第12話 あなたの傍に居たい(新樹令華・角陽榛)

【西暦2024年@地球】


 彼女は自身の頭髪及び瞳と同色の、黄金色の液体を銀の匙に取る。

 とろりと粘ついた液体が匙の上に落ちる。


「ん」


 零れ落ちそうになる液体を舌の上に載せ、舐めとって僕の方ににっこりして見せる。


「おいしいわよ」


 てっきり僕にくれるのかと思ったが、そうではないらしい。


「あら、はるも欲しかったの」


 とある虫の作る蜜らしい。地球でしか手に入らないその液体を、彼女は気に入ったようだった。


「もらえるのなら」

「いいわよ」


 今度はさっきと違ってほんの少しを匙に取る。


「むせるわよ」


 嫌な予言なことを言うな、と思いながら差し出された匙を咥える。彼女が匙を抜くと、口から唾が糸を引いた。


「――かふっ」


 何だこれは。甘いのにどこか喉の奥が刺激されて、寒い冬に長い間走った時のような感覚が訪れる。


「だから言ったじゃない。でも美味しいでしょう」


 もう僕は良い、と手を振ると令華れいかは残念そうな顔をした。


「気に入らなかった?」

「貴女が気に入ったのなら食べてくれ……僕はどうにも」

「そう。ならもらうわね」


 もう一度だけ、なんて言い訳をして、手に持った匙にとろりと蜜を垂らす。わざわざ僕の舐めた匙を使わなくってもいいのにと思ったが、訂正する元気はなかった。


「珍しいわね、貴男が風邪を引くなんて」


 慣れないところに来たせいだろうか、こう体が熱くなるのは久しぶりだった。


「そうだな……やはりこちらの気候は体に合わない」

「それだけじゃなくて、転移装置を使ったツケがまだ残っているのかしらね。貴男あまり魔力がないのだから、無理をするなと言ったでしょうに」

「貴女に付いていないわけにいかないだろう……僕は何のために貴女の護衛をしているんだ」


 そう。護衛。

 五年ほど前、まだ十歳だったこの少女の護衛任務を命じられて、それ以来ずっと付き従ってきた。彼女のわがままに付き合うのも、同じくわがままを諫めるのも、長らく僕の役目で、死なない限りはその立場が続くのだろうと思う。


「すぐに死ぬだとか、まるで死にたがりみたいなことを言っておいて、貴男はなかなか死なないわね」

「それほど数多く戦場に行ってもいないしな――僕という護衛がお好みでなければ、死んだふりをして行方をくらますくらいのことはするが」

「何を言っているのよ面倒くさい。新たに護衛として来た人と関係性を作るなんて考えただけでありえないわ」

「そうか……」


 朦朧とした意識の中で、今のところは彼女が僕を拒絶していないことに安堵する。


「しかし、買い物に行けないのは困るわね……地球は品揃えが違うから、服を買いに行きたかったのに。そろそろ帰らなくちゃ」

「すまない。僕がこうなってしまったせいで」

「貴男に文句を言ったわけじゃないわよ。独り言」


 そうなんだろうな、とは思うが。その言い方はなんだか責められているようだったぞ。


☆☆☆


 久しぶりにした買い物は楽しかった。相変わらず服には関心がないといった風の榛を連れまわして、おそらく彼の好みではないであろう服をあてがうのが面白かった。

 父親の金でもうすでに持っているような服をいくつか買って、紙袋を彼に持たせて路を急いだ。


「大変ね、そろそろ転移しなくっちゃ」

「だから買いすぎるなと」

「これでも抑えた方でしょう?」


 五年前、わたしが十歳だった時から一緒にいる。とっくにわたしが買い物好きなのは知っているでしょうに。


「そうだが……」


 困ったような顔でわたしを窘めるのは変わらないわね。


「あなたのためにも買ったじゃない」

「そういうことではないんだが」

「ごちゃごちゃうるさい。わたしのそばに並ぶにはそれなりの見た目が必要でしょ」


 本当はそんな理由ではないけれど。でも、わたしはどうしても素直に言うなんてことができないから。


「そうだな」


 わたしがはぐらかしていることを知っているのかいないのか、榛はいつも通りのトーンで同意した。


「もとはと言えばこうなってしまったのも僕が熱を出したせいだし。その辺は大目に見よう」


 偉そうだわね、何て突っ込んでから、軽く微笑を浮かべた顔を見やって、良く笑うようになったなと思った。


 わたしが彼の背を追い越す前は、笑わなかったのに。


「ずいぶん小さくなったわよね、貴男も」

「令華が大きくなったんだ――気にしていることを言わないでくれ」


 今だって十分高い方だと思うけれど。わたしが何の因果か成長しすぎただけで。


きぬがさにだって負けていたし」


 この地球に来た第一の目標、共通の知り合いである少年。


「あれは少年という年ではないだろう」

「そうねえ」


 成人はとっくにしているだろう。


「相変わらず妹さんにご執心だったわね」

「でも可愛かったじゃないか、つばさちゃん」

まつりにも何だか言われていたわ」

「守りたくなる性質、というのがあるのだろうな」

「貴男はわたしを守りたいと思うのかしら?」

「死なせてしまっては後味が悪いな」

「わたしはあなたに守ってほしいわよ」

「そうか」


 肯定も否定もしないのね。


 わたしは貴男のことが好きなのに。

 わたしの想いは報われない。


 いっそ祭のように言ってしまえれば楽なのかしら。


「荷物、反対にしなさいよ」

「え? しかし、こちらは攻撃を受けた際の」

「誰が襲ってくるというのよ。手をつなぎたい気分なの」

「……」


 榛はおとなしく荷物を持ち替える。どうせいつものわたしの我が儘だと思っているんでしょうね。榛を困らせたいだけの、大したことのない我が儘だと。


 そんなことじゃなくて。

 荷物の分だけ、近くに行きたかっただけ。

 できればずっと、このままで居たい。


☆☆☆


 たまに言ってくる、『手をつなぎたい』という彼女の願い。幼いころに父親から十分な愛情を受けなかった彼女の要望としては妥当だが、それを叶える相手が僕でいいのだろうか、とは思う。


 人殺しなのにな。


 貴女は僕を想ってくれるのか。


 人を傷つけ、嬲り、弄んだこの手を嬉しそうに握る貴女が愛おしい、この気持ちは純粋だ。

 でも、それを口に出すにはもう汚れすぎてしまった。

 貴女に近づく資格は足りていない。もっとそばに居たいだなんて、口に出してはいけない願いだ。


 布団の中から、微笑む貴女を見つめるような。

 好きでもない洋服を選ぶのに付き合わされるような。

 荷物の分だけ、貴女に近づけるような。


 こんな他愛のない日々が続けば、それで十分だ。

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