6 急患と手


 アル・トロップフェンは、家族仲がとても良い。

 けれどもある日、水を司る精霊の王に気に入られ、アルは祝福を授かった。

 祝福を授かった者は、すべからく聖者として生きなければならない。

 だからアルはその日から程なくして聖堂へ入る事となった。

 アルがまだ六歳の頃の事だ。

 もちろん家族とは会えるし、手紙のやり取りだって今も続いている。


 けれども、でも。

 聖堂に初めてやって来た日の夜に感じた寂しさだけは、今もずっと覚えている。

 そして寂しがっているアルに気が付いたタルクや神官達が、傍でずっと手を握ってくれた事が、とても嬉しかった事も。




 ◇ ◇ ◇

 



 気持ちよく晴れたある日の事。

 その日もアルは聖堂で、本日の仕事を始める準備をしていた。

 聖堂に所属している事を示す服を着て、祝福の力を使いやすくする杖を持って。


 そんなアルだが、唯一、いつもと違うものを一つ身に着けていた。

 昨日アズライトから贈られた髪飾りだ。


「まあ、アル様! 素敵な髪飾りですね、とてもよくお似合いですわ」


 普段、装飾品を身に着けないアルだから、直ぐに神官達が気付いて興味津々にのぞき込んで来る。


「アズライトからいただきました。これならば仕事中につけていて問題ないデザインでしょうと、聖堂長からも許可をいただきまして」

「まあ、まあ!」


 アルがそう答えると神官たちが、きゃあっと華やいだ声を上げた。


「さすがアズライト様。センスがいいですねぇ」

「それにこの色……うふふ。本当にアズライト様はアル様の事がお好きですのね」

「色?」


 髪飾りには綺麗なラピス・ラズリがついているが、その色が何かあるのだろうかと、アルは首を傾げる。

 彼女達の言葉の意味は、アルには良く分からないが、とても楽しそうに話をしているので、まぁいいかと気にしない事にした。

 いつもお世話になっている彼女が喜んでいるなら何よりである。

 そう思っていると、


「アル様、急患です!」


 事務作業を担当している神官が飛び込んで来た。


「直ぐに行きます!」


 その言葉にアルは表情を引き締め、そう返す。

 そして神官の後をついて走った。


 案内された先は聖堂の一室だった。

 そこに赤髪の青年が、何故か目隠しをされて横たわっている。熱があるのか、頬には少し赤みが差していた。


(……あれ?)


 ふと、アルはその人物に見覚えがあるような気がした。

 緩くウェーブの掛った赤髪に、この顔の形。顔の一部が隠れているのではっきりと断言出来ないが、恐らくドミニク・フランムではないだろうか。

 そう思いながら、アルはその場にいた神官に尋ねる。


「ドミニク・フランムさんで合っていますか? 何故目隠しを?」

「はい、その人物で合っています。……その、見た者すべてに恋をする呪いを掛けられているようで」


 神官は何とも言い辛そうにそう答えてくれた。

 えっと思って、その場にいた神官達の顔を見ると、男女問わず、とも言えない表情を浮かべて、彼から微妙に距離を取っている事に気が付く。


(見境なく口説いたのかな……)


 聖堂の神官達と聞けば禁欲的なイメージを抱かれるかもしれないが、ここでは別に恋愛云々を禁止されているわけではない。

 むしろ恋をしたなら頑張れと応援されるくらいである。


 その理由は、精霊の王が『愛』と言う感情を、とても気に入っているからだ。

 恋をし、愛を育む者達は何と愛らしい事か――と精霊の王が言っていたと綴られた本が、聖堂の書庫にも保管されている。

 なので恋も愛も推奨されている事ではあるのだ。


 ――しかし。

 それを理解している神官達でも、ドミニクにこんな態度を取っている。

 彼の悪癖と言うか、その方面に関係する普段の振る舞いに問題がある事を、全員が知っているからだ。


「また特殊な呪いを掛けられましたねぇ」

「ええ。ドミニク・フランムと言えば、男女関係で結構恨みを買っているので、それが原因ではないでしょうか?」

「やっぱりそうですよねぇ……」


 ドミニク・フランムは、こと男女間の事に対して、あちこちで問題を起こしているトラブルメーカーである、というのは広く知られている話だ。

 それでも顔は良いし、お金持ちの家の子でもあるので、一時的な刺激スリルを求めて彼に近付く者もそれなりにいるらしい。

 アルにはその感覚は分からないが、ドミニクにはあまり積極的に関わりたくないなぁとは思っていた。


 けれども仕事ならば話は別である。

 どんな相手であれ、助けを求めてやって来たならば、それに応えるのが聖者だ。

 なのでアルはさっそく解呪をする事にした。

 

