7 理由と指先


 ドミニク・フランムの解呪を行ってから、十日経った頃。

 その日、アルはげっそりとした顔で、聖堂の礼拝堂内で椅子に座っていた。

 尻尾と耳も出ているが、疲労で出てしまったモノだ。

 もう疲れた、誰にも会わずに一日のんびりしたい。普段のアルの感情からかけ離れた状態になってしまったため、感情が揺れたと呪いが判断したのだろう。

 しかし、そうやって出た耳と尻尾は、へにょんと垂れていた。


「どうしましょう、アル様しょんぼりしているわ。ブラッシングしたら、少し明るい気持ちになるかしら……」

「それとも、お菓子を食べたら元気が出るかしら……?」

「そろそろあの方が来るでしょうし……。ああ、アズライト様、早くいらっしゃらないかしら……」


 そんなアルを見て神官達はおろおろしていた。

 そうしていると、 


「アールーちゃーん!」


 と明るい声が聞こえて来た。

 とたんにアルは、ぴっ、と耳と尻尾を立たせて椅子から飛び上がる。そして慌てて走り出すと、主祭壇の後ろへ滑り込むように身を隠した。

 すると少しして、礼拝堂に赤髪の青年ドミニクが入って来る。

 彼は中へ入るなり、きょろきょろと周りを見回して、


「あれ? アルちゃんは?」


 と近くにいた神官に、アルの所在を尋ね始めた。

 声を掛けられた神官は顔に笑顔を貼り付けて、


「アル様は聖堂長とお話をしております」


 と誤魔化してくれた。

 

「え~、そっか~、残念。終わるまで待たせてもらっても良い?」

「ダメです」

 

 そして神官はきっぱりと断ってくれている。

 アルは主祭壇の後ろで彼らのやり取りを聞きながら、手を合わせてその神官に感謝する。 

 実はアルが疲れているのは、これが理由である。

 ドミニク・フランムの呪いを解呪してから、彼は連日こうやって、アルに会いにやって来るのだ。

 そして彼は、


「やあ、アルちゃん。今日も可愛いね。ねぇ、ちょっと顔が疲れているよ。お仕事大変なんでしょう。良かったら、気分転換に僕とデートしない? 美味しいお店を知っているんだ」


