第15話 母になる(大野美菜・仁)

【西暦2009年@地球】


 私、大野おおの美菜みなは天才だ。――否、天才少女と呼ばれていた。


 私としては特筆すべき素晴らしい行いをした覚えはない。

 ただ、私としてそこに居ただけ。その事象自体がいつの間にか在りがたいことになり、素晴らしいことになり、『天才』と呼ばれるようになった。


 そんな私も、もう中年だ。中年どころか、子供を持つ年になった。


 どこかのコミックにもあったが、自らの腹の中にもう一つ命があるというのは実に不思議な気分だ。そもそも自分の中に『命』なる不確かなものがある時点で意味が不明なのに、もう一つそれを抱えているとは実に不思議な気分だ。


「もうすぐだね」


 隣に座った夫さんのじんが呟く。今でも研究壁をやめられない困った性格の私の代わりに、上流企業に勤めながら家事をすべてこなしてくれる素晴らしい人だ。私が名字を捨てたくなかったので、仁には婿入りしてもらった。


「うん」


 年がら年中突っ張っているわけではない私はそんな風に返事する。


「ふふ。いつもだったらミィ、この辺で憎まれ口をたたくのに。正確には予定日というのは何とかの割合でずれるから、って」

「そんな嫌味なことはしない。私だって我が子は可愛い」


 まだ見たこともないけれど可愛い。


「名前、どうしようか」

「おっとりしていないでくれる」

「夫だけに?」

「つまらないよ、仁」


 いくら腐れ縁だとはいえ、ここまで仁と一緒に来るとは思わなかった。

 共にいて嫌ではないし、伴侶としてこれ以上の相手はいない。しかし、やや間の抜けたところがあるのとつまらない冗句を言うのが嫌いだ。


「それに、決めなかったか?」

「決めたっけね」


 ほら。こういうところ。


「忘れたとは言わせない」

「ゆうり、だっけ。でも、字は決めていないじゃないか」

「そんなの顔を見てから決めよう」


 びびっと来た文字を使うのさ。


 優しい人になってほしいのか。

 そこに有ってほしいのか。

 遊び心を持ってほしいのか。

 弓のように強く張った心で居てほしいのか。


「まあ、生きていてくれればいいと私なんかは思うけどね」


 私が勝手に有名なせいで、この子はこれからずっと苦労するだろう。


「それでも私がこの子を生んだ理由を、『勝手に生んだ』『親の決めたことだから関係ない』と片づけないでほしい」


 私は君が好きだから。嫌いだと思っても好きだから。嫌う自分を嫌って好きになる。


「仁」

「ん?」

「私が先に死んだら、お前はこの子を絶対に幸せにしろよ」


 じゃないと私が許さない。


「そんなこと言わないでよ、ミィ」

「無理だ。前にも言っただろう、私が死ぬのは2044年付近、原因不明の疾病。これから先運命が変更されるか、または私の演算にミスが出る、はたまた運命の歯車となりえない『そのほか』が蠢くかのどれかでしか変化しない。それぞれ確率は0.01%以下」


 色気も素っ気も味気もない。


 演算なんてそんなものさ。


「だったら俺はその0.01%? に賭けるよ。女房の生存を祈れない亭主何てあり得ないだろ」

「そうか。ちなみに0.03%±だ」


 私はお前のそんなところが好きなんだぞ、とは言わないでおいた。


 言ったらつけあがるだろ。


 それはともかく、だ。早く出て来いよ、ゆうり。

 私たちは二人とも、お前を待ちわびているぞ。


 母になるのは大変だというけれど。少なくとも今の時点では、私はお前の母になることが楽しみで仕方がない。


 愛してみせるぞ、待って居ろ。

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