「水を司る精霊の王の御名において、呪いを解く力を、ここに」


 杖を構えて、静かにそう告げる。

 すると杖の先から青い光がふわりと放たれ、ドミニクの体を覆い始める。彼の顔の当たりでパチパチと、小さく青い火花が散った。

 アズライトに掛けられた人狼の呪いと比べると弱いが、それでもここ最近見て来た呪いの中では頭一つ分出た呪いだな、とアルは思った。

 ドミニクはよほど強い恨みを買っていたのが伺える。


(これはご家族が大変だ)


 アルの頭の中に、ふっと、オーガスタの顔が浮かぶ。あまり話した事はないが、きっと彼女も苦労しているのだろう。

 ほんのり同情心を抱きながら祝福の力を使っていると、やがて光がふわっと霧散した。

 解呪が終了した反応だ。


「……これで大丈夫だと思います。目隠しを取っていただけますか?」

「はい」


 アルがそう頼むと、神官がドミニクの顔から目隠しを外す。

 目隠しが取れたドミニクは、少ししてから、ゆっくりとその瞼を開いた。

 ペリドットのような色合いの緑色の瞳が、周囲の様子を確認するように動く。

 その流れで、ドミニクの目がアルへと向いた。彼は横になったまま、アルを見上げて、ふわりと微笑む。


「ああ……頭がようやく、はっきりしてきた」

「それは良かった。呪いの影響でそうなっていたと思いますよ」

「キミが解いてくれたんだね。いつもありがとう、何てお礼を言ったら良いか……」


 ドミニクは身体を起こしながらそう言う。

 目はアルに真っ直ぐ向けられたままだ。

 ……微妙に居心地が悪い、ような。

 アルはそんな事を思いながらも、


「いえ、お気になさらず。これが仕事ですので。もう大丈夫ですよ。後は薬を飲んで……」


 と解呪後の話をしかけた時。

 不意にドミニクの手がこちらへ伸びて来て、アルの左手を掴んだ。

 驚いてアルの耳と尻尾が飛び出た。アルだけではなく神官達も目を丸くしている。


「あの、ちょっと」

「ドミニクさん、手を離して下さい」


 アルや神官達は咎めるような口調で言うが、


「素敵だ……」


 ドミニクの耳には届いていないようで、うっとりとした調子でそう呟いた。


「ああ、どうしよう。こんな気持ちになったのは初めてだ……。キミが輝いて見えるよ」

「気のせいだと思いますよ」


 そう言いながら、アルはドミニクの手を離そうと、自分の腕に力を込める。

 しかしドミニクの手はびくともしない。ほっそりした腕であるのに、意外と力があるようだ。

 どうしよう、とはこちらの台詞である。アルが困っていると、


「僕……キミに恋をしてしまったみたいだ」


 ドミニクはそんな事を言いだした。思わずアル達はポカンと口を開ける。

 この短い時間の間のどこに、恋に繋がる要素があると言うのだろうか。

 アルは頭に疑問符を浮かべながら、理由を色々と考える。


(もしかして呪いが解けていないのでは?)


 そして、ハッ、とそう気付いた。

 先ほど解呪が終了した反応は見た。けれども万が一という事がある。

 何と言ってもアズライトの解呪で一度失敗しているアルである。ドミニクの解呪だって、失敗した可能性は無くはないのだ。


(とりあえず、もう一度解呪をしてみよう)