 そんな調子で挨拶から入って、口説き文句やデートのお誘いに話を繋いで行くのである。

 アルが断ると、残念そうな顔で「ならお話しようよ」と、好きなものとか趣味とか色々と聞かれて、ドミニク自身も自分の事を勝手に話して帰って行く。

 おかげでアルの知識に、大して知りたくもないドミニクの情報が蓄積されていた。


 アルはドミニク・フランムの事が生理的にちょっと苦手だ。

 けれども、それでも、自分を尋ねて来る人を無下は扱えない。なので二、三回くらいまでは普通に対応していた。

 しかしそれが毎日となると、だんだん辛くなる。

 苦手な相手でも仕事であれば問題なく話せても、プライベートに踏み込まれるのは、やはり精神的に参ってしまうのだ。


 仕事でなければ出来れば彼とは会わずに済ませたい。

 なのでアルはこうして隠れているというわけである。

 見つかりませんように、と主祭壇の下で精霊に祈っていると、


「また来ていたのか、ドミニク・フランム」


 アズライトの声が聞こえた。

 頼もしい味方の登場に、アルの表情がパッと明るくなる。

 それとは反対にドミニクは顔をしかめる。


「うっわ、お邪魔虫」

「それはこちらの台詞だ。毎日毎日アル様のところへ押しかけてきて。アル様にご負担を掛けている事が分からないのか?」

「アハ。迷惑なんて言われた事ないからさぁ~」

「白々しい」


 少しばかり怒りを滲ませて言うアズライト。

 しかしドミニクは悪びれた風でもなく、へらりと笑ってそう言った。

 そんな彼にアズライトの眉間のシワが濃くなる。


「…………」

「……ハイハイ、分かったよ。怖ーいお兄さんに、いつまでも睨まれたくないからね」


 無言で、じろり、と睨みながら見下ろされ、ドミニクは肩をすくめた。


「本当に忠犬って感じだね、アズライトは。食いつかれたらかなわないや」

「それで結構だ。私がいる内は、アル様に近付けると思うな」

「ハハ。あ~怖~」


 ドミニクはからかうような調子でそう言うと、頭の後ろで手を組んで、出口に向かって歩き始める。

 そして数歩進んだ後で、思い出したように立ち止まって、


「あ、そうだ。バイバーイ、アルちゃん。また来るからね~!」


 と、ここにはいないと言われているはずのアルに向かって、そう言って帰って行った。

 ……どうやら隠れている事に気付かれていたらしい。勘の鋭い男である。

 けれどもアルはそれに反応せず、足音が聞こえなくなるのをじっと待った。


「アル様、もう大丈夫ですよ」


 そうしていると、アズライトが主祭壇の横から、ひょいと顔を覗かせた。

 心配そうな顔をしている。

 見慣れた顔にホッとして、アルは主祭壇の裏から這い出る。

 耳と尻尾はまだ、へにょん、と垂れたままだ。


「か、帰った……?」

「帰りました。神官が出口まで監視送り届けに行きましたから、戻って来る事はないと思いますよ」

「良かったぁ……」


 ハァ、とアルは息を吐いた後、神官達の方へ顔を向けて


「誤魔化してくれて、ありがとうございます」


 と頭を下げてお礼を言う。

 神官達は「いえいえ」とにっこり微笑んでくれた。


「アズライトもありがとうございます」

「いえ、アル様のお役に立てたなら何よりです」


 アズライトにもお礼を言うと、彼もにこっと笑ってくれた。

 優しい人達の言葉に少し気持ちは浮上してきたが、それでもまだ疲れは感じる。

 ふう、と息を吐くと、


「……そうだ! お仕事前に、お茶でも淹れますね」

「焼き立てのクッキーをお持ちしますわ」


 神官達はそう言って、厨房のある方へと出て行った。

 皆優しいな、とか、クッキーとお茶は嬉しいな、とか思ったら、アルの耳と尻尾が揺れた。

 そうしていると、


「アル様……ドミニク・フランムを、少々手荒な手段で遠ざけて良いですか?」


 アズライトがとても物騒な事を口走った。

 ぎょっとして見上げれば、彼は満面の笑顔を浮かべている。

 発言と表情がまったく合っていない。アルは慌てて首を横に振った。


「良い笑顔で言う事ではないですね。ダメです!」

「ダメかぁ……」


 アルが却下すると、アズライトはがくっと肩を落とす。

 確かにドミニクの事は困っているが、そう言う法に触れる事はダメである。アルはアズライトに犯罪者になって欲しくない。

 ……とは言え発想は問題でも、気遣ってくれる気持ちはありがたい。

 なのでアルはアズライトに向かって微笑んで、


「でも気持ちは嬉しいです。ありがとうございます」

「っ! いえ!」


 すると、とたんにアズライトは元気になった。


「しかし、ドミニクには困ったものですね」

「本当に……。聖堂内ならまだ何とかなりますが、これが外だと対応に困りますね。どうしましょう……」

「やはり処すしか」

「物騒さが上昇しています、アズライト。処さない方向でお願いします」

「処したい……」


 ついには願望のように言い出した。物騒である。

 まぁでもアルのために言ってくれているのも分かるので、アルは苦笑するのに留めておいた。


「それにしても、あそこまで好かれる理由が分からないのですよねぇ」

「あいつが何を考えているか分からないのは同意します。ですが、そうですね。一般的にですが、奴がアル様を好きになる理由は、あったと思いますよ」

「一般的に?」


 アズライトの言葉に、おや、とアルは首を傾げる。


「アル様はあいつの呪いを解いたでしょう?」

「あ、はい。仕事ですので」

「人から助けてもらうという事は、意外と大きな意味を持つのですよ。私もそうです」


 アズライトはそう言うと、アルの前に跪いた。

 青い瞳に見上げられてアルは目を瞬く。

 彼はにこりと微笑むと、そのままスッとアルの手を取って、その指先にそっと口付けた。


「アズライト?」

「……あの時アル様に助けていただいてから、私の全てはアル様のモノです」

「それはちょっと大げさ過ぎるのですが……」


 アルからすればいつも通りに仕事をしただけなのだ。

 なので、そこまで恩義を感じてもらう必要なんてない。

 そうアルは言うが、アズライトは首を横に振って、


「私は誰かから何かをしてもらえた記憶は、ほとんどないのです。ですからとても嬉しかったのですよ」


 と言った。

 それは、とアルが言いかけた時、


「ですからアル様の安寧を脅かす、あの不埒な輩は私がしっかりと処します!」

 

 アズライトは立ち上がり、ぐっと拳を作ってそう宣言する。

 どうやらまだあきらめていないらしい。

 ひい、と青褪めたアルは「処するから離れましょう!」と、必死に訴える。

 そんなやり取りは、神官達がお茶の準備が出来たと呼びにくるまで続いていた。




 ◇ ◇ ◇




 それからしばらく経った頃。

 聖堂を追い出されたドミニク・フランムは、王都の大通りを歩いていた。


「いや~、思った以上にガードがかったいなぁ。あの子、そういう方面に免疫なさそうだし、もう少し簡単に落とせると思ったんだけどな」


 頭の後ろで手を組んで、そうぼやきながら彼は歩く。

 なかなか最低な台詞を口にしているが、大通りの賑やかさの中に、その声は紛れて消えて行く。

 人の事を見ているようで、見ていない。声が聞こえているようで、聞こえていない。そんな王都のドライな賑やかさがドミニクは好きだった。


(アル・トロップフェンねぇ)


