくならないで。嫌だ。怖い。怖い。もしもが頭の中を回って、怖くて、怖くてたまらない。

 そんな焦りと恐怖でアルの頭がいっぱいになる。


(ダメ、ダメだ。私が解くんだ)


 アルはぶんぶんと頭を振ると、


「解呪を行います!」


 と叫んだ。

 そして両手で杖を構え直し、解呪の準備に取り掛かる。

 ―ーしかし。


(――――?)


 視界が一瞬、くらり、とした。

 同時に身体が熱くなって来る。


(何、これ……)


 今までに感じた事のない熱が、アルの中を暴れ回る。

 思わず嘔吐きかけるのを何とか堪え、アルは首を横に振り、目の前の呪い・・に集中する。


「水を司る、精霊の王の、御名において……呪いを解く力を、ここに」


 必死で祝福の力を紡ぎながらアルは叫んだ。

 杖からは青い光が放たれ、ドミニクを包む。

 彼の全身からパチパチと火花が散る。相当深く呪いに浸食されているようだ。

 押し負けてはならないと、アルはぐっ、と祝福の力を強める。


「……が、あ……」


 ややあって。

 彼の身体から力が抜けて、ずるり、とタルクの腕から口を離し、ドミニクは床に倒れ込む。

 少しして耳と尻尾も綺麗に消え去った。

 ――何とか解呪は成功したようだ。


「……」


 ホッとアルは息を吐く――のだが。


(――――っ)


 再び、視界がぶれた。それだけではない。視界が、だんだんと赤く染まり始めたのだ。


「これ」


 ――呪いだ。反射的にアルはそう思った。

 ドミニクの呪いの解呪は成功した。失敗の気配はなかった。

 ならばこれは、人狼の呪い。


(どうして)


 そう考えて、アルはハッとした。

 タルクが死んでしまうかもしれないと思った時、焦りと恐怖で頭の中がいっぱいになった。

 そう、負の感情だ。あれがアルの中の人狼の呪いを活性化させてしまったのだ。


(それに、この匂い……)


 人狼の呪いが活性化したせいか、嗅覚が鋭くなっている。

 タルクの血の匂いが、アルの思考をぼやけさせていた。


「ッ、アル、アル。大丈夫です、落ち着きなさい」


 それに気づいたタルクが、アルのところへ駆け寄って来て、顔の前に手をかざす。

 白い光が――タルクの祝福の力がアルの身体に注がれる。

 呪いを抑えようとしてくれているのだ。

 ――だが、無理だ。自分の中に呪いがあるからこそ、はっきりと分かる。

 タルクの解呪では追い・・・・・・・・・・つかない・・・・


「たるく、さま、みんな、にげて、だめ」


 だんだんと呂律が回らなくなってきた。

 視界が、どうしようもないくらい赤く染まっている。


(離れなければ)


 辛うじて残った理性で、アルはタルクを突き飛ばすと、


「アル!」


 必死でその場から走り出した。

 その時頭から、アズライトからもらった髪飾りが、カシャンと音を立てて床に落ちた。


(アズライト)


 自分が人狼になったとして。

 ――彼が、来てくれたら。自分がタルク達を傷つける前に、止めてくれる。

 自分の聖騎士の名を呼びながらアルは走る。

 アルの意識はそこで、ぷつりと切れたのだった。

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