 そう思ったアルは杖を持った手をぐっと強く握りしめる。 

 ドミニクの身体の中に、ごくごく僅かに呪いが残っているせいでこうなっているのかもしれない。だからもう一度解呪をしようと思ったのである。

 もう一度解呪をした上で、今の状態が続いていたとしたら、今度は呪いの後遺症という可能性が出て来る。

 そうなってまうとアル達に出来る事はないので、治療院の方へお任せしよう。

 よし、とアルが考えていると、


「……ん?」


 アルの耳に、廊下をバタバタと走る音が聞こえて来た。

 聖堂の中を走る者は珍しい。そう思って顔を向けると、同じタイミングでドアが開いて、アズライトが息を切らせて飛び込んで来た。


「アル様! ご無事ですか!」


 アズライトはそう言ってアルの方へ目を向ける。そして、アルの手がドミニクに掴まれているのを見ると、見た事がないくらい険しい顔になって、こちらへ近づいて来た。


「その手を放せ、ドミニク・フランム」


 アズライトはそう言って、ドミニクの腕を掴んだ。手の甲に血管が浮かんでいる。相当強く握っているようで、ドミニクの顔が痛みに歪んだ。

 それを見てアルは慌ててアズライトの腕に手を当てる。


「アズライト、アズライト。おはようございます。少々力が強過ぎですよ」

「おはようございます、アル様。遅くなりまして申し訳ありません。ですが、このくらいの力でちょうど良いのですよ、こいつには」


 アルが声を掛けると、アズライトはいつも通りの笑顔を向けてくれた。

 ――のだが、言い終えた後、再びドミニクの方へ顔を向けた時には、また険しい顔に戻ってしまった。その目はドミニクを射殺しそうなくらい鋭い。

 ドミニクはそんなアズライトを見上げて、やや引き攣りながら笑顔を顔に張り付けて、 


「……やあ、アズライト。そう怖い顔しないでよ」


 それでもへらりとした調子でそう言った。

 アズライトはそれには一切答えず、ドミニクの手を強引に、アルから引き剥がした。

 二人はそのまま睨み合っている。


(どうしてこんな状況になってしまったのか)


 いつも通り仕事をしていただけなのにと、アルは困惑しつつ部屋にいる神官達を見る。

 しかし彼女達は肩をすくめて「どうにもなりませんね」と言わんばかりに首を横に振った。

 ダメらしい。せめて聖堂長であるタルクがここにいたらなぁとアルは思いながら、


「ドミニク・フランムさん。呪いは解けましたので、薬を飲んで落ち着いたら、帰っていただいて大丈夫ですよ。本調子でないようでしたら、治療院へ行ってください」


 とりあえずそう言った。するとドミニクはにこりと笑って、


「ありがとう、愛しい人」


 と返して来た。やはり後遺症の類かもしれない。

 うーん、とアルが思っていると、


「首を落して良いですか、アル様」


 アズライトが物騒な事を言いだした。二人揃って言動がおかしい。

 ドミニクはともかくとして、どうしてアズライトまで様子が変なのだろうかと思いながら、アルは首を横に振る。


「ダメですね。それでは、後をよろしくお願いします」


 アルは神官達にそう頼むと、アズライトを連れて部屋を出る事にした。

 この二人を近づけない方が良さそうだと思ったからである。


「アズライト、行きましょう」

「はい、アル様」


 一触即発しそうな雰囲気だったが、アズライトはそれ以上ドミニクに噛み付く事はなく、大人しくアルの後ろを着いて来てくれた。

 歩きながら、ちらりとアズライトの様子を伺うと、彼はとても面白くなさそうな顔をしている。


「アズライト、あなたらしくないですよ。どうしました?」

「どうしたというか……。アル様、左手をお借りしても?」

「手?」


 そう聞かれて、アルは足を止めて振り返る。

 何だろうかと思いながら手を差し出すと、アズライトはポケットからハンカチを取り出し、アルの手を丁寧に拭き始めた。

 ハンカチからは、ふわり、と良い香りがした。柑橘系の爽やかな香りだ。アズライトが使っている香水だろうか。


「申し訳ありません、アル様。私が駆けつけるのを遅れたばかりに、あのような目に……」

「あのようなと言うか、まぁ、手を握られただけですね」

「それが嫌なのです。何といういやらしい目でアル様を見ていたのですか、あの男は! 不埒なっ!」


 そう言ってアズライトは怒りながら、アルの手を拭き続けた。

 香水の香りが移ってしまいそうだなと思いながら、


「たぶん呪いの後遺症か何かですよ。アズライトは心配性ですね。……ですが、ありがとうございます」


 と言えば、


「アル様にだけですよ。私はアル様だけの聖騎士ですから」


 アズライトはそう言って小さく笑ったのだった。

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