第10話 月はまだ満ちぬがいつか満ちる(ノーデル・星神操音)

【西暦2031年@地球】


 歪なものだ。


 窓辺で語る少年と少女を眺めながら、俺はため息をついた。


 愛おしい妹のために世界を平和にしようとは決めたものの、まだまだ道のりは遠そうだ。

 全く、世知辛い。


 先ほど少年と少女、と叙述したが、正確には言葉を語るのは少年だけだ。数年前に犯した咎により口を利けなくなった可憐な少女は、今も月を見上げている。


「先日から、毎回お手伝い有難うございます、ノーデルさん。好評でしたよ」


 喋りもしない少女がどんな感情を抱いたかなんてわかるのだろうか、というのは俺が常時抱く疑問ではあるが、ともかく少年はそんな風に微笑んで見せた。

 数日前に依頼されてから、数回彼の菓子作りを手伝っている。無表情にそれらを頬張る少女は、喜んでいるのか不要だと思っているのか。


「それは良かったです」


 お互いに仮面の陰から窺っているかのような、のらりくらりとはっきりしない会話。

 しかしまあ、俺も自分と四十近く年齢差のある人と活発に話す気にはなれない。


「ノーデルさん」

「何ですか、星神ほしがみさん」

「ふふ、あまり名を呼ばないでください」


 先に呼んできたのはあなたでしょうに。しかし責めても仕様がないので、黙って言葉の続きを待つ。


「あなたは、なぜ僕らに協力してくださるのです? まだ数日しか経って居ませんが、あなたが随分高いポテンシャルを秘めていることは思い知らされました。なぜ、僕らに? あなたのその——天才性と言ってもいいような力があれば、世界を自分の好きなようにすることさえできたでしょうに」


 そんな言葉に答えるのは簡単だった。でも、秘密を持っているというのもなかなか楽しいか。


「なぜでしょうね」

「僕はあなたのことを本当に尊敬しているんですよ。僕らが誰一人として持ちようのない、あの存在しない電脳世界をまるで自分の血液であるかのように走り回れる能力を」

「それを、天才性と」

「ええ。僕にはそう映ります。天才、という呼称が正しいのかわかりませんが。はたまた、僕が今所有するこの能力も、大きな分類では天才になるのかもしれません」

「僭越ながら長らく『天才』と呼称されてきた身から言わせていただきますが」

「やはりそうなのですね」

「天才など、病気のようなものですよ。どこへ行ってもついて回る、気味の悪い病気そのもの。その病気を内包するせいで周りに避けられ、はたまた利用されてみたり。忙しなく移ろいゆく世界に翻弄され続けるのが精いっぱいなんです」


 多く物語の中で語られる、うまく立ち回っている天才たちなど、後から見た俯瞰に過ぎない。ただただ、天才であるというその理由だけで、潮の流れが俺たちをあちこちに運んでいくのだ。まるで、何か大きなものの意志がそこに存在する、というかのように。


「病気——ですか」

「あなたのその力も、病気のように、俺には感じられます。その病気があるせいで、星神さんは彼女から離れられない——さながら、呪いのように。それそのものがあるせいで身動きがとりにくくなる、という点では病気と呪いは酷似しているでしょう」

「そうとも言いますね。もっとも、ノーデルさんの語る『呪い』とは違い、僕は自分の意志でつむぎを縛っていますから」


 本当は呪いも嫌いも妬みも嫉みも恨みもせず、信じがたいほど愛しているだろうに。不器用で、それでいて嫌味な人だ。少なくとも俺は、彼の不器用さを美徳としてとらえる気にはなれない。


「本当に愛おしいなら、言ってしまえばと思いますけどね——俺の知り合いは、それで恋が報われましたよ」


 恋に落ちる音、とやらを。もしかしたらいつか、星神操音あやね桜待さくらまち紬に響かせられるかもしれないじゃないか。


「音を操るだけに、恋を奏でろと言いますか。難しい話ですね」

「俺は日々伝えていますよ。世界を平和にしてやる相手に、想いを」

「それはそれで重いのではありませんか」

「俺は彼女の親代わりですから」


 俺のエゴで彼女から両親を奪って以来。彼女に対する俺の思いは募るばかり、決して恋でないその想いは——


「慈愛、とでも名付けましょうか」


 星神がそっと言う。彼がそう口に乗せたのなら、俺の想いはたった今この瞬間、慈愛に決まったのだろう。


「そういえばノーデルさん。懸念だった『戦力』の問題が解決しそうですよ。何でも『主』によりますと、世界最高の戦闘能力を持つ殺し屋さんがこちらへ来るらしいです」

「殺し屋……ですか」

「ええ。まあ、『主』の見込んだ人ならば問題ないでしょう」


 俺たちのの中で、唯一懸念だった『戦力』。その懸念が解決されつつある今、長い間眠らせてきた、寝かせて熟成させてきた俺のも実りそうである。


 円にはまだ少し足りない月。今晩から数えて幾度目かの満月の日には、俺たちの計画も完遂されていることだろう。

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