 アズライトがご執心の聖者と聞いて、ドミニクは彼女に興味を持った。

 ついでに口説き落としてやれば、アズライトの反応が面白いだろうと思って、聖堂に通っては声を掛けているが、なかなか思うようには行かない。

 色恋沙汰の経験が山ほどあるドミニクからすれば、聖堂育ちの純朴そうな子など、あっという間に落とせると思ったのだが。


(免疫はなさそうだけど……ないからこそ、ああいう反応なのかねぇ)


 聖者アル・トロップフェン。

 精霊の湖を守る一族の一人娘で、六歳の頃に精霊の祝福を授かり聖者になった少女。

 聖者となって直ぐに聖堂に引き取られたため、現聖堂長タルクや神官達からとても可愛がられており、わりと箱入り。

 彼女が得意とするのは、今いる聖者達の中では珍しく『解呪』であるため、あちこちで引っ張りだこだとなっている。

 最近ではアズライト・ロックが、王都の住人を庇って受けてしまった人狼の呪いも解いたとか。

 ――まぁ、それが失敗して自分に返ってしまい、呪いの一部が彼女の中に残っているらしいが。


(あの尻尾と耳ね、なかなか可愛いじゃない)


 感情に合わせて動いていたそれを思い出して、ドミニクはくつくつ笑う。

 本当に驚くくらい反応が素直で、それを見たいがために、ついつい意地悪もしてみたくなる。


(思ったよりも、僕、あの子の事を気に入っているのかな~)


 ああいうタイプはドミニクの周りにはあまりいなかった。

 初めはアズライトをからかうつもりでちょっかいを掛けていたが、口説き落とせたらしばらくは優しくしてやろうかなとドミニクは思っている。


(しっかしアズライトがあそこまでご執心とはなぁ~)


 驚いたと言えば、アズライトの様子も驚いた。

 他人に一定の距離を保っていたアズライトが、アルに対しては、距離感ゼロくらいの勢いで懐いているのだ。

 ドミニクはそれを『忠犬』と称したが、あながち間違っていないだろうと思っている。


 アズライトがアルに執着するようになったきっかけは、やはりあの人狼の呪いの件だろう

 あの後、アズライトにどんな心境の変化があったのかドミニクには分からないが、


「自分をアル様の聖騎士にしてください!」


 と騎士団長に直訴したらしい。

 一応、アルの聖騎士については、急ぎの件ではないものの、騎士団長も色々と考えていた。

 それで彼女に合いそうな騎士を、数人リストアップしていたところだったのだ。

 だがその中にアズライトは入っていなかった。

 理由はアズライトは紳士的ではあるものの、他人に対して一定の距離を取るタイプの人間だからだ。

 

 聖者アルは幼い頃から家族と離れて聖堂に入ったので、寂しがり屋らしい。なので専属にするならば、アルに寄り添えるような穏やかで、相手に親身になれる騎士が良いだろう、と考えられていた。

 だからアズライトは条件から外れていたのだ。


 だが何故か急にアズライトがやる気を出した。


 やる気があるなら良いのかもしれないが、それでもどうしたものかと騎士団長が悩んでいた。

 するとアズライトは、今度はどうやって調べたのか、アルの聖騎士候補に入った者達に片っぱしから決闘を挑んで、ボコボコに伸してしまったのだ。

 とんでもない暴走である。何をしているのだこいつはと、騎士団長はさすがに怒ったらしい。

 しかしアズライトは、


「アル様をお守りするのにふさわしいと認めていただきたくて。それに私に負けるようでは、アル様の聖騎士は務まりませんよ」


 なんて良い笑顔で言い切って、騎士団長は頭を抱えたらしい。

 その結果、これ以上被害が出ないようにと、騎士団長はアズライトの聖騎士就任を渋々許可したそうだ。


(いや~、思ったより頭のネジがぶっ飛んでいて面白いよねぇ~)


 そんなアズライトから、ご執心のアルを奪えたらさぞ刺激的で楽しいだろう。


(どんな顔するかな~アズライト。楽しみだなぁ。……それにさぁ、姉さんが必死にアピールしているのに、ちらっとでも見ようとしないんだから、ちょっとは痛い目に合って、相手の気持ちを理解すればいいんだよ)


 ついでに、そんな事も思った。

 ドミニクはそこまで家族想いではないものの、自分の事を見捨てずにいてくれる姉の事は、本人なりに大事に思っている。

 なので姉に対してドライな態度を取り続けるアズライトに、思う所はそれなりにあった。


「しっかし、今のままじゃあ平行線かな。マダムに頼んで呪ってもらって、アルちゃんに接触は出来たけどさぁ。うーん。もう一度、その手で行くか……?」


 良からぬ企みを呟きながらドミニクは大通りを歩いて行った。

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